デヴィッド・ボウイの逝き方

18ヶ月も癌と戦っていたと知らなかったので、いきなりデヴィッド・ボウイ(David Bowie)が死んでしまったのには、やはり、びっくり。先進国では、80歳までは軽く生きられるなどという感覚が強くなっているので、69歳は少々若く感じますし。

また、デヴィッド・ボウイが50歳になった時、仕事の後、一緒に食事をしたファンの友人が、新聞についてきた雑誌のグラビアをながめながら、「ボウイ、50歳だって。私の上司と同い年しなのに、かっこよさの度合いがぜんぜん違う。」などとつぶやいていたのも、まるで昨日の事の様に覚えています。それが20年近く前の話だと思うと、改めて、時が過ぎていく速さにびっくりしたりもします。

細い鼻筋と細いくちびる、やはり長くちょっと並びの悪い感じの歯。(アメリカ人の白く並びのいい歯に比べ、イギリス人は比較的歯並びの悪い人が多いのです。最近は変わってきているのかもしれませんが、アメリカ人に比べ、イギリスは、子供の歯の矯正をする人というのが少ないのだと思います。特に彼は、南ロンドンのワーキングクラス出身なので。)全体的にひょろ長い感じの人で・・・とてもイギリス人的な感のある美男子。大ファンではありませんでしたが、熱狂的ファンが多いのはわかる妙な魅力のある人でした。あの歯も、ある意味、その不思議な魅力に一役買っている気もします。

予告の様に、死の2日前の誕生日に、死を歌った曲を含むアルバムを出して、家族と親しい友人以外には何ももらさず死んでしまうというのは、とても見事な逝き方。

少々、話がずれるようですが、大昔に見た、「フライド・グリーン・トマト」(Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe)というアメリカ映画内で、心に残っていた台詞を思い出しました。主人公の親友が死んでしまい、悲しむ主人公にむけての台詞です。

It's all right honey. Let her go. Let her go. You know, Miss Ruth was a lady. And a lady always knows when to leave.
ほらほら、泣かないで。行かせてあげなさい。行かせてあげなさい。ミス・ルースはレーディー(気高い女性)だったのだから。レーディーは、いつも、いつ去るべきかを知っているのだから。

生と死が裏腹であった中世の時代なども、「いつ死ぬか」(when to die)もさることながら、「いかに死ぬか」( how to die)も重要な問題であったようで、死に方のマニュアルなどもあったという話も聞いたことがあります。どうあがいても避けられない死が来た時に、自分は、どうやってそれに向かうかは大切な問題です。生き方は、逝き方にもつながっていたのでしょう。デヴィッド・ボウイも、いつ、どのように死ぬかを、心得ていたかのように、ぐっとくる幕切れを演出してくれました。

ニュースを聞いてからしばらく、「グラウンド・コントロール・トゥー・メージャー・トム・・・」
と、「スペイス・オディティ」(Space Oddity)(なんと1969年の歌!)の出だしが頭の中を流れてとまりませんでした。星の中でボウイが、ゆっくり飛んだり回転したりしている姿を想像して。

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