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バケーションがもたらしたイングランド再ロックダウン

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V・A・C・A・T・I・O・N  楽しいな ぎらぎらと輝く太陽背に受けて 青い海 泳ぎましょ 待ち遠しいのは 夏休み なんて歌がありましたね。このバケーション(正確にはヴァケーションと書いた方がいいのでしょうか)という単語のスペルを覚える時、この歌が役に立ちましたが、その他に、学校の友達が、「ヴァケーションのスペルは、馬鹿チョンて覚えればいいんだよ」と言っていたのをいまだに覚えています。 マスクをするビートルス像 イギリス(イングランド)は、コロナのいわゆる第2波を、局地的 モグラたたき作戦 だけでは抑えきれず、3月の頭と全く同じような状態で、すでに感染が蔓延してしまってからの、遅れを取ったロックダウンに入ります。11月5日の木曜日から1か月と、今のところは期間限定ですが、さて、それもどうなることやら。再び、必需品を売る店以外は閉まり、人々は、外出規制により、必要以外での外出を避けるように指示され。前回と異なり、さすがに今回は、学校は開いたままにする予定。それはそうでしょう。学校を閉めていた期間があまりに長かったですから。 大体、感染が増えつつある9月中頃に、政府は、サイエンティストから、「今のうちに、2週間の短いロックダウンをして、感染がひどくなるまえに抑え込み、追跡調査が機能する状態にする必要がある」とアドバイスを受けていたのですが、政府は、足踏みをし、感染のひどい北部などに規制を敷いたのみで、気が付くと、感染はじわじわと全国に広がり、ここのところ、1日の死者300人を超しています。リバプールあたりでは、すでに病院がひっ迫状態になりつつあるようです。よって、市民が楽しみにしているクリスマス前にはなんとか、多少の抑え込みをしたい、全国の病院が機能不全にならないように、藁にもすがるロックダウンと相成りました。ロックダウンに遅れを取ったため、こうなった今となっては、2週間では済まないだろうと、1か月となった次第。手段が遅れれば遅れるほど、感染を抑えるには時間がかかるってこと、3月の1回目のロックダウンで学んでいなかったのか。 今回の感染は、なんでもその80%が、夏の間にスペインへ遊びに行った人たちが、持ち帰り、まき散らしたものなのだそうです。3月の第1波は、冬のイタリアのスキーリゾートから帰った人たちが原因だったと言われています。スペインの海辺のパッケージツアーは安価

スーパーの宅配ブーム

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3月に、イギリスのロックダウンが発表された後、うちの様にリスクグループのダンナを持つ家庭は、買物は、なるべく、周辺の親戚や友達に頼むようになどと言う話だったのです。が、周りに親戚もいないし、そんなことくらいで、近所の人に頼みたくもなかったので、しばらくの間、私がぼつぼつとリックを背負ってスーパーへ出かけていました。 スーパーの宅配に頼むという手もあったのですが、とにかく、ロックダウン開始時期に、国民が一斉にわーっと、宅配を行っているスーパーのサイトに押し寄せ、開いている日やスロットを見つけるのはほぼ不可能な状態。スーパーによっては、サイトに入るのに列ができ、待ち時間は1時間などと出てくる始末。仕方なく、実際に地元のスーパーに行くと、結構空いているという妙な状態でした。とにかく、感染と死亡者が日々上がって行っていたので、健康な人でも、あまりスーパーに行きたくなかったのでしょう。当時は、客はおろか、レジを含む、店の人も一切マスクをしていなかったので、空いていても、店内で長居はしたくなかったですね。 そのうちに、政府からの手紙で、リスクグループで、食料雑貨の入手が難しい人は、オンラインでレジスターすれば、 緊急物資 が無料で宅配されるという事を知らされ、このサービスを使う事約1か月。そして、やっと、念のため、宅配サービスに登録だけしておいた大手スーパーである、テスコから、だんなにメールで、「あなたは、国で指定するリスクグループであると理解しています。当社では、そういった人たちのために優先スロットを作ったので、ログインしてみてください」と有難い知らせが入り、さっそくログイン。見事、優先の宅配スロットの予約ができ、これで、買い物のジレンマは一件落着。こうして、始まったテスコにお願いする宅配サービスの1回目は、4月終わりの事でした。以来、毎週、宅配を頼むようになり、私は実はそれから一度もスーパーへ足を運んでいないのです。全国的ロックダウンが終わってから、現在も使い続けています。 なんでも、同じことを、21回だか繰り返すと、それは習慣になるのだそうです。私も、もうそろそろ、21回は、スーパーの宅配を使用しているはず。(ちなみに、この21という数字は、ラジオのニュースで、聞いたのですが、誰がどう考えたのかは知りません、28回だったような気もします。とりあえず、そのくらいの数字という

イギリスのコロナ感染再拡大

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イギリスでのコロナ感染大爆発で、全国的 ロックダウン 宣言がなされたのは、6か月前の3月23日でした。 デジャブ?昨夜の8時、ボージョー( ボリス・ジョンソン )は、再び、テレビ画面に登場し、再感染への対策とそれに対する協力を呼びかけのアナウンスをしていました。だんなは、ボージョーが画面に現れると同時に、「もう、こいつの顔を見るのも、声を聞くのも嫌だ。胸糞悪い!」と、居間を去って、隣の部屋に行ってしまいました。だんなは、現政府のコロナに対する対策の不手際もさることながら、合意なき離脱に突っ込みそうな、ブレグジットに関して、とにかく頭にきているようです。 感染は上がっているものの、入院者の数も死者の数も、今のところは、3月、4月にくらべ、ずっと低い上、経済がかなり危ない状態に達しているので、さすがに、もう全国的ロックダウンを行う事はせず、すでに導入されているルールの他に、明日から新しく施行されるという対策とは、 パブやレストランでの営業時間を夜10時までとし、バーの周りで立ち飲みなどを許可せず、テーブルサービスだけとする バーでビールをつぐ人、ウェイター、ウェイトレス、店員、レストラン内で着席していない客は必ずマスクをする事 職場に行く必要のない人はできるだけテレワークをする 結婚式に参加できる人数の上限を30から15人に減らす スポーツのイベントに徐々に観客を入れる予定であったのを中止 6人以上集まってはいけないという現行のルールを、室内で行うチーム・スポーツにも適応させる ルールを守らぬものには、一回目から200ポンドの罰金を科す といった感じです。(詳しくは BBCサイト まで。)このほかに、 ボリスのモグラ叩き大作戦 に従い、あまりにも感染が爆発してしまった地域は、局地的に、もっと厳しい処置が施される事となります。 交通機関、店内の客、病院などでの マスク着用 の強制はすでに導入されていたのですが、私がその時不審だったのが、なぜ、バーテンダーや、調理人を含むレストランの従業員、店員にはマスク着用の義務が言い渡されなかったのかという事。客より先に、多くの人の相手をする従業員がまず、すべきではないのかと。 バーテンダーが、マスクをせずに、大声で喋りながら、ビールをぐーっと注いで客に出す様子、レストランのキッチンで、キッチンスタッフが、サラダなどを、マスクをつけない

