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11月, 2014の投稿を表示しています

イミテーションゲームとアラン・チューリング

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コンピューターの先駆けを考案したとされるイギリスの数学者アラン・チューリング(Alan Turing)を主人公とした「The Imitation Game」(イミテーションゲーム エニグマと天才数学者の秘密)を映画館に見に行きました。アラン・チューリング役は話題のべネディクト・カンバーバッチ。べネディクト・カンバーバッチでは、少々かっこよすぎはしないか、とも思ったのですが、お宅風、数学の天才のイメージをわりといい感じで出していました。 第2次世界大戦中、ドイツ軍が、伝達のためのコード(暗号)を打ち出すために使用したのが、エニグマ・マシン。タイプライター風のこのエニグマからはじき出される、一見意味不明の暗号をやぶり、ドイツ軍の作戦を知る事は、チャーチル率いる戦時内閣にとって、重要課題となります。そこで、政府は、数学者、クロスワードパズルの名人、チェスの名人、暗号破りの名人、その他もろもろを、バッキンガムシャー州のブレッチリー・パーク(Bletchley Park)に一同に集めるのです。そして、戦時中はステーションXと称された、ブレッチリー・パークは、こうした人物達を使っての、コードブレーキング(暗号破り)活動の拠点となります。ステーションXで、働く者は、すべて、自分がどんな活動をしているかについては、近親者にも一切沈黙を守る事を約束する証書にサイン。戦争が終わっても、長い間、70年代半ばに暴露本が出るまで、皆、戦時中に何をしていたかについては、口をつぐんできたのです。このステーションXでの、エニグマの暗号破りの最大の貢献者の一人が、アラン・チューリング。 若くしてケンブリッジ大教授となっていた彼は、戦前から、ユニバーサル・マシンとして、コンピューターの先駆けとなるマシンの創造に興味を持っていた人物。エニグマとのバトルに、ボムと呼ばれたコードブレーキング・マシンを作り(このマシンは、映画内では、彼が少年時代に心を寄せた親友の名を取ってクリストファーと呼ばれていました)、マンパワーで行うと非常に時間のかかる暗号破りを、比較的短時間で行うようにしたのです。エニグマは、ドイツ軍が、24時間おきに、設定を変えるので、設定変更後に受信し始めた暗号の内容を、比較的短時間で破る事は必至。 映画を見る前に、戦時中のブレッチリー・パークに関するドキュメンタリーを見ましたが

バトルズブリッジ・アンティークセンター

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5年ぶりに、エセックス州バトルズブリッジ(Battlesbridge)にあるアンティークセンターを訪れました。 バトルという言葉で始まるので、何か大きな戦いがあった橋でもかかっているのかと、ウィキペディアの英語版を読むと、Bataille家の人々が、この地を流れるクラウチ川(River Crouch)にかかる橋のメンテを行っていた事から、「BatailleのBridge」。その発音がイギリス風に少々崩れたのでしょう、Battlesbridgeと呼ばれるようになったのだそうです。ので、戦いとは、全く関係ありませんでした。 写真は、その橋からの眺め。川沿いに聳え立つのは、かつて穀物倉庫とミルであった、オールド・グラナリー(Old Granary)と称される建物ですが、この内部が、今では、アンティーク・センターと化しています。また、周辺にも、沢山アンティック・ショップがあります。 橋から見た反対側の風景はこんな感じ。 アンティークセンターと称される場所には、各地で何度か足を踏み入れた事があるのですが、私の行った範囲では、ここが一番規模的に大きいところでした。5年前は、だんなと車で行ったのですが、いわゆるウィンドウショッピングをあまり好まぬうちのだんなも、わりと楽しそうに色々見て周り、軽く半日過ごしました。特に、軍隊関係の品を扱っている専門店では、だんな、店主と楽しそうにいつまでも、くっちゃべっていましたっけ。 正真正銘の古物の他に、いわゆるアンティーク風のキュートな小物や置物なども売られています。また、クラフト系の手作りの物とか、庭の置物、新しい木製の家具などもあり。5年前のバトルズブリッジ訪問で私達が買ったものは、アンティークではなく、新品の庭用の小さなドラゴンの置物と、こちらも、作られてほやほやの、木製の小型回転椅子でしたし。前回訪れた時の写真は、以前の記事「 古い物のある庭 」まで。 さて、今回は、近くに住む日本人の友達と、電車でぽこぽこ出かけました。 このバトルズブリッジという駅は、単線で、まさに、田舎のど真ん中の無人駅。月曜日だったというのもあり、降り立ったのは私達だけ。プラットフォームからはゲートも無くそのまま、するりと外へ出て、駅のすぐ外に立っていた周辺案内地図を見てみると・・・駅と、道路と一面の緑以外、一切合切何も書

