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6月, 2011の投稿を表示しています

レモンタイムの花

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庭で、レモンタイム(Lemon Thyme)のうす紫(濃いピンクとも言えますか・・・)の花が咲いています。 ラテン名のThymus citriodorusは、「シトラスの香りのタイム」の意味。葉を指できゅっとこすったり、庭を歩いている時に踏んでしまったりすると、さわやかなレモンの香りがします。タイムには、色々な種類がありますが、このレモンタイムだけを取っても、うちで育てているものの他にも、白い花を咲かすものなど、いくつか違ったものがあるようです。 ほふく性で、横にどんどん広がるタイプなので、花壇の一部を、土が露出しないよう、植物で埋め尽くしたい時、非常に便利なグラウンド・カバーとなります。雑草の妨げにお役立ち。常緑で、一年中緑を保ってくれるほかに、5月から7月にかけての、この綺麗な花・・・育てて本当によかったと思っている庭の植物のひとつ。 タイムの葉は、もちろんハーブとして、人間様の料理に使えますが、花は、ミツバチや、マルハナバチ(バンブルビー)に大人気。花から花へ移動するのに、蜂たちは、飛ばずに、この紫のカーペットの上をよちよち這って移動できるので、飛ぶエネルギーの節約の意味でも、ビー・フレンドリーです。 なかなかタフで、時折、上を踏んで歩いても平気なら、ほとんど放っておいても、勝手に育ってくれます。お世話と言えば、花が終わった後、毎年、ヘアカットをしてあげて、短く刈り込んでいるくらい。 ただ、ハーブ類によくあるよう、足が湿っているのを嫌うようで、植えるのは水はけの良い、比較的日当たりの良い場所を選びましょう。

魔女狩り将軍

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「Witchfinder General」(魔女狩り将軍)という1968年公開の映画を見ました。17世紀、多くの罪の無い人間を魔女として処刑に追いやったマシュー・ホプキンス(Mathew Hopkins)の話です。半分歴史ドラマ、半分ホラー映画(ヴィンセント・プライスが主役ですから!)。多少の脚色があり、史実とは違う部分もあるものの、実際にあった出来事がもと。人間が人間にこんな酷い事をする、という恐ろしさは、ゾンビのでてくるホラー映画より、真に迫るものがあります。 時は1645年、イングランドは清教徒革命(イギリス内戦)の真っ只中。法はあってあって無きようなもの。エセックス州、マニントリー出身のマシュー・ホプキンスは、そんな不法状態を利用して、エセックス、サフォーク、ノーフォーク州等のイーストアングリア地方を中心に、魔女を処刑する事により、金儲け。1人処刑すると、いくらかの謝礼を受け取れたようです。 イーストアングリアは、当時、オリバー・クロムウェル率いる議会派側が強く、物語のヒーロー、リチャードは、議会軍の優秀な兵士。彼の美しいいいなずけ、セーラは、サフォークの小さな村の牧師の姪。ところが、この牧師の叔父さんは、村人により「彼は、ウィッチwitch(魔女、魔法使い)だ」と摘発され、やはりウィッチだと名指されてしまった他の村人2人と共に、村に訪れたホプキンスと彼の助手のジョン・スターンから、告白させるための拷問を受け、絞首刑。セーラは村に滞在中のホブキンスとスターンに手を出されてしまう。一時村に戻り、状況を知ったリチャードは、即、セーラと結婚。ホプキンスへの復讐を誓って、セーラには、村に留まらず、サフォーク州のラヴェナム(Lavenham)へ向かうよう告げ、自分はホプキンスを探しながらも、兵士としての任務に戻る。 クライマックスは、中世の家並みが一番良く保存さらえているイングランドの村のひとつとして有名な、サフォーク州の ラヴェナム にて。リチャードとセーラはここで落ち合うのですが、たまたま、ホプキンスも、ここに魔女が数人いるという連絡を受け、拷問と処刑のため、やはりラベナムへやって来て、かち合わせに。 ラヴェナムは、織物業で非常に栄え、15世紀~16世紀初頭の最盛期には、それは裕福な村だったようです。ラヴェナム・ブルーと呼ばれる、青い織物が特に

