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10月, 2010の投稿を表示しています

全ての山に登れ

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この写真で、蜘蛛女のように、むき出しの断崖絶壁の岩肌にしがみついて登っているのは、ロンドン在住の知り合いの日本人女性。御歳55歳、イギリス人と国際結婚をして、1児のママ。 もともと、日本にいた時から登山が好きだったと言うことですが、最近になってインドア・クライミングにはまってしまったそう。初めてアウトドアのロック・クライミングに挑戦すべく、今月頭に、スペインのカタロニア地方へ、クライミング・ホリデーへと繰り出していました。宿泊地はTrempという町の近くの村、そこから毎日1時間ほど車で色々な場所へ、連れていってもらい、登ったのだそうです。写真は、そのホリデーでのもの。 1週間、ひたすら登る、登る、登る・・・。登っている最中に、ワスプ(wasp:スズメバチのような昆虫)に腕を刺され、腫れあがるというハプニングがあったものの、無事生還し帰国。楽しかったようです。私など本格クライミング未経験者は、これは、ホリデーではなく、集中特訓合宿ではないか、などと思ってしまうのですが。彼女には、クライミングは肉体的なものだけでなく、精神的なものでもあるという事で、「クライミングの美しさ」にはまるのだと言います。 このクライミング・ホリデーのサイトは こちら 。 彼女がトレーニングで行っているインドア・クライミングのサイトは こちら 。 彼女から送られてきたこれらの写真を、だんなに見せると、彼は一言 She is as tough as old boots! 彼女は、古いブーツのようにタフだ! スタミナのある強い人を表現する英語の慣用句です。時に、肉などの食べ物を表現するときに使う事もありますが、その際は、噛み切ることができないほどかたい、の意味になります。チャップリンの映画「黄金狂時代」(The Gold Rush)の、ブーツを煮て食べる場面を髣髴とさせるような表現です。 彼女に言わせると、「いやー、やっぱり、おニューのブーツのほどタフじゃないわよ。」 インドアのクライミングの仲間も、このホリデーの参加者も、やはり、30代が圧倒的に多いそうで、50代でニュー・ブーツ達と一緒に登るのは、それだけで快挙かもしれません。次回は帰国の際に、日本の岩にトライする為、岩登り講習会に申し込み済み。伊豆にて、Sea Wall Climbingです。また、来年の

息をひそめて冬を待つ

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人恋しと泣けば十三夜 月はおぼろ淡い色具合 雲は月を隠さぬように、やさしく流れ 丸い月には流れる雲が ちぎれた雲が良く似合う 風がさわぐ、今や冬隣り 逃げるように渡り鳥が行く 列についてゆけない者に、また来る春が あるかどうかは誰も知らない ただひたすらの風まかせ 神無月に僕はかこまれて 口笛吹く、それはこだまする 青い夜の空気の中に、生きてる者は 涙も見せず笑いも忘れ 息をひそめて冬を待つ 井上揚水の 「神無月にかこまれて」 の歌詞です。 また一年が過ぎた、と感じるのは、師走よりこの季節です。神無月に囲まれて、息をひそめて冬を待つのは、動物だけでなく、人間も。 初霜のうわさが流れ、スコットランドで雪の予報が出、毎朝、庭の芝は露にぬれ、昨日の夕方は外の空気が冷たく、吐く息が白かった。そして、昨夜は夜一度中起きたとき、素足が冷たく。 そろそろ、まだ踏ん張って咲いている夏の花たちを始末して、球根を植えたほうが良いものかどうか悩み。ここ2,3ヶ月、野原や森林に沢山食べ物が見つけられたためか、庭から姿を消していたブラックバード達を、ちらほらと見かけるようになる。彼らの大半に、また来る春があるように、餌出しをそろそろ開始しようか・・・。 イギリス在住の白鳥 とは別に、冬になると、シベリアの白鳥たちが、この国へ渡ってくるのですが、昨日のニュースでは、彼ら、例年より3週間も早く、イングランドに上陸し始めたということ。これは、長く厳しい冬の前兆である・・・などとありがたくない事を言っていました。 ただ、この季節の快晴の朝は、一段と澄んだ空気の中、木々の葉の一枚一枚がはっきり見えるほど光がまぶしい時もあり。そんな中を歩くのは、非常に気持ちが良くもあり。口笛ふく、それがこだまする・・・そうそう、そういう感じの空気の張りです。 鮮やかに変わった木の葉の色は、夏への別れの最後のショーといった感じです。花火を揚げてファンファーレを鳴らして、また去って行く一つの季節を、見る者の記憶に焼き付けて。だんなが、本日2回目の退院で家へ戻ります。再び11月に病院へ戻る前に、何度かの散歩で神無月のショーを満喫することにします。 *一番上の絵は、ヴィクトリア女王のお気に入りの画家で、動物画に優れたエドウィン・ランドシーア(Edwin Landseer)のThe Sactuary。牡鹿が、狩人の追跡から逃れき

