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オレンジポマンダーを作りましょ

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クリスマスは、例年、さほど大騒ぎをする方ではないです。が、あまりに何もしないというのもスクルージみたいですので、多少、室内の一角を、それらしく飾ることはします。ただし、飾ると言っても、プラスチック等でできた飾りや、ピカピカ光る室内イルミネーションなど、クリスマスシーズン後、リサイクルもできず、処理に困るごみと化すものにお金をかけたくない・・・というのは基本にあります。ですから、大体、庭の植物を切って作る クリスマスリース や、 室内用ヒヤシンスの鉢植え を何個か飾る、という比較的大人しい感じのものとなります。 今年は、もう少しにぎやかにしてみようと、オレンジポマンダーを作ることにしました。ポマンダー(pomander)は、英和辞典で見ると、日本語で「におい玉」と訳されています。古いフランス語のpomme d'ambre(琥珀のりんご)から派生した言葉ということです。中世には、球形のケースに香料を入れて、身に着けたもので、この香料を入れるケース、またその中身の香料共に、この名で呼ばれていたようです。 オレンジに、香辛料のクローブ(clove)を突き刺して模様を描くオレンジ・ポマンダーは、クリスマスとは相性ばっちり。見た目綺麗で、香り良く。クリスマスを香りで描写するとしたら、何と言っても、このオレンジとクローブの混ざり合った香りでしょう。 東インドネシアが原産、現在ではインドネシアの他、タンザニアなどでも栽培されている香辛料としてのクローブは、クローブ(チョウジ)の木の、まだ開かぬ花のつぼみを乾燥させたもの。見た目は、茶色の小さな釘のようです。開花は年に2回、こんな小さな花のつぼみを摘むのは、なかなかデリケートな作業でしょうね。13世紀に、すでにマルコ・ポーロは、東インドネシアで、クローブのプランテーションを見たということです。 さて、オレンジポマンダー作成の材料を仕入れます。まず、オレンジ(30ペンス)、クローブ(35グラムの瓶で約2ポンド、瓶の半分くらい使いました)、リボン2メートル(98ペンス)、あとは、家にあった、頭の小さいマチ針と、竹串。ということで、1個作るのに、大体、2ポンド30ペンスと、安いものです。別に、リボンをかける必要はないので、リボンなしでは、更に1ポンド30ペンス。ただ、リボンをつけると、つる下げることができる、とい

スノーマンとスノードッグ

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テレビ用短編アニメ映画として、1982年のクリスマス・イブ放送されて以来、毎年、イギリスのクリスマス期のテレビの常連となっていた、 「スノーマン」 (The Snowman)ですが、30年経った今年になって、遅ればせながら、この続編アニメ「スノーマンとスノードッグ」(The Snowman and The Snowdog)が、クリスマス・イブに放送されると話題になっています。子供でもあるまいに、恥ずかしながら、私、これ、わりと楽しみにしているのです。 ペットの犬の死を悼む少年が、自宅の床下に隠されていた靴箱を見つける。箱を開けると、そこに入っていたのは、緑色のマフラーと、ある少年と雪だるまの写真。この家は、30年前に、スノーマンを作って夢のような一夜を過ごした少年が、かつて住んでいた家。この過去の写真に触発され、少年は、雪だるま(スノーマン)と、雪の犬(スノードッグ)を庭に作る。そして、動き出したスノーマンとスノードッグと少年は、第1作目同様、空へ飛び立ち冒険旅行へ。今回は、ロンドン上空を飛ぶそうで、ビッグベン、ロンドンアイや、OXOタワーなどを見下ろす飛行シーンとなるようです。 手描きアニメは、手作りの暖かさはあるものの、手間はかかります。24分のアニメに、なんでも40人のスタッフが20万枚の絵を描き、色付けしたということ。コンピューターアニメものより、人件費も高いでしょうから、金もかかったでしょうが、すでに10カ国以上の国々への販売が確定しているという話なので、いずれは、もとは取れて、それにおまけがついて返ってくるのかな。こういうアニメの手描きをする仕事なども、そのうちに、先進国内で行うには高くつきすぎるので、人件費の安い国に回す・・・などという事態もでてくるのでしょう。 この「スノーマンとスノードッグ」でも、最後に、スノーマンは溶けてしまう。ただし、スノーマンと一緒に訪れたサンタさんからもらった犬の首輪のプレゼントを、スノードッグの首につけると、スノードッグは本物の犬に変身。少年のペットとして残ることになります。と、ストーリーは、犬を除けば、まるで第1作とそっくりなので、続編というより、ヴァリエーションといったところ。 30年前は、田舎のど真ん中にあった少年の家は、今は住宅地の真ん中にあり、オリジナルの少年は、両親が二人ともいたのに、「

