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雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

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 巷でも、ラジオからも、クリスマスの人気定番ポップソングが流れる季節。ワムのラスト・クリスマスやら、マライア・キャリーの恋人たちのクリスマスやら、なんやら、かんやら。それでも、キャロルやアニメ「 スノーマン 」のテーマ曲あたりを除けば、私がこの時期、一番聞きたくなるのは、いまだに、「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう」で始まる、山下達郎氏の「クリスマス・イブ」です。今回は、イメージイラストも作ってみました。思うに、英語圏の国に住み、英語のみを喋り、英語文化にしか親しみのない人たちというのは、メジャー英米文化プラス自分たち独特の文化にも浸ってきた、他文化圏から来た人間に比べ、ある意味、文化生活の幅が狭いのではないかという気もします。自分たちから、積極的に他言語のものでも興味の範囲を広げようとしない限りは。 さて、「クリスマス・イブ」は、1983年、JR東海クリスマス・エクスプレスのCMでもおなじみの曲ですが、ビデオを探してみると、当時の、切符を切る駅員さんのいる改札口などが、なんとも、いいんですねえ。CMには、いろいろなバージョンがあるものの、クリスマスに電車に乗って愛する人がやってきたー、という、歌詞と相反して、一人じゃないクリスマス・イブが描かれています。ちゃんと、電車が、予定通り走る国でなければ、こんなCMにはならない。 ここしばらく、イギリスの鉄道は、従業員の賃金と労働環境をめぐり、度重なるストライキの波にやられています。 前回の記事 では、ロイヤルメールのストライキに言及しましたが、特に、多大な悪影響を出せるクリスマスと年末年始とあって、先週は、火水金土と4日間の鉄道ストライキ、さらには、ストライキのない合間の日にもダイヤの乱れや本数が減るなどの弊害も出ています。24日にもストライキが予定されているため、クリスマス・イブに電車に乗って愛する人のもとへ、なんて、あきらめた方がいいですねえ。 基本的に、車の移動より、電車での移動のほうが好きな私は、徐々に感じ始めています、電車がまともに動かせない国にいつまで住んでいられるかと。普段でさえ、キャンセルや遅れは日常茶飯事。週末にはよく、線路の整備のため、一部区間が不通となることもあり、その区間は、レールリプレースメント・サービスなる、バスを使うことになります。これがあると、移動時間、最低30分は上乗せとなり...

イギリスのNAI・NAI ’21

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イギリス の現与党、保守党の党大会が、昨日、道化師 ボリス・ジョンソン のスピーチで閉会しました。 現在の トラック運転手不足 や、天然ガスの値段の高騰により起こっている 多種の弊害 、豚農家で、サプライチェーンの人出不足のため、市場にいきつかない豚を農場で大量に殺すはめになる事態が起こっていることには一切触れず。これからの社会の行方の責任は全て各業界になすりつけ、人材不足があれば、EU労働者に頼らず、業界が高い賃金さえ払えば、何となかなるとった態度。この「何とかなる」っていうのは、非常にイギリス的なものです。ぎりぎりまで、何もしない、その場に及んだら何とかなる。晴れのうちに屋根を直せってことわざがありますが、そのまるで反対。 ボージョーは、イギリス人の若者をトレーニングすればいい、機材投資をすればいいなんてのも繰り返し言ってましたが、そのトレーニングやら機材投資に一体何年かかるのか。それにかかる費用を一体だれがまかなうのか。また、 各セクターでの人件費の高騰がインフレへつながり、大騒ぎになった70年代の 「不満の冬」 の再来となるのではないかと、心配する人もいるようです。ガスの値段の高騰で、すでに、インフレの影がのびているところへもってきて。 さて、この農場での、豚の大量の殺害ですが、動物福祉と衛生管理上、これには、獣医の立ち合いが必要なのだそうですが、なんと、その獣医の数も足りていないという話。さらには、殺した後の死骸を処理するためのトラックのドライバーも足りず、山積みの死骸をどうするかも、各農家頭が痛いようです。こうして、動物福祉的には比較的優秀で、質のよく健康的に育ったイギリス国内のブーちゃんたちが、不必要な無駄死にをしている中、EUからどんどん豚肉が輸入されています。こういった肉は、2,3年前には、イギリスの農家を手伝っていた、まったく同じ人たちが新しく探して働きだした、EU圏内の農家や屠畜場から来ているのかもしれません。・・・・・。  こんな話を聞いてきて、大昔はやった、シブがき隊のナイナイ16(Nai Nai 16)という歌が頭の中で鳴り出して止まらなくなり、替え歌を作ってみました。もう、ここまできたら、笑うっきゃないですからね。 ユーチューブで、原曲を探して聞きながら、読んでみて、一緒に歌って、笑ってください。そして、日本も同じ道をたどらない...

