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ブルー・カーバンクルの冒険

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コナン・ドイル作シャーロック・ホームズの物語は、ロンドンの街がミステリアスな闇に包まれる事が多くなるこの季節に読むにはぴったりです。短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の中に含まれる「The Adventure of the Blue Carbuncle ブルー・カーバンクルの冒険」(邦題は、青い紅玉、青いガーネット、など)は、クリスマスの話で、季節柄、特にタイムリーな読み物です。昔のクリスマスの風習がわかり、青い宝石、ブルー・カーバンクルをめぐるミステリーはもちろん、社会風俗が楽しめる要素が多い話でした。 あらすじは、 クリスマスの明け方、ホームズの知り合いのピーターソンは、ちょいと一杯引っ掛けた帰り、トッテナム・コート・ロード周辺の路地で、クリスマス用のグース(がちょう)を手にした男性が、何人かのちんぴらにからまれているのを目撃。男性は、護身のために、持っていた杖を振り上げたが、それで、通りの窓ガラスを割ってしまう。ピーターソンが、男性を助けようと、駆けつけると、チンピラたちは、もとより、窓ガラスを割った事を恐れた男性も、瞬く間に逃げてしまう。がちょうと被っていた帽子を落として。ヘンリー・ベーカーの名札がぶら下がるがちょうと、帽子を拾ったピーターソンは、それを、シャーロック・ホームズのもとへ持っていく。ホームズは、帽子だけをひきとり、ピーターソンにがちょうをクリスマス・ディナー用に持っていって食すよう薦める。 翌朝、ホームズのもとを訪れたワトソン。そこへ、ピーターソンが、料理したがちょうの体内から出てきた、青い宝石を持って、再びホームズの元へ。それは、クリスマスの前に、ホテル・コスモポリタン内で盗難に合い、発見者には1000ポンドの礼金を出すと報道されている、高価な宝石ブルー・カーバンクルだった。ホームズは、あらゆる新聞に、「クリスマスの朝、がちょうと帽子を落としたヘンリー・ベーカー氏、ベーカー街221bまで」との広告を出す。広告に答えて現れたベーカー氏に、ホームズは、帽子と、がちょうは食べてしまったとして、別のがちょうを用意して渡す。別のがちょうに満足そうなベーカー氏は、当然、ブルー・カーバンクル事件にまったく関わりが無いと見たホームズは、がちょうをどこで手に入れたのかを聞き出し、大英博物館付近のパブから入手したものと知る。 ホームズとワ

大災難P.T.A.

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其々の国、その国独特の、家族で過ごす事を一般的とする休日があります。そしてまた、そうした休日の直前は、国中の人々が故郷や家へ帰るため、民族大移動のような状況になる事も往々。日本ではお盆、正月がそれでしょうか。欧米はクリスマス前が、一番、頭に浮かぶところ。アメリカでは、クリスマス前の11月第4木曜日のサンクスギビング(感謝祭)の祝日にも、家族と共に過ごすため、仕事の後、長い旅路につく人たちも多いようです。翌日の金曜日は、国民の祝日では無いものの、連休として休みを取る人が多いため、年内の平日で、米国金融市場が一番静かな日と言われます。逆に、クリスマスショッピングに繰り出す人が多く、アメリカでは、一般的にクリスマス商戦の始まりの日。ブラック・フライデーと呼ばれて、このブラックは、店の帳簿が黒字になる事から来ていると言います。 (感謝祭の歴史に関しては、過去の記事をご参照ください。 こちら 。) 「プレーンズ・トレインズ・アンド・オートモービールズ」(Planes, Trains and Automobiles、邦題は、大災難P.T.A.)は、サンクスギビングのホリデーにむけて、妻子の待つシカゴの家へ必至でたどり着こうとする広告会社に勤めるニール(スティーブ・マーティン)の物語でした。何回か見ている映画ですが、その度に、ギャハハと笑って、最後は、ほのぼの、ほろり。 サンクスギビングの2日前の夕方、ニューヨークからシカゴへたどり着こうとするニールの災は、まずは、空港までのタクシー争奪戦から始まります。苦労してたどり着いた挙句、飛行機が遅れ、更には悪天候のため、飛行機がシカゴに着陸できず、代わりに、はるばるカンザス州ウィチタに着陸。ウィチタで足止めを食ったその夜、ニールは、ニューヨークの空港で知り合ったシャワーカーテンの輪っかを売るセールスマン、デル(ジョン・キャンディ)と、ぼろモーテルで部屋をシェアする羽目になり、2人の珍道中が展開される事となります。 まずは、凍える天気の中、トラックの荷台に乗って最寄の駅へ、やっと電車に乗り込んで、これで大丈夫と思いきや、電車がだだっ広い何もない景色の中で故障。長距離バスの停車場まで歩き、そこから更にミズーリ州セント・ルイスまでバス旅行。そして、セント・ルイスからレンタ・カー。ところが、デルは、運転中、ひょんな事から、反