ふくろう三昧

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イギリスでは、フクロウのモチーフの入った小物が大人気です。わりと昔から、フクロウ模様グッズは出回っていましたが、特にここ数年、その人気ぶりには、目を見張るものがあります。可愛いインテリアや雑貨の店にはいると、まず目に付くのが、フクロウ柄ですから。カップ、洋服、バッグ、クッション、ドアストッパー、ぬいぐるみ、エトセトラ~エトセトラ~。 かくなる私も、フクロウは好きで、上の写真に、手持ちのフクロウグッズを並べてみました。気に入っているワンピースの柄もふくろう。去年のクリスマスにも、小さなフクロウの飾り物を買ったし、以前から持っている、青いシリアル・ボウルの縁にも3羽のフクロウがとまっている。(まあ、このボウルは、友人から、おフランス土産にもらったものなので、イギリス・グッズではないのですが。カフェオレ・カップとしても使えそうではあるのですが、角度を考えずに、カップを口に当てがばっと傾けると、ふくろうに鼻を突かれます。)鉤針編みの名手の日本人の友達に、最近作ってもらったクッションもフクロウ。 フクロウというと、森の賢者のイメージがあります。 くまのプーさん (Winnie-the-Pooh)に出てくるフクロウも、森の動物の中で一番物知りという事になっていました。少なくとも、他の動物達はそう思っていた・・・。 "And if anyone knows anything about anything," said Bear to himself, "it's Owl who knows something about something." 「誰かが何かについて、何か知っているとしたら」とプーは独り言を言いました。「それは、オウルだ。オウルは、何かについて、何か知ってるもの。」 動物仲間の尊敬を受けながらも、フクロウは、言葉のつづりは苦手で、長い文章を書く時は、クリストファー・ロビンに助けてもらっていたのですが。プーが、イーヨーの誕生日に、はちみつを入れてあったつぼをプレゼントにあげる事にし、そのつぼに、「A Happy Birthday」と書いてもらおうと、フクロウの家に持って行ったところ、フクロウが書いたのは、 HIPY PAPY BTHUTHDTH THUTHDA BTHUTHDY とい