バケーションがもたらしたイングランド再ロックダウン

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V・A・C・A・T・I・O・N  楽しいな ぎらぎらと輝く太陽背に受けて 青い海 泳ぎましょ 待ち遠しいのは 夏休み なんて歌がありましたね。このバケーション(正確にはヴァケーションと書いた方がいいのでしょうか)という単語のスペルを覚える時、この歌が役に立ちましたが、その他に、学校の友達が、「ヴァケーションのスペルは、馬鹿チョンて覚えればいいんだよ」と言っていたのをいまだに覚えています。 マスクをするビートルス像 イギリス(イングランド)は、コロナのいわゆる第2波を、局地的 モグラたたき作戦 だけでは抑えきれず、3月の頭と全く同じような状態で、すでに感染が蔓延してしまってからの、遅れを取ったロックダウンに入ります。11月5日の木曜日から1か月と、今のところは期間限定ですが、さて、それもどうなることやら。再び、必需品を売る店以外は閉まり、人々は、外出規制により、必要以外での外出を避けるように指示され。前回と異なり、さすがに今回は、学校は開いたままにする予定。それはそうでしょう。学校を閉めていた期間があまりに長かったですから。 大体、感染が増えつつある9月中頃に、政府は、サイエンティストから、「今のうちに、2週間の短いロックダウンをして、感染がひどくなるまえに抑え込み、追跡調査が機能する状態にする必要がある」とアドバイスを受けていたのですが、政府は、足踏みをし、感染のひどい北部などに規制を敷いたのみで、気が付くと、感染はじわじわと全国に広がり、ここのところ、1日の死者300人を超しています。リバプールあたりでは、すでに病院がひっ迫状態になりつつあるようです。よって、市民が楽しみにしているクリスマス前にはなんとか、多少の抑え込みをしたい、全国の病院が機能不全にならないように、藁にもすがるロックダウンと相成りました。ロックダウンに遅れを取ったため、こうなった今となっては、2週間では済まないだろうと、1か月となった次第。手段が遅れれば遅れるほど、感染を抑えるには時間がかかるってこと、3月の1回目のロックダウンで学んでいなかったのか。 今回の感染は、なんでもその80%が、夏の間にスペインへ遊びに行った人たちが、持ち帰り、まき散らしたものなのだそうです。3月の第1波は、冬のイタリアのスキーリゾートから帰った人たちが原因だったと言われています。スペインの海辺のパッケージツアーは安価...

私のお気に入り

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Raindrops on roses and whiskers on kittens Bright copper kettles and warm woollen mittens Brown paper packages tied up with strings These are a few of my favorite things Cream-colored ponies and crisp apple strudels Doorbells and sleigh bells and shnitzel with noodles Wild geese that fly with the moon on their wings These are a few of my favorite things Girls in white dresses with blue satin sashes Snowflakes that stay on my nose and eyelashes Silver white winters that melt into springs These are a few of my favorite things When the dog bites When the bee stings When I'm feeling sad I simply remember my favorite things And then I don't feel so bad と、これを私なりに訳してみます。 バラの上の雨のしずくと子猫のひげ ぴかぴかの銅のやかんと暖かい毛糸の指無し手袋 ひもで縛られた茶紙の小包 それが私のお気に入り クリーム色の子馬にさっくとしたアップル・シュトゥルーデル ドアのベル、そりのベル、ヌードルを添えたカツレツ(シュニッツェル) 月を翼に飛ぶ雁の群れ それが私のお気に入り サテンの青いリボンがついた白いドレスを着る少女 鼻先とまつげにとまる雪の結晶 春の泉へと溶けていく白銀の冬 それが私のお気に入り 犬にかまれた時 蜂に刺された時 悲しい気分になった時 お気に入りのもの達を思い起こすの それだけで気分が晴れていくから ...

ロビン・フッドとアイ・ドゥ・イット・フォー・ユー

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1991年公開、ケビン・コスナー主演の「ロビン・フッド」(Robin Hood: Prince of Thieves)は、名が知れていながら、見ていなかった映画のひとつでした。当時、映画のテーマ曲となった、ブライアン・アダムスの、 "(Everything I do)  I do it for you"(日本語タイトルは、アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー、直訳は、僕のする全ての事は、君のため)が、大流行していましたが。この歌に関しては、ちょっとした思い出があります。 かれこれ、もう15年ほど前になりますか、だんなと、車でイングランド北部のヨークシャーへ、A1という道路を通って移動中に、途中からずーっと、私たちの前を同じトラックが走っていて、このトラックの後ろには、「ブライアン・アダムス」と書いてあり、どうやら運搬会社のトラックの様でした。A1は、ノッティンガムシャー州で、ロビン・フッドが、仲間たちと住んでいたとされるシャーウッドの森の周辺を通るのですが、そこを通過中に、だんなが、ふと「このブライアン・アダムス運搬会社、トラックに、Everything I do, I do it for youって書いて、会社のキャッチフレーズにすればいいのに。」と言って、二人でしばらく、けたけた笑ったのを、いまだに覚えています。以来、ケビン・コスナーの「ロビン・フッド」の話が出たり、「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」が流れると、ブライアン・アダムス運搬会社のトラックが私たちの前を走る姿が脳裏に浮かぶのが常です。 イギリスのコロナウィルスによるロックダウンもそろそろ3か月となり、今まで見ていなかった映画、または、大昔見て、また見たくなった映画などをほじくり返して、お茶の間映画館で鑑賞していますが、ケビン・コスナーの「ロビン・フッド」もやーっと見ました。おそらく、公開時は、「なんか臭そうだな」と思い、見に行かなかったのだと思います。感想、やっぱり臭かった・・・が、その臭さも、あそこまで、どうどうとしていると、逆に、妙に面白かった。 特に、見るからに悪そうな、アラン・リックマン扮する、ノッティンガムのシェリフ(シェリフとは、イングランド各地方・シャイアを、王に代わって行政をする代官の事)に無理やり結婚させられそうになった美女マリアンを、ロビン・フッド...

