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ルバーブの事など

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近所の80半ばのおばあさんが、「もう、草むしりなどぜんぜんしないから、花壇がジャングルみたいだ。」と嘆くので、お天気の日に、彼女の庭で、草むしりのボランティアとなりました。南向きの壁の前に、何か巨大な葉の植物が生えていたので、何かと聞くと、「ルバーブ(rhubarb)」との返事。いつ植えたかも覚えていない年代物のようです。草むしりの後、お礼にと、このルバーブの茎を何本か、よじる様にして抜き取り、毒性のあるという葉を切り落としてから、もらってきました。ルバーブの周りに雑草の様に生えているのはミントですが、こちらは、うちの庭にもにょきにょき生えてきて、夏は重宝します。 もらってきたルバーブで、さっそくルバーブ・クランブルを作ることにしましょーかね。見た目は、色のついたセロリ。繊維質で、切るときも、かなり固く手ごわい。お通じに良いといわれるのはわかります。 ルバーブ・クランブルのレシピは・・・ 材料 ルバーブ 500グラム(親指の長さに切る) グラニュー糖(カスターシュガー 薄茶色のもの) 100グラム ポートワイン テーブルスプーン3杯(好みにより、入れる必要は無し) クランブル用材料 小麦 140グラム バター 80グラム(溶かさない) マスコバド糖(薄茶色のもの) 50グラム 砕いた胡桃 50グラム(好みにより、入れる必要は無し) 1 ルバーブ、砂糖、ポートワイン(使用する場合)を小鍋に入れ、ふたをし、弱火で15分煮る。味見して、甘味が弱い場合は、砂糖を更に足す。形をまだとどめながらも、やわらかく十分甘くなったら、オーブン用の鍋、器に移す。 2 オーブンを180~200度に暖める。クランブルをつくるため、小麦とバターを指で軽くまぜ、そぼろ状になるようにする。そぼろ状になったら、砂糖と、胡桃を手で混ぜ入れる。こうして作ったクランブルを、用意してあったルバーブを煮たものの上に散らす。オーブンに入れ、30分、またはトッピングがこんがりするまで焼く。あつあつを、カスタードクリームと一緒に召し上がれ。 うちに、ポートワインと胡桃は、無かったので使用せず。カスタードも、面倒なので、無しで食しました。また、砂糖の種類も指定はしてありますが、私は、ルバーブを煮るのにも、マスコバド糖を使いました。 できあがり。甘酸っぱくて美味

ガーデンノームも集う100周年のチェルシーフラワーショー

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1913年から、ロンドンのチェルシー・ホスピタルの庭で開催されてきた、王立園芸協会(RHS、ロイヤル・ホーティカルチャラル・ソサエティー)主催の春の園芸ショーである、チェルシー・フラワー・ショーが、今年100年記念を迎えました。 以前はグレート・スプリング・ショーと呼ばれた、RHSの春の園芸ショーは、元を辿れば1862年に遡り、当初はケンジントンの庭園にて開催。1888年からは、開催地が、インナー・テンプルのガーデンへ移り、更に1913年から、現在のチェルシー・ホスピタルの庭で催されるようになります。以後、2回の大戦中の一時期を除けば、ずっと、この場所で行われ、ロンドンの春の恒例行事となります。 開催場の、チェルシー・ホスピタルは、病院・・・ではなく、チェルシー・ペンショナーと称される引退したイギリス軍人の隠居アパート。チェルシー・ペンショナーたちは、イギリスの郵便ポストもびっくりの、真っ赤な軍服を着ていることで知られています。普段は、一般公開されていない、ここの大きな庭に、お花と出店とショーガーデンが、びっしり設置されるのです。そのための準備たるや、かかること25日間。開催の初日はいつも、王族が訪れる、イギリスで一番有名なフラワーショーとあって、一度くらいは行ってみてもいいなと思っていたので、100周年記念の今年、ひょこひょこと繰り出すこととしました。 今年は、5月21日から25日まで開催。この5日間の来園者の数は、15万人を越すということ。あまりの混雑を避けるため、1日のチケット販売数は制限されており、かなり早い時期に売り切れます。当然、ダフ屋なども登場し。今回のチケットは特に、売り切れ後、400ポンド近くの値段で取引されたものもあった、などという新聞記事も読みました。 それでも、会場は、押すな押すなの大繁盛です。人気ショーガーデンの前などは、覗くのも大変なら、写真を撮るのも大変。ただ、人種のるつぼのロンドンにありながら、思うに入園者の90%以上は白人。時に、私のような東洋人は見たものの、他の人種はあまり見かけませんでした。 ショー開催中は、毎晩のようにBBCで、その様子が放送されるので、ショーガーデンなどは、テレビで見たほうが、隅々まで見れる、というアイロニーもありますが、まあ、雰囲気を楽しみ、変わったお花をクロースアップでしげ

