ドレイク船長とゴールデン・ハインド号で世界一周

1577年12月、フランシス・ドレイク(Francis Drake)船長の船、ゴールデン・ハインド(Golden Hind、黄金の雌鹿)は、プリマス港を出発。2年10ヶ月かかった、世界一周航海の始まりです。ドレイクは、イギリス人としては初めて、世界では二番目に、世界一周航海を果たした人物。

プリマスから西へ舵を取り、大西洋を渡り、南米西岸に出て、それを北上。カリフォルニア沖から、今度は太平洋を渡り、インドネシア経由で、喜望峰を回り、西アフリカ沖を北へ。その後、再びプリマス港にたどり着くのは1580年11月3日。ドレークが、スペイン無敵艦隊を蹴散らす8年前の話です。

エリザベス1世のイングランドは、徐々に頭角を現してきたものの、まだまだ、フェリペ2世のスペインなどに比べれば、ほんの小国。フランシス・ドレイクのような、エリザベス女王の「海の犬」たちは、女王からの許可を受け、金銀を積んだ、スペイン船やポルトガル船を対象に、おおっぴらな海賊行為を働いていました。いわば、彼らは、国家のお墨付き海賊であったわけです。ドレイクが、海賊行為を始めるのは、遡ること、1571年。西インド諸島やパナマ沖で、スペイン船を襲って、そのお宝を頂戴。

この世界一周航海でも、ドレイクは、やはり、ペルー、パナマ沖で、スペン船を襲撃。10トンもの銀を盗み、後、東南アジアで、当時、イングランドで高価であったスパイスを買い込み、帰途に着くのです。よって、ドレークの航海に投資した人間には大当たりとなりました。当然、エリザベス女王の懐も、これでかなりあたたまり、女王のこの年の収入はドレイクのおかげで、通常の2倍だったという話。

到着した翌年の1581年には、エリザベス女王は、テムズ川沿いデットフォードに停泊したゴールデン・ハインドを訪れます。そして、船上にて、一儲けさせてくれたドレイクに、騎士の称号を与えるのです・・・サー・フランシス・ドレイク!これには、スペインからの非難ごーごー。何と言っても、スペインにとって、ドレイクは、騎士どころか、凶暴な海賊の親玉、人呼んで「ドラコ」(ラテン語でドラゴンの意)ですから。

エリザベス女王のみならず、ゴールデン・ハインドには、世界一周した船を見ようと、見物人が押し寄せたようです。そして、それから数百年経った現在も、世界各国からの観光客が、ゴールデン・ハインドのレプリカを見に集まってきています。ロンドン橋を渡って、テムズ南岸を右手へ少し行ったところに停泊されている、1973年に作られたこのレプリカは、実物大で、実際に、世界一周航海の経験を持つ船。

船内は有料で入れ、船上の観光客は、昔のコスチュームを着けたガイドさんの話に耳を傾けていました。

私が、初めてこのレプリカを見て印象深かったのは、何と言っても、そのサイズ。思ったよりずっと小さいのです。当時は、人の寿命などは、現在よりずっと短く、死とはいつも隣り合わせであったとは言え、騎士であろうと、海賊であろうと、こんな小さい船に乗って、まだ未知の部分が多かった、7つの海を渡ろうなどと思う人物は、やはり、ドラゴンの肝っ玉を持った、怖いもの知らずでしょう。

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