オスカーとルシンダ

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数日前に今年のブッカー賞(Man Booker Prize)が発表になりました。ブッカー賞は、イギリス連邦に属する国々、及びアイルランドとジンバブエの作家による、英語で書かれた長編作品に与えられる文学賞で、過去には、日本人になじみのところで、カズオ・イシグロ氏の「日の名残り」(The Remains of the day)なども受賞しています。 過去2回すでにブッカー賞を受賞したオーストラリア作家ピーター・ケアリー氏が、最新作「Parrot and Olivier in America」で、再びノミネートされ、これでまた、受賞すると、過去最多数の3回受賞になると、話題となっていました。残念ながら、今回は賞を逸したものの、今回ノミネートされたものの中で、私は一番読みたいという気になった内容のものでした。 やはり彼による、1988年ブッカー受賞作の「オスカーとルシンダ」(Oscar and Lucinda)の映画化されたものを、とても良いという話は聞きながら、見ないまま月日が経ち、原作はもちろん、映画も未だ見ていませんでした。映画と原作、どうしても違いはあるでしょうが、原作を読むより早いので、これを機に、先日、やっと映画を見てみました。とても不思議な筋書きです。 映画は、レイフ・ファインズとケイト・ブランシェットの主演。 19世紀半ば、イギリスのデボンでプリマス・ブレスレンという保守的で厳しいキリスト教派に属する父の元に生まれたオスカー。クリスマスの日に、プディングを召使に食べさせてもらっていると、「こんなものは、悪魔の食い物だ」と叱咤するような固い父。オスカーは、そんな父の意に背き、またプリマス・ブレスレンにも背を向け、イギリス国教会を選び牧師となる。風変わりな彼、友人に競馬に連れて行かれてから、すっかり博打に熱をあげるようになり、やめられない、とまらない。かけで稼いだ金は、自分の生活に最低限必要なだけ取って、残り全てを貧民のために寄付してしまう。 一方、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズでのびのび育ったルシンダ。子供の頃、ガラス細工に魅せられ、両親がなくなり、大きな遺産を相続すると、シドニーのガラス工場を買い取り経営を始める。当時の社会のしきたりやルールを破る、奔放で型破りな彼女が、ガラスの他に熱を上げるのは、博打。特にトランプの博打

ボリス・バイクでゴー!