ロイヤル・ビクトリア・ドック

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この秋は、ロンドン東部のドックランズ散策に何度か繰り出しました。本日もまた、そんなロンドンの過去のドック(埠頭、波止場)をひとつご案内します。 以前の記事で触れた ウェスト・インディア・ドック を初めとする、19世紀初頭のロンドンのドック建設ブームが、 セント・キャサリン・ドック の完成後、しばらく静まったものの、船で、大英帝国の首都ロンドンへ流れ込んでくる物資は増える一方。新たなる、もっと使い勝手の良いドック建設が、19世紀後半に再び開始。そして、1855年に建設されたのが、このThe Royal Vicotoria Dock(ロイヤル・ビクトリア・ドック)。ウェスト・インディア・ドックより、更に東(テムズ河口側)にあります。あまり役に立たなかったというセント・キャサリン・ドックなどに比べると、かなりの大規模ドックです。 新しいロイヤル・ビクトリア・ドックに、商売を奪われ始めた、既存のドックを有する会社は、それに対抗するため、合併、また、新ドックへの建設へと動き出します。1868年、ウェスト・インディア・ドック南側に、ミルウォール・ドック建設。1880年、ロイヤル・ビクトリア・ドックの東に、アルバート・ドック。更には、1886年、テムズ河口に近いティルベリーにも、新たなドックができるのです。20世紀に入り、1921年に、アルバート・ドックの南側にオープンするのが、200件以上の家を撤去して作られたという、キング・ジョージ5世・ドック。 ロイヤル・ビクトリア・ドックの、貨物の波止場としての役割は、1981年に終わっていますが、現在も、船が入ってくることができるので、私が訪れた日も、大きなクルーズ船のようなものが停泊していました。 ロイヤル・ビクトリア・ドックを訪れるのに、私が降り立った駅は、ドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)のCustom House(カスタム・ハウス)駅。この駅は、2000年にオープンしたExCel London(エクセル・ロンドン、エクセル展覧会センター)への最寄り駅でもあります。エクセル展覧会センターは、ロンドンオリンピックの際にも、一部ヴェニューとして使用されました。上の写真の左手の建物がエクセル展覧会センターの一角です。 催し物のある日は、活気があるのでしょうが、行事が無い時は、周辺は、とても、とて

ロンドンを洪水から守るテムズ・バリア

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ロンドンを流れるテムズ川は、過去の歴史の中、幾度も洪水にあい、ロンドンに被害を与えてきました。その度に、洪水対策として、土手(エンバンクメント)を補強し、高くする事をしてきたわけですが、そのうちに、永久にこんな事はやっていれない、これ以上エンバンクメントを高くすると、川が全く見えない、という状況に陥ったわけです。 さて、それではどうしようと、喧々囂々の論議の挙句、本格的洪水対策として、水面が危険なほど上がった時に、流れ込もうとする海水を、ゲートを閉じる事で遮断できるテムズ・バリア(Thames Barrier)が完成したのは、実に1982年になってから。このテムズ・バリアのある部分の川幅は520メートル。危険状態になり、テムズ・バリアのゲートを閉じようという判断が下ってから、理論的には、数分で閉じられる事になっています。 ロンドンを含む、イギリス東海岸で大洪水が起こるには、いくつかの条件が重なり合う必要があります。たとえば、スコットランドの北東海上で低気圧が発生する。低気圧というのは、空気の圧力が弱まるわけですから、海面に上から掛かる圧力も当然弱くなり、「あ、頭が軽くなった、もう少し上へ行けるぞ」と、水位が上昇する。この状態で、北風が吹いていたりすると、水は、北海の南部(イギリスと、オランダ等のある大陸ヨーロッパの間の狭い部分)に流れ込む事となります。さらに、その時に満潮であったりすると、大量の海水が、テムズ川をはじめ、イギリス東部の河口にどーっと入ってくる、というひどい事になるのです。こういった場合は、対岸のオランダも大被害を受ける事となります。 普段は、当然、テムズ・バリアのゲイトは下ろしてあるので船はちゃんと通過。ただし、地球温暖化に伴い、テムズ・バリアを閉じる回数が、年々、少しずつ増えてきているのだそうです。現在のままのテムズ・バリアで、ロンドンを守っていられるのは、何でも2030年くらいまでだという話なので、もう、それほど時間が無いんですよね。政府は、その後どうするか、考えていてくれるのか・・・な・・・。 温暖化で水位が上がるのは、海水が暖かくなり、水分子の動きが活発になるため、海水の重さは同じでも、ボリュームが膨れるからです。更には、北極南極の氷が溶ける事も、水位上昇に、多少の影響があると言われています。 温暖化に加え、考

