トースト
スライスしたパンの両面をこんがり焼いてバターを塗り、サクッと一口・・・簡単なのに、ああ、美味しい。トースト(toast)という代物は、イギリスが誕生の地だそうです。その歴史は、「トスト」(tost)と称された中世の頃にまで遡ります。肉汁やスープなどをきれいにすくい取って食べるためのパン切れ(sop、ソップ)が、液体によって、すぐにぐにゃっと解体しないように、前もって、火にあぶって焼く事が多かったのだそうです。
現在のように、スライスしたトーストにバターを塗って食べるのが人気となるのは、17世紀後半になってからということ。そして、ホットドリンクとしては先にイギリスに入ってきたコーヒー人気を押しのけて、後からイギリスに入り込んだ紅茶が、イギリス国民の飲み物としてのステータスを獲得すると同時に、イギリス人の朝食は、バターを塗ったトーストと紅茶、というのが定番となっていきます。このパンの両面を、火の前にかざして焼く、という習慣は、大陸ヨーロッパには無かったという事で、イギリスを訪れた大陸からの旅行者達が、イギリス人が朝食に好んで食べるトーストというものを、風変わりな習慣として綴った手記などが残っているようです。
イギリスは、食べ物のまずい国、というのがお定まりの語り草となっていますが、パンは美味しいのです。逆に、日本に帰ると、あの漂白されすぎたような輝く白さの、口の中にべたっと張り付く、ねちっとした食パンのまずさにびっくりする事があります。学校の給食で、いつも2枚半出されていた食パンを、毎日のように残していたのは、私のせいではなかった、まずい代物だったのだ!と思うのです。「全部食べなさい」と先生に言われ、どうしても食べきれず、追い詰められた私は、食べるフリをしながら、机の中にパンを突っ込み、後で、こそこそと、ティッシュに包み、カーディガンの下に隠し、トイレに持って行って流していた・・・今だから言える、というやつです。しかも、2枚半のパンについてくるのは、銀色の紙に包まれた、それは小さなマーガリン一個のみでした。マーガリンの包み紙にはいつも、豆知識のような文が書かれたのですが、「サルのお尻が赤いのは、血の色が透けて見えるから」と書かれた包み紙ばかりが、やけに多かった気がします。ですから、今でも、マーガリンと聞くと「サルのお尻が赤いのは・・・」と頭を横切る次第。
こちらのパンは、大まかにわけて、ホワイトとブラウンがあります。サンドイッチ屋さんで、サンドイッチを作ってもらう時も、「パンは、ホワイトとブラウンのどっちがいい?」と聞かれますし。うちで買うのはいつも、健康感覚の強いホールミール(全粒粉)のブラウン。一斤の塊を買ってきて、ブレッドナイフでこりこり自分で食べるごとにスライスしています。
焼き上がりのトーストは、イギリス人に「快適な家庭」を思い起こさせるものなのでしょうか。児童文学の古典「たのしい川べ」の中で、大金持ちで放蕩のヒキガエルが、監獄に入れられてしまった際に、心優しい看守の娘が、ヒキガエルをなぐさめるために、紅茶とトーストを、ヒキガエルに持っていってあげるのを描写するくだりがあります。
When the girl returned, some hours later, she carried a tray, with a cup of fragrant tea steaming on it; and a plate piled up with very hot buttered toast, cut thick, very brown on both sides, with the butter running through the holes in it in great golden drops, like honey from the honeycomb. The smell of that buttered toast simply talked to Toad, and with no uncertain voice; talked of warm kitchens, of breakfasts on bright frosty mornings, of cosy parlour firesides on winter evenings, when one's ramble was over and slippered feet were propped on the fender; of the purring of contented cats, and the twitter of sleepy canaries.