Covidiotはコロナ阿保

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新型コロナウィルスは、イギリスでは、時に、コーヴィド・ナインティーン(Covid 19)、または,発生した年の数字である19を落として、単にコーヴィッド(Covid)と呼ばれています。もっとも、厳密に言うと、Covid19は、 Coronavirus Disease 2019(2019年コロナウィルス感染症)の省略で、今回の新型コロナウィルスによって起こる病気の事を指します。新型コロナウィルス自体の正式名は、Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus 2 (重症急性呼吸器症候群ウィルス、略して、SARS CoV-2、サーズコロナウィルス2)。まあ、それはさておいて・・・ 新しい造語で、最近、コーヴィディオット(Covidiot)という言葉をよく耳にしますが、これは、Covid と、Idiot(イディオット、阿保、馬鹿)を合体させた言葉。言うならば、コロナ阿保といった訳になりましょうか。このコーヴィディオットとは、どんな人の事を指すかと言うと、まず、感染を抑えるためのルールを無視し、全く従わない人、また、ロックダウンで食料や物資が減るのではと、他人を顧みず、大量のトイレットペーパーなどを狂ったように買いだめする人の事です。日本で使うなら、感染してしまった人に、不必要なまでの嫌がらせをする人なども、入れていいような気がします。要は、社会が一団で、感染をやっつけようとしている時に、感染の蔓延のみならず、社会不安や不調和を招くような行為をする人の事ですから。 どこの国にも、こうした人たちは多かれ少なかれいるでしょう。が、施設が整っていないあまりに貧しい国はともかく、コロナウィルスの感染を抑えきれずに死者をたくさん出している国は、政府の対応の悪さの他にも、このコーヴィディオットが人口の中に占める割合が高いのではないかという気がします。残念ながら、イギリスでも、比較的、このコーヴィディオットの割合が高いと、結論せずにはいられません。 コロナが存在するというのは噓で、でっちあげだという、陰謀説を確信している人や、ワクチンはできても絶対接種を受けないと言い張る人もイギリスでは、多々おり、先週末などもこうした人たちが集まって、トラファルガー広場でコロナ感染抑制対策に反対するデモをしてました。「自由を守る」とかいうのがうたい文句の様ですが

イギリスのブルーチーズ買って!

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ずらっと並ぶスティルトン・チーズ(FT記事より) イギリスのEU圏離脱の移行期間が、今年(2020年)末で終わるにあたり、来年1月からの、新しい日英経済連携協定を結ぶための交渉に、先日、日本から茂木外務大臣が来英していました。日本側の一大関心事としては、日本からの車の輸出にかかる関税を、徐々に引き下げ2026年に撤廃する事に決定した模様。リズ・トラス(Liz Truss)国際貿易相との会合の後、協定内容はほぼ決まり、あとは、一部農産物に関しての細かい課題を解決するだけ・・・のような感じだったのですが、この残された課題とされるものが、アオカビチーズであるブルーチーズ、特にイギリス固有のスティルトン(Stilton)である、という記事が昨日、FT(ファイナンシャル・タイムズ)紙に掲載されていました。 (スティルトン・チーズに関して、詳しく知りたい方は、日本語のウィキペディアのページまで。 こちら 。) 2019年の2月に発行された、日本とEUの経済連携協定によると、日本からの車の輸出にかかる関税を段階的に引き下げ、最終的に撤廃する一方、同様に、ヨーロッパからのワイン、チーズ、肉類を含む一部農産物にかかる関税を、やはり段階的に引き下げ、撤廃する取り決めになっています。 上述のFTの記事によると、EUと日本の協定では、29%であったヨーロッパからの輸入のハード系チーズにかかる日本の関税を段階的に2033年までに撤廃、またブルーチーズや、ピザなどに使うモッツアレラ・チーズを含むソフト系チーズに関しては、関税割当にし、決められた枠内の量のみを、やはり2033年までに関税を0とするという内容であるそうです。イギリスとの新しい協定も、大枠は、対EUのものと同じ。ところが、リズ・トラス女史は、チーズ、特にスティルトンを代表とするイギリス産ブルーチーズに関しては、EU-日本間の取り決めより、好条件を出して欲しいと、日本から、更なる妥協を請求して、ふんばっているようなのです。 さらに、この記事によると、去年、イギリスは、1800万ポンド相当のブルーチーズ(主にスティルトン)を他国へ輸出し、日本に売ったものは、そのうちたったの、10万2千ポンド!そんな程度の金額では、昨今、イギリスで一軒家すら買えません。たとえ、今後、日本人が、関税が消えて、多少安くなったスティル

