投稿

12月, 2013の投稿を表示しています

モグラのスウィートホーム

イメージ
クリスマスが近づいてきています。当ブログの過去の記事で何回も言及している、児童文学 「たのしい川べ」 (Wind in the Willows)の中で、私の大好きなエピソードのひとつは、第5章「Dulce Domum」。「Dulce Domum」はラテン語。英語に訳すと「Sweet Home」。時期的にも、クリスマスの直前の話なので、この頃に思い出す事が多いエピソードです。 この章の話の筋は、 モグラは、春の気配に誘われて、外に飛び出し、川辺にて、川ネズミとめぐり合って以来、川ネズミの家に移り住み、そこで光溢れる外界での生活を楽しんでいたのです。そのまま、季節が移り、すっかり、自分の昔の地下の住処のことなどを忘れていたのですが・・・クリスマス迫るある寒い夕刻、川ネズミとモグラが、川ネズミ宅に戻るため早足で歩いていたところ、モグラの鼻に、いきなりなつかしい自分の住処の臭いが感じ取られるのです。電撃に打たれたように、いきなり過去の家での思い出が戻ってきたモグラは、家が近くにあると感じ、先を歩くネズミに呼びかけるのですが、急ぐネズミは、振り向かず、すたすた行ってしまう。仕方なく、ネズミの後を追い、しばらく歩いた後、モグラの様子がおかしいのに気付く川ネズミは、ちょっと休憩を取るのです。そこで、モグラは、こらえていた涙がどーっと出てくる。このくだりを初めて読んだとき、モグラに同情して、もらい泣きしました。 "I know it's a—shabby, dingy little place," he sobbed forth at last brokenly: "not like—your cosy quarters—or Toad's beautiful hall—or Badger's great house—but it was my own little home—and I was fond of it—and I went away and forgot all about it—and then I smelt it suddenly—on the road, when I called and you wouldn't listen, Rat—and everything came

ヤギのミルクでカプリチーノ

イメージ
もともと、食生活は、比較的健康なものを食べているつもりではいたのですが、だんなが白血病になってから、「あれはいいんじゃないか」、「これは良くないんじゃないか」と、色々と人からアドバイスを受けることも多くなっています。 今年の夏、大量生産されている牛乳というのは、案外、身体に良くない物も入っている可能性もあるのではないか、、、と人に言われ、以来、ミルクは、ヤギの乳に切り替えました。昔から、牛乳より栄養価が高いという話は聞いていたし、アルプスで ハイジ はヤギのミルクを飲んで、すくすく元気な子に育って、クララも、山の空気とヤギの乳で健康を取り戻したわけですし。最近は、スーパーなどでもヤギのミルクは簡単に手に入りますが、やはり、牛乳ほどの需要は無いので、お値段は少々高め。ただし、最近話題の「traceablility トレーサビリティー」はばっちりです。 トレーサビリティーとは、言うまでも無く、trace(追跡する)と、ability(可能)がくっついた言葉ですが、食べ物に関して使用すると、お皿の上に乗っている食べ物が、実際にどこから、どういう経路を辿って来たかを知ることができる可能性、という意味。最近イギリスのメディアを沸かせた、馬肉注入事件以来、よーく使われるようになった言葉です。 牛肉や羊肉を使っているはずの冷凍食品などに、どこから入手されたかわからない馬の肉が混じっていた・・・という、この馬肉事件によって、スーパーの棚に並ぶ食品のいくつもが、製造される過程で、実に、複雑な経路を辿っていることに焦点が当たったのです。そして、農場からキッチンへの経路が単純で、トレーサビリティーが高い事が重要視されるようになってきました。仲介者を通さず、生産した農家が直接、マーケットの屋台で売るファーマーズ・マーケットなども人気となっています。また、家庭菜園なども、土や肥料、育てる手間を考えると、スーパーで買った野菜の方が安い、という事もありますが、実際に育てるのに何を使ったかの把握は完璧に出来るので、トレーサビリティーの観点からは、グッドなのです。 大体いつも買うヤギのミルクは、ヨーク近くの農場のもの。季節がら、イラストのヤギにサンタの帽子を被せてあるのも気が利いています。また、スパイスの入った、暖かいものが飲みたいこの時期のため、パッケージに、「サンタのカプリ