バンカーズ・ランプ

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夕方の4時ともなると、薄暗くなるイギリスの冬。 先日は、ほぼ一日、晴れない霧がたちこめ、見慣れた町の公園も、摩周湖のごとく、いつもと違ったミステリアスな雰囲気を漂わせていました。こうした霧の中を歩くのも、ある意味では楽しいのですが、日が暮れてからは、ミステリアスでロマンチックな雰囲気も、切り裂きジャックが出そうな不穏な雰囲気と変わるので、夜までうろちょろすることも無く、さっさと暖かい室内へ戻り、読書やらをする時間が長くなる時期でもあります。今朝は、この辺りでは、今冬初めての雪まで降り、寒さもひとしお。 以前から、夜の読書用の気の利いた卓上ランプが欲しく、昔ながらの緑のガラスのシェードのついたバンカーズ・ランプ(バンカーズ・ライト)が気になっていたところです。バンカーズ・ランプは、名前の示すとおり、銀行員や、会計士など、卓上で細かい物を読む必要のある職業の人物が、ぎらぎらライトから、この緑のシェードで目を守るために使っていたもので、いまだ古めかしい図書館などにも供えてありそうな代物です。 こういうものは、インターネットで買いたくないので、先月、照明の専門店へ足を運び、「バンカーズ・ランプあります?」カウンターのむこうに座っていたおじさんは、それに答えて、はじかれたように立ち上がり、びっくりするようなスピードで、バンカーズ・ランプの3つのモデルが飾っている場所へ連れて行ってくれました。さほど大きな店でもないのに、3つモデルが置いてあったのは、この照明、今でも根強い人気があるのでしょう。一番気に入ったものを、さっそく買って戻りました。65ポンド。こういうのも、今や、メイド・イン・チャイナですが。 こうして購入すると、映画などに、このバンカーズ・ランプが映っていると、すぐ目に留まるようになってくるものです。最近DVDを買って見た007の「カジノ・ロワイヤル」のワンシーンで、卓上のバンカーズ・ランプに気がつき、また、ジャマイカのボブスレーチームを話題にした映画「クール・ランニング」をテレビで見たいたときに、ジャマイカのオフィスにまで、このランプが置かれていたのに気づき。 部屋の電灯をつけずに、これだけで、卓上は十分明るくなる上、やさしい緑色がほおーっと浮き立つ様子は、なかなかです。 暗い室内で、卓上だけが明るい方が、やっている事に集中できるもの