20世紀初頭に日本を訪れたイギリス人女性たち

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エラ・デュ・ケインによる日本庭園の水彩画 最近スコットランドに引っ越した日本人の友人が、スコットランドにある「カウデン・ガーデン(Cowden Garden)という日本庭園へ行ってきました」というメールを写真付きで送ってくれました。イギリス各地に、日本庭園なるものは造園されていて、比較的新しい物もあるので、いつ頃に作られたのか、と興味半分で、 当庭園のサイト をのぞいて、その歴史を読んでみたところ、これがなかなか、面白かったのです。 富裕な実業家の娘に生まれた、エラ・クリスティー(Ella Christie 1861-1949)という女性が、自分の所有するカウデン・キャッスル(Cowden Castle)という屋敷の土地に、大きな池を掘りおこし、日本庭園の造園を開始したのが1908年だというので、かなり古いものです。 冒険心のあった女性の様で、1904年から、ヨーロッパをはるか離れた、インド、チベット、セイロン、マレー半島などのエキゾチックな場所を旅行して歩き、1906年から1907年にかけて、ロシア、中国、韓国、そして日本を訪問するのです。庭園のウェッブサイトの情報によると、彼女が、京都に滞在中に泊まったホテルで、日本庭園に関する本を書く目的で日本を訪れていた、水彩画家のエラ・デュ・ケイン(Ella du Cane)と執筆を司る、彼女の姉のフローレンス・デュ・ケイン(Florence du Cane)という、イギリス人姉妹に遭遇するのです。1908年に出版された、この姉妹の本のタイトルは「The Flowers and Gardens of Japan」(日本の花と庭園)。 ここで少々脱線します。このデュ・ケイン(du Cane)という苗字、「どこかで聞いたことがあるなあ・・・」と、しばし考えると、私の住むエセックス州内の、グレート・ブラクステッド(Great Braxted)という小さい村にあるパブの名前が、「デュ・ケイン」だったと思いだしました。その前を、幾度か車で通過したことがあり、「パブにしては聞かない名前だな。」と、記憶に残っていたのでしょう。そこで、このデュ・ケイン姉妹の事を調べてみると、一家は、このグレート・ブラクステッドにある大きな古い屋敷、ブラクステッド・パークに住んでいたのです。よって、パブはかつて周辺に住んだ,この一族の

イギリスは動物愛護の国?山羊のミルク事件

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牛乳より体に良いという話で、うちでは、かなり前から、牛乳から山羊のミルクに切り替えていました。山羊のミルクを生産する主なブランドは、セント・ヘレンズと言う名の、イギリス北部のヨークシャー州にあるブランド。(この事は以前の記事にも書きました。 こちら 。)セント・ヘレンズのゴート・ミルクは、健康ブームで人気も上がっていたのか、我が家のある小さな町のスーパーでも簡単に手に入る商品でした。 コロナウィルスの影響によるロックダウンが始まってから、週に1回、大手スーパーであるテスコに宅配をしてもらっていますが、セント・ヘレンズの山羊のセミ・スキム・ミルクも毎週欠かさず2カートン購入。ところが、先週から、テスコのオンラインサイトに、「この商品の販売は中止になりました」のメッセージが出て、「なんでだろう」と思いながら、仕方なく、再び牛乳を購入することとなったのですが、この理由が、昨日聞いていたラジオでわかりました。 セント・ヘレンズのロゴは、草を口にくわえて、にこっとしている山羊さん。それは健康で、牧歌的なイメージをかもしだしています。きっと山羊さんたちは、ヨークシャーの草原で、緑の草を食みながら、のびのびと生活して、農家の人たちからきちんと面倒を見てもらっているんだろうな、と思わせるのです。それこそ、アルプスの少女 ハイジ の世界のような。ところがどっこい・・・・ セント・ヘレンズ・ファームは、ヨークシャーの、いくつかの複数の農場から山羊の乳を供給させて、商品としてのミルクやヨーグルト、チーズを加工製造しているのですが、その中のひとつの農場に、動物愛護活動家の一人が隠しカメラをもって潜入して、内部での山羊の残酷な取り扱いを暴露。 そのビデオを見ると、農場の労働者たちは、山羊を蹴ったり叩いたり、耳でひきずったり、首を絞めつけて拘束したり、ひづめを短く切るのに、手荒く投げ飛ばしたりと、それはひどい扱い。まるで山羊の拷問所。外でのびのび、どころか、ずっと納屋の内部で飼育され、戸外での生活と違い、自然にひずめがすれる事もないため、定期的にひずめを切るという必要があるのだそうで。また、ミルクを出すために、絶えず妊娠出産を繰り返す必要があり、生まれた子やぎを荒々しく親からもぎ取り、柵のむこうに放り投げる様子もビデオに収まっていました。オスの子ヤギは役立たずなので殺さ

マスク論争

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ついにマスクを着用して登場したボリス・ジョンソン ヨーロッパ諸国でも、店内などの人の集まる閉鎖された場所では、マスクの着用が強制される国が増え、市民も徐々にマスクの習慣が身につきつつある様子。イギリスよりも早めに、まだ感染数がぐっと少ないうちにロックダウンに入り、よって、イギリスより早く、感染を抑え、ロックダウン緩和を始めたオーストリア。首都ウィーンに住んでいるドイツ人の友達は、ロックダウン開始直後にメールをくれ、皆、きちんと指示に従って特に問題なく生活している、というような事を言っていました。そして、すでにかなり前から、オーストリア政府は、店舗内でのマスク着用を義務ずけていました。 食料、医療品を売る以外の店が開いてから、そろそろ4週間、イングランドでは、公共交通機関と病院内でのマスクの着用は義務となったものの、店舗内ではいまだに政府はその姿勢をはっきり出しておらず、私の住むような小型地方都市では、マスクをしている人などを見かけるのはめづらしいくらい。 イングランドよりもロックダウンの緩和を遅らせ、感染をイングランドよりぐっと抑え込んでいるスコットランド自治政府首相の二コラ・スタージョンは、先日、ロックダウンの徐々なる緩和にあたり、店舗内で、マスク、または、何らかの形で口元を覆う「Face covering、フェイス・カバリング」の強制化を宣言。「病院で医者や看護婦は、12時間のシフトをマスクを着けたままがんばっているのだから、一般市民が、医療機関を危機に陥れないよう、店舗内でちょっとマスクをするくらい、できるはずだ」と。ごもっとも。コロナ対策で、最近、イングランド(ウェストミンスター国会)とは多少違う方針を見せているスコットランドで、二コラ・スタージョンの支持率は上がっているようです。 よって、イングランドは、現段階では、ヨーロッパ内でも、庶民がマスクをほとんどしない数少ない国(地域)のひとつとなりつつあります。もっとも、 ボリス・ジョンソン もようやく、店内でのフェイス・カバリング強制化を考慮し始めている事を示唆し、昨日、はじめて、マスクをつけた姿で登場していました。だって、スコットランドでフェイス・カバリング強制となり、イングランドでは強制しないまま、コロナ第2波でも来て、イングランドのみがひどいことになったら、責任問われるでしょうしね

