ぴよぴよと生える5月の新緑を抜けて
いやはや、惨めな寒い春でした。比較的暖冬であったのに、3月、4月とぐずぐずと寒い天気が続き、4月後半まで、夜は霜が降りる日もあり。温室で育て、昼の間だけ戸外に出していたスイートピーの苗も、地面に植えるに植えられず。毎日のように、夜は薪ストーブを焚き。自宅勤務で、毎日、9時から5時まで、室内でPCに向かっている友人は、「あまりにひどい天気で鬱になりそうだ」などと言っており。
5月に入ってから、やっと暖かくなり、今まで、「なんだか、まだ寒いぞ、顔出そうかな、どうしようかな・・・」と迷っていた感じの庭の植物たちも、ここぞとばかりに、2,3日で、「それ、今だ、エイッ!」とばかりに、一気に芽を吹き、あっという間に、にぎやかになりました。生まれたての緑が目にまぶしい。
本日は気温も26度を超しました。日曜日の午前中は、大体、だんなが、車で10分ほどの隣村にテニスをしに行くので、 私も、時に、一緒に車に乗って出かけ、だんながテニスに興じる最中、村の周辺の田舎道を歩き回ったりします。約一か月前も、同じ散歩コースを通って歩いたのですが、風はつめたく、景色の色は緑より、寂しげな茶色が多く、道もぬかるんでいたのが、すっかり姿を変えていました。
りんごの木が列になって植えてある果樹園を通過。我が家のリンゴの木もそうですが、つぼみが色づき始め、あと1週間くらいで満開になりそうです。待ちきれぬように蜂たちが、周辺を飛び回っていました。この果樹園のわきには、受粉のために、蜂の巣がいくつか備え付けてあるのですが、近づくと、
机の引き出しを改造して作ったような姿の巣から、蜂たちは、すでに出たり入ったり。
ふと、萩原朔太郎の「初夏の印象」という詩を思い出しました。
混蟲の血のながれしみ
ものみな精液をつくすにより
この地上はあかるくして
女の白き指よりして
金貨はわが手にすべり落つ。
時しも五月のはじめつかた。
幼樹は街路に 泳ぎいで
ぴよぴよと芽生はもえづるぞ。
みよ風景はいみじくながれきたり
青空にくっきりと浮かぎあがりて
ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。
私は、詩というのは、日本語でも英語でもさほど熱心に読む方ではないのですが、若いころ、萩原朔太郎だけは、岩波文庫の詩集を買って持っていて、時にページをめくっていました。日本語ってこんなにも綺麗なものか、と感じる言葉遣いが、とても好きです。また、作品によっては、ルネ・マグリットや、ポール・デルヴォーなどの絵を思わせるシュールなものもあり、想像力をそそります。新芽が「ぴよぴよと」出てくるなんてのもね、植物に使おうなどと、あまり思いつかない言葉です。
ぴよぴよ。
渡り鳥であるカッコウの声も、今年は今日初めて聞きました。
かつて、この隣村は、ロンドンまで乗り換えなしで行けるうちの町とは、単線の鉄道でつながれていたのですが、1960年代に国鉄の赤字削減のため、打ち止めにされてしまった路線のひとつ。1848年から1964年の間は、列車が、この風景をすり抜けて走っていたのです。この電車がまだ走っていたら、住みたい村なのですが。家から歩いていける範囲に電車の駅がないと、ちょっと不安になって住もうという気が一切なくなるのは、日本の首都県出身の人間の感覚でしょうか。今、この場に残る鉄道の面影は、川を渡るために敷かれた、電車用の木造高架橋に見るのみです。この高架橋は、1995年に地方自治体によって買い取られ、過去の記念碑として、1997年に再築され、維持されています。高架橋の下をくぐり、川沿いをずっと進むと、
ゴルフ場にたどり着きます。ゴルフ場内、川沿いは、散歩する人のためのフットパスとなっているので、ゴルフをしなくても景色を楽しみながら歩くことができます。飛んでくるボールにさえ、気を付けていれば。
ここでまた、朔太郎の詩をひとつ。
「五月の貴公子」
若草の上をあるいているとき、
わたしの靴は白い足跡をのこしてゆく、
ほそいすてっきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどっている、
ああすっぱりといっさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しっとりとした貴方のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
女性の私は、「あやめおしろい」に身を包んだ五月の貴婦人である・・・となりますか。
のんびりと白鳥が浮かぶ川のむこうは、満開の菜の花。
ここで、だんなから携帯に電話がはいり、「ちょっと暑いから、もう、プレーやめた。どこにいるの?」歩き始めてから、まだ、1時間半くらい。体も、寒い天気モードから、暖かい天気モードへの切り替えが、まだできておらず、26度のお日様の中で運動して、すぐへたばってしまったようです。また、他のプレーヤーたちも、「今日はこれから、スウィートピーとラナービーンズの苗を植えなきゃいけないから。」などと早々に切り上げる人が多かったのだと。ゴルフ場の駐車場で待ち合わせをし、 車で拾ってもらい、昼食に家にもどりました。
