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ウェリントン公爵の長靴

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今のところ、暖冬のイギリスですが、雨模様の日が多く続いています。先日、大洪水騒ぎとなった、湖水地方のあるカンブリア州一帯にくらべれば、うちの周辺はましな方ですが、庭の芝生も、乾く間が無く、なにやらドロドロし、横切るたびに、足の下でぐちゃぐちゃと音をたてています。 そこで、ちょっとぬかるみに入る可能性がある外出は、ここのところ、いつもゴム長靴を履いて出ます・・・いや、考えてみれば、最近、ゴム長靴以外の靴を履くことが少なくなっている感じです。9月末から10月頭にかけて、 サマセットとドーセット州の旅行 に出たときも、ウォーキングシューズを車のトランクに入れながら、基本的には、ずっと長靴で歩き回ったのでした。ずっと、好天気だったのにかかわらず・・・。ウォーキングのしすぎで、足の親指に黒あざができていて、つまさきに余裕のある長靴が一番らくだったのもありますが、海岸線を歩くときなども非常に便利でした。大体は、ジーンズの下に履いているので、見えるのは足先だけ。足元をじろじろ見られない限り、ゴム長を履いていると気づかれない場合の方が多いと思いますし。そんなこんなで、長靴が、自分のトレードマークとなりつつある感じで、まるでウェリントン公爵(Duke of Wellington)のよう。 長靴は、イギリスの口語英語で、ウェリー(Wellie、Welly)と呼ばれることが多いです。足は2本なので、靴(shoes)と同じで、ペアの長靴を指す場合は「ウェリーズ Wellies」と複数形となりますが。これは、「ウェリントン Wellington」(複数は当然Wellingtons)または、「ウェリントン・ブーツ Wellington Boots」を短縮したもので、由来は、ナポレオンをワーテルローの戦いで破り、後には、イギリスの首相ともなった、初代ウェリントン公爵、アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley)が愛用していたブーツに遡ります。折りしも今年は、ワーテルローの戦いの200周年記念でした。 18世紀に軍で着用されていたブーツは、主に子牛の皮で作られたヘッセン・ブーツ(Hessian Boots)と称されるもので、大体において、前にv字の切れ目が入り、装飾の房がさがっていたということ。ウェリントン公爵もこのブーツを愛用していて、軍の将校のみならず、一般紳士の...

ビクトリア朝女性の下着、コルセットとクリノリン

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Laura had a sudden thought. "It's Mary's corsets! It must be. The corset strings must have stretched." It was so. When Mary held her breath again and Laura pulled tight the corset strings, the bodice buttoned, and it fitted beautifully. "I'm glad I don't have to wear corsets yet," said Carrie. "Be glad while you can be, " said Laura. "You'll have to wear them pretty soon." Her corsets were a sad affliction to her, from the time she put them on in the morning until she took them off at night. But when girls pinned up their hair and wore skirts down to their shoetops, they must wear corsets. ”You should wear them all night,” Ma said. Mary did, but Laura could not bear at night the torment of the steels that would not let her draw a deep breath. Always before she could get to sleep, she had to take off her corsets. "What your figure will be, goodness knows," Ma warned her. "When I was married, your Pa could ...