ハーマンズ・ハーミッツのヘンリー8世君

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前回の投稿の「 チューダー王朝 」でも、触れたように、ヘンリー8世はやたら、テレビドラマ、映画などの色々なメディアの題材になっているのですよね。シリアスなものから、ふざけたものまで。若くハンサムであった頃は別として、アン・ブーリンを処刑した頃からの、彼の人生の後半は、一種の一大悲喜劇なので、アングルによって色々な描き方をすることが出来、それがまた、よく題材として取り上げられる理由でしょう。 「I'm Henry the Eighth, I am」(直訳:俺はヘンリー8世だ、俺は)というユーモラスな歌があります。もともとは1910年に、庶民に、音楽をメインとした娯楽を提供していたイギリスのミュージックホールで大流行した、古い歌なのだそうですが、60年代のイギリスのバンド、ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)が歌った事によって、再び人気となります。うちのだんなも、いまだにソラで歌えるんですよね、これが。日本での題名は「ヘンリー8世君」(アイム・ヘンリー・ジ・エイス・アイ・アム)。 なんと、この歌、1965年に、アメリカのビルボードで1位の座を獲得しているのです。当時アメリカでは、ビートルズをはじめとした、音楽のブリティッシュ・インヴェイジョンが起こっていたとは言え、「こんなコミックソングのシングルが全米1位だったのかい?」なんて、ちょっとびっくり。 英語の歌詞は I'm Henry the Eighth, I am Henry the Eighth, I am, I am I got married to the widow next door She's been married seven times before And every one was an Henry She wouldn't have a Willie or a Sam I'm her eighth old man, I'm Henry Henry the Eighth, I am ! ざっと訳してみると、 俺は、ヘンリー8世だ、俺は ヘンリー8世だぞ、俺は、俺は 隣の未亡人と結婚した 彼女は以前に7回結婚 過去の亭主はすべてヘンリー ウィリーやサムなどには手を出さない...

ホテル・カリフォルニアへようこそ

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Last thing I remember I was running for the door I had to find the passage back to the place where I was before "Relax," said the night man "We are programme to receive You can check-out anytime you like But you can never leave 最後に覚えているのは ドアに向かって駆けていった事 以前にいた場所に戻るための路を探さねば 「落ち着いて下さい」と夜間の受付が言った 「我々は、客を受け入れるのが目的です。 いつでも好きなときにチェックアウトできますが、 去ることは永久にできません。」 米ロック・バンド、イーグルス(Eagles)の1977年の歌「Hotel California、ホテル・カリフォルニア」の歌詞の最後の部分です。 新型コロナウィルスに対するロックダウンも6週目に突入し、一体全体、いつ、どんな風に、鎖を外して、ドアを開けていくのか、いまだに、わかっていない状態です。「わー、こわいコロナ嵐が吹いている、中へ入れ、ドアを閉めろ」と、とりあえず、やったはいいが、まったくもって、その後はどうするのか無計画。食べ物や薬局以外の店は、全て閉めてしまうという処置が、実際に良かったのか。経済を破壊しないためにも、ガーデンセンターなど、人と人との間隔を開けて経営できるものは、少しでもあけておくべきではなかったのか、と今になって思います。そして、この国は、もっと早めに計画を立て、準備し、もっと早めに処置を行うべきだった。躊躇した挙句の果て、闇雲に、ほとんどすべてを閉めてしまった今、「もうそろそろ、いいかな。」とドアを開けたところで、また、「わーやっぱりだめだー、もう一度、入れ―!」なんて事になりかねない。人々は、自宅の窓から外を眺め、コロナ嵐が自然消滅してくれることを願うけれど、そんなことはあり得ない。実際、今、ロックダウンが終わっても、怖くて家を出たくない、という人の割合は、年齢健康状態を問わず、かなり高いのだそうです。 そんな中で、このイーグルスのホテル・カリフォルニアが、頭の中...