O2で見るロジャー・フェデラー対錦織圭

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またやって来ました、ロンドンのO2アリーナでの、男子トップ8のプレーヤーが競う、テニスATPワールドツアーファイナルズの季節。O2でこのトーナメントが開催され続ける限り(現段階では、2016年まで)、出来る限り、期間中一度は足を運ぶつもりでいます。インドアトーナメントはウィンブルドンの様にお天気気にせずに済みますし。昨日、午後の部を見に出かけてきました。毎回、だんなと、テニスおたく友達と連れ立ち、O2の前で記念写真を撮るのも恒例。 今までは、日本からの報道者は皆無であったとかいう当トーナメント、今回は、錦織圭が、アジア人で初のお目見えとあって、BBCの報道によると、40を越える報道陣が日本から大挙して押し寄せたとか。 チケット購入に当たっては、対戦組み合わせが、間際にならないと決まらないので、とりあえず、ラウンドロビンの段階でAとBの2組のうち、どちらに見たい選手が多いかを決め、そちらの組がプレーする日を選び、お目当て選手が、自分の選んだ部(午後か夜)にプレーしてくれる事を願う事となります。(このラウンドロビンについては、過去の記事を参照ください。 こちら 。)もし、希望通りの組み合わせにならなくても、全員ワールドトップ8なので、まあ、いいか、というのはあります。 今回は、錦織圭くんのO2デヴューは見てみたい、ロジャー・フェデラーも、もう一度見てみたい、それにアンディ・マリーはまだ見たことがないので、この3人の入っているB組を選び、できれば、錦織とフェデラー戦がいいかな・・・と思っていたら、これが大当たり。当トーナメントは、毎年人気上昇、今回は、だんなの通院スケジュールを見ながら、チケットを取るのが遅かったのもあり、席は、隣りあわせが取れず、前後となりましたが、そんな事に文句言っていられない。錦織は、3年ほど前に、ウィンブルドン前のグラストーナメントである、 イーストボーン で一度、かなり近くで見たことがあるのですが、あのころは、今にもまして、サーブするにもジャンプしまくっており、高校生のユニフォームを着せたら似合いそうな人でした。 スイス人に限らず、一般人ファンにとっては、この8人の中で、一番見たいのは、やはりフェデラーなんですよね。観客からあがる声援も、アンディー・マリーよりもずっと多い。熱狂的ファンも沢山。この天下のフェデラー相手に

フレンチトースト

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上の写真は、ただの焦げたパン・・・ではありません。私が作ったフレンチ・トーストなのです。映画「 クレイマー、クレイマー 」を見た後に、触発されて作りました。作り方は、ごく簡単。 私が使った材料は、2人分で、 パン2切れ 卵2個をよく溶いたもの 卵と同じ分量くらいのミルク シナモン小さじ1(好み) バニラエッセンス少々(好み) バター フライパンを火にかけ熱し、バターを落とす 卵とミルクを良く混ぜたものに、パンを一切れずつ、両面、液体を良く吸い込むよう浸す フライパンに、ぐちゃっとしたバンを並べ焼く 両面こんがり焼けたらできあがり はちみつや、シロップを落としたり、クリームやフルーツをのせてお菓子風に食べてもグーです。(写真内の、パンの真ん中の黄色の液体ははちみつで、焼けていない卵の黄身ではありません、念のため。)味としては、 パンケーキ みたいなものですね。素材はほとんど同じですし。ただ、作るのは、こちらの方がずっと早くできます。 「クレイマー、クレイマー」内では、ぴらぴらの不味そうな白食パンを使っていましたが、うちは、ブラウンブレッドを厚めに切って作りました。こちらの方が、美味しいと思うので。 フレンチ・トーストは、 ブレッドアンドバタープディング などと同じく、古くなってかさかさになってしまったパンを、再生させて美味しく食べる方法として考案されたものであるようです。今みたいに、古くなったら鳥にやればいい、なんて贅沢な事は出来なかったわけですから。最初に、これと似た食べ物のレシピが言及されるのは、フランスではなく、ローマ時代の料理本だったという事。 中世には、多少のバリエーションはあれ、似たようなものが、ヨーロッパ各地で食されるようになり、その名称も、場所によって色々。フランスでの、この食べ物の名称は、「pain perdu」(失われたパン)。固くなり、普通に食べるには役に立たない「失われたパン」を美味しく食べる方法としてついた名称のようです。何故に、英語では、フレンチトーストと呼ばれるようになったのかは、謎ですが、イギリスより、アメリカで良く食べられている様なので、北米の旧フランス植民地などで食べられていたために、フランス人が食べているから、とこう呼ばれるようになったんじゃないかな、と私は憶測しています。