キャサリン妃妊娠と王位継承

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キャサリン妃おめでたのニュースが流れました。まだ12週間ほどで、かなり強烈なつわりに悩んでいるという話ですが、王位後継者の妃たるもの、「生まねばならぬ。生まねば失敗。」のプレッシャーが取れただけでも、ほっと一息というところでしょう。 また、現イギリスでは、ヘンリー8世の妃達のように、「男児を生め」というプレッシャーもない。後のエリザベス1世を生んだものの、男児を生むことに失敗し、首ちょんぱ、というアン・ブリンのような女性もいたわけですから、昔はプレッシャーどころか、まさに生と死の問題となることもあったので、思えば遠くへ来たもんだ、ですね。 さて、現エリザベス2世は、妹マーガレット王妃が女の子で、他に男兄弟がいなかったため、女王となった人です。これが、もし彼女に弟が生まれていたら、こちらに、王位継承の優先位が行っていたわけです。エリザベス2世が君臨しなかったイギリスなど、今では想像できませんが。 この少々、時代遅れで、社会の現状を反映していない王位継承法を変え、性別に関わり無く、第1子が必ず継承権を得る、という方針が、去年の秋にはすでに、イギリス連邦の国々の首相の間では承認され、あとは、それぞれの国会で、法が通るのを待つのみ。この改正と共に、王位継承者がカソリック信者と結婚することも認められるようになる予定ですが、カソリック信者自身が、王位継承することができるようになるのは・・・まあ、おそらく、長い間ないでしょう。 ですから、現在キャサリン妃のお腹にいる第1子が、男であれ、女であれ、めでたく生まれた暁には、チャールズ皇太子、ウィリアム王子に次、王位継承第3位となります。もし、第1子が女の子で、後に男兄弟ができても、先に死んでしまわない限り、継承順は変わりません。エリザベス1世、ヴィクトリア女王、エリザベス2世と、女王の国のイメージが強いイギリスで、それこそ今更ながら、という感じではあります。「新しい歴史の第一歩を目撃したいから、ケイトの子供が女の子だといいな・・・」という人もかなりいるようで、今度は逆に、「女児を生まねば」のプレッシャーが多少かかってきているような気配も無きにしも非ず。 (こうして、モダンになろうとする王室に相反して、先月、イギリス国教会では、まだ、女性の主教の選出を認めないという、時代を反映しない取り決めがなされたばかりです。

007 スカイフォール

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イギリスでは、ハーフターム休暇(学期中間期の1週間の休み)の開始に合わせて先月末に公開された、007の新作「スカイフォール」ですが、やっと見に行ってきました。ボンド映画50周年を飾るこの作品、サム・メンデス監督により、今までで最高のボンド映画、などと称する批評家もいた上、ロンドンのシーンも沢山登場すると聞き、映画館で見たいと思っていたのです。 (以下、ざっと筋を書きますので、まだ見ておらず、最後どうなるか知りたくない人は、読むのやめましょう。) タイトル前の皮切りシーンは、イスタンブール。世界各国のテロリスト組織に潜伏するNATOの諜報員たちの名前のリストを収めたハードディスクがコンピューターから抜き取られ盗まれる。盗人を追いかけるは007(ダニエル・クレイグ)と、同僚の黒人女性イブ。街中のカーチェースの後、走る電車の屋根に飛び降りた007は盗人と取っ組み合い、車で電車の行方を追っていたイブは、ロンドンのM(ジュディ・デンチ)から、盗人を射撃するようにと命令を受け、引鉄ををひく。ところが、電車から落ち、川の中へどぶんと落っこちたのは、007の方。盗人は電車に乗ったまま逃げ切る。「あーあ、007、さっそく死んじゃった」というところで、アデルの歌うテーマ曲に合わせてのタイトルとなります。アデルの「スカイフォール」は、いかにもボンド映画という感じのメロディー。この方、声もレトロっぽいですし(レトロっぽい声などというものがあるとしたらですが)。 当然、映画の最初に007が死ぬわけも無く。ちゃんと現地の女性に助けられて、傷を癒しながら、酒と女の日々をすごしていたのであります。一方、盗まれたリストの中から、毎週の様に、数人ずつ、諜報員達の名がインターネットに公表され、顔が割れたものの何人かは、殺害される、という事態に陥い、ロンドンでは、MI6とMが、この不祥事のためごーごーの批判を受けることに。ある日、バーで、MI6のオフィスが、大爆発するニュースを見た007、愛国心がくすぶり返し、ロンドンへ取って返すのです。 リスト盗難とMI6爆破の背後にいる人物を捕まえるため、ボンドは、上海へと飛び、やがて、かつてのMI6のスパイ、ラウル・シルヴァがこの事件の裏にいるとわかる。香港で活動をしていたシルヴァは、いささか信用のできぬ者として、Mに見捨てられ、中国で拷問を