ジェニーに学ぶトラッド・ファッション

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Pコートやら、 ダッフル・コート やらの、トラディショナルなコートが、昨今、再び流行っているのでしょうか、今冬も、巷で着ている人が増えてきている気がします。 Pコートというと、映画 「ある愛の詩」 の主人公ジェニーが、冬のシーンでは、よーく着ていたのを覚えています。という事で、彼女が、Pコートと一緒にどんなコーディネイトをしているか、ちょっと見てみましょう。 初めて、オリバーと出会う、図書館と、その後のファーストデートでのカフェのシーンは、黒のタートルネックに赤と黒のタータンチェックのマフラーとスカートといういでたちでした。図書館内では、図書館の貸し出し係にはぴったりの巨大トンボめがねもかけています。 同じような黒タートルネックに、黄色を基本にしたタータンのマフラーとスカート、更には、赤タートルネックに、赤黒タータンのスカートといういでたちでも現れています。トップはモノトーンのタートルネック、それに鮮やかなタータンのスカートとマフラーという組み合わせが好きなようです、彼女。ニューイングランドの冬は寒いでしょうから、タートルネックは必需品なのかもしれません。 タータン以外でも、上の絵の様なコーディネートもしていました。でも、要はすべての場合、スカート、ズボン、帽子、マフラー、手袋にアクセント色を使って、全体がPコートと同じ色の黒かネービーにならない工夫をしている。時折、巷で、頭から足まで真っ黒か紺色だけで、他の色を一切使っていない、という人を見かけると、たしかに、影法師か、忍者の様に見えます。(それで、更に、黒のタートルネックを着ていたら、忍者タートル!・・・とくだらない事を書いて、ひとりでうけています。) ジェニーは、自称、「貧しいけれど頭がいい」女性。貧乏なわりには、良さそうな物着ているな、という印象を受けますが、持っているアイタム数は確かに限られていて、形がシンプル、しっかりした素材で、長く着れるようなものがほとんど。流行に左右されない伝統衣類の強みです。彼女は、そういったアイテムを上手に使い回しているわけですが、それが、「貧しいけれど頭がいい」女の腕のみせどころ。 私はさすがに、もうタータンのミニスカートを身につける年ではないし、大体、ロングでもスカートを着る事自体も少なくなってきているので、この中では、Pコートと赤系縞ズボンの...

ティリーハット

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先週の土曜日、だんなが、第2回目のキモセラピー(化学療法)コースを終えて、症状が落ち着いたところで、一時の自宅療養に退院してきました。 キモセラピーは、毒をもって毒を制す。白血病細胞、癌細胞も殺すけれども、他の正常な器官や機能も、これによってやられてしまいます。そのため、抗菌剤その他数々の薬も、しばらくはどっさり飲み続けねばならず。1回目のキモで、白血病細胞が残ってしまい、寛解が達成できなかったので、今回のキモは、かなり強烈な薬を投入し、5日のコースが終わった後、疲れ果て、参っていました。唾液や、消化器官の液の量も減ってしまったとかで、飲食物が喉を通り、胃に入るまで、飲み込むのが非常に痛い、という症状も出て、「まるで紙やすりを飲み込むみたい」とか。これは、ようやく、治まってきましたが、食べ物大好き人間にとって、食事時間が苦痛というのは、げんなりだったようです。 この他、キモの影響として、紫外線に弱くなる、というのもあるようです。入院中に、近くのベッドに、白血病の治療の後、皮膚がんになってしまった人がいたとかで、うちのだんなも、それが心配になった様子。お天気の日の長時間の外出の際に、はげ頭を、お日様の有害紫外線から守るため、さっそく、愛用できる帽子を買いに出かけていました。軽くて、それでいて風に飛ばされず、汗をかいたら洗えるもので、つばも含め全て布製が良い・・・そんな帽子ないかな、と言いながら。 そんなこんなで、アウトドアの店で、ティリーハット(Tilley Hat)なるものに行き当たり、少々高めであったけれど、希望する事項、全て合格で、買って帰ってきました。2年以内に、帽子が紛失、盗難、または破損した場合、原価格の半額で購入できるという保証も付いています。「nearly indestructible」(ほぼ破壊不可能)などという、うたい文句で、よほどの事が無い限り、一生物だそうです。ちなみに、帽子のサイズを選ぶ際は、かぶった時に、額の前に指が2本入るくらいがグッド。 つばの脇を上に折り返して、ボタンで留められるようにもなっています。ちゃんと顎ひもがついてますから、風が吹いても「だいじょーぶ!」 ティリーハットは、カナダ人、アレックス・ティリー氏によって考案された帽子。アート・ディーラー、アート・コンサルタントであった彼の趣味は、セーリング。彼は、セーリング用に、風に...