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ロンドンの中心地(ゾーン1内)での、貸し自転車制度が始まってから、約2ヶ月半が経ちました。 どかっとして、スクーターにも似た風体の、この自転車は、現ロンドン市長、ボリス・ジョンソンの名をとって、ボリス・バイクと呼ばれています。普通の貸し自転車と違い、借りた場所に自転車を戻す必要がなく、ロンドン中心地に点在するドッキング・ステーションのひとつに戻せば良いというのが便利。市内、ひとつの場所から別の場所への移動に、バス、地下鉄を使う代わりに、ボリス・バイクで行こう・・・となるわけです。 パリでは、ロンドンより前から、こういった貸し自転車システムが導入されており、ロンドンも遅ればせながらのスタートとなりました。当初は、失敗するのではないかという噂もあったのですが、どうしてなかなか、着実に使われているようです。写真の様な、ドッキング・ステーションも、車道を果敢にボリス・バイクをこいで突っ走っている人も、徐々に、見慣れたロンドンの毎日の光景と化していっています。ドッキング・ステーション、バイクともにカナダ製。ロックのシステムは、パリのものよりも優れていて、盗まれる心配は少ないと言います。 現段階では、使う前にオンライン登録が必要で、ふいっと思い立って乗る事はできません。お値段は、まず、1日、1週間、1年など、期間によって、アクセス料金(例:1年は45ポンド)を払い、その後、使う度、使用した時間に応じて料金が取られます。30分までが無料、1時間までは1ポンド、1時間半は4ポンド、云々といった感じ。 昨日のイブニング・スタンダード(ロンドンの地方紙)によると、今のところ、9万4千人のロンドナーが、ボリス・バイクに登録し、週日1日の平均使用回数は約2万回(自転車1台につき約3回以上使用される計算)、ほとんどの使用が短時間で、93%の使用が30分以下の無料ライドだそうです。そして、ボリス・バイク使用者の5人に1人は、今までロンドンでサイクリングをしたことがなかった人。ロンドンのサイクル熱を上げるのに貢献している模様で、自転車ショップが繁盛しているとか。これをきっかけに、「自転車に乗ろうと」と思う人が増えている、それは、これからの世の中、良い傾向でしょう。でも・・・ ハイド・パークやケンジントン・ガーデンズなどの公園内なら、私もちゃりで、と思ったりもしますが

髪結いの亭主

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これは、ふわっとやわらかな感じの画像も気持ちの良いフランス映画でした。官能的などと言われながらも、いやらしさも無いのです。 いつも、映画の原題と邦題を比べて、訳し方や、翻訳者の思い入れの強い意訳をしたものの文句を言ったりしていますが、私、この「髪結いの亭主」という邦題の語感が好きです。(フランス語原題は、Le mari de la coiffeuse。英語の題名:The Hairdresser's Husband。)同じ意味でも、「美容師の夫」などとやるより、ずっと雰囲気が出て、映画の感じにあっています。 子供のころ行きつけだった床屋さんのふっくらした女性に憧れていたアントワン。大人になったら、髪結いの亭主になりたいと夢抱く。父に将来どうしたいんだ、と聞かれた際、「髪結いの亭主」と答え、殴られる場面は愉快。 母親が編んだ、ボンボンのついた毛糸の海水パンツをビーチ・ホリデーでいつもはかされていた、というアントワンの子供時代のエピソードには、子供のころ、親の変な趣味のため、ちょっと恥ずかしいものを着せられたりしていた思い出がある人には、こそばゆくも、なつかしい気分がするかもしれません。私は、海水パンツではないけれど、冬に、お花の刺繍入りの毛糸のパンツなぞをはかされていましたっけ。 大人になってから(というよりかなりおじさんになってから)、ヘアサロンを経営する美女マチルダにいきなり求婚したところOKを受け、みごと夢がかなう。その後、他者とはあまり関わらない二人だけの、幸せな日々。 このヘアサロン、こんなにお客少なくて、経営成り立ってるのかな、などと心配もしたりして。それにアントワンの昼の日程といったら、サロンの椅子に座って、愛する奥さんを眺める事と、クロスワードパズルをすることくらい。退屈しないんでしょうかね。彼のもうひとつの情熱は、アラビア風の音楽に合わせて妙な踊りをする事。 平和に流れる時の裏にあるのが、このマチルダという、つかみ所の無い女性が、静かに微笑みながらも持つ、「自分もいつかは老いてしまう、現在の幸せも、アントワンの自分への愛情も、いつかは消えてしまうかもしれない」という不安。この映画の思い出のせりふは、やはり、「ヨーグルトを買いに行ってくるわ。」・・・ある日、いきなり雨の中を飛び出していき、自殺をし、戻らぬ人となるマチルダ