ペアーズ石鹸

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べっこう飴の様に透き通ったペアーズ石鹸(Pears Soap)。この石鹸のやさしい肌触りと香りが好きで、長年使ってきたという人は多いようです。うちのだんなの母親も、ペアーズ石鹸のファンで、一生愛用。上の写真の、左手の石鹸は、彼女が亡くなった際に、使いかけだった石鹸を、だんなが実家から持ち帰ってきたもの。その後、使わずに、今は、私の洋服の入った引き出しにつっこんだままになっています。右手は最近買った新しいもの。 ペアーズは、世界で一番古いブランドであると言われており、その歴史は遡ること1789年。当時はお洒落な住宅街であったロンドンのソーホーに床屋を開いたアンドリュー・ペアーズは、店に訪れる裕福な顧客達が、白いお肌を大切しているのに着目。お肌の色が黒く、がさがさだと、しょっちゅう日に当たり外で仕事をしている労働階級のようだ、というわけです。お上品な人たちは、土方焼けをしているように見られたくなかったのですね。(時代変わって、現イギリスでは、こんがり焼けて小麦色の肌がありがたがられたりしています。焼けた肌=南国でのホリデー=裕福である・・・という方程式。)ペアーズ氏は、こうした富裕階層の人たちのために、泡立ち良く、肌に優しい上質の石鹸を作ります。特に、この石鹸が、透き通っているということが画期的で、宣伝威力を発揮し、ブランド・イメージ確立に役立ちます。 ペアーズと言えば、ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)による絵「バブルズ Bubbles」(シャボン玉)をポスターに使っていたことでも知られています。手持ちの画集の情報によると、オリジナルの絵は、ミレーが、孫息子がシャボン玉遊びをするのを描いた1886年の作品。シャボン玉は、子供時代があっという間に過ぎていくはかなさ、ひいては人生のはかなさの象徴としてよく使われる題材です。余談として、ミレーは、友人であり、アマチュア写真家であった、ビアトリクス・ポターの父に、この孫息子の写真を取ってくれるよう依頼したそうで、ビアトリクスの日記には、このミレーの訪問の記載が残っているのだそうです。 「バブルズ」は、完成後、イラスト入り週刊新聞、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースのクリスマス版に使われるべく、当紙のオーナー、ウィリアム・イングラムによって著作権つきで購入されます。が