ジーザス・クライスト・スーパースター

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「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、イエス・キリストの十字架上の死に至るまでの最後の1週間(受難週)を、作曲アンドリュー・ロイド・ウェバーと作詞ティム・ライスのコンビがロック・ミュージカル化した1971年初舞台の作品。先週、折しも、イースター(復活祭)の週末に、この作品の最近の舞台公演を、ユーチューブにて観劇できました。 というのも、新型コロナによる世界的ロックダウンで、各地の劇場も閉鎖し、それは多くの人たちが自宅で過ごすこととなっているため、「The show must go on」と銘打って、2週間前から、アンドリュー・ロイド・ウェバーの数々のミュージカル舞台公演を、イギリス時間では、金曜日の夜7時から48時間、無料でユーチューブで配信してくれるという有り難い企画のおかげです。イギリスのナショナル・シアター(National Theatre)も、1週間ごとに演目を変えての無料舞台公演を配信してくれています。これを利用しない手はない。 私は、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルは、見た気になりながら、見ていないものがほとんどです。「ジーザス・クライスト・スーパースター」も、最初から最後までは見た事がなかったのですが、それは、有名なミュージカルのこと、いくつかのメロディーは知っていました。特に、テーマ曲的「スーパースター」の、やまの部分、 Jesus Christ Jesus Christ Who are you? What have you sacrificed? イエス・キリスト イエス・キリスト あなたは何者だ?あなたは何を犠牲にしたのか? とか、 イエスが、逮捕される前ゲッセマネで、「なぜ死なねばならぬのか」と悩みながら叫ぶように歌う部分、 I'd want to know, I'd want to know, my God 神よ、私は知りたい、私は知りたい くらいは、どこかで聞いたのが頭にこびりついていて、気が付くと時々、歌っていた事もあるのですから、不思議なものです。 ミュージカルは、イエス・キリスト、イスカリオテのユダ、マグダラのマリアの3人が軸となっていますが、イエスよりも、実際は、ユダが主人公ではないか、という雰囲気を強くかもし出しています。 この公演では、舞台は...

走れロケット号~蒸気機関車時代の到来

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ヨーク鉄道博物館にあるロケット号のレプリカ 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ 僕らを乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポ 早いな 早いな 窓の外 畑も飛ぶ飛ぶ 家も飛ぶ 走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな 前回の、線路というものに焦点を当てた、「 鉄道の始まり 」の記事の続きとして、今回は、イギリスにおける蒸気機関車の創成期の歴史を書いてみます。「鉄道の始まり」で記したよう、鉄道も機関車も、人を移動させるというより、重い貨物を移動させることを最大目的として開発されていったため、最初は、炭鉱、鉱山,、産業がらみで発達していきます。 日本で蒸気機関車は、時に、「Steam Locomotive」の略である「SL」という名でもおなじみ。スティームは、蒸気の事ですが、ロコモティブは、ラテン語の、ロコ(loco 場所から)という言葉と、モティバス(motivus 動く事)という言葉が合体した言葉。そして、ロコモティブは、場所の間を移動する、という意味の形容詞から、蒸気機関車の誕生に伴い、「自らの力で鉄道の上を動くエンジン」=「機関車」の意で名詞としても使用されるようになります。 蒸気のパワーを、一カ所に固定された機械に使うのみでなく、乗り物に応用しようという試みは、18世紀後半から、幾人かの人物により、行われてはいたようですが、実際に、定期的使用に耐え得るような信頼性のあるものができあがるまでは、かなりの時間がかかっています。 リチャード・トレビシックと蒸気機関車の誕生 イギリス南西部コーンウォールの鉱山のエンジニアであったリチャード・トレビシック(Richard Trevithick)が、最初の、蒸気を用いた乗り物を作るのに成功した人物、ひいては、蒸気機関車の生みの親と見られています。まず、彼は、蒸気自動車を製造し、何度か道路を走ることに成功。その後、鉄道路線の上を走らせるための、蒸気機関車を作ってはどうかと考え付くに至ります。当時の鉄道は、上を馬が荷車を引いて歩くという馬車鉄道でしたので、馬に代わる、よりパワフルなものが、蒸気機関車であったのです。 トレビシックは、1804年、ウェールズのマーサー・ティドフィル(Merthyr Tydfil)という場所にあったペナダレン(Pen-y-dar...