愛しい人が眠るまで Truly, Madly, Deeply

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若くして亡くなってしまったアンソニー・ミンゲラ監督が、イングリシュ・ペイシェントを作る数年前、こんな心温まる小作を作っていたんです。観客を笑わせたり泣かせたりしながら、最愛の人を失ったひとりの女性が、徐々に、立ち直り、新しい人生を辿り始める過程を追っていきます。アカデミー賞というのも、時にあまり当てにならないものがあります。私は受賞作「イングリッシュ・ペイシャント」より、あまり知られていない、こちらの方がずっと好きです。 セロ奏者の彼、ジェイミー(アラン・リックマン)が死んでしまった後、スペイン語の通訳者のニーナ(ジュリエット・スティーブンソン)は落ち込みもはげしく、なかなか立ち直れない。そこへ、ジェイミーは幽霊として、彼女のもとへ戻ってくる。 最初は、狂喜したニーナ。けれども、ぽろぽろと問題が出始める。ジェイミーの幽霊友達が、居間でビデオを見たりして、いりびたりはじめる。始終寒くて仕方が無いジェイミーはセントラルヒーティングの温度をぎりぎりまで上げ、部屋は蒸し風呂状態。家具の配置なども、幽霊友達と変えていく。ニーナは段々、死人と共に住む難しさを感じていく。この幽霊友達の様子も、彼らの映画お宅ぶりも笑わせてくれます。 そして、新しい出会いがあったニーナ。 ジェイミーとニーナが最後に二人で語り合うシーンで、ジェイミーがニーナにスペイン語の詩、Pablo Neruda作の「La Muerta」(亡き女性)の一節を暗誦してニーナに訳してくれと頼みます。このシーン、とても良いのです。簡単な詩の訳は、 ゆるして欲しい。 もう貴方がいないのなら、 もう貴方が死んでしまったのなら、愛しい人、 私の心には枯葉が舞い落ち、 私の魂には日夜雨が打ち続ける。 私の足は、貴方の眠る場所へ向かおうとするが、 私は、生き続けなければならない。 詩の原文は、 こちら 。 「あんたのスペイン語のアクセント・・・ひどい・・・。」などと憎まれ口をききながらも、涙がうるうるしてくるニーナ。 Uチューブで見る、ジェイミーがニーナに詩を暗誦するシーンは こちら 。泣かせてくれます。 主人公二人が、ちょと風変わりでいながら、隣に住んでそうな感じのキャラクターなのがいいです。ニーナの新しい彼氏も、美男子でないところに、現実味。イギリス舞台でたたきあげた、

デーツとチーズの関係は?