アルプスの少女ハイジ

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口笛はなぜ~、遠くまで聞こえるの? あの雲はなぜ~、わた~しを待ってるの? おし~えて、おじ~さん、おし~えて、おじ~さん おしえて~、アルムのもみの木よ~ 「アルプスの少女ハイジ」アニメ版も、 「フランダースの犬」 同様、主題歌は知っていたのに、なぜか見たことは一度も無いテレビ番組でした。この主題歌も、「あの雲はなぜ・・・」の部分は、「あの山はなぜ、朝陽を待ってるの?」だと、長い間勘違いしていました。が、これは、私の詩の方が、本当の歌詞よりいいじゃないか、と勝手に思ってます。子供時代に、日本語に翻訳された本は読んだ事はあり、ストーリーは、わりと良く覚えていました。おじいさんの小屋のすぐそばに立つ3本のもみの木と、団地内にあった我が家の棟の前に立っていた3本の背の高い松の木と重ね合わせたりもして。よい香りの干草のベッドで、窓から星空を見ながら床に就く生活にも憧れ、ハイジがペーターのおばあさんのために溜め込んだ白パンは、学校給食に出されていた、ふにゃふにゃの食パンよりうまそうだと思い。 スイスはヒルツェル出身のヨハンナ・スピリ作「ハイジ(Heidi)」の原作はドイツ語で書かれ、1880年出版。一部と二部に別れており、一部は、「ハイジの勉学と旅の年月」二部は「ハイジが学んだことの実績」とそれぞれ題されています。この英語翻訳版を最近読みましたが、そのキリスト教色の強さに、ちょっとびっくりしました。19世紀ヨーロッパの作品ですから、子供にモラルを教えるには、やはりキリスト教を通して・・・であったのでしょう。訳者と編集者が、日本の子供にはわかりにくいと思ったためか、私が日本語で読んだものは、原作を忠実に訳したわけでなく、宗教面が、かなり省かれていたのではないかと思います。 あらすじは、 第一部 5歳のハイジは、1歳で孤児になってから、母方の祖母と、叔母デーテにひきとられていたが、祖母が亡くなり、デーテがドイツのフランクフルトに職を見つけた都合で、マイエンフェルト付近のデルフリ村から山を登った小屋に住む、ハイジの父方の祖父に預けられる。村人からは、アルムおじさんとして知られ、人間社会から離れ一人生活する偏屈の噂のある祖父の元に、いきなり現れたデーテは、「私は、十分義務を果たした、今度はあんたの番だ。」と、有無を言わさずハイジを置いていく。こう

フォゲット・ミー・ノット

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わすれな草(英語名:forget-me-not、ラテン名: Myosotis)は、私の一番好きな「雑草」です。これをだんなに言ったら、「一番好きな雑草」というフレーズが、何故かおかしかったようで、ぐふぐふ笑っていました。そこで私が、「わすれな草は、あんたの次に好きな雑草」と言い直すと、ちろっとこっちを見て「ああ、お前のジョークは、なんていつもおかしいんだ。はははー、はははー。」と嘘笑いをしていました。 「雑草」の定義というのは、「植えた覚えが無いところに勝手に生えてくる上、頑丈でなかなか絶滅させることができない植物」とでもすればいいでしょうか。でも、どの植物を雑草と見るかは、個人差が多少あるわけで、わすれな草もガーデンセンターで売っており、お金を出して買って、わざわざ植える人もいるのです。うちの庭のわすれな草は、買ってきて植えたものでなく、気がつくと、庭のあちこちに生えてきたもの。雑草か否かはともかく、絶滅の危機のうわさがいまだ消えない蜂達に貴重な初春の蜜を与えてくれる上、青、時々ピンクの小花が愛らしい。何株もをまとめて、同じ場所に植えるようにするとインパクトはなかなかです。 (わすれな草の蜜を吸う昆虫の写真は、過去の記事 「4月の庭にて」 まで。) 名前の由来としての伝説は、英語のウィキペディアによると、 ひとつは、神様が、植物に名前を与えているとき、小さな花が、見過ごされてしまうのを恐れ、「神様、フォゲット・ミー・ノット!(私のことを忘れないでください!)」と叫ぶと、神様が、「それをお前の名にしよう。」とのたまった。 もうひとつは、中世に騎士とご婦人が、川のほとりを散歩中、婦人に花を摘んであげようと、かがみこんだ騎士は、鎧の重みで川に落ちてしまう。そしておぼれながら、「私を忘れないでください。」と、婦人に、摘んだ花を投げた・・・。 最初の伝説のほうが、ほほえましくて好きですね。あの小さな花が、「フォゲット・ミー・ノット!」と叫んでいる様子は想像できるのです。鎧の重みで川に落ちてしまう騎士は、哀れすぎる。 フォゲット・ミー・ノットは、また、米のアラスカの州花です。20世紀初頭に、金の発掘のために移住してきた人物達のため、アラスカの人口は上昇。その移住者達のグループが、わすれな草を自分達のシンボルの花として選んだのが始まりで、1912年