緑のロイド・ルーム・チェア

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2階の寝室に、緑のロイド・ルーム(Lloyd Loom)社の椅子がひとつあります。うちにある多くの家具と同じく、義理の両親宅から譲り受けたもの。 ウィンブルドンのセンター・コートにある、ロイヤル・ボックスに設置してある椅子も、ロイド・ルームの濃い緑色の椅子です。ボックス内、全席74、すべてロイド・ルーム・チェア。そういえば、先日のクルム伊達公子 対 ビーナス・ウィリアムズ戦では、ロイヤル・ボックスにコーンウォール公爵夫人(カミラ夫人)も観戦に来ており、伊達選手に、拍手を送っているのが数回映っていましたが、彼女の座っていたのも、そう。見た目は籐椅子なのですが、スチールワイヤーでできているのです。 ロイド・ルーム・チェアの歴史は1907年に遡り。アメリカ人、マーシャル・バーンズ・ロイドが、ワイヤーにクラフト紙を巻きつけたものを、編みこんで家具にする技術を発明。1922年に、彼は、この手法での家具製造権をイギリス製造者に売り、東ロンドンに工場が作られます。以来、ロイド・ルーム・チェアは、上述のウィンブルドンのロイヤル・ボックスを初め、お洒落なホテル、レストラン等でも使われ、ヨーロッパ中で人気に。当工場は、戦時中、ドイツ軍の爆撃の被害を受け、一時製造は止まり。現在は、リンカンシャー州の工場で、昔と同じ手法で製造されているそうです。 普通の籐椅子に比べ、目が均一で細かく、なかなか丈夫。当社のウェッブサイトによると、お掃除は、掃除機にブラシの先をつけてほこりを吸い取って下さい、とありました。 うちのロイド・ルーム・チェアは、だんなによると、彼のお母さんが、やはり親からもらってきた椅子なので、おそらく1930年代のものではないかという話です。だとすると、ドイツ空軍の爆撃にやられる前の、ロンドンの工場で作られたもの。 よっこいしょと、ひっくり返してみると、こんな感じです。 2階の寝室は、我家で一番日当たりの良い部屋。やや、曇り空の日でも、十分明るいので、ロイド・ルーム・チェアに座っての読書は快適。クッションがやや、擦り切れてきているので、そろそろ新しいのに変えないと。でも、椅子自体は、まだまだ、しっかり私の体重を支えていてくれます。 ロイド・ルームの 公式サイト 。