ボリスのモグラ叩き大作戦

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いまだに、日本に比べて、毎日のコロナ感染による死者の数も多いイギリス( イングランド )ですが、ロックダウンの緩和は続いています。 すでに食料品、医療品を売る以外の店舗もオープンしており、さらには、今週の土曜日(7月4日)には、パブやレストラン、ホテル、そして、多くの、ぼさぼさ頭の人たちが待ち焦がれていた美容院や理髪店も開く予定。 日々ワイルドになってゆく髪型を気にしていた私の友人も、さっそく7月6日に美容院の予約を入れたそうです。彼女からのメールは、毎回のように、スコットランド自治政府首相の 二コラ・スタージョン に触れていて、「あの人、ショートカットなのに、いつも綺麗にショートのままで整ってる、あれはひそかに美容師に切ってもらってるに違いない」と、書いてあり、二コラ・スタージョンの全く伸びない髪型は、ロックダウン中、彼女の固執観念となっていました。ちなみに、二コラ・スタージョンは、イングランドでの緩和が始まってからも、用心深く、スコットランド内でのロックダウンの緩和を遅らせていたため、スコットランドの感染は、イングランドよりずっと抑え込まれています。 さて、そんなイングランドの緩和ムードの中、外国人には、 リチャード3世 の骸骨が発見された事で知られている レスター で、感染の拡大が広がっている事から、レスターのみ、局地的ロックダウンの引き締めが再び始まります。レスター内の、せっかく開いたばかりの店舗も閉じることとなり、土曜日のオープニングに向けて準備をしていたレストランやパブも開店が延期される事になり、こうした店舗が、すでに注文を出したり、購入していた保存のきかないものへの投資は、水の泡となるようです。 庶民に受けそうなキャッチフレーズをまき散らすのが大好きな、英国首相ボージョーこと、 ボリス・ジョンソン は、ロックダウン緩和後も、各地でぽこぽこ現れるであろう感染の上昇を、こうした局地的ロックダウンで封じ込める必要があるとし、これを「 Wack-A-Mole 、ワック・ア・モール」(もぐら叩き)対策と命名していました。彼にしては、的を得た表現です。確かに、これから、ワクチンができるまで、世界各国で、モグラ叩き、ならぬ、コロナ叩きが必要となるでしょう。ただし、もぐら叩きを成功させるは、反射神経が必要ですよ。今のところ、反射神経をもっているかも

私のお気に入り

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Raindrops on roses and whiskers on kittens Bright copper kettles and warm woollen mittens Brown paper packages tied up with strings These are a few of my favorite things Cream-colored ponies and crisp apple strudels Doorbells and sleigh bells and shnitzel with noodles Wild geese that fly with the moon on their wings These are a few of my favorite things Girls in white dresses with blue satin sashes Snowflakes that stay on my nose and eyelashes Silver white winters that melt into springs These are a few of my favorite things When the dog bites When the bee stings When I'm feeling sad I simply remember my favorite things And then I don't feel so bad と、これを私なりに訳してみます。 バラの上の雨のしずくと子猫のひげ ぴかぴかの銅のやかんと暖かい毛糸の指無し手袋 ひもで縛られた茶紙の小包 それが私のお気に入り クリーム色の子馬にさっくとしたアップル・シュトゥルーデル ドアのベル、そりのベル、ヌードルを添えたカツレツ(シュニッツェル) 月を翼に飛ぶ雁の群れ それが私のお気に入り サテンの青いリボンがついた白いドレスを着る少女 鼻先とまつげにとまる雪の結晶 春の泉へと溶けていく白銀の冬 それが私のお気に入り 犬にかまれた時 蜂に刺された時 悲しい気分になった時 お気に入りのもの達を思い起こすの それだけで気分が晴れていくから

赤いギンガムチェック

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上の絵は、フランスの画家、ピエール・ボナール(Pierre Bonnard、1867-1947)による「Coffee」で、ロンドンのテート美術館蔵。ボナールの絵の中で、一番好きなもののひとつです。ボナールは、何気ない日常生活の一瞬を描写した、幸せな気分になれる絵を沢山描いているので、もともと好きな画家です。去年、テート・モダン美術館でボナール展があったので見に行きましたが、見終わった後も、満ち足りた気分で美術館内のカフェでコーヒーをすすりました。 絵に登場する女性モデルのほとんどは、彼の長年のパートナー、後に妻となるマルト(Marthe)。彼女は、病弱で、少々精神も病んでいたようで、療養も兼ね、お風呂に入ることがとても多かったそうで、彼女が湯船に横たわる姿や、バスルームにいる絵は比較的多いですが、私は、そうしたお風呂ものより、やはり、食卓や、開く窓、庭を描いた絵の方がいいですね。 この絵は、1915年と、第一次世界大戦の最中に描かれているのですが、戦争勃発時、47歳であったボナールは戦争には行かず(行こうと思えば行ける年ではあったようですが)、戦時中も、絵を描き続けたラッキーな人。西部戦線で繰り広げられる惨状などは、別世界で起こっているような雰囲気。コロナウィルスによるイギリスのロックダウンで、外の世界で起こっている感染を気にしながらも、 ダイニングルーム から庭を眺めて、何の変りもない日常に存在しているという幻想に陥る、今の私たちの生活みたいなものでしょうか。絵は、おそらく、パリの西郊外の借家で描かれたものではないかとされています。 ダイニングテーブルの片側のみを、変わったアングルから描いて、おまけにマルタの頭のてっぺんや、その隣の女性の顔がちょんぎれて見えないところなど、カメラのスナップショットのよう。そしてなんといっても、画面いっぱいに広がる赤いギンガムチェックのテーブルクロスが、心地いいのです。 ギンガムというのは、実際、どこで初めて製造され始めたのか、定かではないようです。ギンガム(gingham)という名も、マレー語の「離れた」を意味する言葉が由来という話もあれば、フランスのブリュターニュ地方にあるギャンガン(Guingamp)から来たという話もあり。いずれにせよ、いつのころからか、西洋世界のあちこちで、白と他の別の色をあしらった、