クレイマー、クレイマー

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「ちょっと、おやつにフレンチトーストを作ってみようか。」そんな事を思ったのは、映画「クレイマー、クレイマー」をDVDで見たからです。公開当時の1979年には、日本でも大変な話題の映画でした。 ざっとしたあらすじは、 ニューヨークの広告代理店で、バリバリ働くテッド・クレイマー(ダスティン・ホフマン)は、妻は家庭にとどまって子供と家の面倒を見るのが一番という方針。ところが、妻のジョアンナ・クレイマー(メリル・ストリープ)は、実は仕事を続けたかった人。子供は愛しているが、それだけでは物足りない、と悶々とした日々を送るのにも、テッドは気付かず、彼女が相談を持ちかけようとしても、聞く耳持たず。自分の存在理由に疑問を持ち、自信を失い、ついに、耐えられなくなったジョアンナは、ある日、テッドが自宅へ戻るや、荷物をまとめて出て行ってしまう。 以後始まる、テッドと息子ビリーの2人だけの生活。テッドは、慣れない育児と、仕事のやりくりで、てんてこ舞いしながら、ビリーは、お母さんがいなくなってしまったショックと、今まで絆の薄かったお父さんだけとの生活に最初は抵抗をみせながらも、18ヶ月の時が経つと、微笑ましい仲良し父子と化すのです。 そこへ、再び登場するのが、今やテッドより高給取りとなったジョアンナ。やはり、息子が忘れられない、自分で育てる自信がついたと、引き取りに来るのですが、「息子は渡さん」とするテッド。そこで、親権を争っての「クレイマー対クレイマー」の裁判が始まる。育児に時間を取られ、今までの会社を首になってしまったテッドは、職がないと、法廷で勝つ見込みがなくなり、完全に親権を失う、と、クリスマス直前に、必死の職探しをし、給料が下がるものの、仕事を確保。最終的にはそのかいなく、親権は、ジョアンナに渡ってしまうのですが。 ビリーを引き取りに来る予定の日、ジョアンナは、テッドのマンションのロビーに、テッドを呼び出し、 I came here to take my son home. And I realized he already is home. 私は、息子を家に連れて行こうと、ここに来たのだけれど。ビリーはもうすでに、家と呼べる場所にいるんだと気がついたの。 と告げて、ビリーを自分の元に連れて行く事をやめようと思う旨を告げるのです。 いいラストシ