ピルグリム・ファーザーズと感謝祭

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1620年、イングランド、デボン州プリマスを出発した メイフラワー号 。乗組員の多くは、ピューリタン(清教徒)と称された、厳格なキリスト教プロテスタントの信者達。神は絶対であり、王者の上に君臨すると信じる彼らは、当時の王、ジェームズ1世に疑惑の眼を向けられていました。そうした一部のピューリタン達は、糾弾を恐れ、信仰の自由を求めるため、大西洋を渡って新地へと向かう事に。 2ヶ月かかったぎゅうぎゅうずめの船旅の後、たどり着いたのは、北米、現マサチューセッツ州プリマス沖の有名なプリマス・ロック。この北米プリマスに住んでいた原住のインディアンたちは、数年前に、フランス人の漁師達からうつされた黒死病(ペスト)により、ほとんど死に絶えており、ピューリタン達の観点からすれば、「神がわれ等のために、この土地を空けてくれた。」といったところ。 それでも、彼らがこの地に辿りついたのは、寒い冬迫る12月とあって、メイフラワーの乗客の半分は、この最初の冬に死亡する事となります。生き残ったものたちは、黒死病で死んだ原住インディアンたちが貯蔵してあった穀物等を食べ細々食いつなぐのです。 そして、近郊のインディアン部族の数人から、この比較的土壌の貧しい土地で、いかに穀物、野菜を栽培するかのノーハウを伝授してもらい、翌5月に植えた穀物を、11月には見事に収穫。とくに英語を多少喋ったスクアントという名のインディアンには、かなり世話になるのです。新移住者達は11月の終わりに、無事穀物を実らせ、生き延びることができたことを感謝し、祝うため、スクアントを含め約100人ものインディアンたちも招き、七面鳥などのご馳走を用意し、集った・・・これが、アメリカで毎年11月の第4木曜日に行われる祝日、Thanksgiving Day(サンクスギビング・デー、感謝祭)の起源。 こうして始まったプリマス植民地ですが、比較的内向き社会で、外部の人間との結婚などもあまりなく、数年経っても人口はさほど増えないまま、やがて、近くの大きなマサチューセッツ植民地へ組み込まれることtなります。 余談とはなりますが、マサチューセッツ植民地で17世紀後半に起こるのが、悪名高き 「セーラムの魔女狩り」 。糾弾を逃れてやって来た者達が、今度は、省みることなく他者の糾弾に走る・・・良くある話で、コナン・ドイルの 「緋色の

