ポンペイ

積読じゃなくて完読!

対コロナウィルス作戦として、イギリスのロックダウンが始まった頃に、退屈せぬよう、また、異世界へワープできるような本を、幾冊か注文してありました。

そのうち、英作家ロバート・ハリスの作品で、共和政ローマの終焉期と、その時代に生きた政治家キケロ(Cicero)を主人公とした、「キケロ3部作(Imperium、Lustrum、Dictator)」と、やはり同作家による、79年のヴェスヴィオス火山の大噴火を背景に描いた物語「ポンペイ」(Pompeii、邦題は「ポンペイの4日間」)を読み終わり、その影響で、現在、古代ローマ時代がマイ・ブームとなっています。積読で終わらず、完読できる面白い本と巡りあえてよかった。最近、とみに、「これはだめだ、自分に合わない」と思った本を、無理やり読み終える根性が無くなってきているので。

残念ながら、「キケロ3部作」の方は、日本語訳が出ていないようなので、ここで、詳しく書きませんが、長年、キケロに仕え、秘書として働き、右腕のように頼りにされていた彼の奴隷、マルクス・トゥリウス・ティロが、後年、キケロの伝記とその時代を綴ったという形式を取っています。ティロは、キケロの発言やスピーチなどを、すばやく記録するため、独自の速記法を発明し、&(アンド)、etc.(エトセトラ)などの現在も使われている記号や省略文字は、彼が考案したものだとあります。彼は、後に、キケロにより、奴隷の身分から解放されて自由人となり、キケロが殺害された後は、田舎でのんびりと100歳くらいまで生きたという話。実際、彼は、キケロの伝記を残したようですが、後世にそれは失われており、作者は、それがまだ残っていたら、こういう感じではなかったのか、という事を頭において書いた様です。

共和制ローマなどと言うと、皇帝が支配する帝国の時代よりも、良い世界ではなかったのか、と思うと、これを読む限りにおいては、そういうわけでもなく、政治家間での激しい権力争い、暴力沙汰がはびこる恐ろしい世界でもあり。普通に生きている分には、一般庶民にとって、無料のパンをもらいサーカスを楽しむ帝政ローマも、悪くなかったのかもしれません。教科書で学んだローマよりも、人の生活臭がするローマを想像しながら読めるのが、こういう歴小説のいいところです。シーザーの暗殺シーンなども、その場に居合わせて目撃した立場から書いているので、周辺の人物たちは、何が起こっているのか最初はわからない、そして、これは芝居か何かで、現実の事ではないのではないか、という夢のような感覚、それに引き続くパニック、と臨場感があります。

さてロバート・ハリスの「ポンペイ」の方は、上記の通り、日本語でも「ポンペイの4日間」として翻訳物が出版されています。

ヴェスヴィオス火山が大爆発を起こした事により、ナポリ湾沿い、火山の東に位置するポンペイ(Pompeii)と西に位置するヘルクラネウム(Herculaneum)が、当時の生活を記録するタイムカプセルのように、そのままの姿で、火山灰下にうずまってしまったのは、西暦79年の8月。

風光明媚なナポリ湾を望む土地は、当時、貴族の別荘なども点在。79年の大噴火以前に、ヴェスヴィオスが噴火したのは、はるか遠い昔の事で、ローマ人には、ヴェスヴィオスが火山であるという認識もなかったのだと言います。この大噴火の17年前には、前哨として、ポンペイなどで、大きな地震が起こり、いくつか建物が倒壊しているのだそうですが、それは、火山活動と結び付けて考えられてはおらず、ポンペイの町は再び建て直され、新しい建物もいくつか建築中であったようです。

山のてっぺんが吹っ飛ぶほどの大爆発で、まずは、先が見えないほどの高い煙が空へと上がっていく。この煙は、17キロ~30キロほども舞い上がったとされます。やがて、噴煙は、風にあおられて、南東に位置するポンペイの方角に、火山灰や軽石を降り注ぐ。ポンペイの家々の屋根は、この次から次への軽石の堆積で穴があき、道は埋もれ、人々は逃げ惑い。最初は白く小粒だった軽石は、徐々に黒く更に大きなものに変わっていき。ただし、この段階で、人は、堆積していく軽石の上を、おそらくクッションなどで頭を多い、走りながらも、実際にほとんど死者は出なかった模様です。