ロックダウン中のオアシス

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ガーデン・ルームに入って来たブラックバード 2年前(2018年)の6月から12月にかけて、非常に狭く、食べ物を作るだけで座るスペースもなかった我が家のキッチンを、庭に突き出すように拡大し、ダイニングテーブルを置けるエリアを作りました。3メートルx4メートルの、このエクステンション(拡大工事)のおかげで、かなり毎日の生活が向上した感があります。ちなみに、エクステンションというと、日本では、髪の毛を長くするヘア・エクステンションあたりが一番最初に頭に浮かぶかもしれませんが、イギリスでは、エクステンションというと、こうした、既存の家の拡大工事を指すことが多い感じです。 エクステンションが開始したばかりの頃 イギリスでの大工仕事は、最初に言われた期間よりずーっと長くかかるのが常で、始める前は、3,4か月と言われた工事が、のろのろ進んだ6か月の間、家の中はぐちゃぐちゃで、かなり大変でした。 つっかえ棒で、使い続けた以前の流し 台所の流しやコンロが比較的、長く使っていられるようにと、流しは以前のものを、つっかえ棒などをして、ぎりぎりまで使用。ついに、工事の後半に入り、流しとコンロを取り外してからは、大工の頭のナイジェルから借りた電気クッカーを使い、居間で調理、皿洗いは風呂場で、という、キャンプのような日々。 また、工事が始まる前の設計家との相談と設計図の作成、地方自治体への通知など、着工となるまでの道のりも長かった・・・。が、我慢した甲斐はありました。 何せ、日本の家のように、古くなったら、全部壊して、一から建て直すという事はほとんど行われないので、イギリスの古い家は、常に、内部の改善、改築、そしてエクステンション。昔の生活とニーズが異なってきているので、手を入れていない家というのは、ほとんど無いでしょうね。我が家も、1960年ごろに最初に建てられた、セミでタッチド(片側が隣家とくっついている家)で、前の家の所有者によって、すでに色々手が入れられていたのを、更に、私たちも、何やかやと多少の改造をしています。(これは、以前の記事「 まきストーブのある家 」でも書きましたが。)前の家の間取りに制限されずに、一から設計し直すことができたら、ずっと楽なのでしょうが。イギリスでは、こうしたセミでタッチド、更には、両隣がくっついている長屋のよう

ロビン・フッドとアイ・ドゥ・イット・フォー・ユー

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1991年公開、ケビン・コスナー主演の「ロビン・フッド」(Robin Hood: Prince of Thieves)は、名が知れていながら、見ていなかった映画のひとつでした。当時、映画のテーマ曲となった、ブライアン・アダムスの、 "(Everything I do)  I do it for you"(日本語タイトルは、アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー、直訳は、僕のする全ての事は、君のため)が、大流行していましたが。この歌に関しては、ちょっとした思い出があります。 かれこれ、もう15年ほど前になりますか、だんなと、車でイングランド北部のヨークシャーへ、A1という道路を通って移動中に、途中からずーっと、私たちの前を同じトラックが走っていて、このトラックの後ろには、「ブライアン・アダムス」と書いてあり、どうやら運搬会社のトラックの様でした。A1は、ノッティンガムシャー州で、ロビン・フッドが、仲間たちと住んでいたとされるシャーウッドの森の周辺を通るのですが、そこを通過中に、だんなが、ふと「このブライアン・アダムス運搬会社、トラックに、Everything I do, I do it for youって書いて、会社のキャッチフレーズにすればいいのに。」と言って、二人でしばらく、けたけた笑ったのを、いまだに覚えています。以来、ケビン・コスナーの「ロビン・フッド」の話が出たり、「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」が流れると、ブライアン・アダムス運搬会社のトラックが私たちの前を走る姿が脳裏に浮かぶのが常です。 イギリスのコロナウィルスによるロックダウンもそろそろ3か月となり、今まで見ていなかった映画、または、大昔見て、また見たくなった映画などをほじくり返して、お茶の間映画館で鑑賞していますが、ケビン・コスナーの「ロビン・フッド」もやーっと見ました。おそらく、公開時は、「なんか臭そうだな」と思い、見に行かなかったのだと思います。感想、やっぱり臭かった・・・が、その臭さも、あそこまで、どうどうとしていると、逆に、妙に面白かった。 特に、見るからに悪そうな、アラン・リックマン扮する、ノッティンガムのシェリフ(シェリフとは、イングランド各地方・シャイアを、王に代わって行政をする代官の事)に無理やり結婚させられそうになった美女マリアンを、ロビン・フッド

ハーマンズ・ハーミッツのヘンリー8世君

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前回の投稿の「 チューダー王朝 」でも、触れたように、ヘンリー8世はやたら、テレビドラマ、映画などの色々なメディアの題材になっているのですよね。シリアスなものから、ふざけたものまで。若くハンサムであった頃は別として、アン・ブーリンを処刑した頃からの、彼の人生の後半は、一種の一大悲喜劇なので、アングルによって色々な描き方をすることが出来、それがまた、よく題材として取り上げられる理由でしょう。 「I'm Henry the Eighth, I am」(直訳:俺はヘンリー8世だ、俺は)というユーモラスな歌があります。もともとは1910年に、庶民に、音楽をメインとした娯楽を提供していたイギリスのミュージックホールで大流行した、古い歌なのだそうですが、60年代のイギリスのバンド、ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)が歌った事によって、再び人気となります。うちのだんなも、いまだにソラで歌えるんですよね、これが。日本での題名は「ヘンリー8世君」(アイム・ヘンリー・ジ・エイス・アイ・アム)。 なんと、この歌、1965年に、アメリカのビルボードで1位の座を獲得しているのです。当時アメリカでは、ビートルズをはじめとした、音楽のブリティッシュ・インヴェイジョンが起こっていたとは言え、「こんなコミックソングのシングルが全米1位だったのかい?」なんて、ちょっとびっくり。 英語の歌詞は I'm Henry the Eighth, I am Henry the Eighth, I am, I am I got married to the widow next door She's been married seven times before And every one was an Henry She wouldn't have a Willie or a Sam I'm her eighth old man, I'm Henry Henry the Eighth, I am ! ざっと訳してみると、 俺は、ヘンリー8世だ、俺は ヘンリー8世だぞ、俺は、俺は 隣の未亡人と結婚した 彼女は以前に7回結婚 過去の亭主はすべてヘンリー ウィリーやサムなどには手を出さない