クリスマスの12日

イメージ
クリスマスの12日間とは、クリスマスの夜(12月25日)から、1月5日の夜までの12日間。 そのクリスマスの初日から、12日間に渡り、ひとつひとつ贈り物をもらい、その数が増えていくのが、根強い人気のクリスマス・キャロルである「The Twelve Days of Christmas ザ・トゥエルブ・デイズ・オブ・クリスマス」(クリスマスの12日)。 英語の歌詞は、 On the first day of Christmas my true love sent to me A partridge in a pear tree On the second day of Christmas my true love sent to me Two turtle doves And a partiridge in a pear tree On the third day of Christmas my true love sent to me Three French hens Two turtle doves And a partridge in a pear tree 4日から12日までのプレゼントは、 Four colly birds, Five gold rings, Six geese a laying, Seven swans a swimming, Eight maids a-milking, Nine ladies dancing, Ten lords a-leaping, Eleven pipers piping, Twelve drummers drumming 日本語に訳してみると、 クリスマスの1日目 私の心から愛する人が送ってくれた 梨の木にとまる一羽のヤマウズラ クリスマスの2日目 私の心から愛する人が送ってくれた 2羽のタートル・ダブ(コキジバト) そして、梨の木にとまる一羽のヤマウズラ クリスマスの3日目 私の心から愛する人が送ってくれた 3羽のフレンチ・ヘン(にわとり) 2羽のタートル・ダブ そして、梨の木にとまる1羽のヤマウズラ (以下残りの日々は、プレゼントのみ訳します) 4羽のクロウタドリ、5つの金の指輪、卵を産む6羽のガチョウ、泳ぐ7羽の白鳥

アドベントカレンダー

イメージ
今年のクリスマスシーズンは、円形をしたアドベントカレンダーを買って飾っています。早春に設置した 薪ストーブ の上の壁に、庭の植物で作った クリスマスリース をかけていたのですが、薪ストーブからの暖かい風がもわーっとあがっていって、リースはたちまち乾燥してしまったため、何か、代わりに飾るクリスマスらしいものを探していたのです。 「到来」を意味するアドヴェント(advent)は、キリストの到来(誕生)を待つ、待降節の期間。クリスマスから4つ前の日曜日(アドベント・サンデー)に始まり、クリスマス・イブに終わります。ちなみに、アドベント・サンデーの、更に一つ前の日曜日は、 スターアップ・サンデー と称され、伝統的にクリスマス・プディングを作る日とされています。今年はプディング作り、少々出遅れたので、そろそろ材料を用意しないと。 一般に巷で売られているアドベント・カレンダーは、24の小窓が付いていて、それぞれ、1から24までの番号がふってあり、実際のアドベンとの開始とは多少ずれても、それを12月1日から、数字を追って、ひとつひとつ開けていくわけです。今年は、アドベントの開始の日曜日が、ぴったりと12月1日に当たっていました。開けた小窓の後ろには、クリスマス関係のエンジェルや、羊、お星様、などの絵が描かれています。子供には、クリスマスまでの秒読みに、アドベント・カレンダーの窓を毎朝開けるのが楽しみでしょう、きっと。おばさんだって楽しいんだから。アドベントカレンダーの小窓を開けるというのは、もともとは、1850年代に、ドイツで始まった習慣なのだそうです。 だんなの子供時代は、小窓を開けると小さなチョコレートが入っているものを親に買ってもらっていたそうで、24日の窓には、一番大きいチョコが収まっていたそうです。窓をあけるのは、毎朝、喧嘩をしないように、お姉さんと順番。そうですよね、子供は、些細な事できょうだい喧嘩となるものですから。私と兄貴の子供のころの、記憶に残る大喧嘩は、お菓子会社「森永」の当時のテレビ・コマーシャルが原因でした。森永のコマーシャルの最後には、テレビの画面の隅に、背をむけて立っている森永エンジェルが登場して、エンジェルがくるりとこちらに顔を向けると共に、「ポピポピー」と音楽が入るというものでした。この、「ポピポピー」と言うのが楽しくて、兄貴と私と

オバマ大統領とセルフィーでチーズ!