ドレイク船長とゴールデン・ハインド号で世界一周

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1577年12月、フランシス・ドレイク(Francis Drake)船長の船、ゴールデン・ハインド(Golden Hind、黄金の雌鹿)は、プリマス港を出発。2年10ヶ月かかった、世界一周航海の始まりです。ドレイクは、イギリス人としては初めて、世界では二番目に、世界一周航海を果たした人物。 プリマスから西へ舵を取り、大西洋を渡り、南米西岸に出て、それを北上。カリフォルニア沖から、今度は太平洋を渡り、インドネシア経由で、喜望峰を回り、西アフリカ沖を北へ。その後、再びプリマス港にたどり着くのは1580年11月3日。ドレークが、スペイン無敵艦隊を蹴散らす8年前の話です。 エリザベス1世のイングランドは、徐々に頭角を現してきたものの、まだまだ、フェリペ2世のスペインなどに比べれば、ほんの小国。フランシス・ドレイクのような、エリザベス女王の「海の犬」たちは、女王からの許可を受け、金銀を積んだ、スペイン船やポルトガル船を対象に、おおっぴらな海賊行為を働いていました。いわば、彼らは、国家のお墨付き海賊であったわけです。ドレイクが、海賊行為を始めるのは、遡ること、1571年。西インド諸島やパナマ沖で、スペイン船を襲って、そのお宝を頂戴。 この世界一周航海でも、ドレイクは、やはり、ペルー、パナマ沖で、スペン船を襲撃。10トンもの銀を盗み、後、東南アジアで、当時、イングランドで高価であったスパイスを買い込み、帰途に着くのです。よって、ドレークの航海に投資した人間には大当たりとなりました。当然、エリザベス女王の懐も、これでかなりあたたまり、女王のこの年の収入はドレイクのおかげで、通常の2倍だったという話。 到着した翌年の1581年には、エリザベス女王は、テムズ川沿いデットフォードに停泊したゴールデン・ハインドを訪れます。そして、船上にて、一儲けさせてくれたドレイクに、騎士の称号を与えるのです・・・サー・フランシス・ドレイク!これには、スペインからの非難ごーごー。何と言っても、スペインにとって、ドレイクは、騎士どころか、凶暴な海賊の親玉、人呼んで「ドラコ」(ラテン語でドラゴンの意)ですから。 エリザベス女王のみならず、ゴールデン・ハインドには、世界一周した船を見ようと、見物人が押し寄せたようです。そして、それから数百年経った現在も、世界各国からの観光客が、ゴ

赤い実を食べた

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赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた 白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い 白い実を食べた 青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた 北原白秋が作詞した童謡、赤い鳥小鳥の歌詞です。 黒い鳥が赤い実を食べる様子もなかなかです。写真の黒い鳥は、もちろん、イギリスではおなじみのブラックバード(クロウタドリ)。赤い実は、さんざしの実です。 自宅から駅へ向かう小道沿いには、数本のさんざしがはえていますが、赤い実のなる頃、ブラックバードたちが、さかんに、枝にとまって食事をしている光景に出くわします。(このさんざしが、5月に花を咲かせている様子は、 こちら まで。) 今年は、一般にじめじめとして、寒めの春夏であったため、蜂や蝶の数も少なく、うちの庭のりんごの木は、この秋、ほとんど実をつけませんでした。受粉して、果物野菜の生産の手助けをしてくれる蜂たちの偉大さをひしひし感じ、その数が、減り続け無いようにと望むばかり。 悪天候の打撃を受けたのは、虫ばかりでなく、当然鳥も。タイミング悪く、寒い期間に生まれて育ったブラックバードの幼鳥が、雨に打たれたまま、じっと動かず気分悪そうにしていたのを見かけたのは、先月末。背後からしのびより、つかまえて、ぼろ布を敷いた箱の中に移しても、少々、ビービーと叫んだもののほとんど抵抗しなかったので、かなりもう弱っていたんでしょう。 りんごの木の下に箱を置いて、上から傘をさして、雨があたらないようにして、なんとか元気になってくれないかと思ったものの、箱の中で、うつらうつらと目を半とじにしていたこの小鳥、やはり1日が終わらぬうちに死んでしまいました。少なくとも死に際は、惨めに雨に打たれながらではなく、少しでも乾燥して暖かい思いをしてくれたかな、と考えるのが、ちょっとした慰めです。 死んだ鳥というのは、こういう、後ろにつっぱったポーズですが、死んだ後、体を前方に支える筋肉がなくなってしまうので、きっと、後ろにそってしまうのでしょうね。まだ幼鳥ですから、腹部などは、まだら模様。 ローズマリー の枝を添えて、庭の一番奥に埋めました。この庭に、死んだブラックバードの幼鳥を埋葬するのは、3回目です。 なんとか成長して幼児期をすりぬけても、待っているのは冬。昨日は、朝、ちらっと降った雨が、少々氷っぽく、一部

