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5月, 2016の投稿を表示しています

オオバンの子育て風景

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日曜日の 恒例の散歩 に出かけました。 散歩中、人口の池で、オオバン(英語ではクート、coot)の親子を目撃。オオバンの親は、黒い体で、頭に真っ白のお皿をのっけたような風体。泳いでいる分にはわかりませんが、足が、体のわりに大きいのもご愛敬の鳥です。そして、オオバンの雛となると、黒いコケに覆われた丸ボールの様な物体。頭はちょっと赤く、開き切っていないような出目金目玉。なんとも醜いのですが、その醜さが可愛いという、キュートなクートです。 親は、池のふちを覆う水草をすくっては、雛に食べさせていました。まあ、食べ物は沢山あるので、それはいいですが、 見渡したところ、雛は2羽のみ、最初はもっと数が多かったのではないかと思いますが、他の動物や、肉食の鳥にやられてしまうのでしょう。この2羽も生き残ればいいけれど。 同じ池には、カナダガンの親子もスイスイ泳いでいました。カナダガンの雛たちは、黒玉のクートの雛より、もちょっと、威厳あります。 こちらは、マガモのお母さんと子供たち。 この時期の池は、水鳥たちの保育園と化しています。 池のすぐ近くに流れる川にかかっているのは、18世紀に遡るレンガの橋。おー、絵になるなーと、こちらも写真をパチリ。見栄えはいいですが、なにせ、車の無い時代に作られた橋であるため、車一台の幅しかありません。よって、車でこの橋を渡る際には、対向車に注意する必要あり。この手の、古い、車一台しか通れない橋、というのは、わりと多いのです。うちの町の周辺だけで、これを入れて3つありますから。 この橋は、徒歩で渡ったことも数回ありますが、車が向かいからガーっと来ると、ちょっと怖いです。まあ、こうして川沿いをちろちろっと散歩する分には、問題なく、景色の美しさに一味加わっています。また、水鳥たちのように、橋を渡る必要もなく、橋の下を泳いでくぐり抜け、どこまでも行く事ができれば・・・。

イギリスの藤の花

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 藤(ウィステリア、wisteria)と言うと、日本の子供時代の思い出深い花です。私の住んでいた団地内、あちこちにあった公園には、ほとんどの場合、藤棚が付いていたので。私の家と、幼馴染の家の中間地点にある大きな公園にも、やはり藤棚があり、幼馴染と、夕方どっぶり日が暮れるまで遊んだあと、その藤棚で別れることが常で した。藤棚のわきのベンチで、大人になったら、あれしたい、これしたい、こんな団地から出て行って世界を見る・・・云々のたわいない話をしたのも懐かし く。 日本の団地から出て行った今、こうして、イギリスの藤を眺めています。団地老朽化と人口が減ったための、建て直し作業の結果、将来の夢を見たあの藤棚も無くなってしまい、あそこの藤の花は、今は思い出の中で咲くだけです。 藤は、日本、中国などの東洋と、一部北米が原産ですので、イギリスには、18世紀になってから導入された植物です。それでも、レンガや石造りの屋敷や塀を覆って咲いている様子は、かなりさまになっており、はるか昔から、イギリスにいるような、貫禄の面持をしているものもあります。 稀に見る白い藤も綺麗ですね。こちらは、ハンプトン・コート宮殿の菜園の藤。 イギリスで見た藤で一番見事だったのは、5年ほど前に、見に行った屋敷の庭とその長い壁を覆うものでした。あの頃は、このお屋敷、夏の間は、週に何回か、少々のお金を取って、庭を一般公開していたのですが、なんでも、庭を見にやって来た客を装った泥棒に、2回被害にあい、それに懲りて、もう一般公開はやめてしまい、今は、特別に事前に連絡を取った団体ツアーに見せるだけなのだそうです。なんとも残念。泥棒が盗んでいったのは、庭の道具類の他に、何世代かに渡って受け継がれた、かなり古い彫像類があったそうです。5年前に取った写真に、2つほど、素敵な彫像が写っているのですが・・・これが盗まれてしまったのか!代々受け継がれたものなどは、どんなに金を積んでも、買い替えようがないですから、本当に、頭にくるでしょう。この屋敷の、彫刻を含む敷地内の写真は、過去の記事「 焦点になる庭園の石像 」、「 アン女王のレース 」まで。 それにしても、田舎にある教会なども、時々出現する泥棒や、vandal(バンダル、無意味に破壊行為に走る輩)の被害を恐れて、礼拝のある日以外は、ドアに鍵