イメージ
セルフィー(selfie)は、オックスフォード英語辞典により、2013年の「今年の言葉 ワード・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた新語です。日本で言う、携帯電話のカメラで写す、自分撮りのこと。 昨日、世界各国の要人が集まり、雨の中行われた、南アでの ネルソン・マンデラ氏 の追悼式。今朝、その模様を報道する英国の新聞の多くが一面記事に選んだ写真は、デンマークの美人首相、ヘレ・トーニング=シュミットが、オバマ大統領とデービッド・キャメロン首相に挟まれて自分撮り(テーク・ア・セルフィー)する姿。そして、脇には、憮然とした面持ちのミッシェル・オバマ夫人。「なによ!ブロンド女に鼻の下のばして!後で、ゴツンだわよ!」とでも言いたそうな顔で。ジムで鍛えた立派な二の腕の持ち主であるし、怒らせたら怖そうです。それにしても、あー、気の毒に。昨今、有名人たるもの、気を許せないのです。どこで、誰が、面白いシャッターチャンスを狙っているかわからないので。新聞のみならず、昨夜のテレビニュースでも、この仏頂面のオバマ夫人は話題になっていました。 ちなみに、トーニング=シュミット首相は、過去のイギリスの労働党リーダーであったニール・キノック氏の息子と結婚しており、このセルフィーの事を聞かれたキャメロン首相は、「キノック家の一員から、セルフィーを一緒に撮ってくれるよう言われたら、当然、了解する。」と、上手くかわしていました。 マンデラ氏追悼式は、こちらでは、かなり大々的に報道されていたものの、儀式としては、少々インパクトに欠ける、だらだらしたものとなっていました。おまけに、スピーチをしている人物の隣に立って手話をしていたお兄さんが、まるで、でたらめの手話をしていた事まで発覚し。彼は、以前にも政府の行事で手話をした事があるのだそうで、その際に、耳の聞こえない人たちの団体が、「あの手話、まるで無茶苦茶や。」と苦情を入れたというのですが、政府はまるでそれを無視。挙句の果て、世界が見守る中で赤っ恥をかく事となったのです。やはり、今の政権、ちょっと、いいかげんなのでしょうね、これは。手話兄さんは、ラジオに登場して、「自分のパフォーマンスを誇りに思ってる」なんて言ってましたが、ダンスじゃないんだから・・・。そして、「巨大エンジェルが、スタジアムに降りてくるのが見えて、動揺して、その後、手話がぐちゃぐち