緋色の研究

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ロンドンの街路樹の葉の色も変わりつつある今日この頃。海を渡ったアメリカでは、米大統領選挙も近づいてきました。今のところ、オバマ、ロムニー、どちらに転んでもおかしくないような状況ですが、もし、ミット・ロムニーが勝利すると、初のモルモン教信者の大統領誕生となります。今でこそ、無くなったものの、モルモンは設立当時からしばらくの間、その一夫多妻制で悪評でした。 ジョセフ・スミスにより、1830年、ニューヨークにて設立されたモルモン教(未日聖徒イエス・キリスト教会)。信者の数が増えると共に、糾弾を受けはじめ、ニューヨークから移動し、一時は、イリノイ州ナヴーに落ち着きます。が、再び、地元非信者からの糾弾が始まり、1840年代、ジョセフ・スミスは暴徒により殺害。ブリガム・ヤングを新しいリーダーとして、信者達は、ナヴーを去り、更なる約束の地を求めて米大陸を移動し、やがてたどり着いたユタ州ソルトレイクシティーに定着、現在に至っています。 このモルモン信者達の、ナヴーを後にしての、聖地を求めての移動と、一夫多妻制、モルモン社会内の戒律を破ったもに対する残酷なしうちが題材になっているのが、コナン・ドイル作、シャーロック・ホームズの第一作目「A Study in Scarlet 」(邦題:緋色の研究)でした。 「緋色の研究」出版は、1887年。よって、モルモン開拓者達のソルトレイクシティーへの移動からから、まだ50年経っておらず、モルモンが、一夫多妻制の廃止を決める1890年以前に書かれた物語。モルモン信者達の社会が否定的に描かれているのは、当時、一般のイギリス人たちに、このキリスト教新派がうさんくさく見られていたためでしょう。 ホームズ第一作ですので、この小説は、従軍医師として、アフガニスタンから負傷して、イギリスへ戻ったワトソンが、旧友のつてで、アパートをシェアできる相手を探していたホームズに紹介され、2人で、ベーカー街のアパート、221Bを見に行き、大いに気に入り即決で借り、共同生活に入るくだりから始まります。ワトソンは、この新しい友人兼同居人の風変わりな習慣や生活ぶりに興味津々。やがて、彼の探偵という職業がわかり、ワトソンは、初めて、犯罪の調査に同行するのです。 南ロンドンの空き家で発見された死体は、アメリカ人ドレッバーのもの。外傷は無いものの、毒殺と読

チェス川沿いに見たもの

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先月、ロンドン北西部を流れるチェス川(River Chess)沿いのウォーキングに出かけ、地下鉄メトロポリタン・ラインのチェシャム(Chesham)駅から出発、コーリーウッド(Corleywood)駅まで歩きました。更にがんばってずっと行進し、もう一駅区間歩けば、 前回運河沿い を歩いた、リックマンズワース(Rickmansworth)駅までたどり着いたのですが、途中で、日が暮れかけてしまったので。 このウォーキングの途中、川の斜面に、段々畑の名残のような土地がありました。11世紀頃のイギリスは、現在より、かなり気候が温暖だったということで、葡萄を育成していたという話があります。まあ、今でも、大掛かりではないものの、イングランド南東部で育てた葡萄を使って作るワインなどもありますから。なんでもこの段々斜面は、昔、この気候が温暖だった時代の葡萄園だった、と言われています。チェス川周辺は、フランスのワイン産地などと同じくチョーク層で、葡萄園には適した地質ではあるわけです。実際、一番最初に、葡萄の木をイギリスに持ち込んだのは、やはりローマ人だったようですが。 段々畑を背に、草の上に腰掛けて、川を眺めながら一休みしました。今は、葡萄の木の形跡は無く、多くの牛が草を食んでいるだけ。友人は背後からしのびよってきた子牛に、ベロリと耳をなめられていました。 やがて、一頭の牛が、川辺に下りてきて、水を飲み始めると、我も我もと、何頭も後から水辺に近づき、そこで憩いのひと時を過ごしていました。 イギリス産ワイン・・・といえば、巷で、イングリッシュ・ワインと称されるものと、ブリティッシュ・ワインと称されるものが売られています。その2つの、一体、何が違うのか、という事を調査したテレビ番組を、先日見ました。それによると、イングリッシュ・ワインと呼ばれるのものは、正真正銘のイギリス産で、イングランドで育った葡萄を使って作られたワインで、お値段、やや高め。反して、ブリティッシュ・ワインは、ヨーロッパ(主にスペイン)から、シロップのような、葡萄の濃縮ジュースを輸入し、イギリスで発酵加工して、ボトルに入れて売り出しているものなのだそうです。よって、ブリティッシュ・ワインは、お値段かなり低いバーゲン価格ワイン。安いからと、ブリティッシュ・ワインに手を出すと、あまーくて、「こ