ドクター・ジョンソンの家

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ロンドンのフリート・ストリートの雑踏を離れ、迷子になりそうな小路地を入っていくと、ゴフ・スクエアー(Gough Square)という静かな広場があります。広場にぽつねんと立つのは、猫の像。猫の名は、Hodge(ホッジ)。1748年から1759年まで、この広場に面した家を借りて住んでいた、文筆家ドクター・ジョンソンこと、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson 1709-1784)の飼い猫です。ホッジの記念碑には、 実に良い猫であったホッジは、ゴフ・スクエアーに住んでいたサミュエル・ジョンソンの飼い猫 と書かれ、更にその下には、ドクター・ジョンソンの有名な言葉も刻まれています。 Sir, when a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. 「ロンドンに飽きた時、人は人生に飽きている。なぜなら、ロンドンには、人生が与え得るすべての物が存在するのだから。」 ホッジの像のわきには、何故か、観光客がコインを置いて行っている模様。トレヴィの泉じゃないんですが・・・。 ホッジが見つめる、1700年建設の、サミュエル・ジョンソンが住んでいた家は、現在、ドクター・ジョンソンズ・ハウス(Dr Johnson's House、ジョンソン博士の家)として、博物館になっています。彼が、有名な英語辞書を仕上げたのは、この家の最上階の屋根裏部屋。 サミュエル・ジョンソンは、スタフォードシャー州リッチフィールドの本屋の息子として生まれ、オックスフォード大学へ進みながらも、父が破産し、金銭的問題で中退。25歳にして、未亡人であり20も年上の、エリザベス(愛称テティー)と結婚。ロンドンへ移り住んでからは、ささやかな執筆業にたづさわって生計を立て。「 金銭的見返りもないのに書き物をする のは馬鹿者だけ」の言葉も残しています。生涯あまり裕福ではなく、執筆をせずに、生きて行けるようになり、生活が楽になるのは、1762年に、国から、その功績を認められ、年金をもらうようになってから。 幼児期に皮膚病の一種である瘰癧(るいれき、scrofla)にかかっています。当時は、King's Evilとも

ケンジントン宮殿内観光

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以前の記事でも書いた記憶があるのですが、ケンジントン宮殿というと、どうしても思い出してしまう逸話があります・・・ ダイアナ妃が亡くなったのは、1997年8月のことでした。当時、私は、ノッティング・ヒル・ゲイト駅近くの安アパートに住んでおり、彼女が住んでいたケンジントン宮殿(Kensington Palace)と、かつては、宮殿の広大な庭であった、ハイドパークの西に隣接するケンジントン・ガーデンズは、家から、歩いて5分足らずと、すぐそばでした。よって、ダイアナはご近所さんだったのです。などと、言っても、当然、すれ違ったことはないですけどね。たしか、この日は、土曜か、日曜日で、会社に行く必要もなく、かなり遅く起きだして、ラジオも入れず、テレビもつけずに、よって、ニュースは一切聞かなかったのです。ごそごそ遅い朝食を食べて、腹ごなしにケンジントン・ガーデンズでも散歩しようかと外へ出ました。 途中、目抜き通りを歩いていた時、花束をかかえ、ケンジントン・ガーデンズ方向へ歩いて行く女性を2、3見かけました。「なんだろね。」と思いながら、ダイアナがコーヒーのテイク・アウェイを時にしており、オーナーが、大のダイアナ・ファンであったカフェ・ダイアナの前を通りかかった時、店のウィンドウに、黒縁のついた、巨大なダイアナの写真が飾ってあり、写真の下に、「ダイアナ妃の冥福をお祈りします」の様な一文が入っていたのです。背中の毛が、逆立ったのを覚えています。JFKが暗殺された時、人は皆、ニュースを聞いたとき、自分がどこにいたか覚えている、などと良く言われますが、私も、このダイアナ死亡を知った瞬間の事は、忘れないです。 大急ぎで、ケンジントン宮殿前に行くと、すでに積み上げられ始めた花束の山。家に戻ってから、テレビをつけて、彼女の事故の話を、やっと聞いた次第。花束は、日々、数を増していき、周辺をむせるような花の香りで埋めていました。この辺りを歩くと、今もあの時の光景が思い出されます。あれから、もうかなり時が経ったのですが。 そんな、近くに住んでいた事がありながら、ケンジントン宮殿は、一度も内部の観光に入ったことがなかったのです。ハンプトンコート宮殿やウィンザー城は、初めてイギリスに来てすぐに訪れたのですが。おそらく、人から、「ちょっと、ちゃちい。」とか、「大したことない。」とかいう