トースト

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スライスしたパンの両面をこんがり焼いてバターを塗り、サクッと一口・・・簡単なのに、ああ、美味しい。トースト(toast)という代物は、イギリスが誕生の地だそうです。その歴史は、「トスト」(tost)と称された中世の頃にまで遡ります。肉汁やスープなどをきれいにすくい取って食べるためのパン切れ(sop、ソップ)が、液体によって、すぐにぐにゃっと解体しないように、前もって、火にあぶって焼く事が多かったのだそうです。 現在のように、スライスしたトーストにバターを塗って食べるのが人気となるのは、17世紀後半になってからということ。そして、ホットドリンクとしては先にイギリスに入ってきた コーヒー人気 を押しのけて、後からイギリスに入り込んだ紅茶が、イギリス国民の飲み物としてのステータスを獲得すると同時に、イギリス人の朝食は、バターを塗ったトーストと紅茶、というのが定番となっていきます。このパンの両面を、火の前にかざして焼く、という習慣は、大陸ヨーロッパには無かったという事で、イギリスを訪れた大陸からの旅行者達が、イギリス人が朝食に好んで食べるトーストというものを、風変わりな習慣として綴った手記などが残っているようです。 イギリスは、食べ物のまずい国、というのがお定まりの語り草となっていますが、パンは美味しいのです。逆に、日本に帰ると、あの漂白されすぎたような輝く白さの、口の中にべたっと張り付く、ねちっとした食パンのまずさにびっくりする事があります。学校の給食で、いつも2枚半出されていた食パンを、毎日のように残していたのは、私のせいではなかった、まずい代物だったのだ!と思うのです。「全部食べなさい」と先生に言われ、どうしても食べきれず、追い詰められた私は、食べるフリをしながら、机の中にパンを突っ込み、後で、こそこそと、ティッシュに包み、カーディガンの下に隠し、トイレに持って行って流していた・・・今だから言える、というやつです。しかも、2枚半のパンについてくるのは、銀色の紙に包まれた、それは小さなマーガリン一個のみでした。マーガリンの包み紙にはいつも、豆知識のような文が書かれたのですが、「サルのお尻が赤いのは、血の色が透けて見えるから」と書かれた包み紙ばかりが、やけに多かった気がします。ですから、今でも、マーガリンと聞くと「サルのお尻が赤いのは・・・」と頭を横切る次第。