チューダー王朝

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過去のイギリスの王朝の中で、知っている王朝の名を挙げてください、と言われた時、海外でも、圧倒的に知っている人が多いのが、チューダー王朝(The Tudors)ではないでしょうか。日本語ではテューダーとカタカナ表記する事もあるようですが、ここではチューダーとしておきます。 6人の妻を持ったヘンリー8世や、ヴァージン・クウィーンのエリザベス1世を主人公にした、ドラマや映画がそれは沢山作られていますから。また、 ロンドン塔 や タワーヒル で、幾人かの著名人が処刑された、そしてチューダー朝後期には、文豪シェイクスピアが現れたのも手伝い、尚更インパクトが強いのかもしれません。という事で、チューダー(テューダー)王朝について、簡単にまとめておくことにします。 チューダー王朝は、ボズワースの平原で、ヘンリー・チューダーが リチャード3世 をやぶり、ヘンリー7世として君臨する1485年から、子供を残さなかったエリザベス1世が死去する1603年までと約120年間続きます。その間の君主は、計5人( ジェーン・グレイ を数えると6人)。 ヘンリ―7世(1485-1509) ヘンリー8世(1509-1547) エドワード6世(1547-1553) ジェーン1世、ジェーン・グレイ(1553) メアリー1世(1553-1558) エリザベス1世(1558-1603) 上の絵は、ホワイトホール壁画(Whitehall Mural)と呼ばれる、ヘンリー8世が、宮廷画家ハンス・ホルバインに1537年に描かせたホワイトホール宮殿の実物大の壁画の、18世紀の水彩画コピーです。本物は、ホワイトホール宮殿が17世紀後半に火事になった時に焼失しています。 上方に立つのは、ヘンリー7世と妻のエリザベス・オブ・ヨーク。親戚同士のランカスター家とヨーク家が、王座をかけて戦い続けたばら戦争の終結が、ボスワースの戦いですが、ランカスター家(赤薔薇)のヘンリー・チューダーは、ヨーク家(白薔薇)のリチャード3世から、武力で王冠を取ったものの、血筋的には、王座を継ぐには、いささか血統書付きとはいかぬものがあった。このため、ヨーク家のエドワード4世(リチャード3世の兄)の娘である、エリザベスと結婚し、これで少々正当性を持たせ、赤薔薇と白薔薇を合体させてのチューダー王朝を開始。よって、チューダ

チューダー朝イングランドを脅かした疫病、粟粒熱

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ヒラリー・マンテル著「Wolf Hall、ウルフ・ホール」を読み始めました。ヘンリー8世の右腕として 修道院解散 などを実行したトマス・クロムウェルが主人公の長編3部作。評判と期待を裏切らぬ面白さです。ヘンリー8世の時代を描いた本というのは、とても多いですが、良く研究されているそうで、史実もかなり信頼置けるとのこと。 チューダー朝 の歴史をおさらいしながら、絶妙にかもし出される当時の雰囲気を楽しみながら、時間をかけて、ゆっくり読んでいくつもりです。物語は、かつては常に悪役的イメージのあったクロムウェルの視点から描かれています。 トマス・クロムウェルが住んだオースティン・フライヤーズ周辺 トマス・クロムウェルは、ロンドンのシティー内、オースティン・フライヤーズ(Austin Friars)という地域に住んでおり、彼のかつての邸宅は、彼の失脚と処刑の後、シティーの商業組合( リヴァリカンパニー )のひとつである、ドレーパーズ・カンパニーによって購入され、現在その場所には、 ドレーパーズのカンパニー・ホール が建っています。 トマス・クロムウェルは、妻のリズと娘2人、妹夫婦を、Sweating Sickness(粟粒熱 ぞくりゅうねつ、直訳すると発汗病)という疫病で亡くしており、その描写も、この本の中に書かれています。とにかく、かかると、瞬く間にに死んでしまう人が多い病気であったそうです。 1527年の7月、クロムウェルは、朝、床の中で、リズが汗ばみながら寝ているのを見、そのまま気にもせず、一人起き、オースティン・フライヤーズの自宅を去り、外出。夜、家に帰ったら、リズはすでに亡き人だった・・・という事になっています。そして、2年後の1529の夏には、娘2人も死んでしまい、更に、同じ年に、妹夫婦も、前日は元気でいたのが、翌日には死んでいたと書かれています。 症状は、悪寒、めまい、頭痛、倦怠感、体のふしぶしの痛みなどであったようです。 死亡者が出た場合は、即効で埋葬をする義務があったようで、リズが亡くなった際、クロムウェルは、息子や親類を呼ぶ時間の余裕もなく埋葬。更に、感染者が出た家は、家のドアに藁の束を下げる必要があり、その後の40日間、その家への出入りは禁止され、そこに住む家族たちも外出は自粛。現在のコロナ感染下の生活状況と似ていますね。小説

ホブスンの婿選び

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英語で、「Hobson's Choice」(ホブソンの選択)という言葉があります。どういうことかというと、一見、選択肢があるようでいながら、実はひとつしか選べるものが無く、それを取らないと、何も手に入らない、という状況を表現する時に使われます。 1954年のデイヴィッド・リーン監督のイギリス映画に、その名も「Hobson's Choice」(邦題は、ホブスンの婿選び)というものがあります。(ここで、また、英語のカタカナ表記の問題にいきあたります。私は、個人的には、ホブ ス ンでなく、ホブ ソ ンと書きたいところですが、日本での、この映画の題名は、上記の通り「ホブ ス ンの婿選び」。以下、ホブスン、ホブソンと入り混じれて書いていますが、いずれの場合にせよ、Hobsonの事ですので、悪しからず。) この「Hobson's Choice」という表現の由来は、映画より、もっと古い時代に遡ります。それは、ケンブリッジで厩を経営していたトマス・ホブソン(1544-1631)。馬の数は、40頭はいたというのですが、客には馬を選ばせずに、常に、その客が来た時に、戸口に一番近い馬を貸したという話。というのも、自由に客に選択させてしまうと、常に良い馬が選択されて、その馬のみが、酷使されてしまうため。この事から、選択肢が沢山ありそうでいながら、実はたったひとつしかなく、それを取らなければ、他に何も手に入らない状態の事を、いつのころからか、「ホブソンの選択」と表現するに至ったというのです。という事は、当時、このトマス・ホブソンの商売方法は、語り継がれ、あちこちへ、ひろまっていたのでしょう。トマス・ホブソンなる人物は、特に他に何をしたわけでもなく、有名人物でもないのに、風評というものの力はすごいです。 さて、それでは、私は大変気に入っている映画「ホブスンの婿探し」に話を移します。舞台は19世紀後半の、イングランド北部、ランカシャー州の町サルフォード。産業革命で、織物業などが栄えた町で、映画内、古びた商店がならぶ、石畳の、町の目抜き通りの風景には古き良きイングランド的、レトロ感漂うものの、町の郊外の背景には、工場の煙突などが伺えます。 ざっとしたあらすじは、 チャールズ・ロートン演じる、呑み助のホブソン氏は、町の目抜き通りで靴屋を経営。もっとも、