汚れなき瞳

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イングランド北西のランカシャー州(Lancashire)にある農家が舞台のこの映画は、アンドリュー・ロイド・ウェバーの同名ミュージカル「Whistle Down the Wind」の基になったものだそうです。原題は、「風にのる口笛」とでも訳せばよいのでしょうか。邦題は「汚れなき瞳」となっています。 殺人を犯し逃亡中の男(アラン・ベイツ)は、3人の子持ちのやもめ男性が営む、大きな丘のふもとの農場の納屋に身を隠す。やがて、農家の子供たちは、納屋でこの男を発見し、ひょんな理由から、彼を、この世に再来したイエス・キリストだと思い込んでしまう。長女キャシー(ヘイリー・ミルズ)の持つイエスの絵は、彼にそっくり。 傷を負って疲れ果てている、この現代のイエス(英語読みはジーザス、Jesus)に、子供たちは、食べ物、飲み物を持ち込み、与え、また、大人たちに知らせると、前の時のように、イエスは捕らえられ、どこかへ連れて行かれてしまうと心配し、密かに納屋にかくまい続けるのです。そのうちに、イエスが納屋にいるという噂が村の子供達の間に漏れてしまい、幾人もの子供達が、一目イエスを見ようと押しかける。それでも、何とか、しばらくの間は、子供の間だけの秘密とする事ができるのですが。 キャシーは、食べ物の他にも、イエスに欲しい物は無いか聞き、調達しようとします。「煙草が欲しい。」と言われ、「あなたが、煙草を吸うなんて知らなかった。」というやり取りが愉快でした。 やがては、大きなケーキをイエスのために持っていこうとした次女が思わず口を滑らせ、納屋に殺人犯がいると知った父親は警察を呼ぶ。警察がくる前に、納屋の壁の外から、涙ぐみながら「またいつか会うことができる?約束してくれる?約束してくれる?」と、内部に立てこもる現代のイエスに聞くキャシーの姿がいじらしいのです。 警察が来ると、男は、抵抗せずに納屋から出ます。警官に凶器を持っていないか調べられる際に、彼は、ぱっと両手を横に広げ、十字架にかかったようなポーズを取る。キャシーは、その姿に、はっと息をのむのです。そして、子供達の見守る中、連行されてしまう。この後、彼がどうなったかはわかりませんが、当時の殺人罪は、ほとんどの場合が、死刑・・・でしょうか。 当映画の原作は、キャシー役のヘイリー・ミルズの母、メアリー・ヘイリー・ベルによる1...

英国ロイヤル・ウェディングでのスタイルあれこれ

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イギリスのロイヤル・ウェディングは、ブランドとしてのイギリスを世界へ売り込むもってこいのショー・ケースです。「伝統があり、そしてモダンでもあり、こんなに親近感のある将来の王と女王がおり、世界の皆さん、観光においで!イギリスの物を買ってね!」と。確かに、今回のウェディングの影響で、海外からの観光客の数の上昇は、すでに予想されているようです。そして、来年はオリンピックもありますし。 そういうイメージアップの意味でも、大成功のウェディングでした。伝統的なウェストミンスター寺院での式典から、バッキンガム宮殿からクラレンス・ハウスまでの短距離を、結婚したての二人が、風船を後ろにつけたアストンマーチン(Aston Martin)を走らせる小粋な演出まで、それは、良く考えてアレンジされて、ショーとして十分楽しめました。 このチャールズ皇太子から借りたというアストンマーチンは、DB6 Volante(DB6 ヴォランテ)というモデルで、140台しか作られなかったというコレクターズ・アイテム。ボンド映画にも登場するDB5に、形は似ています。チャールズ皇太子の21歳の時の、女王からの誕生日プレゼントだったという事です。エコ活動に余念の無いチャールズ皇太子の事、エンジンを改造して、英国産の余剰ワインを使用したバイオ・エタノールで走るグリーンな車。 また、これはうちのだんなも、テレビのコメンテーターも一人言っていたのですが、ダイアナとチャールズの結婚式の際は、ダイアナが、新しい血を求めた王室への生贄の様な気がして、今ひとつ気分がよくなかったが、今回は、大学で知り合い長く付き合った二人の結婚で、自然の成り行き的おめでたさがあったのです。 「グレース・ケリーの様だ」とそのエレガントさが大好評だったドレス。ファッション・ブランド、アレクサンダー・マックイーンのチーフ・デザイナー、セーラ・バートンによるもの。シンプルだけれど手が込んでいて上品。私も、ダイアナのおとぎ話のお姫様スタイルよりも、こちらに花丸。繊細なレースの刺繍を作成するに当たって、作業をした人物は、手の脂で汚さぬよう、30分おきに手を洗ったといいます。参列者も一般的に、イギリスのデザイナーを使用する傾向が強かったようです。当ドレスに関する記事は こちら 。 それにしても、このロイヤル・ウェっディン...