名誉革命で、オランダから王様を呼ぼう!

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去年の春、アムステルダムの ライクスミュージアム を訪れた際、木箱に収まった、四角く切った石が展示されているのを見ました。何かと思い、説明書きを読むと これは、1688年11月5日、ウィリアム3世が、イングランドの漁村Brixhamに上陸したときに、最初に、足を踏み込んだ石である。ウィリアムは、義理の父であるジェームズ2世をイングランドの王座から退かせ、また、ジェームズ2世とフランスのルイ14世が、共同でオランダに脅威を与えるのを防ぐため、イングランドに侵略した。この事件は、「The Glorious Revolution」(輝ける革命、名誉革命)と称され、大成功を収めた。 とありました。 イングランドに侵略・・・とはあるものの、歴史上「Immortal Seven」(不滅の7人)と呼ばれる、当時のイングランド社会のエリート7人が集まって、「どうか、イングランドに侵入してきて下さい。」と、わざわざ、オランダ総督、オレンジ公ウィリアムにお願いの手紙を書き送り、それに答えて、ウィリアムが、海を渡ってやって来たのです。さて、何故に、イングランドは、わざわざオランダから王様を呼ぶ羽目になったのか・・・ 王政復古で王座に返り咲いたスチュアート朝のチャールズ2世は、 ネル・グウィン なども含め、妾はごちゃまんとおり、私生児もたくさん残したものの、正妻キャサリン・オブ・ブラガンザとの間に子供がなく、1685年2月に、世継ぎ無く、世を去ります。そのため、王座は、カトリック教徒であった、弟ジェームズ2世へ。 ジェームズ2世 プロテスタントの国イングランドでは、カトリックの君主は、多くのプロテスタントを処刑したことから、ブラディー・メアリーの悪名で知られる、チューダー朝のメアリー1世以来はじめて。うさんくさく思っていた人物もたくさんいたものの、ジェームズ2世は、当初は、カトリックの宗教は、個人的に信仰するのみで、公にはイギリス国教会を支持する意向を示しており、比較的おだやかに治世が始まります。また、ジェームズの最初の妻との間の娘2人、メアリーもアンも、プロテスタントであり、しかも、メアリーのだんなは、プロテスタントの国、オランダ総督のウィリアム。ジェームズの死後は、この二人が王座を継ぐこととなっており、カトリックの王はジェームズ2世のみで終わる、と世間は