クリスマス・クラッカーの歴史

イメージ
クラッカー(cracker)という英語には、食べるクラッカーの意味のほかに、火薬、爆竹の意味があります。イギリスで、クリスマス・クラッカーと呼ばれるものは、クリスマス時期に、ぼりぼり食べるクラッカーではなく、紙で巻いた大型キャンディーのような形をし、中に摩擦で音がでるように、火薬をまぶした細長のひも状の紙が仕込んであるるものです。クリスマス・クラッカーを、2人で、片側ずつひっぱって破ると、バチーンと音がし、中からでてくるのは大体、紙テープや、どうしょうもないおもちゃ(プラスチックのこま、紙で出来た王様のかんむりなどなど)と、これまたどうしょうもないジョークが書かれた紙などが出てきます。 パブなどでクリスマス・パーティーなどをすると、用意されたテーブル上に、ちょこんと、このクリスマス・クラッカーが載っているのが常。隣の席の人と、両端を引き合って、クラッカーを鳴らそうとするのはいいけれど、これが、一発でパーンと爽快な音で開く事はまずなく、何回も引っ張って、やっと・・・ということが多いのです。去年の売れ残りのクラッカーを大量に安く買って使っているから、火薬がしけてしまっているんじゃないか・・・などと疑ってみたりして。 無駄使いと感じるため、自宅で使うためにクリスマス・クラッカーを買ったことは一度もありません。ちなみに、上の写真のクリスマス・クラッカーは、フォートナム&メイソン社で販売しているもの。6個入りでお値段なんと、250ポンド。ぎょぎょ!普通のクラッカーより大型で、中には、紙の冠やジョークを書いた紙の他に、わりと高級なプレゼント(手作りローズ石鹸など)が入っているので、このお値段なのです。ロンドンの金持ちのクリスマスパーティーでは、こんなクラッカー使うのですかね。普通のものは、おそらく、この50分の1くらいの値段でしょう。これだけの高級クラッカーだったら、景気良い音を立てて鳴ってくれないと。 クリスマス・クラッカーは、19世紀の御菓子業者トム・スミスの考案から始まったものだという記事を先日雑誌で読みました。1840年に、パリを訪れたトム・スミスは、パリの菓子屋で、アーモンドを砂糖でコーティングしたお菓子が、それぞれひとつずつ、綺麗にティシュに包まれて売られているのを目撃して、いたく感動。ロンドンへ戻るや、同じように、ひとつずつを紙で包んだボンボン

ネルソン・マンデラ

イメージ
ネルソン・マンデラが一昨日(12月5日に)死んでしまった・・・。5日の夜にテレビを見ている時、ニュース速報として画面の下にテロップが流れて知ったのです。ニュース番組以外で、こういう速報ニュースが画面に登場するのは、まれな事で、彼の存在が、この国でいかに重要視されていたかがわかります。95であったし、2010年の南アフリカでのサッカー・ワールド・カップ以来、公の行事に現れず、体調が悪いニュースが何度も流れていたので、まあ、死去のニュースも近いかな、とは皆思っていたのでしょうが。もう、こんな立派な、モラルある政治家は、なかなか出てこないでしょうね。葬式は、15日の日曜日に予定されています。世界要人が一同に南アフリカに大集合となるでしょう。 アパルトヘイトの南アの事は、日本の学校の世界史の教科書に短い記載があったのは記憶しています。お金があった日本人は、名誉白人という事で、白人と同じ扱いを受けていたというのが書かれていました。「なんか変なの。人種差別はたてまえで、金が物言うのか、やっぱり。」と子供心に思ったのでした。「お前の鼻はちょっと低めだが、金さえ見せれば、多少、見た目が変でも大目に見てやるよ。」と言われているようで、いささか、居心地の悪い覚えもしたのです。 白人至上主義をモットーとする政府への反対活動の後、逮捕されたマンデラ氏は、1990年に釈放されるまで、27年間の監獄生活。時々、「テレビで見た記憶に残るニューストップ10」などが、紹介される事がありますが、マンデラが監獄から釈放されて自由の一歩を踏み込んだ場面(上の写真)は、常時トップ10入りを果たしていました。釈放後、F.W.デクラークの白人政府との和解の話し合いの際に、ネルソン・マンデラは、自分が投獄されてひどい目にあったから、どーの、こーの、という事は一切合切、口に出さなかったと言います。過去のうらみつらみは全て捨てて、現在と将来、どうするのが南アのためにいいか、のみに焦点を置いて。黒人に初めて選挙権が与えられ、投票をするためにながーい列ができた・・・あんな風景も、すでに投票権があるのが当たり前の昨今の先進国社会には、見られないものでした。大統領となった後も、白人に対する報復手段は一切とらないよう、国民にも呼びかけ。 一般市民の間での反アパルトヘイト運動が広がり、ネルソン・マンデラの釈放を要