ロイヤル・ウェディングには燕尾服?

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今月、こんなニュースがありました。「首相は、ロイヤル・ウェディングには、燕尾服(Morning Suit)を着るのでしょうか?」とのジャーナリストへの質問に対して、英首相デイヴィッド・キャメロンのスポークスマンは、「いいえ、首相は、ラウンジ・スーツ(Lounge Suit)を着るでしょう。」と返答。その後、キャメロン本人から、「燕尾服を着ます。」と訂正発言が入りました。どうでもいい様なこんな事が、こちらでは結構な話題となってしまったのです。何故かというと・・・ デイヴィッド・キャメロンは上流階級の出身。王子達も通い、いまだに生徒が燕尾服を着用するイートン校出身。後、オックスフォード大へ。以前の記事 「パブリック・スクール・ボーイズ」 にも書いた様に、オックスフォード大学時代は、紹介のみによりメンバーとなれる、悪名高いダイニング・クラブのBullingdon Club(ブリンドン・クラブ)に所属し、他のクラブ・メンバーと共に、燕尾服姿で傲慢そうにポーズを取る写真が一時出回ったため、「キャメロンはトフ(toff、上流階級の人間をいささかけなして指す言葉)」のイメージが一般民の心に焼きついています。以後、彼は、「自分は、国民の皆様と同じような、普通の人で、トフではありません。あなた達の気持ちを理解する、心ある保守党政治家なんですよ。」とアピールするためか、公式行事などでも、比較的リラックスした雰囲気の、ドレスダウンした服装で現れ、狩猟をやめ、サイクリングを始めたり、ロンドンのジェントルマンズ・クラブのメンバーシップを諦めたり、とあの手この手で、「一般受けする普通の人」イメージつくりに余念がなかった。 そんな背景もあって、首相スポークスマンは、「燕尾服を着るか?」の質問に対し、「イエスと言うと、また、メディアが、やっぱりキャメロンはトフ、と書きたてるかも」と懸念して、「いいえ、スーツを着ます」と答えたのでは、と憶測されています。ところが、今回は、国の一大イベント、世界も注目するロイヤル・ウェディングですから、他の政治家達もほとんどが燕尾服を着ることが予想される中、首相の彼が、普通のスーツ姿で登場しては、この結婚式を軽んじているように見られてしまう。これはまずいと、取り消し発言になった次第。 面白かったのは、この事に関する ガーディアン紙 の記事。(上の写真も同新聞サイトより...