鉄道の始まり

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線路はつづくーよー、どこまでも 野をこえやまこーえー、谷こえて はーるかな町まーでー、僕たちの たーのしい旅のゆめ、つないでる らららららーら、らららららーら、らららららら、らんららーん 鉄道が、地平線に続くような景色を見ていると、旅情緒にうたれます。どこまでも、これを辿って行ってみたくなるような。もっとも、鉄道というものは、もともと、人の移動よりも、物資の移動のために作られたものなのですが。本日は、ちょっと、その線路・鉄道の歴史を見てみる事にします。 重い貨物を積んだ荷車の車輪が通るための軌道として、溝を掘った道路というのは、古代からあったそうで、ギリシャや中東などにそうした溝の軌道跡がまだ残っているそうです。また、火山爆発により失われたローマ帝国の都市ポンペイにも、この軌道用の溝を刻んだ道が、火山灰の下にそのままの姿で保存されていたと言います。車輪というものは、人類の発明の中で、最も大切なもののひとつに数えられていますが、その車輪を有効に活用するためには、それを効率よく走らせるための軌道も必要。これらの古の軌道の幅は、一様に大体1メートル半弱だそうで、現在の鉄道の軌間(ゲイジ、gauge)で、標準とされる1435ミリと、ほとんど変わらないというのが面白いです。いずれにせよ、機関車というものが誕生する以前の、ずっーと昔から、こうした鉄道のご先祖様たちは活躍していたのです。 特に、鉱山や炭鉱などで、一定の区間を、重いものを大量に移動させる必要がある場合、荷車が、地面に食い込むことなく、スムースに移動するよう、何らかの工夫は必要です。やがて、そうした場所で、木材を使用した線路が作られるようになり、馬や人力に引かれた荷車がその上を行き交いするようになります。この場合、車輪が滑って軌道からはずれるのを避けるため、L字方の線路を作ったり、または車輪の縁にフランジ(flange)と呼ばれるでっぱりをくっつけたりとの工夫がなされます。 こうした簡易線路は、イギリスでは、トラムウェイ(tramway)などと呼ばれましたが、18世紀イギリスでは、炭鉱などでの、そうしたトラムウェイ建設にあたり、木製線路が、泥の中に沈んでいかぬよう、また動かぬよう、下に枕木(railway sleeper)を寝かし、木製線路をその上に固定するようになります。枕木と枕木の間に...

サッカーがイングランドに戻ってくる

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It's coming home, It's coming home, It's coming Football's coming home! 戻って来るぞ、 戻って来るぞ、 来るんだ、 フットボール(サッカー)がイングランドに戻って来るんだ! これは、1996年に、イングランド主催で行われた、UEFA欧州選手権(UEFA Euro '96)の際に、ライトニング・シーズ(The Lightning Seeds)により歌われ、リリースされたシングル「スリー・ライオンズ(フットボール・イズ・カミング・ホーム)」(Three Lions, Football's coming home)のコーラス部分。スリー・ライオンズ(3匹のライオン)は、イングランド代表のシンボルを指し、以後も、サッカー大会があると盛んに歌われる曲です。 この96年欧州選手権では、イングランドは、準決勝まで進み、東西統合して初めてのドイツ代表にPK戦で敗れています。この時、イングランド側のPKをミスったのが、ガレス・サウスゲート、現イングランド代表の監督(上の写真)です。私はこの準決勝、ロンドンの混み混みのパブで見たのですが、試合が始まってから、パブを探して入ったので、通りはしーんとしているのに、どのパブもこのパブも満員御礼、2,3件回ってから、やっと、確か、トッテンナム・コート・ロード周辺の、とあるパブで、テレビの前に潜り込み、本当に最後の方だけ、立ち見観戦した記憶があります。それは、みんな、最後の最後のPKで、がーっくり。 比較的地味なガリス・サウスゲート率いるイングランド代表、今ロシア大会開始前は、あまり期待もされておらず、さほど騒がれてもいなかった感じです。そこまでサッカー狂でない私も、監督のサウスゲートと、ハリー・ケイン以外の選手は誰も知らなかった。なのに、気が付くと、昨日の対スウェーデン戦、2対0で、準決勝進出が決定。久々の好ニュースで、イングランド各地で大騒ぎとなり、試合後、誰もが盛んに、「ついに、フットボール・イズ・カミング・ホームかな?」と口にしていました。ただ、昨日の試合を見ていて思ったのが、それぞれのチームの、ファンの美しさ比べをしたら、スウェーデンの圧勝ですね。スウェーデンのお兄さんもそうだけど、...