グリーン・トマト・チャツネ

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悪天候の夏とあって、今年育てたトマトは、ほとんど赤く熟さず、夏も過ぎようというのに、頑固に緑の顔のまま。 去年 は、7月にすでに毎日のように赤いトマトを摘んで食べていたのに。今後の天気予報を見てみると、20度を越す日は、もう、しばらくはやってきそうもないので、思い切って、グリーントマトをすべて収穫し、苗を抜き取りました。これで、また、ひとつのシーズンにさようならです。 収穫したグリーントマトを室内に移動させ、さて、これが全てちゃんと熟してくれることやら。山積みのグリーントマトをながめながら、人から「グリーントマトチャトニー(チャツネ)でも作ってみたら?」と提案された事が、頭をよぎりました。 チャツネ、またはチャトニー(chutney)は、もともとインドの食べ物です。手持ちの食べ物辞典によると、インドでのチャトニーのつづりは、古くはchutni、今はchatni。野菜や果物をスパイス、ハーブ類で調理し、ごはん等の淡白なものと一緒に食べる、いわば、日本の漬物、おしんこのようなものでしょうか。チャトニーは、大英帝国初期の時代から、インドへ渡ったイギリス人たちに、さかんに取り入れられていったそうです。インドのチャトニーの味は、すっぱいか、甘酸っぱいものを、イギリス風チャトニーは、嗜好にあわせ、甘味に重きを置く傾向があるということで、見た目は、ジャム。だから太っちゃうんですよね、こっちの人。インドでは、地域により、異なる材料を使い、たとえば、ココナッツのチャトニーなどは、南インドで主流だそうですが、トマトチャトニー(グリーン、レッド共)は、インドでも全域で食されるということ。 さて、それではグリーントマトチャツネを作ってみるかと、レシピを調べたところ、グリーントマトと刻んだたまねぎを塩にまぶし、一晩置いてから調理する・・・というのがもっぱらの感じです。「面倒くさいな」とずぼらな私の心がつぶやく。 フード・ジャーナリスト、テレビ・シェフの ナイジェル・スレーター氏のレシピ に行き当たると、彼のものは、この下準備なしで、即行で調理するものでしたので、これにしました。弁解しておくと、ずぼらな理由の他に、この人の書く食べ物の記事は好きだし、彼のレシピは以前にも、いくつかまねっこした事があり、美味しかったという理由もありです。彼のレシピが他のと違ったのは、即行である