ロンドンプレインツリー

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この写真の、テムズ川沿いに並ぶ木々は、ロンドンプレインツリー(London Plane Tree、日本語名はモミジバスズカケノキ、ラテン語学名 Platanus x acerifoliaまたは、 Platanus x hispanica )。ロンドンプレインツリーは、ラテン語学名の属名「Platanus」からもわかるよう、プラタナスと称される木の一種で、ロンドン内の街路樹として一番良く目にする木です。写真も、プラタナスの並木道・・・というわけです。ちょいとロマンをそそる言葉ですね、プラタナスの並木道というのは。 ロンドンプレインは、東と西が遭遇したことによるあいの子ちゃんのプラタナス。地中海東部が原産のオリエンタル・プレイン(スズカケノキ、学名Platanus orientalis)と、北米産のアメリカン・シカモー(アメリカスズカケノキ、学名Platanus occidentalis)が、ヨーロッパのどこかで合体し生まれた種です。其々の学名の後ろの部分、「orientalis」と「occidentalis」は、「東」と「西」を意味し、要は、「東のプラタナス」と「西のプラタナス」がロンドンプレインツリーの両親。 アメリカ原産の「西のプラタナス」を17世紀前半にイギリスへ初めて導入したのは、著名庭師親子であったジョン・トラデスカント・ヤンガー(息子の方)です。お父さんのジョン・トラデスカント・エルダーは、 ハットフィールド・ハウス の庭師として名が知れた人物。ジョン・トラデスカント・ヤンガーは、プロの庭師としては初めて北米の新植民地(ヴァージニア植民地)へ足を踏み入れた人であり、そこから、アメリカスズカケノキをヨーロッパに持って帰ったわけです。 トラデスカントによる、北米種導入時には、すでにイギリス内に「東のプラタナス」は存在しており、1700年までには、この2種のあいの子であるロンドンプレインツリーが誕生しています。初の混合種が、いったい、どこで生まれたのかは、いまだ定かではないようで、ロンドンプレインの学名のひとつ、「 Platanus x hispanica スペインのプラタナス」が示すように、スペインで誕生したという説があるかと思うと、イギリスで生まれたと思っている人も多いようです。ロンドンプレインのもうひとつの学名 「Platanus x ac

O2アリーナのワールドツアー・ファイナル再び

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現在、ロンドンのO2アリーナで開催されている、男子テニス・ワールド・トップ8が競う、ATPワールドツアー・ファイナルをはじめて見に行ったのは、すでに4年前の話になります。時がたつのは早いもの・・・。クリスマスが近づき、日が毎日のように短くなっていく、この時期のロンドンの恒例行事のようなものとなっている感がありますが、ATPワールドツアー・ファイナルが、確実にロンドンにとどまるのは、あと1、2年とやらで、いずれは、どこか別の地に移る事となります。去年は、行きそびれてしまったので、今年は、前もって席を予約。昨日、繰り出してきました。 テニスのトーナメントのチケット前予約は、どの選手がその日にプレーすることになるかわからないから、良い取り組みを見れるかどうかは運まかせ。誰がプレーするかわかるまで、買うのを待つという手もありますが、それはそれで、席が取れない可能性もあり。 今回、運よく、ワールドナンバー1に返り咲いたナダル対、勢いのついてきているスイスのナンバー2、スタニスラス・バブリンカ(ワウリンカ)の試合に当たりました。そのうち、フェデラーを抜いて、スイス、ナンバー1となる日も来るやもしれません。 シングルスの始まる前のダブルスの試合も、スペインのフェルナンド・ベルダスコとチェコのラデク・ステパネクが出場する試合を見ることができ、ダブルラッキー。 ナダルはいつ見てもエキサイティングで、がっかりする事はないし、うちのだんなは、バブリンカのスパーンと切れ味のいい、片手打ちバックハンド・ストロークが大好きで、想像の世界の中では、自分のバックハンドは、バブリンカの様だと信じているため、特に、大喜び。前日の夜、組み合わせが発表になった時、二人で、「カリンカ」のメロディーに合わせ、 バーブリンカ、バブリンカ、バブリンカカヤー バーブリンカ、バブリンカ、バブリンカカヤー と羽目をはずして歌いました。 以前から、バブリンカという名がカリンカのようだと、私は、彼をテレビで見るたびにメロディーを口ずさんでいたのですが、皆、考えることは同じで、当ツアーの初日の対戦で彼が登場した際に、スイスのファンが、同じように合唱しているのを聞きました。あはは。 2009年に、 O2アリーナでナダルとロビン・ソダーリング戦を見た時 は、ナダルがソダーリングにフレンチオ