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9月, 2017の投稿を表示しています

薔薇が咲いた

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イングリッシュ・ローズのハーロー・カー 薔薇は今まで一度も買ったことがなかった植物でした。家の前庭を縁取るように6株植わっている薔薇は、この家の前の住民が、おそらく、1980年ころに植えたものではないかと思われます。咲き終わった花をまめに摘んでさえいれば、その年の気温にもよりますが、6月くらいから12月くらいまでの間、繰り返し咲いてくれ、冬季か初春に、枝を短く刈り込む以外は、ほとんどほったからし状態。それでも、毎年、花が咲かないことはありません。見慣れているせいか、ほとんど、室内の家具の一部のように、気にもとめていなかったのですが、今年、再びバラが開き始めたころ、お隣さんが、「あなたの前庭の薔薇、きれいね~!」と言ってくれ、なんとなく、「うーん、そーかーなー。」などと見直したのです。思うに、30~40歳の高齢の薔薇でありながら、こんなに頑張ってくれているのも頼もしいですし。 ビーリー・アビー・ガーデンズのバラ園 そして、先月に訪れた ビーリー・アビー・ガーデンズ (Beeleigh Abbey Gardens)で、イギリスの薔薇育種家のデビッド・オースチンのイングリッシュ・ローズのみを植えたバラ園のただ中を歩きながら、その中でも、とても良い香りを放っていたピンク色の、ハーロウ・カーとガートルード・ジェキルという薔薇に一目ぼれ・・・というか、一嗅ぎぼれ。欲しくなったのです。ビーリー・アビー・ガーデンズの投稿でも書いた通り、ハーロウ・カーは、この訪問の帰りに園芸店のセールで、半額で購入。その後、インターネットで、デビッド・オースチンから直接、ガートルード・ジェキルと、さらに、やはり香りが良いと言う、深紅のムンステッド・ウッドの2つを注文。届いた時点で、両方とも、2,3すでに咲いている花があり、すぐにでも咲きそうなつぼみも沢山ついていました。さすが、デビット・オースチンの直売、残りのシーズンも少し楽しめるようないい株を選んで送ってくれたのでしょう。すでに咲いていた、ティーカップのような花を両手で挟んで、お茶を飲むように、顔をつっこんでみました。ああーいい香り。園芸店で買ったハーロー・カーは、咲いている花はなく、つぼみもまだ小さめのものがついた株でした。基本的には、健康な株でしたし、安く買ったので、文句は言いませんが。庭の花壇全体の整理整頓中なので、とり

コルチェスターのローマン・サーカス

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ローマン・サーカスでのチャリオット・レースを描いたモザイク Circus(サーカス)とは、もともと、ラテン語の円を意味する言葉。そして、そこから、ローマ帝国時代、映画「ベン・ハー」でおなじみの、チャリオット・レース(Chariot Race、戦車競走)などが行われた、細長い楕円形の野外競技場が、サーカスと呼ばれるようになります。チャリオット・レース開催の際は、レースとレースの間に、動物の見世物や、アクロバットなどの余興が行われたようで、これが現在の「サーカス」という言葉の元になったのではないかという事です こうしたローマ時代の競技場のローマン・サーカス(Roman Circus)は、実際には、円というよりは、長方形と言った方が近い形です。細長い長方形の、片側はほぼ直線、片側は半円形。レースは、直線側からのスタートとなります。 競技場中心には、一直線のスピーナ(spina)と呼ばれる部分があり、馬にひかれたチャリオットは、このスピーナの周りをぐるぐる、時計と逆方向に回ってレースを行う事となります。(上のモザイクの絵を参照ください。)スピーナには、神々の彫刻やら、オべリスク、噴水、その他もろもろの装飾的建築物の他に、チャリオットが、何度スピーナを回ったかを数えるカウンターも設置されていました。回る回数は、7回とされていますが、これも、競技場のサイズによって、違いがあったかもしれません。「ベン・ハー」では、このカウンターは、そろばんの様な軸に並ぶ7つのドルフィンで、1周するごとに、ドルフィンがひとつひとつ頭を下げていく仕組みになっていました。 一番、事故が起こりやすく危険、その一方、観客にとってスリリングだったのが、いくつかのチャリオットが先を競って、このスピーナの両端を回る時であったようです。観客は、現在の競技場やサッカー場とあまり変わらぬような、階段式の座席に座り、支持するチームや、レーサーに歓声を送り。ローマン・サーカスは、チャリオット・レース以外にも、時に、その他の式典に使用されたということ。 チャリオット・レースは、ローマの上流社会のみを対象としたものでなく、一般大衆が見物につめかけた娯楽。「パンとサーカス」(英語:Bread and circuses)という言葉がありますが、一般庶民には、食いものと娯楽を与えていれば、政治や軍事、その他

ディス

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前回の投稿 で、サフォーク州アイ(Eye)を訪れた話を書きましたが、その後、回る予定であった近郊の村ホクソン(Hoxne)へ行くバスに乗りそびれたため、そのまま、ロンドンからの電車が通っている駅がある町、ディス(Diss)へバスで戻り、ホクソンの代わりに、ディスの町中をゆっくり観光することにしました。ディスの町の古い部分の中心は、駅から、ちょっと離れていて、歩いて10~15分。アイから乗ったバスの終点が、ディスの町の中心近くなので、駅前ではなく、そこで下車しました。この辺りは、サフォーク州とノーフォーク州の境界線にありますが、ディスはノーフォーク州に入ります。 まず目に入るのは湖(ミア、Mere)。湖は、英語でレイク(Lake)というんじゃないのかい、と思う人もいるかもしれませんが、 湖水地方 でも、ウィンダ ミア のように、ミアと呼ばれるものもあれば、ダーウェント・ウォーター(Water)などのように、ウォーターと呼ばれるもの、更にはターン(Tarn)と称されるものもあります。ミアとレイクなるものの違いはなんじゃ?と聞かれても定かではないようで、習慣で、ミアと呼ばれるものもあるという事にしておきます。ディスの湖もミアと呼ばれ、また フラムリンガム城 の近くにあった湖もミアと称されていました。もっとも、大きなウィンダミアなどに比べると、ディスのミアも、フラムリンガムのミアも、日本語では、規模的には、大型の「池」と呼んだ方が的確か、という気もします。 19世紀、このミアは、周りに存在した帽子、染色業者により、水銀の汚染がひどかったようで、にもかかわらず、この時代に、ミア内にはウナギが放たれていたのだそうです。この汚染に耐えかねたウナギたちは、水から陸地へ跳ね上がり、こんな汚い水内にいるよりは、と大量自殺を図ったのだとかいう話が、まことしやかに伝えられています。 現在は汚染の心配をすることもなく、数人、釣りをしている人たちもいました。ミアの脇には、ピクニックテーブルやベンチが並び、家族連れなども、アイスクリームを食べながら憩い。 ディス出身で、一番有名な人物は、ディスのタウン・サイン(上の写真)にも描かれている、詩人のジョン・スケルトン(John Skelton)。ジョン・スケルトンは、まだ王子であった頃の、ヘンリー8世の家庭教師をしたことで