池の金魚の悲劇

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良い気候となってきました。昨日は、午前中、前庭の草むしりをしてひと汗かいた後、裏木戸から家へ戻る時、庭で日向ぼっこをしながら本を読んでいたお隣の女性を見かけ、あいさつ。 この隣家の庭には、約1メートルくらいの高さで、長方形をした小型の、イギリスの風呂おけを浅くしたような池があります。彼女は、この池のすぐわきの椅子に座っており、「私たちの金魚が・・・」と、長らく美容院に行っていないため爆発してきている髪の毛を手で押さえながらいわく、「1匹だけ残して、全部、かもめに食べられちゃったの!」 この言葉に、一瞬、映画「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(A Fish Called Wanda)の一場面で、ケビン・クライン扮する性悪のオットーが、マイケル・ペイリン扮するケンが大切に育てていた熱帯魚をつまんで、ちゅるちゅるっと飲み込む映像が頭をよぎりました。お隣さんが留守の時、私も頼まれて朝晩餌をまいたことがある、赤い小さい金魚たちが、カモメの口の中へ消えていったのか。あーあ。 「お宅の反対側のお隣も池あるでしょ?大丈夫かしら?この前、カモメが、塀にとまって、あの家の庭のぞき込んでるの見たわ。」と彼女は続けて言いました。うちの反対側の隣人は、かなり大きな深い池を持っていますが、飼っているのは、でかい鯉。食べがいはあるかもしれませんが、金魚のように一飲みでちゅるっとはできないですね。それに、池の上には、金網をかぶせてあったはずだし。 そう、最近、やたらカモメが多く空を徘徊しているのには気が付いていました。それも、いつもより低空を飛んでいる感じで。新型コロナ感染に伴う、イギリスのロックダウンのため、海岸線の町やリゾートの人出がなくなり、今まで、そういった場所での、食べかけで捨てられていた、 フィッシュ・アンド・チップス などの、人間のおこぼれを頂戴していたカモメたちが、食べるものが減少して、内陸までやって来ているのではないかという話です。おそらく、同じ理由から、冬季は、カモメは比較的多いのですが、この季節でこれだけ見るのは、やはりロックダウンの影響でしょう。街のタウンセンターなどでも、くずかごなどに人間の食べかすが無くなっているので、郊外の庭の池までのぞき込んでいるのか。カモメは何でも食べますからね。そういえば、例年、あまり見ないカラスも庭に到来する数が増えている気がし

犬のナイジェル

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禅の表情の犬のナイジェル 先週の初め、朝のラジオで、BBCの人気園芸番組「ガーデナーズ・ワールド」のプレゼンター、モンティ・ドン氏の愛犬、ゴールデン・レトリバーのナイジェルが死んでしまったというニュースが入りました。12歳。急に病気になり、静かに息をひきとったと。視聴者から、多くのお悔やみのメッセージが寄せられているようです。 「ガーデナーズ・ワールド」の放送は、ヘレフォード州にある、モンティ・ドンの自宅の広大な庭からの放映がメインになっており、いつのころからか、ナイジェルは、番組の大切な要素の一つになっていた感じです。 最初は、特に犬を一緒に撮影するという企画は無かったそうですが、とにかく、ナイジェルは、庭園内を手押し車を押して移動するモンティを追って、尻尾を振りながら、雨の日も晴れの日もついて回る。モンティが、種をまいたり、新しい苗を植えたりしている間は、そばで、のてっと横になって日向ぼっこをしている姿、よだれと土で薄ら汚れたテニスボールを、何度も何度も植木鉢の中に、くわえては落とす姿の愛らしさから、その人気と知名度が上昇。制作側は、偶然映ってしまっていたという状態から、ナイジェル人気のために、必ず映さなければ、という状態に。 2年前に、我が家のキッチンの拡張工事をしてくれた大工さんの名前がナイジェルでしたが、「ああ、モンティ・ドンの犬の名前と同じか」なんて思ったのを覚えています。こうした、ごく普通の人の名前を、犬の名前に付ける人がわりといますが、友人が、ある日、道を歩いていて、後ろから「デイブ!デイブ!」と呼ぶ声がする、周りには自分以外に人がいないし、「デイブ君」と勘違いされて、呼ばれているのか、と、とりえあえず、振り向いてみると、そばを走っていた犬の「デイブ」を呼んでいたのだとわかって、こけたようです。 「動物と子供と一緒にテレビに出るな、食われるから」と、よく言われますが、まさにその通りで、「ガーデナーズ・ワールド」を見ていて、ナイジェルが画面に登場しないと、「あれ?」って感じでした。一昨日の金曜日に、初めて、ナイジェルが死んでしまってからの放映があり、やっぱり、なんか物足りなく、うすらさびしいのですね、これが。番組の最後に公式に、ナイジェルは死にました、のアナウンスがあり、ちらっと、在りし日の姿を映しているのを見て、思わず、じわ