春咲小紅

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ほら春咲小紅、みにみに見に来てね 私の心、ふわふわ舞い上がる 毎初春、ブログを振り返ってみても、春が待ち遠しいような事を書いてますが、今年は、本当に「一体、いつになったら春が来るんじゃい!」と思うようなみじめな天気の3月でした。4月になっても、ぱっとせず、先週も、じとじと天気で、ハイキングに出ても、 今年の元日の散歩 の時と変わらないような、灰色のぐじゃぐじゃ道。もっと年を取ったら、冬の日がもっと長い場所、青空を見れる回数が多い場所に隠居したいと思い始めています。先日の天気予報では、去年の8月以来、25度を超した日はない、と言っていたのを小耳にし、ますます、イギリスの灰色の空を恨めし気に見上げ。ただ、庭では、3月になってから2度もやって来た雪にもめげずに、ひそかに植物が顔を出し、水仙、 勿忘草 なども咲いており、いつの間にやら背が高くなっていたチューリップも緑のつぼみをつけてはいたのです。 そんなこんなで、いきなり、本日、お日様が出て気温がぐんぐん上がってくると、そのうれしさたるや。朝いちばんに見た庭のチューリップのつぼみは、まだ緑がメインで、赤みがほんの先端だけに見えたと思ったのに、時間が経つにつれ、赤みがだんだん広がり、あっという間に開花。(ちなみに下の写真は、うちの庭のチューリップではありません。それほど数を植えていないので。)春を待っていたのは、私だけではない、植物たちも、辛抱強く待っていたのですね。あと一押し、あと一押しと、太陽の暖かさを待ち受け、来たとばかりに一気に赤くなったのです。去年買った、小さな枝垂れ桜のつぼみも、太陽光線をずずっと吸い込み、うっすらピンク色に膨らんできた。 この光景に、昔、矢野顕子の歌っていた、春咲小紅が頭の中を止まらなく、何度も何度も口ずさみ。私、この曲、昔、「ほら春先、小紅、ミニミニ、ミニ着てね」と、春先になったので、真っ赤な口紅を差し、ミニスカートをはいて繰り出そう、という歌だと解釈をしていたのです。特に、確か、化粧品のテーマ曲に使われていたので、更にそう思ったのかもしれません。まあ、気分的には、思いっきりはずれてはいないでしょうが。 改めて、歌詞を見てみると いつ咲くかしらと、待ちぼうけ 指折り数えていたかしら お返事出します、微笑みの どこかにポチっと赤い色 私に会えば、わかります 自...

「Castle on the Hill」 はフラムリンガム城

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Castle on the Hillに歌われるフラムリンガム城 イギリスのシンガーソングライターのエド・シーラン(Ed sheeran)が、自分が育った故郷を思い起こして、 We watched the sunset over the castle on the hill 僕たちは、丘の上の城のむこうに落ちる夕日を眺めた と唄った「カスル・オン・ザ・ヒル」とは、サフォーク州の小さな町、フラムリンガムにある、フラムリンガム城(Framlingham Castle)。 彼曰く、この歌は、サフォークへのラブソングなのだそうです。たしかに、歌にしたくなるような姿かたちの良い城。城壁に間隔を置いていくつかの塔が築かれている、こうした形のものは、カーテン・ウォール(curtain wall)と呼ばれますが、フラムリンガム城はカーテン・ウォールを初めて導入した城のひとつであるそうです。 さて、エド・シーランとポップ・ソングばかりでなく、ざっとした城の歴史も、一応見てみましょう。 フラムリンガム城は、主なところで、ノルマン人征服の際に、ウィリアム1世と共にイングランドにやってきて、やがてノーフォーク伯の位を得るビゴッド家、そしてテューダー朝の歴史に関わり深いハワード家(ノーフォーク公)などが所有した城です。 現在の城は、その前に存在した木製の城を、ロジャー・ビゴッド(Roger Bigod、第2代ノーフォーク伯)が、石で建て直した12世紀後半に遡るもの。前述のとおり、当時は斬新なデザインであったようです。 マグナ・カルタを無視して傍若無人にふるまい続けるジョン王と、それに反旗をひるがえしたバロン(有力貴族)たちの間での、第1次バロン戦争(1215-1217)中、ロジャー・ビゴットは、反乱側ではあったものの、1216年3月、フラムリンガムへやってきたジョン王の軍に簡単に城を明け渡しています。 なんでも、比較的おニューであった城を、下手に戦って壊されたくなかったという話です。抵抗を見せずに受け渡せば、後に無傷で返してもらえると思ったようで。ジョン王は、この後、年が明けぬうちに突然病死。城は後に再びビゴット家に戻り。 城がハワード家の所有となった後、、ヘンリー8世の時代に生きたトマス・ハワード(Thomas Howard、第3代ノーフォー...

ドーバーの白い崖

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There'll be blue birds over The white cliffs of Dover Tomorrow, you just wait and see There'll be love and laughter And peace ever after Tomorrow, when the world is free ドーバーの白い崖の上空を 青い鳥が飛ぶでしょう そんな明日を待ちましょう 愛と笑いがもどり そして、平和がずっと続き 世界が自由になる明日 ドーバーの白い崖と言うと、この歌を口ずさんでしまうという事は、私も半分、イギリスに現地化しているのかもしれません。この「ドーバーの白い崖」(The white cliffs of Dover)を歌ったのは、第2次世界大戦中に国民の恋人と称された歌手ヴェラ・リン。ちなみに彼女は、来年(2017年)の3月には、100歳の誕生日を迎えるそうです。 崖の色の白さの理由は、一帯がチョーク層であるため。(地層について詳しくは、過去、イーストボーンとセヴン・シスターズを訪れた際に書いたポスト「 イングランドの白い崖 」まで。) 昔々、イギリスとフランスは地続きでした。氷河期の後に、溶けた氷がテムズ川やライン川に大量に流れ込み、ドーヴァーの北側に巨大な湖を形成。やがて、大洪水が、やわらかなチョークの地形をどーんと突き破り、イギリス海峡が誕生。これは、40~10万年前の話だという事。ですから、23マイル離れた、イギリス海峡の向こう側のフランスの海岸の崖も、Cap Blanc Nezと称される、白い崖なのです。持って行った望遠鏡で水平線を見てみると、低く覆いかぶさっていた雲の上に、更なる白い隆起が望めました。あれが、Cap Blanc Nezだったのでしょう。 3500年以上前の船であるDover Boat その後も、ここよりも北側と現オランダあたり(現北海南部)はまだ地続きであったのですが、紀元前6000年あたりに、水位の上昇により、ついにイギリスは島国となり大陸ヨーロッパから切断。 ブレグジット !それでも、イギリスと大陸の距離が一番狭いドーヴァーでは、すでに新石器時代(紀元前4100~2400年)から、イギリス海峡の向かいの地とのやり取り...