噴煙は、後にぺしゃんとくずれ、高熱の火砕流となり、山の斜面を猛スピードで下りていき、最初の軽石攻撃は免れたヘルクラネウムの方角を襲い、ヘルクラネウムを飲み込むのです。400度もあると言われる火砕流(pyroclastic flow)内のガスで、木造の家具などは、水分を失い一瞬にして炭化、人体も骸骨を除いて消滅したとか。ヘルクラネウムの建造物の保存状態が、先に軽石の被害を受けていたポンペイのものよりも良いのは、この理由によるようです。まさに、一気に失われた世界。2000年ちかく前の、炭化した円形のパンなどもそのままの姿で残っているといいます。のろのろ流れてくるマグマなら、逆に建物はやられてしまっても、人間は走って逃げることができるため、さほどの人命はうしなわれないところ、火砕流はあまりにも速く、逃げのびることができない。

また、ヘルクラネウムは、約21メートルもの灰の下に埋もれてしまったため、5メートルの灰の下に埋もれたポンペイより、発掘が進んでおらず、現在でも、そのすべての発掘が終わっていない状況。噴火前は海岸がすぐであったのに、堆積物のために、今は、海岸からも少し内陸となっているのだそうです。

ヘルクラネウムが熱い火破流に飲み込まれた後、それよりも温度の下がる火砕流(100度ほどと聞きます)が、次には、ポンペイなどの東の方角をも襲い、立てこもっていた市民たちや、町から出て、周辺の地へ逃れようとしていた人たちを、高熱ガスで窒息させることとなります。

この噴火で命を落とした著名人が、当時、ナポリ湾北部のミセヌム(Misenum)に、ローマ海軍艦隊司令長官として住んでいた大プリニウス(英語ではプリニー・ジ・エルダー、Pliny the Elder)。万物に興味を示し、「博物誌」を著したことで有名です。うたたねをしていた彼は、ヴェスヴィウスから立ち上る煙の柱に気付いた妹に起こされ、甥にあたる小プリニウス(Pliny the Younger)らと共に、ベランダから観察。もっとよく観察を行うため、また、近辺に住む人々を救助するために、海軍を動かし、自ら船へ乗り、やがては、ポンペイの更に南東に位置するスタビアエ(Stabiae)にたどり着くのですが、そこで被害にあい、亡くなります。スタビアエに降り立ってすぐは、友人宅で、火山灰、軽石が屋根に降り注ぐ中、まるで何事もないように夕食を取り、風呂にまで入り、周囲の人間が辟易とする中、そのまま寝室に入って寝ていたというのですが、降ってい来る火山排出物の量が多くなり、これはさすがに危ないと、最終的に、周囲の人間と共に海岸線へ避難し、そこで、襲って来た最後の火砕流により、命を落としたそうです。彼の死体は数日後に発見され。

小説の「ポンペイの4日間」は、ヴェスヴィオス火山の噴火を、爆発2日前の8月22日からの4日間に渡り、数人の登場人物の行動を追って描いているものです。小説のヒーローは、ミセヌムに、アウグスタス水道の新しい水道管理官長としてローマから派遣される若きアッティリウス。彼が派遣の命を受けるのは、前任のエクソム二ウスが突然、原因不明の失踪をしてしまったため。このアッティリウスの役命の水道管理官は、英語でアクエリアス(aquarius)と書かれており、みずがめ座と同じスペル。周りの人間からは、彼は、役命の「アクエリアス」で呼ばれ、なんだか、それも手伝って、神話のヒーローの様なイメージを受けました。若い上、実用的、作業をもくもくと入念に実行する真摯なタイプで、いい加減な、古株の部下たちからは、多少の反感を受けながらの任務の開始となります。

少し、話の筋から脱線しますが、アッティリウスが管理を任せられた、このアウグスタス水道(Aqua Augusta)というのは、ミセヌム、ナポリ、ポンペイ、ヘラクラネウムを含む、ヴェスヴィオス火山周辺、ナポリ湾沿いの町に水を供給していた、ローマ帝国でも最大規模、かつ複雑な水道システムのひとつであったと言います。ローマ時代の水道というと、地上に大きくそそり立つレンガのアーチに支えられたものを想像しますが、殆どのローマ水道は地下を流れるものであったそうです。アウグスタス水道を流れる水は、貴族の館のプール、私邸の浴場、公共浴場、噴水、水飲み場を絶えることなく潤し続け。ローマ庶民は、すでに、水を、空気と同じく当然のものと見るに至っていたのかもしれません。比較的小規模の地方都市であったポンペイにも、公共浴場が5つも存在したそうです。