The Go-Between 恋

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"The past is a foreign country: they do things differently there" (過去は異国である。そこでは、人は、現在とは違う振る舞いをする。) という、それは良く引用される文章で始まる、L.P.ハートレー作の小説「The Go-Between ザ ゴービトゥイーン」(仲介者)。以前、オックスフォード大学の歴史の教授が、オックスフォード入学のための試験の一環としてのインタヴューで、学生に「どうして歴史を勉強したいのか?」と質問すると、この引用を使って「過去は異国であるから。」と答える学生が、うんざりするほど多いという話をラジオでしていたのを覚えています。教授は続けて、「引用はするものの、実際に、本を読んで、この話が、階級差と、それを道具にしたエクスプロイテーション(利用)を書いたものだと知ってる学生は、ほとんどいない。」と嘆いていました。 私も、原作は読んだ事はないのですが、この映画版は、とても気にっています。 「ドクトル・ジバゴ」のラーラ役で有名なジュリー・クリスティーとアラン・ベイツ主演。イギリスのノーフォーク州を舞台とし、先日、記事に書いたノリッチでも撮影が行われています。邦題は、ただ単に、「恋」だそうですが、少々、的をはずしているかな。 異国である過去は、ここでは、1900年。13歳の貧しい家庭の子供レオは、寄宿学校の上流階級の友人マーカスに、夏休みを、ノーフォークにある両親の館で過ごすよう招待される。 館の前の芝生で、ハンモックに横たわる、マーカスの美しい姉、マリアンを一目見てから、レオはすっかり彼女の魅力のとりこに。マリアンは、家族の者達に隠れて、館の敷地内の小作人、テッドと逢引を重ねていた。身分違いの恋というやつです。 そのうち、マリアンのためなら何でもしたいレオは、テッドとマリアンの間の手紙のやりとりの仲介者となります。ノーフォークの田園風景の中、レオは、館からテッドの住むコテージへ、コテージから館へと、手紙を持って走る。 初めは純粋にマリアンを喜ばせたい一心だったレオは、手紙の内容の意図する事と、2人の関係に気づき、このメッセンジャーの役をしぶり始める。 そんなレオに、マリアンは、今までの、やさしいお姉さん振りをかなぐり捨てて、...

チェンジリング

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クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の実話に基づいたこの映画、とても良かったのですが、主人公に感情移入してしまうと、見ていてしんどい時もあり。 舞台は1928年のロサンジェルス。アンジェリーナ扮するシングルママのクリスティンが、ある日仕事から家に戻ると、一人息子が消えていなくなっていた。 心配して警察に通報したものの、しばらくはらちがあかず。やがて、ロス警察から、「あんたの子供見つかった」と連絡。喜びもつかの間、対面してみると、「え、これは私の子じゃない!」なのに警察は、「あんたの子に違いない、しばらくもとの生活に戻ってショックも収まれば、自分の子供だとわかる」、と想像を絶するような事を言う。ほとんど強制的に、クリスティンは、他人の子供を自分の子として家に連れて帰る事に。 当時のロスの警察は、かなり腐敗していたようで、自由の国アメリカでも、20世紀に入ってから、市民にこんなひどい事してたんです。ロス警察の退廃と汚職を暴露しようと、精力的に活動していたプレスヴィテリアン教会(長老派教会、カルビン派キリスト教)のリーダーに助けられながら、本物のわが子を探そうと、警察を敵に回した段階で、クリスティンは、有無をいわさず精神病院へ送り込まれてしまう。精神病院は、ロス警察にとって、当時の厄介者を追い払うのに便利な場所として使われていたようです。 そうこうするうちに、彼女の本当の息子の身の上に何が起こっていたかが、判明してくると、そりゃ、ひどい、の一言。 現在、庶民を守るためにあると思われる法や体制も、過去の不正なシステムを、徐々に、力強い庶民の何人かが、こうしてバトルした末、改善されていったのでしょう。 当時のロスの町並みの再現も面白く、この頃は都電も走っていたのです。この都電は、市民の足として、なかなかの人気だったというのですが、廃止してしまったとは、惜しい事をしたもんです。 アンジェリーナも、そろそろ、容姿が衰えたときのために、こういうシリアスな役で演技派へ徐々に転身を図っているのでしょうか、上手く演じていました。 筋の他には、この当時のファッションが何と言っても素敵でした。 いわゆる、フラッパー・スタイルがとても良く似合う彼女。ボブ風に髪を短くし、アイシャドーは濃く、スモーキーな感じで、口紅真っ赤。ゆるりとし...