看守の娘は、数時間後、トレイを抱えて戻ってきました。そのトレイの上には、湯気の上がる香りの良い紅茶の入ったカップ、そして、熱々の、バターをぬったトーストを盛り上げた皿が載せてあります。厚く切って両側がこんがりとキツネ色になったトースト。バターは、蜂の巣から流れ落ちる蜂蜜の様に、トーストの穴から黄金のしずくとなって流れ落ちています。そのバターを塗ったトーストの香りが、ヒキガエルに、しっかりとした声で語りかけてくるのです。トーストの香りは、暖かいキッチンの事を語り、外は霜の降りている明るい朝の朝食の事を語り、散歩の後、スリッパにすぺりこませた足を、火にかざしながら憩う、冬の夜の居心地の良い居間の暖炉脇の事を語り、満足げな猫がごろごろと喉を鳴らす事を、そして、眠たげなカナリアの小さなさえずりの事を語るのです。
「toasty トースティー」という形容詞がありますが、これは、部屋などが、ほくほくと暖かく居心地がいい様子を形容する言葉で、トーストの香りがかもし出す上の描写は、まさに「トースティー」そのもの。このくだりを初めて子供のとき日本語で読んだ時にも、「このトースト、美味そうだ。」と思ったのですが、改めて、また英語のページをめくって、この部分を読み直すと、足はキッチンへ向かい、紅茶とトーストを用意したくなるのです。
「たのしい川べ」の中では、トーストという言葉を動詞として使用した表現にも何度か行き当たります。「手をトーストする」「足をトーストする」「自分自身をトーストする」といった具合に。それぞれ、暖炉の火で「手、足、身体を暖める」の意味。
テレビ・シェフで、食べ物ジャーナリストでもあるナイジェル・スレイター(Nigel Slater)という人の書いた本に、その名も「Toast トースト」というものがあります。いわゆる、イギリスの有名シェフの中では、私、この人の作るものが一番好きです。(以前当ブログにのせた「グリーン・トマト・チャトニー」のレシピは、この人によるものです。)「トースト」は、彼の子供時代の出来事を、食べ物の思い出とミックスして書いた本で、これがとても面白いのです。本は、パンを焦がさずにトーストを作る事ができずに、いつも、キッチンの窓から、トーストのおこげをナイフでこしおとしていたお母さんの思い出から始まります。
「自分のためにトーストを作ってくれる人を愛さずにはいられない。その人物の落ち度、たとえそれが、学校で半ズボンをはく事を強いるといった重大な落ち度であったとしても、歯が、こんがり、さくっとしたトーストの表面を破り、その下の白いクッションのような柔らかいパンに沈み込む時、そんな事は全くどうでも良くなるのだ。暖かくしょっぱいパターが舌に触れたら、もうおしまい。その人物に、ぞっこんとなる。」
この自伝、私は、先に、テレビでドラマ化されたものを見てから、原作を読みました。テレビドラマでの簡単なあらすじは、
料理は下手だったけれど、上品でやさしいお母さんは、ナイジェル・スレイターが9歳のときに喘息で死亡。その後、お父さんは、ワーキングクラスで、がらが悪いが、色気のある女性と知り合い、惚れてしまう。彼女はすでにだんなも子供もいたものの、やがて、そちらを離婚して、お父さんと結婚。彼女は、実のお母さんに比べ、がみがみで、意地が悪いが、料理だけは非常にうまかったため、若いスレイター氏、料理を学び始め、食べ物を通して、継母に対抗し、お父さんの愛情の取り合い合戦となるのです。最終的に、毎日の様に、ご馳走をたらふく食べさせられたお父さん、体重が増えすぎ、心臓麻痺で死亡。はっきりは言及していないものの、おそらく遺書の内容で、財産は継母に行ったようで、スレイター氏は、料理人になるべく家を出て行く・・・テレビドラマでは、この継母がヘレナ・ボナム・カーターだったのですが、下品な色気を上手く出していました。
テレビドラマの焦点は、継母とスレイター氏の料理バトルに置かれていましたが、原作は、各章が其々とても短く、色々なエピソードが盛り込んであります。各章ほとんどに、食べ物の題名がついており、当時(1960~70年代)流行っていたお菓子や、お洒落とされた食べ物、当時の中流家庭での食卓風景も垣間見れ興味深いのです。そして、原作の方は、彼が、ロンドンのサボイホテルに直接乗り込んでいって、内部のレストランのキッチンでの仕事を即行で手に入れ、サボイのユニフォームを手に、ホテルから出てくるところで終わります。今では、イギリスのどんな家庭でもお馴染みのスパゲッティーボロネーゼなども、当時はまだ珍しかったようで、それを初めて食べた時の描写がとても可笑しかった。お母さんが、「こうやって食べるのよ」とつるつるっとフォークにからませて見せる様子や、一緒に住んでいたおばさんが、「こんなもの食べたくない。私を毒殺するつもりだ。」と、半泣き状態になってしまう様子も、目の前に浮かぶように上手に書かれています。イギリス独特の食べ物の話題が多いので、日本語に翻訳される事があるかどうかは疑問ですが、アマゾン・ジャパンで、洋書の購入は可能のようです。