ドイツ人もお気に入りのシェフィールド・パーク・ガーデン

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前回投稿の 「ブルーベル鉄道」 のシェフィールド・パーク駅のそばに、シェフィールド・パーク・ガーデン(Sheffield Park Garden)なる、有名な庭園があります。鉄道のチケットとコンビになった券を買って入場可能なようですので、ブルーベル鉄道に乗って、時間があるようなら回ってみたい場所であります。 其々高さの違う、いくつかの池が繋がってある庭園。英国18世紀ランドスケープ・ガーデン界のスーパー・スター、ランスロット・(ケーパビリティー)・ブラウンによるデザイン。 近くに聳え立つゴシック風お屋敷はシェフィールド・パーク・ハウス。こちらのお屋敷は、私が持って行ったガイドブックによると、現在、内部を改造されて、豪華フラット(アパート)となっているそうなので、中には入れません。 初夏のツツジ(azalea)やシャクナゲ(rhododendron)、そして、秋のもみじの紅葉が見物・・・という事なのですが、ツツジとシャクナゲは、すでに、ほとんど終わっておりました、残念。 それにしても、ツツジ、シャクナゲともみじ・・・?どれも、酸性土を好む植物です。ここより少し南の地は、サウス・ダウンズと呼ばれるチョーク層地帯で、土はアルカリ性のはずなのに、ここは違うのか・・・と疑問に思ったら、サウス・ダウンズから、やや北上したこの場所は、ウィールド(Weald)と呼ばれる地で、上層のチョーク層が、すっかり侵食されてしまっており、それよりも古い土壌がむき出しになっているエリア。日本で良く見られる、アルカリ土に弱い植物達も丈夫に育ってくれるわけです。 ウィールドは、チョーク層のサウス・ダウンズとノース・ダウンズにサンドイッチされた土地で、この部分、チョークがなくなってしまっているのですね。(上図参照下さい。図は、英語ウィキペディアより。) このベンチで、コーヒー・タイムを取りました。日本へ帰った気分? 池のスイレンの花も、咲き始めたばかりで盛りはまだ。 一時、しとしとと霧雨も降りましたが、雨に煙った感じの風景も良かったです。 私達がたどり着いたとき、調度、バスツアーの団体さんが入場するのとかち合わせになったのですが、ドイツ人の団体さんでした。今回の旅行、イーストボーン、ビーチーヘッド、ルイス、そしてブルーベル鉄道と、この庭園、と回ってきたのですが、途中

ブルーベル鉄道

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比較的短い路線に、昔ながらの蒸気機関車を、一般客を乗せて走らせ、鉄道が大好きなボランティアにより経営される、いわゆるヘリテージ・ラインと呼ばれる鉄道はイギリス内いくつかありますが、1960年に始まった、サセックス州のブルーベル鉄道(Bluebell Railway)が、一番最初のものだそうです。上の写真は、当鉄道のシェフィールド・パーク駅舎前。 全長約14・5キロ、シェフィールド・パーク(Sheffield Park)、ホーステッド・キーンズ(Horsted Keynes)、キングスコット(Kingscote)と、3駅のみ。ぽこぽこ電車での片道所要時間は約30分。 5月 には、その名の通り、路線端が、咲き乱れるブルーベルの青で染められる風景を楽しめるのだとか。 駅舎内は、レトロなポスターなどもはられ、チケットオフィス等も昔風。 ロンドンから電車で行くには、ヴィクトリア駅より、イースト・グリンステッド(East Grinstead)駅まで行き、そこからは、バスを使ってブルーベル鉄道のキングスコット駅まで・・・とやや面倒。(ちなみに、ヴィクトリアとイースト・グリンステッド間の電車所要時間は、約1時間です。) そんなこんなで、現在、ブルーベル鉄道のキングスコット駅から、本線のイースト・グリンステッドまで路線を延ばそうという作業が行われています。鉄道が作られる予定の土地はすでに購入しており、イースト・グリンステッド駅には、ブルーベル路線用のプラットフォームが作られ済みなのだそうですが、鉄道を敷く予定の、この2駅間に、60年代70年代の民間のゴミの山がたまっていて、その膨大なゴミの山を除去する作業にお金がかかり、手間取っている模様です。何せ、ボランティア経営路線ですから、作業費用も、民間からの募金が大事。現在、このゴミ撤去費用のための募金活動も行われています。 この2駅間が開通すれば、車に頼らずとも、ロンドンからの観光の足の便はぐっとよくなりますね。「蒸気機関車乗りたいけど、バス使わなきゃ行けないのは、ちょっとね・・・」などという外国人観光客なども簡単に足を伸ばせるようになるでしょう。 ブルーベル鉄道 公式サイト 。時刻表、値段等も、当サイトに載っています。 追記 2013年3月に、無事、イースト・グリンステッド駅への路線延長が終了し、ロンドンの