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かなり昔、夕食に呼んでもらった家で、食事の後のコーヒーと一緒に、こんなものが出てきました。デザート皿に載せられたデーツとカマンベールチーズ。デザート用ナイフとフォークでお上品に切っていただきました。メロンに生ハムのコンビネーション同様、甘さと少々の塩味が微妙に美味しく、デーツはこういう食べ方もあるのかと感動したのでした。デーツとチーズの関係は・・・Excellent! 手持ちの、食べ物百科事典をめくってみました。 dates(デーツ)は、date palm(ナツメヤシ)の木になる実を乾燥した物。ナツメヤシはかなり長寿の木だそうで、放っておくと30メートルほどの高さまで成長するそうですが、花と実は、木のてっぺんに実るため、商業用の木は、収穫の際の実用性から、15メートルほどに達すると切ってしまうそうです。実は大きな房に付き、実が沢山付いた一つの房は10キロ以上の重みがあると言います。1本の木は1年で、平均50キロほどの実をつけ。 デーツは、エジプトやメソポタミアでは古代から食されており、ローマ人たちもお気に入りだったようで、ローマ帝国時代の調理の本にも出てくるそうです。現在の生産国は主に、エジプト、イラク、イラン、サウジ・アラビア、北アフリカ、パキスタン、ペルシア湾沿いの国々。南スペインでも生産可能だそうですが、それより北になると育たないか実をつけない、南国育ち。米のカリフォルニア辺りでも、取れるそうです。 デーツの実は、たんぱく質、ビタミンA,Bを含み、アラブの遊牧民などは、長期間、デーツとミルクだけで生活する事ができるのだそうです。デーツとチーズも栄養価的には、遊牧民ダイエットと同じでしょうから、健康には悪くないかもしれません。 先週、マーケットでデーツが売られていたので、沢山買い込みました。賞味期間は来年12月までと長持ちですから、買いすぎてもOK。1パック1ポンドはお買い得です。デーツの実のなる房をイメージして、写真の様にパックされているものが一般的。これはチュニジア産でした。 熱いコーヒーを入れて、一人、ラジオを聞きながら、デーツとカマンベールのデザート・タイム。う~ん、美味。そして、気分はアラビアのロレンスなのです。

ダディー・ロングレッグスと歩く海辺

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この1週間、だんなが一時退院で家にいたので、良い空気を吸って軽い運動をしようと、一緒に海岸沿いの散歩に出ました。雨の多かった週で、この日も、午前中はしとしと、どんより、午後やっと雲が薄くなり、出かけるなら今だ、と出発。 歩き出した時は、あたりは霧がかかったようで、景色は幻想的。 全くの無風で、水面は波もほとんどたたず、所々に止まるボートの姿を映し。足を伸ばせば、そのまま水上を歩いて行けそうな気さえします。 河口から海岸線に沿って、どこまでも続く遊歩道を辿っていると、何匹ものダディー・ロングレッグス(Daddy Long-Legs: ががんぼ)が空中を飛んでいました。いや、飛んでいる、というより、泳いでいる、または浮遊していると言ったほうがいいような飛び方で、どこへ行くのか目的もないまま、ふわふわと浮いている感じでした。海底で、小エビが海流に身を任せている様子にも似て。 この季節、うちの庭でも、ががんぼは沢山みかけ、勝手口などを開けておくと室内にも入ってきます。大きな蚊にも似た姿ですが、刺される心配がないのは一安心。ただ、捕まえて外に出そうとすると、足が簡単にもげてしまうのが、困りものです。とかげのしっぽ同様、天敵に捕まりそうになった時、逃げられるよう、足がすぐ取れるのだそうですが、とかげのしっぽと違い、また生えてくることはないそう。最近は、上手く羽を掴んで外へ放り出しています。 成長したががんぼは、無害で、花の蜜などを吸うらしいですが、レザージャケット(leatherjacket)と呼ばれる幼虫の頃は、地下で植物の根をがぶがぶ食べる害虫で、ガーデナーの嫌われ者です。 ちなみに、米のジーン・ウェッブスター作の物語「足長おじさん」の英語の原題は、「Daddy Long-Legs」ですが、米では、ダディー・ロングレッグスは、ががんぼではなく、足の長い蜘蛛のような姿をしたザトウムシをさすのだそうで、大西洋を渡ると、昆虫は昆虫でも違うものとなるようです。孤児院育ちのジルーシャの教育費を出してくれる謎の男性。ジルーシャは、彼の姿は知らず、彼の足の長い影を見ただけ。そこでつけたあだ名が、「Daddy Long-Legs」。 歩いているうちに、まぶしいほどに、日が照ってきました。物体の輪郭もくっきりと見え始め。ががんぼ達は、日の光の中でも、飛ぶスピードをあげるわけでもなく、のんびり