「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい。」 萩原朔太郎
5月に入ってから、やっと暖かくなり、今まで、「なんだか、まだ寒いぞ、顔出そうかな、どうしようかな・・・」と迷っていた感じの庭の植物たちも、ここぞとばかりに、2,3日で、「それ、今だ、エイッ!」とばかりに、一気に芽を吹き、あっという間に、にぎやかになりました。生まれたての緑が目にまぶしい。
本日は気温も26度を超しました。日曜日の午前中は、大体、だんなが、車で10分ほどの隣村にテニスをしに行くので、 私も、時に、一緒に車に乗って出かけ、だんながテニスに興じる最中、村の周辺の田舎道を歩き回ったりします。約一か月前も、同じ散歩コースを通って歩いたのですが、風はつめたく、景色の色は緑より、寂しげな茶色が多く、道もぬかるんでいたのが、すっかり姿を変えていました。
りんごの木が列になって植えてある果樹園を通過。我が家のリンゴの木もそうですが、つぼみが色づき始め、あと1週間くらいで満開になりそうです。待ちきれぬように蜂たちが、周辺を飛び回っていました。この果樹園のわきには、受粉のために、蜂の巣がいくつか備え付けてあるのですが、近づくと、
机の引き出しを改造して作ったような姿の巣から、蜂たちは、すでに出たり入ったり。
ふと、萩原朔太郎の「初夏の印象」という詩を思い出しました。
混蟲の血のながれしみ
ものみな精液をつくすにより
この地上はあかるくして
女の白き指よりして
金貨はわが手にすべり落つ。
時しも五月のはじめつかた。
幼樹は街路に 泳ぎいで
ぴよぴよと芽生はもえづるぞ。
みよ風景はいみじくながれきたり
青空にくっきりと浮かぎあがりて
ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。
私は、詩というのは、日本語でも英語でもさほど熱心に読む方ではないのですが、若いころ、萩原朔太郎だけは、岩波文庫の詩集を買って持っていて、時にページをめくっていました。日本語ってこんなにも綺麗なものか、と感じる言葉遣いが、とても好きです。また、作品によっては、ルネ・マグリットや、ポール・デルヴォーなどの絵を思わせるシュールなものもあり、想像力をそそります。新芽が「ぴよぴよと」出てくるなんてのもね、植物に使おうなどと、あまり思いつかない言葉です。
ぴよぴよ。
渡り鳥であるカッコウの声も、今年は今日初めて聞きました。
かつて、この隣村は、ロンドンまで乗り換えなしで行けるうちの町とは、単線の鉄道でつながれていたのですが、1960年代に国鉄の赤字削減のため、打ち止めにされてしまった路線のひとつ。1848年から1964年の間は、列車が、この風景をすり抜けて走っていたのです。この電車がまだ走っていたら、住みたい村なのですが。家から歩いていける範囲に電車の駅がないと、ちょっと不安になって住もうという気が一切なくなるのは、日本の首都県出身の人間の感覚でしょうか。今、この場に残る鉄道の面影は、川を渡るために敷かれた、電車用の木造高架橋に見るのみです。この高架橋は、1995年に地方自治体によって買い取られ、過去の記念碑として、1997年に再築され、維持されています。高架橋の下をくぐり、川沿いをずっと進むと、
ゴルフ場にたどり着きます。ゴルフ場内、川沿いは、散歩する人のためのフットパスとなっているので、ゴルフをしなくても景色を楽しみながら歩くことができます。飛んでくるボールにさえ、気を付けていれば。
ここでまた、朔太郎の詩をひとつ。
「五月の貴公子」
若草の上をあるいているとき、
わたしの靴は白い足跡をのこしてゆく、
ほそいすてっきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどっている、
ああすっぱりといっさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しっとりとした貴方のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
女性の私は、「あやめおしろい」に身を包んだ五月の貴婦人である・・・となりますか。
のんびりと白鳥が浮かぶ川のむこうは、満開の菜の花。
ここで、だんなから携帯に電話がはいり、「ちょっと暑いから、もう、プレーやめた。どこにいるの?」歩き始めてから、まだ、1時間半くらい。体も、寒い天気モードから、暖かい天気モードへの切り替えが、まだできておらず、26度のお日様の中で運動して、すぐへたばってしまったようです。また、他のプレーヤーたちも、「今日はこれから、スウィートピーとラナービーンズの苗を植えなきゃいけないから。」などと早々に切り上げる人が多かったのだと。ゴルフ場の駐車場で待ち合わせをし、 車で拾ってもらい、昼食に家にもどりました。
「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい。」 萩原朔太郎
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