実写映画「ジャングル・ブック」

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「ジャングル・ブック」(The Jungle Book)というと、何と言っても、ディズニーのアニメ版が有名ですが、やはり、ディズニーによる実写版映画が最近封切りされていたので、見に行ってきました。楽しかったです。午前中の回を見に行き、ひっそりした館内には、私を含め観客は4人だけ!しかも全員大人!一番後ろのど真ん中の席に陣取り、ちょっとしたプライベート・プレヴューみたいな感じでした。 実写・・・と言っても動物たちは、本物ではなく、CG。これが、野生動物のドキュメンタリーかと思うほど、それは良くできているのです。私は、ディズニーの3Dアニメの登場人物の、あのビー玉の様な目玉が気持ち悪くて、いまひとつ好きになれないのですが、本物そっくりのここらはいけます。モーグリ役の男の子は、本物の人間(ネール・セティ君)ですが、アニメのモーグリ同様、ざんばら頭にくりくり目玉で、可愛い。アニメでも思ったのですが、モーグリは、腰の周りには、ちゃんとフンドシ風の布を巻いてるんですよね。「この布、どこから手に入れたんじゃ。それに、野生の子なら、振りチンでも、恥ずかしいという感覚はないはずなのに。」と、どうでもいい事も考え。モーグリを小さく見せるためか、動物たちは、ややサイズを、実際より大きめに作ってあるようです。熊のバルー、蛇のカーも、ぬるぬると大きめなら、サルの王キング・ルイに至っては、キング・コング並みの巨大さ。 こういうのを映画館で見るのがいいのは、ちゅちゅちゅという鳥の鳴き声、狼の遠吠え、滝の音などが、自分を取り囲むように聞こえてきて、ジャングルにいる臨場感があること。途中、飛び上がるような場面もあり、小さい子供には、ちょっと怖いかもしれません。 ストーリーは、ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)著、原作の「ジャングル・ブック」よりも、やはりアニメの方に近くなっています。(原作の筋書きに関しては、 過去の記事 を参照下さい。) 狼たちに育てられた人間の子、モーグリは、虎のシア・カーンに命を狙われたため、ジャングルを去り、人間の村に移る事となり、クロヒョウのバギーラに付き添われ、人間の村へ向かう・・・その途中で、象の群れ、バルー、カー、キング・ルイを含むサル達に遭遇する・・・という流れは、アニメとほぼ同じで、アニメからの人気ミュージカル・ナンバー3

ぴよぴよと生える5月の新緑を抜けて

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いやはや、惨めな寒い春でした。比較的暖冬であったのに、3月、4月とぐずぐずと寒い天気が続き、4月後半まで、夜は霜が降りる日もあり。温室で育て、昼の間だけ戸外に出していた スイートピー の苗も、地面に植えるに植えられず。毎日のように、夜は 薪ストーブ を焚き。自宅勤務で、毎日、9時から5時まで、室内でPCに向かっている友人は、「あまりにひどい天気で鬱になりそうだ」などと言っており。 5月に入ってから、やっと暖かくなり、今まで、「なんだか、まだ寒いぞ、顔出そうかな、どうしようかな・・・」と迷っていた感じの庭の植物たちも、ここぞとばかりに、2,3日で、「それ、今だ、エイッ!」とばかりに、一気に芽を吹き、あっという間に、にぎやかになりました。生まれたての緑が目にまぶしい。 本日は気温も26度を超しました。日曜日の午前中は、大体、だんなが、車で10分ほどの隣村にテニスをしに行くので、 私も、時に、一緒に車に乗って出かけ、だんながテニスに興じる最中、村の周辺の田舎道を歩き回ったりします。約一か月前も、同じ散歩コースを通って歩いたのですが、風はつめたく、景色の色は緑より、寂しげな茶色が多く、道もぬかるんでいたのが、すっかり姿を変えていました。 りんごの木が列になって植えてある果樹園を通過。我が家のリンゴの木もそうですが、つぼみが色づき始め、あと1週間くらいで満開になりそうです。待ちきれぬように蜂たちが、周辺を飛び回っていました。この果樹園のわきには、受粉のために、蜂の巣がいくつか備え付けてあるのですが、近づくと、 机の引き出しを改造して作ったような姿の巣から、蜂たちは、すでに出たり入ったり。 ふと、萩原朔太郎の「初夏の印象」という詩を思い出しました。 混蟲の血のながれしみ ものみな精液をつくすにより この地上はあかるくして 女の白き指よりして 金貨はわが手にすべり落つ。 時しも五月のはじめつかた。 幼樹は街路に 泳ぎいで ぴよぴよと芽生はもえづるぞ。 みよ風景はいみじくながれきたり 青空にくっきりと浮かぎあがりて ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。 私は、詩というのは、日本語でも英語でもさほど熱心に読む方ではないのですが、若いころ、萩原朔太郎だけは、岩波文庫の詩集を買って持っていて、時にページをめくっていました。日