指無し手袋と長靴と

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昨日も、ほぼ一日降り続けた雪。庭の積雪は、約20センチとなり、庭のテーブルにおいたままのじょうろは、一昨日よりさらに深く雪にうずまり。 本日は、雪は降り止んだものの、寒さは続いています。湖水地方のあるカンブリア州では、老人が2人、庭で凍死しているのを発見されたニュースも入り。 大陸ヨーロッパでも、やはり寒波にやられている様子で、ポーランドは、鼻水も凍る寒さ、ドイツですら、雪で電車が止まったりしたそうですので、混沌はイギリスだけでないようです。 ここ数日の外出の際は、スキージャケットに、指無し手袋、そして長靴。まるでどこかの朝市で働く人の様ないでたちです。 毎年のように、新しい手袋を人にもらったり、買っったりしては、何かをする度に、着けたり、取ったり、を繰り返し、そのうち、すぐ失くすので、ここのところ、はずさずに、ほとんど何でもできる指無し手袋を愛用して、重宝しています。ただ、指無し手袋は、色が黒と相場が決まっているのか、他の色の物を見た事がない。もう少し明るい色でも作ってくれないかなと、思うのです。縞々模様とか、柄物とかも。 長靴も、これだけ積もれば必需品。さすがに、かんじきはいらないでしょうが。 最近、長靴は、色々な柄のきれいな物が売り出されています。この冬、こんな大雪が何度も来るなら、そうしたお洒落長靴かスノーシューズでも買って、「朝市労働者」のイメージ脱出を試みようか・・・。 今回の雪はさらさらのぱらぱらです。風が吹くと、屋根に積もった雪がパウダーのように空に舞う。雪合戦の玉を作ったり、雪だるまを作るにはむかない感じで、実は、庭に雪だるまを作ろうとし、すぐ崩れるので挫折しました。 この天気でも、犬達は、非常に元気そうで、白い景色の中を、うれしそうに走り回るワンちゃんたちには良く遭遇します。 ほぼ雪に覆われてしまった庭のヴィオラも、タフだという評判を裏切らずに、天気が回復すれば、復活してくれるでしょうか。

さわってごらん、ウールだよ

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中世以来、羊毛、毛織物業で富をなした国でありながら、高騰する羊の肉の価格とは裏腹に、羊毛の値段は下がる一方で、最近では、羊毛の卸し値は、もう0に等しい、という様な事を、農家の人が、テレビで言っているのを聞きました。現在の卸し値、羊毛1キロにつき約1ポンド20ペンスだそうです。 確かに、衣替えをして、冬物を引きずり出している時に、ふと思ったのですが、私は、もうほとんど全毛のセーターも、カーディガンも持っていないのです。ウールのコートなども、着なくなって手放してから、かなり経ちます。 理由は・・・? まず、100%羊毛のセーターなどは、首まわりなどちくちくする。後は、ドライクリーニングなど、手入れが面倒な服は、あまり持ちたくない。何枚かあった、だんなの、肌触り良く、やらかいラムズウールのVネックセーターは、たんすの中でモスに食べられ、1枚残らず穴が開いてしまい。また、ロンドン内を、がんがん歩き回ったり、地下鉄の駅に出たり入ったりしていると、冬でも、そのうち暑くなって、上着やジャケットを脱ぎたくなる。脱いだ際、手に持って歩くのに、軽いに越した事はない。そうです、フリース地、その他の、軽くて、手入れの楽な素材の上着を身に着けることが断然多い、今日この頃なのです。最近買ったばかりのカーディガンも、洗濯機で洗うことができるタイプで、羊毛混合率は30%のみでした。 そう思うのは、私だけではないでしょうから、一般的羊毛離れ、需要の低下、よって羊毛が商売としてなりたたない状態になっているわけです。「さわってごらん、ウールだよ」なんて、羊毛100%をありがたがって、日本でコマーシャルやっていた頃から時は経ったのです。 羊毛の魅力は、何と言っても、天然素材だという事。濡れるような緑を食べて育った羊の毛。その、自然で、ほのぼの暖かいイメージから、おうちでくつろいでいる時くらい、ざっくりと網目のついた、ウェストをひもで縛るスタイルの全毛カーディガン一枚くらい、持っていてもいいかな、という気はするのです。おそろいの、もこもことした、羊毛長靴下でもはいて。 セーター、カーディガン姿の憧れは、このマリリン・モンローが、亡くなる前、最後に撮影されたという海岸での写真。ドレス姿の彼女よりも、それこそ天然の魅力がいかしてます。彼女の着ている、カウチン・セーター(...