デヴィッド・ボウイの逝き方

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18ヶ月も癌と戦っていたと知らなかったので、いきなりデヴィッド・ボウイ(David Bowie)が死んでしまったのには、やはり、びっくり。先進国では、80歳までは軽く生きられるなどという感覚が強くなっているので、69歳は少々若く感じますし。 また、デヴィッド・ボウイが50歳になった時、仕事の後、一緒に食事をしたファンの友人が、新聞についてきた雑誌のグラビアをながめながら、「ボウイ、50歳だって。私の上司と同い年しなのに、かっこよさの度合いがぜんぜん違う。」などとつぶやいていたのも、まるで昨日の事の様に覚えています。それが20年近く前の話だと思うと、改めて、時が過ぎていく速さにびっくりしたりもします。 細い鼻筋と細いくちびる、やはり長くちょっと並びの悪い感じの歯。(アメリカ人の白く並びのいい歯に比べ、イギリス人は比較的歯並びの悪い人が多いのです。最近は変わってきているのかもしれませんが、アメリカ人に比べ、イギリスは、子供の歯の矯正をする人というのが少ないのだと思います。特に彼は、南ロンドンのワーキングクラス出身なので。)全体的にひょろ長い感じの人で・・・とてもイギリス人的な感のある美男子。大ファンではありませんでしたが、熱狂的ファンが多いのはわかる妙な魅力のある人でした。あの歯も、ある意味、その不思議な魅力に一役買っている気もします。 予告の様に、死の2日前の誕生日に、死を歌った曲を含むアルバムを出して、家族と親しい友人以外には何ももらさず死んでしまうというのは、とても見事な逝き方。 少々、話がずれるようですが、大昔に見た、「フライド・グリーン・トマト」(Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe)というアメリカ映画内で、心に残っていた台詞を思い出しました。主人公の親友が死んでしまい、悲しむ主人公にむけての台詞です。 It's all right honey. Let her go. Let her go. You know, Miss Ruth was a lady. And a lady always knows when to leave. ほらほら、泣かないで。行かせてあげなさい。行かせてあげなさい。ミス・ルースはレーディー(気高い女性)だったのだから。レーディーは、いつも、いつ...

妖精の輪

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じとじととした8月でした。雨が多かった上、気温もいまひとつぱっとせず、袖なしのシャツなどはほとんど着ずに夏が終わりそうな感じです。そのせいか、やたら、最近、外を歩いていて、きのこが目に付くのです。 先日も、歩きに出かけた教会の墓地で、菌輪を目撃。菌輪とは、きのこが輪を描くようにして生えているもの。英語では、妖精たちが輪になって踊った場所から、きのこが生えてくるとして、フェアリー・リング(fairy ring)とか、フェアリー・サークル(fairy circle)などと呼ばれ、日本語の菌輪より、ずっと可憐なイメージです。上の写真のきのこは、フェアリー・リングを形成することが多いと言われる、シバフタケ(学名:Marasmius oreades)、英語では俗にフェアリー・リング・マッシュルーム(fairy ring mushroom)とも称されます。 きのこというのは、地下で育成する菌糸体の、実の部分に当たるもので、菌糸体を含めた全体の10%くらいにしか満たないのだそうです。残りは、道行くものには見えない、芝生の下で他の物から養分を取って生きているわけです。菌子体をりんごの木に例えると、きのこは、りんごの実にあたるという説明を、以前聞いた事があります。 菌は、放射状に成長を進めて行き、きのこが、菌糸体成長の最前線で、輪状に外に現れてお目見えする事となります。きのこの生えている部分の芝生が、枯れてしまっているのは、その下の菌糸体が、土壌の栄養を吸収してしまって、芝へ栄養が回らず、また、菌糸体が、水分を土壌に通さないため。いずれにせよ、外へ外へと、発育場所を移動させるにつれ、輪も大きくなっていくのでしょう。最近、見かけたものは、上の写真の他にも、大体、直径1.5~2メートルくらいの、皆、似通ったサイズでしたが。 カビを含む菌類を指す言葉は、英語ではfungus(ファンガス)、複数形は fungi(ファンガイ、または、ファンジャイ)。一部のファンガスの実にあたるキノコは、英語で、mushroom(マッシュルーム)。時に、toadstool(トードスツール)という言葉も使用されます。「toadstool」は、直訳すると「ヒキガエルの腰掛」と、メルヘン系名前です。一部英和辞典では、「toadstool」を「毒キノコ」として訳しているようですが、マッシュルームが毒...