「トーストを作ってくれる人を愛さずにはいられない。」ハートをゲットしたい、彼、彼女に、ホクホクの紅茶を入れて、バターしたたるトーストを焼いてあげたらどうでしょう。
現在のように、スライスしたトーストにバターを塗って食べるのが人気となるのは、17世紀後半になってからということ。そして、ホットドリンクとしては先にイギリスに入ってきたコーヒー人気を押しのけて、後からイギリスに入り込んだ紅茶が、イギリス国民の飲み物としてのステータスを獲得すると同時に、イギリス人の朝食は、バターを塗ったトーストと紅茶、というのが定番となっていきます。このパンの両面を、火の前にかざして焼く、という習慣は、大陸ヨーロッパには無かったという事で、イギリスを訪れた大陸からの旅行者達が、イギリス人が朝食に好んで食べるトーストというものを、風変わりな習慣として綴った手記などが残っているようです。
イギリスは、食べ物のまずい国、というのがお定まりの語り草となっていますが、パンは美味しいのです。逆に、日本に帰ると、あの漂白されすぎたような輝く白さの、口の中にべたっと張り付く、ねちっとした食パンのまずさにびっくりする事があります。学校の給食で、いつも2枚半出されていた食パンを、毎日のように残していたのは、私のせいではなかった、まずい代物だったのだ!と思うのです。「全部食べなさい」と先生に言われ、どうしても食べきれず、追い詰められた私は、食べるフリをしながら、机の中にパンを突っ込み、後で、こそこそと、ティッシュに包み、カーディガンの下に隠し、トイレに持って行って流していた・・・今だから言える、というやつです。しかも、2枚半のパンについてくるのは、銀色の紙に包まれた、それは小さなマーガリン一個のみでした。マーガリンの包み紙にはいつも、豆知識のような文が書かれたのですが、「サルのお尻が赤いのは、血の色が透けて見えるから」と書かれた包み紙ばかりが、やけに多かった気がします。ですから、今でも、マーガリンと聞くと「サルのお尻が赤いのは・・・」と頭を横切る次第。
こちらのパンは、大まかにわけて、ホワイトとブラウンがあります。サンドイッチ屋さんで、サンドイッチを作ってもらう時も、「パンは、ホワイトとブラウンのどっちがいい?」と聞かれますし。うちで買うのはいつも、健康感覚の強いホールミール(全粒粉)のブラウン。一斤の塊を買ってきて、ブレッドナイフでこりこり自分で食べるごとにスライスしています。
焼き上がりのトーストは、イギリス人に「快適な家庭」を思い起こさせるものなのでしょうか。児童文学の古典「たのしい川べ」の中で、大金持ちで放蕩のヒキガエルが、監獄に入れられてしまった際に、心優しい看守の娘が、ヒキガエルをなぐさめるために、紅茶とトーストを、ヒキガエルに持っていってあげるのを描写するくだりがあります。
When the girl returned, some hours later, she carried a tray, with a cup of fragrant tea steaming on it; and a plate piled up with very hot buttered toast, cut thick, very brown on both sides, with the butter running through the holes in it in great golden drops, like honey from the honeycomb. The smell of that buttered toast simply talked to Toad, and with no uncertain voice; talked of warm kitchens, of breakfasts on bright frosty mornings, of cosy parlour firesides on winter evenings, when one's ramble was over and slippered feet were propped on the fender; of the purring of contented cats, and the twitter of sleepy canaries.