髪結いの亭主

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これは、ふわっとやわらかな感じの画像も気持ちの良いフランス映画でした。官能的などと言われながらも、いやらしさも無いのです。 いつも、映画の原題と邦題を比べて、訳し方や、翻訳者の思い入れの強い意訳をしたものの文句を言ったりしていますが、私、この「髪結いの亭主」という邦題の語感が好きです。(フランス語原題は、Le mari de la coiffeuse。英語の題名:The Hairdresser's Husband。)同じ意味でも、「美容師の夫」などとやるより、ずっと雰囲気が出て、映画の感じにあっています。 子供のころ行きつけだった床屋さんのふっくらした女性に憧れていたアントワン。大人になったら、髪結いの亭主になりたいと夢抱く。父に将来どうしたいんだ、と聞かれた際、「髪結いの亭主」と答え、殴られる場面は愉快。 母親が編んだ、ボンボンのついた毛糸の海水パンツをビーチ・ホリデーでいつもはかされていた、というアントワンの子供時代のエピソードには、子供のころ、親の変な趣味のため、ちょっと恥ずかしいものを着せられたりしていた思い出がある人には、こそばゆくも、なつかしい気分がするかもしれません。私は、海水パンツではないけれど、冬に、お花の刺繍入りの毛糸のパンツなぞをはかされていましたっけ。 大人になってから(というよりかなりおじさんになってから)、ヘアサロンを経営する美女マチルダにいきなり求婚したところOKを受け、みごと夢がかなう。その後、他者とはあまり関わらない二人だけの、幸せな日々。 このヘアサロン、こんなにお客少なくて、経営成り立ってるのかな、などと心配もしたりして。それにアントワンの昼の日程といったら、サロンの椅子に座って、愛する奥さんを眺める事と、クロスワードパズルをすることくらい。退屈しないんでしょうかね。彼のもうひとつの情熱は、アラビア風の音楽に合わせて妙な踊りをする事。 平和に流れる時の裏にあるのが、このマチルダという、つかみ所の無い女性が、静かに微笑みながらも持つ、「自分もいつかは老いてしまう、現在の幸せも、アントワンの自分への愛情も、いつかは消えてしまうかもしれない」という不安。この映画の思い出のせりふは、やはり、「ヨーグルトを買いに行ってくるわ。」・・・ある日、いきなり雨の中を飛び出していき、自殺をし、戻らぬ人となるマチルダ...