蓋つきマグカップの効用

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先週は、非常に暖かく、「今年は、冬などまだまだね」などと思っていたのに、ここ数日、気温がガタッと落ち、今朝なども、ナイトガウン姿で、庭へ出る勝手口を開けたとたんに、ぶるっときました。「ああ、さむ。お茶入れよっと。」 最近、だんなと2人で愛用しているのが、蓋のついたマグカップ。もともと、ガーデンセンターで購入した品で、蓋には、「antibug mug(虫よけマグカップ)」、更には、「虫は外、熱は中」と書かれ ています。ガーデナーが庭で紅茶を飲む時に、カップ内に虫が飛び込まないように、また、戸外でも冷め難いように、という配慮のマグカップなのです。「飛んでで茶に入る夏の虫」は嫌ですから。ちなみに、 以前にも書きました が、マグカップというのは日本人英語で、英語ではただ単にマグ(mug)ですので、気をつけましょう。 虫が入らないようにというのはともかく、保温性がいい、というのがこのマグカップの良いところ。また、リーフ・ティーと ティーポット を使わずに、ティーバッグで紅茶やハーブティーを入れる時は、これで、蓋をしてむらして出すと、結構、味が良い様な気がするのです。ティーバッグを取り出した後は、蓋は、使用済みティーバッグの受け皿としても使えるし、また、コースターにもなるし。ただし、蓋を開けた直後は当然、蓋の下は蒸気でぬれているので、コースター代わりに使う前には、ズボンの膝のところで、底を拭いたりしていますが・・・! とにかく、ガーデナー用マグカップという事なので、形は植木鉢風。だんな用のものには、Lone Ranger(マスクなどをつけて単独で活躍する謎のヒーロー)をもじり、lone(ひとりの)という言葉を、 lawn(芝生)に置き換えた、 The Lawn Rangerと書かれています。無理して訳すと、「必殺芝刈り人」みたいな感じでしょうか。芝刈り機を含む、庭仕事の道具に囲まれたおじさんのイラスト入り。一方、私のものは、リーダーズ・ダイジェストをもじり、Weeders Digest(雑草むしる人のダイジェスト)と書かれ、ふざけた雑草のイラストが描かれています。たとえば、タンポポは英語でダンディライオンですが、タンポポの葉の間からダンディーなライオンの顔が生えている・・・。 ここ数年、芝刈り係はずっと私ですので、私が、必殺芝刈り人マグカップを使った方が

セント・キャサリンズ・ドック

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セント・キャサリンズ・ドック(St Katharine's Dock)は、ロンドン塔(Tower of London)のすぐ東に位置する、かつてのドック(埠頭)。なにせ、ロンドンのシティーから近いですので、今は、高級ヨットの停泊するマリーナ、そして、店舗、カフェ、オフィス、高級アパートと化しています。 前回の投稿 で書いた、1802年の、ウェスト・インディア・ドックの建設を皮切りに、19世紀初頭のロンドンでは、船着場、荷上げ場、そして貨物貯蔵場として、テムズ川沿いのドック(埠頭)建設ブームとなります。そのブームの終わり、1828年にオープンしたのが、このセント・キャサリンズ・ドックス。ウェスト・インディア・ドックスなどよりも、ロンドン中心には近いものの、場所が手狭であるため、大型船が入る事ができず、商業的には、大失敗のドックだったようです。 確かに、テムズ川から、セント・キャサリンズ・ドックへ入るための水門は、この写真からも分かるよう、大型船が乗り込むには、ちょいと、幅が狭いのです。 セント・キャサリンズ・ドック建設に当たっては、当時、この場所にあった、12世紀に遡るというセント・キャサリン病院の土台と、セント・キャサリン教会、および、ぎゅうぎゅうに建てられていた1250軒のボロ家を、多くの反対を押し切り、取り壊しています。その際、家から追い出された1万1千を越える住民達には、一銭たりとも、補償が出なかったというのですから、たまったものではなかったでしょう。参政権が無い市民は、泣き寝入りです。それなりの問題はあっても、現在の民主主義の国に生まれてよかったな、と思います、こういう話を聞くと。 一番上の写真は、セント・キャサリンズ・ドックの、かつてのアイボリー・ウェアハウス(倉庫)ですが、その名の通り、ここの倉庫には、像牙(アイボリー)や犀の角などが、荷降ろし後、貯蔵されていたそうです。動物保護、自然保護に余念の無い、現在のイギリスでは、そんな物を売買するなど、とんでもハップンの話ではありますが、この頃は、まだまだ、そういった考慮をする人は、いなかったんでしょうね。世界人口も少なかったですし。人間が自然界を利用し搾取するのは、当たり前、のような。他の倉庫には、タバコ、スパイス、その他もろもろの品が貯蔵され。こうした貴重な品々を守るために、