看守の娘は、数時間後、トレイを抱えて戻ってきました。そのトレイの上には、湯気の上がる香りの良い紅茶の入ったカップ、そして、熱々の、バターをぬったトーストを盛り上げた皿が載せてあります。厚く切って両側がこんがりとキツネ色になったトースト。バターは、蜂の巣から流れ落ちる蜂蜜の様に、トーストの穴から黄金のしずくとなって流れ落ちています。そのバターを塗ったトーストの香りが、ヒキガエルに、しっかりとした声で語りかけてくるのです。トーストの香りは、暖かいキッチンの事を語り、外は霜の降りている明るい朝の朝食の事を語り、散歩の後、スリッパにすぺりこませた足を、火にかざしながら憩う、冬の夜の居心地の良い居間の暖炉脇の事を語り、満足げな猫がごろごろと喉を鳴らす事を、そして、眠たげなカナリアの小さなさえずりの事を語るのです。
「toasty トースティー」という形容詞がありますが、これは、部屋などが、ほくほくと暖かく居心地がいい様子を形容する言葉で、トーストの香りがかもし出す上の描写は、まさに「トースティー」そのもの。このくだりを初めて子供のとき日本語で読んだ時にも、「このトースト、美味そうだ。」と思ったのですが、改めて、また英語のページをめくって、この部分を読み直すと、足はキッチンへ向かい、紅茶とトーストを用意したくなるのです。
「たのしい川べ」の中では、トーストという言葉を動詞として使用した表現にも何度か行き当たります。「手をトーストする」「足をトーストする」「自分自身をトーストする」といった具合に。それぞれ、暖炉の火で「手、足、身体を暖める」の意味。
テレビ・シェフで、食べ物ジャーナリストでもあるナイジェル・スレイター(Nigel Slater)という人の書いた本に、その名も「Toast トースト」というものがあります。いわゆる、イギリスの有名シェフの中では、私、この人の作るものが一番好きです。(以前当ブログにのせた「グリーン・トマト・チャトニー」のレシピは、この人によるものです。)「トースト」は、彼の子供時代の出来事を、食べ物の思い出とミックスして書いた本で、これがとても面白いのです。本は、パンを焦がさずにトーストを作る事ができずに、いつも、キッチンの窓から、トーストのおこげをナイフでこしおとしていたお母さんの思い出から始まります。
「自分のためにトーストを作ってくれる人を愛さずにはいられない。その人物の落ち度、たとえそれが、学校で半ズボンをはく事を強いるといった重大な落ち度であったとしても、歯が、こんがり、さくっとしたトーストの表面を破り、その下の白いクッションのような柔らかいパンに沈み込む時、そんな事は全くどうでも良くなるのだ。暖かくしょっぱいパターが舌に触れたら、もうおしまい。その人物に、ぞっこんとなる。」
この自伝、私は、先に、テレビでドラマ化されたものを見てから、原作を読みました。テレビドラマでの簡単なあらすじは、
料理は下手だったけれど、上品でやさしいお母さんは、ナイジェル・スレイターが9歳のときに喘息で死亡。その後、お父さんは、ワーキングクラスで、がらが悪いが、色気のある女性と知り合い、惚れてしまう。彼女はすでにだんなも子供もいたものの、やがて、そちらを離婚して、お父さんと結婚。彼女は、実のお母さんに比べ、がみがみで、意地が悪いが、料理だけは非常にうまかったため、若いスレイター氏、料理を学び始め、食べ物を通して、継母に対抗し、お父さんの愛情の取り合い合戦となるのです。最終的に、毎日の様に、ご馳走をたらふく食べさせられたお父さん、体重が増えすぎ、心臓麻痺で死亡。はっきりは言及していないものの、おそらく遺書の内容で、財産は継母に行ったようで、スレイター氏は、料理人になるべく家を出て行く・・・テレビドラマでは、この継母がヘレナ・ボナム・カーターだったのですが、下品な色気を上手く出していました。
テレビドラマの焦点は、継母とスレイター氏の料理バトルに置かれていましたが、原作は、各章が其々とても短く、色々なエピソードが盛り込んであります。各章ほとんどに、食べ物の題名がついており、当時(1960~70年代)流行っていたお菓子や、お洒落とされた食べ物、当時の中流家庭での食卓風景も垣間見れ興味深いのです。そして、原作の方は、彼が、ロンドンのサボイホテルに直接乗り込んでいって、内部のレストランのキッチンでの仕事を即行で手に入れ、サボイのユニフォームを手に、ホテルから出てくるところで終わります。今では、イギリスのどんな家庭でもお馴染みのスパゲッティーボロネーゼなども、当時はまだ珍しかったようで、それを初めて食べた時の描写がとても可笑しかった。お母さんが、「こうやって食べるのよ」とつるつるっとフォークにからませて見せる様子や、一緒に住んでいたおばさんが、「こんなもの食べたくない。私を毒殺するつもりだ。」と、半泣き状態になってしまう様子も、目の前に浮かぶように上手に書かれています。イギリス独特の食べ物の話題が多いので、日本語に翻訳される事があるかどうかは疑問ですが、アマゾン・ジャパンで、洋書の購入は可能のようです。
「トーストを作ってくれる人を愛さずにはいられない。」ハートをゲットしたい、彼、彼女に、ホクホクの紅茶を入れて、バターしたたるトーストを焼いてあげたらどうでしょう。
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