ダッフル・コート

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テムズ川に停泊する戦艦 HMSベルファスト を訪れた際、お土産にパンフレットを買って帰りましたが、それを家でぱらぱらめくっていると、氷ついた甲板でポーズを取る乗組員の数人が、ダッフル・コート(duffle coat)を着ている写真に目が留まりました。映画、 「第三の男」 の記事を書いた際、同映画内、メージャー・キャロウェイ役で、ダッフル・コートを着て登場するトレヴァー・ハワードが良かったという意見をもらってから、何となく気になっていたダッフル・コート。ちょいと調べてみることにしました。 その名の言われは、17世紀、防寒に優れた厚手のウールの布地がフランダース(現ベルギー内)のダッフルで作られたことに由来すると言います。 この布地を使ったダッフル・コートは、第1次世界大戦中、英国海軍に使われ始めたそうですが、その形を少々変えたものが、更に、第2次世界大戦中の英海軍(特に、HMSベルファストを含む、寒い北方の海での任務にあたる軍船)にて着用され、後に人気に。 凍りつくような寒さを防ぐため、他の厚手の服や、コートの上から羽織れるよう、たっぷりと作られ、フードも、帽子の上から被れるよう大きめ。前部を、ボタンではなく、木製のトグルで閉じられるようになっているのは、手袋をはずさずに開け閉めが出来るようにするため。 海軍上部の人も着ていたようで、上の絵の様な感じの写真も、HMSベルファストのパンフレットに載っていました。 デザイン的にかわいい感じがしないでもないダッフル・コートを、あまり、漫画チックにならないように、中年男性が着こなすには、やはり苦みばしった顔は有利です。「第三の男」のトレヴァー・ハワードは、ベレー帽とダッフル・コートといういでたちでした。これも似合っていました。 防寒素材の開発が進んだ現在では、野外で働く者が、雨風と寒さを防ぐ上着・・・という当初の実用的な目的は無くし、おしゃれアイタムとなりましたが。確かに、厚着の上に、更にダッフルを羽織って任務に当たるのは、さぞかし、重く、動きにくかった事でしょう。ちなみに、購買量で、最近のダッフル・コートの世界市場の40%を占めるのは、日本なのだそうです(約10年前の新聞記事の情報なので、現時点でも同じ数値かは、わかりませんが。)。 さて、良きダッフル・コー...

ケイト・グリーナウェイと輝ける子供時代

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今でこそ、先進国の子供は、蝶よ花よと育てられ、子供時代は貴重なものという感覚ですが、昔の子供は、貧しければ労働の頭数、貴族であれば政略結婚の駒。(だから一切可愛がらなかったというわけではないでしょうが。)また、平均寿命も短かったので、幼くして大人の社会に組み込まれ、いわゆる子供時代と定義できる期間は短く、またその期間を、成人した後から思い返し、ばら色と形容できるようなものでは無かったでしょう。 これが、次第に、裕福な家庭では、子供はいつくしむべきものであるという感覚が生まれていく。イギリスのヴィクトリア朝の頃には、子供の為の本や童話、おもちゃ、子供服・・・のいわゆる、子供向け商品の市場も、この傾向を受けて発達。もちろん、この頃でも、貧しい家庭に生まれれば、話はまた別ですが。 ヴィクトリア朝のイラストレーター、 ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway) (1846~1901)は、そんな世相を反映し、夢とノスタルジアに満ちた、輝ける子供時代をイラストの中に繰り広げます。乙女チックと表現できそうな、フリルの付いた洋服を着た少年少女が、牧歌的で、多少理想化された、おとぎの国イギリスの田舎の風景の中を駆け回る。 私はこの人のA Apple Pie(上の写真)という本と、花言葉を集めたLanguage of Flowersという本を持っています。 彼女の絵の中の、女の子達は、往々にして、mob capと呼ばれる頭を覆うボンネットを被り、pinafore (または、口語でpinny)と呼ばれるドレスやブラウスの上から被るエプロンドレスをかけて登場。男の子達は、skeleton suitなる、ジャケットとハイウェストのズボンがボタンでつながった形の洋服に身を包む。また、以前は農場での労働服であったスモック(smock-frockまたはsmock)も、過去への憧れを追って、子供服として生まれ変わり。 当時、こうした彼女のイラストに登場する服を、わが子に着せる服として、模倣して作らせる母親などもいたようです。現在でも、こういったイメージに触発され、子供用(または自分用)エプロンドレスを作ってしまうママなどいそうです。 後進国では、いまだ子供は労働力として使われるケースも多々ありますが、昔は先進国がやっていた過程を辿っているわけです。全世界の子供が、ケイト・グリーナウェイの...