さて、物語の筋書に戻ります。やはりナポリ湾を見下ろすミセヌムの別荘に滞在していたのは、昔は奴隷であったのが、所有者から自由を得た後、17年前に起こったポンペイの地震で崩れ去った建物のあった土地を買い占め、不動産で儲け、一躍、かつての自分の所有者を含むポンペイの有力者たちまで牛耳り、ポンペイを陰で動かす人物のようになっていたアンピラタス。彼はさらに、ポンペイで水道水を安く使用できるよう、汚職にもかかわっていたと、物語の後半でわかってきます。彼のミセヌムの別荘の、湾に面して、しつらえられていた水槽で育てていた高価な魚が、ある日大量に死亡。残酷な性分のアンピラタスは、魚の面倒を見ていた奴隷の責任を問い、この奴隷の体に傷をつけ、水槽に落として、魚に食べられながら、息絶える姿を眺める、という趣味の悪い趣向を行う。アンピラタスは、実際に奴隷上がりで、自由人として裕福になった後、自分の奴隷をみせしめのため、魚のえさにした、という実際の人物をモデルとしているようです。

憂き目にあった奴隷の母は、「魚が死んだのは、息子のせいではない。水が汚染されていたためだ。」と泣き叫ぶ。残忍な父に反感を持つ、アンピラタスの若く美しい娘コレリアが、新しい水道管理官長アッティリウスに、その旨を伝え、助けを求めに行く。

調査に出向いたアッティリウスは、魚が大量死した水槽にアウグスタス水道の水が注ぎこんでおり、そこから硫黄の臭いがし、水道水の汚染に気付く。更には、ヴェスヴィオスを囲むのいくつかの町で、水が出てこなくなった情報を受け、アッティリウスは、ヴェスヴィオス周辺のどこかで水道に故障が出たと判断。海軍艦隊司令長官である大プリニウスの元へ行き、即効で、ポンペイへ出発し、アウグスタス水道の故障した場所を確認し、修理を行いたい旨を告げ、アッティリウスと部下たちは、大プリニウスが手配した海軍の船でポンペイへ。アッティリウスは、初めて訪れたポンペイに、貪欲な人間が財を成すために集まるブーム・タウンという感想を抱き、嫌悪を抱くのです。

読者は、アウグスタス水道の故障が、ヴェスヴィオスの噴火の前哨と関係があると、気づいているのですが、これがどう展開していくのかが、面白い。また、アンピラタスの一家は、この後、ポンペイへ戻り、コレリアは、父の野心からの政略結婚をさせられる自分の身を嘆く。また、失脚した元水道管理官長のエクソム二ウスの謎と、水道水に関わる汚職に気付き始めたアッティリウスを、父が殺害しようとしている計画を知ったコレリアは、それをアッティリウスに知らせるため、単身馬に乗り、アッティリウスが、水道の修理を行っているヴェスヴィオスのふもとへと赴く。アッティリウスに危機を告げた後、ポンペイに帰りたくないコレリアを、アッティリウスは、それが一番彼女には安全だと判断し、説きふせて、護衛を付けて帰してしまう。

コレリアがポンペイの家に戻り、アッティリウス一行が仕事を終えたのち、噴火が開始。一時的に、なんとかミセヌムに戻ったアッティリウスは、大プリニウスと共に再び、船に乗り込みポンペイの方角へと向かう。海は、火山から噴出された軽石に覆われ、船は思うように進まず、やがてポンペイより南東に位置するスタビアエへ到着。上記の通り、大プリニウスは、友人宅で、まるで普段と変わらぬような夕食などを取るものの、一行は、強まっていく噴火の被害を避けるため海岸線へ避難。ここで、コレリアの安否が気がかりなアッティリウスは、一人、火山灰や軽石に覆われた道をポンペイへと向かう。ポンペイが、やがてやってくる火砕流に襲われる前に、アッティリウスは、コレリアを救出できるのか。じゃん、じゃん。

アッティリウスとコレリアの出会いと運命に影響を与える、別の登場人物と言ってもいいようなのが、自然が猛威を振るう背景に常に存在する、人造のアウガスタス水道。また、美女を助けに命がけで走るヒーローが、軍人やグラディエーターではなく、アウガスタス水道を敬い、管理する技師だという設定もいいです。こんな洗練された水道システムが、2000年も前にすでに使用されていた、そして、ローマ帝国の崩壊後、ヨーロッパの水道設備は崩壊して、再び、非常に原始的な状態に逆戻りしてしまったことなど、考えると不思議な話です。ロンドンでの本格的な水路、ニュー・リバーが作られるのは、実に1600年代になってからの事ですから。

ローマのマイ・ブームは、まだ少し続きそうです。

コメント