コロナ時代の死と葬式

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うちの旦那が所属する、隣村のテニスクラブの知り合いが、先日、癌で亡くなりました。新型コロナ騒ぎが始まる前から、病院に出たり入ったりしており、経過はかんばしくはないと思われていた上、コロナの感染が蔓延したため、予定されていた治療が延期となり、ずっと自宅療養をしていた人です。 イギリスのロックダウンが始まる直前の、テニスクラブのクラブ・デー(メンバーが気ままに集まってプレーする日)に、彼はクラブ・ハウスに現れて、プレーは一切せずに、メンバーと話をしたり、みんながプレーするのを、ベンチに座って眺めてから、帰って行ったという事で、うちの旦那が彼に会ったのもそれが最後です。「あれは、もう治らないし、現状ではしばらく治療も始まらないと諦めて、別れのつもりで、やって来たんだと思う。」と、旦那は、その時から言っていましたが。 現在、葬式も、出席できる人員に制限などもかかり、ささやかなものとなっています。彼の奥さんから、葬式の日の連絡が回ってきて、「参列は家族だけとなりますが、もしよかったら、10時半に、テニスコートの近くの通りを、棺を乗せた車が通るので、道端にテニスラケットを持って、ソーシャルディスタンシングのため、間隔を取って並んで、見送ってやって下さい。」そこで、だんなは、テニスラケットを持って出かけ、他のクラブメンバー30人くらいと、3メートルづつほどの間隔を取り、道の両側に立って、棺が通る時に、ラケットを振って来たようです。棺を待っている間、他の車を運転していたドライバーが止まって、「何やってるの?」と聞かれたと言っていました。 もともと、葬式というのは、生きている人間のためのもの。こういう、あっさりとした見送り方もいいのではないかという気がします。棺を乗せた車は、そのまま樹木葬の場所へと向かったそうです。最近は、樹木葬を選ぶ人は増えてきている模様で、旦那も、私も、樹木葬でいいねと言っています。 彼も、ある意味では、コロナ騒動の間接被害者の一人とも言えます。この他に、旦那の故郷の友達のお母さんも、先日、おそらくコロナ感染で自宅で亡くなってしまいました。彼女は、旦那が育った通りに住む、当時最後の住人だったとかで、旦那は、「これで故郷との絆もかなり細くなった気がする。」 彼女の場合は、3月中旬からすでに咳が止まらず、コロナの疑いがある場合は連絡する事

エレファント・マン

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1980年のデイヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」(The Elephant Man)は、19世紀後半のイギリスに実在し、その奇妙な外観から、エレファント・マンと呼ばれた、ジョーゼフ・メリック(Joseph Merrick、1862-1890)の人生の最後の4年間に基づいた映画。白黒の映像と、煙巻き上がるビクトリア朝ロンドンの薄暗い雰囲気の中、公開時はなんとなく怖いイメージを持った映画でした。 調度、時期を同じくして、物語の主な舞台となるロンドン・ホスピタルが存在する、東ロンドン、ホワイトチャペル周辺では、切り裂きジャックの殺人事件が起きていた頃。メリックの死後、彼の骸骨を保存する処理にあたった外科医は、切り裂きジャックの被害者の遺体の鑑定をした人物であったそうです。 ざっとしたあらすじは、 東ロンドンのホワイトチャペルにある、ロンドン・ホスピタルに外科医として働くフレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、ある日、近くで開かれていた見世物小屋で、エレファント・マンとしてその奇怪な姿を見世物としていたジョン・メリック(ジョン・ハート)の存在を知り、興行主に持ち掛け、病院で、メリックと面会。彼の症状に興味を持ったトリーブスは、病院長に相談し、ロンドン・ホスピタルで、メリックの面倒を見るに至る。 最初は、頑なに言葉少なであったメリックだが、徐々に、トリーブスに心を開くに至り、トリーブスも、メリックが読み書きもでき、知能も高い人間であるとわかる。新聞で彼の存在が書かれると、上流社会の人間の間でも、彼に興味を示し、訪れ、贈り物などをする人物も増えてゆく。中でも、女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)とは、心を通わせる。永住できる住処も病院側から与えられ、しばしの、快適な生活の中、紙を使って巧妙な建物の模型作りにも夢中になる。 やがて、見世物小屋の興行主が、夜間にメリックの部屋を訪れ、再び金ずるにするため拉致し、大陸ヨーロッパで興行を続ける。症状が悪化していくメリックは、興行主に檻に入れられていたところを、やはり同じ場所で見世物として働いていた他の人物たちの助けを借り、逃走、汽船に乗り、イギリスへ帰り、再び、無事、ロンドン・ホスピタルに保護される。 普通の人間のように横になって寝ると、窒息死するため、常に枕をつみあげてうず

ポンペイ

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積読じゃなくて完読! 対コロナウィルス作戦として、イギリスの ロックダウン が始まった頃に、退屈せぬよう、また、異世界へワープできるような本を、幾冊か注文してありました。 そのうち、英作家ロバート・ハリスの作品で、共和政ローマの終焉期と、その時代に生きた政治家キケロ(Cicero)を主人公とした、「キケロ3部作(Imperium、Lustrum、Dictator)」と、やはり同作家による、79年のヴェスヴィオス火山の大噴火を背景に描いた物語「ポンペイ」(Pompeii、邦題は「ポンペイの4日間」)を読み終わり、その影響で、現在、古代ローマ時代がマイ・ブームとなっています。積読で終わらず、完読できる面白い本と巡りあえてよかった。最近、とみに、「これはだめだ、自分に合わない」と思った本を、無理やり読み終える根性が無くなってきているので。 残念ながら、「キケロ3部作」の方は、日本語訳が出ていないようなので、ここで、詳しく書きませんが、長年、キケロに仕え、秘書として働き、右腕のように頼りにされていた彼の奴隷、 マルクス・トゥリウス・ティロ が、後年、キケロの伝記とその時代を綴ったという形式を取っています。ティロは、キケロの発言やスピーチなどを、すばやく記録するため、独自の速記法を発明し、&(アンド)、etc.(エトセトラ)などの現在も使われている記号や省略文字は、彼が考案したものだとあります。彼は、後に、キケロにより、奴隷の身分から解放されて自由人となり、キケロが殺害された後は、田舎でのんびりと100歳くらいまで生きたという話。実際、彼は、キケロの伝記を残したようですが、後世にそれは失われており、作者は、それがまだ残っていたら、こういう感じではなかったのか、という事を頭において書いた様です。 共和制ローマなどと言うと、皇帝が支配する帝国の時代よりも、良い世界ではなかったのか、と思うと、これを読む限りにおいては、そういうわけでもなく、政治家間での激しい権力争い、暴力沙汰がはびこる恐ろしい世界でもあり。普通に生きている分には、一般庶民にとって、無料のパンをもらいサーカスを楽しむ帝政ローマも、悪くなかったのかもしれません。教科書で学んだローマよりも、人の生活臭がするローマを想像しながら読めるのが、こういう歴小説のいいところです。シーザーの暗殺シーンなども、そ