エンピツが一本

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ラジオを聞くでもなく、聞かぬでもなく、つけっぱなしにしたまま、何気なく、テーブルに置いてあった紙の切れ端にいたずら書きをしていました。そして、するする動く、鉛筆の描く線を眺め、ふと、「エンピツが一本、エンピツが一本、ぼくのポケットに~」と口ずさんでいる自分に気がついたのです。 「エンピツが一本」なんて、しばらく歌ったこともなかった古い歌、いきなり出てくるものです。坂本九が、この歌をうたったのは、1967年のこと。どひゃ!子供時代の記憶と言うのは、脳みその奥底に刻みつけられているのでしょう。とても良い歌詞なので、これを期に、全部載せてみます。作詞作曲は、浜口庫之助氏。「バラが咲いた」や、にしきのあきらが、指差して「きみーとぼくは、きみーとぼくは」と歌った「空に太陽がある限り」もこの人の作品なのだそうです。 エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくのポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくの心に 青い空を書くときも 真っ赤な夕やけ書くときも 黒いあたまの とんがったがエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 君のポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 君の心に あしたの夢を書くときも きのうの思い出書くときも 黒いあたまの まるまったエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくのポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくの心に 小川の水の行く末も 風と木の葉のささやきも 黒いあたまの ちびたエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 君のポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 君のこころに 夏の海辺の約束も もいちど会えないさびしさも 黒いあたまの かなしいエンピツが一本だけ 贅沢を言わせてもらえれば、真っ赤な夕やけ書くときは、赤鉛筆も加えて、「エンピツが2本」にしたい気もします。 道を行くときに、過ぎ行く景色をどれだけ組み入れられるかは、周囲に注意を払っているかどうかは元より、スピードも当然かかわってくるわけで、車よりは、ちゃり、ちゃりよりは、歩きの方が、一般的に気付くことも多いはず。また、デジカメを向けて、景色を取りまくるのは良いが、実際に、見るという事がおろそかになってやしないか、と時に思うこともあります。ボタンを押すだけよりも、え...

お日様の様なセント・ジョーンズ・ワート

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庭のセント・ジョーンズ・ワート(St John's Wort)の茂みの花が満開になりました。 洗礼者ヨハネ(John the Baptist ジョン・ザ・バプティスト、St John セント・ジョン)の誕生日で、聖人の日である6月24日あたりに咲きはじめ、秋まで咲き続けてくれます。これが咲くと、庭の奥のほうが、ぱあーっと明るくなるのです。ワートとは食用、薬用に使用された植物を指して使用された言葉なので、セント・ジョーンズ・ワートとは、「洗礼者ヨハネの薬草」の意味。学名の「Hypericum ヒペリカム」は、ギリシャ語源で、「聖画像(イコン)の上」を意味し、聖画像の上に飾って魔よけとした習慣に端を発するそうです。日本語名は、セイヨウオトギリソウ。 うつ病やその他もろもろに効くとされ、昔から薬用に使用されてきた種は、Hypericum perforatumと呼ばれる野生植物。「perforatum」は「穴の開いた」の意味で、葉に、まるで穴が開いたように見える点々があることから付いた名前ですが、この点々の内部でエッセンシャルオイルが作られているのだそうです。黄色の星の様な花は、聖人の頭を囲む後光のようにも見え、花を摘むと、茎から赤い汁がしたたるそうなのですが、これも、サロメでお馴染みのように、頭をはねられて殺された洗礼者ヨハネを思わせる。この不思議な赤い汁と、花が咲き始める6月後半は、夏至の日にも近いため、初期のキリスト教信者たちにより、セント・ジョーンズ・ワートと呼ばれ始める以前から、ミスティックなパワーを持つ植物として、薬用にも、魔よけにも使われ、人々に知られていたようです。(Hypericum perforatumの花の写真は、ワイルドライフトラストの英語ページまで。 こちら。 ) キューガーデンのサイト によると、ヒペリカムに属し、一般的にセント・ジョーンズ・ワートと呼ばれる植物は、Hypericum perforatumの他にも、1年草のものから多年草のものまで、全部で350種近くあるのだそうです。花はどの種も黄色ですが、サイズは色々。私が持っているセント・ジョーンズ・ワートは、園芸種の、Hypericum "Hidcote" (ヒペリカム ヒドコート)。うちの庭では、長年ずーっと同じ場所に構えているご老公様の貫禄で、...