ノーム達のビジネス・プラン

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だんなに聞かれました。「サウスパークのノームの巻、見たことある?どんな内容だったか覚えてる?」アメリカのテレビ・アニメ、サウスバークは、好きで時々見てましたが、ノームの巻?うーーーん、思い出せない。 だんなが何故そんな事を私に聞いたかというと、経済関係の記事を読んでいる時に、「これは、まるでサウスパークのノームの巻に出てくるアンダーパンツ・ノーム達が行うようなビジネスだ・・・」といったくだりがあったのだそうです。 ということで、二人で、純粋に、教養を磨くという崇高な目的のため、サウスパークのノームの巻を見てみました。 サウスパークのGnomes(ノームズ、邦題は「パンツの精とノーパンキッズ」・・・すごい翻訳だ・・・)の簡単なあらすじは、 サウスパークの住人達から、パンツが、どんどん盗まれるという事件が起こる。その原因は、ノーム達(森に住む小人達)が、金になるビジネスをはじめようと、人々からパンツを盗んで集めていたからであった。 リックサックのようなものをしょって、妙な歌をうたいながら、人々の家に現れ、パンツを盗んでは、森の隠れ家に持って帰り、それを山と積んで溜め込む彼ら、さて、そのビジネス・プランとは、 Phase 1  Collect underpants Phase 2  ? Phase 3 Profit 第1段階 パンツを集める 第2段階 ? 第3段階 収益 自分で何らかのビジネスを始めたい、と漠然としたアイデアを持ち、とりあえずは、これだけしてみようとパンツを集めたものの、そのあと、具体的にそのパンツをどうすればいいのかわからない。けれども、何らかの形で、結果的には大収入を得ることができるであろう・・・というもの。 また、このエピソード、平行して別のストーリーラインもあり、そちらは、小さなコーヒーショップのオーナーが、隣に巨大なチェーン店のコーヒーショップ、スターバックスならぬ、ハーバックスができてしまう事に反対していたものの、実際に、自分の店で出す、下水の様な後味のコーヒーより、チェーン店のコーヒーの方がずっと美味しいとわかると、大企業が悪で、中小企業がその被害者であるという、簡単な方程式はなりたたない、大企業は、それなりに良い商品を作って、ビジネスを広げたのだ、と開眼する、というもの。 確かに、アン

運河は続くよ、どこまでも

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「運河沿いの散歩だったら、アックスブリッジ(Uxbridge)とリックマンズワース(Rickmansworth)の間をグランド・ユニオン・カナルに沿って歩ける。わりといいよ。」と人から教えてもらい、さっそくこの区間を、友達と歩きに行ってきました。 グランド・ユニオン運河(Grand Union Canal)は、 前回の記事 にも言及したように、ロンドンとバーミンガムを結ぶ、いくつかの支流を持つ長い水路。お勧めしてもらった、アックスブリッジとリックマンズワース間は、両方とも地下鉄メトロポリタン線の駅から歩けるので、車を使わず、ロンドン中心部からも比較的便よく行けるのです。 アックスブリッジ駅で下車して、運河を見つけるまで、ちょいと人に道を聞いたりしましたが、運河にたどり着いてからは、どこまでも続く運河の脇を、ひた歩くだけです。 ただ、歩き始める前に、ボートに乗っていた女性に「リックマンズワースは、こっちの方向でいいんですよね。」とは、一応確認。女性は、「イエス」と言った後、少し経って、私たちがかなり離れてから、思い起こしたように、「でも、かなり距離あるわよ~!」と叫んでくれました。距離は、約7マイル。まあ、平地ですので、それほど疲れないでしょう。 ところどころにベンチも置かれていて、ちょっと一服もできました。ただ、歩く人より、ちゃりをこいで行過ぎる人の方が多かったです。 そして、さらには、ちゃりをこぎ行過ぎた人の数より、見かけた水鳥の数の方が多かった・・・。 馬に引かれた貨物ボートが、このあたりを行き来した古き日をしのばせるパブの看板が目に入りました。 道中、6つか7つの、水位を調節する水門(ロック)に出くわし。 やはりボート・ハウスはあちこちに停泊されています。 このボートの住人は、私がガーデンに置いてあるのと、まるで同じ、居眠りするドラゴンの置物を、ボートの上に飾っていましたので、同じ趣味を持つ人間のよしみで、写真をぱちり。 ボートの住人たちが作ったちょっとしたアートなども、道端ところどころ置いてありました。自転車のサドルや、その他もろもろの廃材を使って作った、この巨大トカゲが良かった。口から飛び出している舌は、自転車のチェーンです。 こちらは、材木を掘り込んだトーテンポールのよう