ルイス2時間観光

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イーストサセックス州の州都、ルイス(Lewes)。観光の1番目玉は、ルイス城。 ジョージ王朝風の瀟洒な建物の並ぶハイストリート(目抜き通りを)歩きながら、ルイス城の、この立派なバービカンがいきなり目に入ると、「お、こんなところに城が・・・。」といささか、その唐突さに面食らいます。ハイストリートの影で息を潜めて、人をおどかそうと、隠れて待っていた風情があるのです。 ノルマン人征服の後、征服王ウィリアム1世は、腹心達に、イングランドの土地を分け与えますが、ルイス周辺は、William de Warenneへ、与えられ、彼がこの地に城を築きます。 最初の木製の城は、上の写真に見れる、この場から少し離れたプリン形の丘の上に立っていたという事です。 城のキープ(Keep 天守)は、一部が残るのみですが、上からの眺めはなかなかです。 周辺のサウス・ダウンズ(イギリス南部チョーク地層の高台)も望め。 ハイストリートも見下ろせ。 駐車時間が最高2時間という駐車場に車を止めた為、お城と、中心部をちょろっと歩き、サンドイッチのテークアウェイをするだけの大急ぎ観光となりましたが、印象はなかなか良かったです。ハイストリートを通過する車の量の多さが玉に傷ですが、ひょろりと、小さな細道などに入るとのんびり歩いて、ちょっとした面白い建物に遭遇できそう。 古本屋がやたら目に付きました。この古めかしい古本屋も、いい味出してます。全体的に、通りに並ぶ店の感じを見ると、裕福な町の印象。 アメリカの独立へ影響を与えたと言われる「コモン・センス」(Common Sense)、そしてまた、フランス革命に共鳴的な「人間の権利」(The Right of Man)を著した英の思想家、トマス・ペインは、1768年から数年間、ルイスに住んでいたと言う事で、彼が住んでいた家もハイストリートを歩くと見れます。「コモン・センス」は、彼が、米へ移住していた時期に執筆されたものですが、その中に反映される思想を発展させたのは、このルイスでだったと。 ルイスはまた、ブラディー・メアリーこと、カソリック信者の女王、メアリー1世の時代の1556年に、17人のプロテスタント信者達が、町の中心で、火あぶりの刑にされた事でも有名。毎年、11月5日のガイ・フォークス・ナイトに、ルイスでは、かなり盛大なボ

イングランドの白い崖

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イーストボーン から海岸線を辿って西へしばらく行くと、約163メートルの高さのチョーク層の白い崖、ビーチーヘッド(Beachy Head)へ辿り着きます。サセックスの海岸線で一番海抜が高い部分です。名の由来は、ビーチとは関係なく、フランス語の「beau chef」(美しい頭)からきているとの事。実際、切り立った崖の下に、ビーチなどありません。 チョークは、恐竜でお馴染みのジュラ紀に続く、白亜紀に堆積された地層。そのころ、イングランドの大部分がひたひたと海水下にあり、海に住む植物プランクトン、円石藻(Cocolithophores)の死骸(炭酸カルシウム)が積もり積もってできあがったものです。よく、シリアルのパッケージなどに、「カルシウム強化」などとあるのは、チョークを加えてあるということ。昔、イギリスは、フランスと地続きでしたから、フランス北部にも、似たようなチョーク層の地形があります。 チョークの崖は、波により絶え間なく侵食され、崖のすぐ下の海の色は、チョークの粉が混じって白くにごっています。崖の上に建つのは、1834年に使われ始めた灯台、ベル・トゥート・タワー(Belle Tout Tower)。1902年に、ビーチーヘッドの崖下に新しい赤白縞模様の灯台が建てられるまで、灯台として使われていました。このタワーも、そのままにしておくと、いつかは、海の中に崩れ落ちてしまいますので、1999年には、15メートルほど内陸に移動されています。また、侵食が進み、ピンチになった段階で、再び、更に内陸へ移動させる予定であるようです。 やや体重重めのうちのだんなが、崖っぷちを覗きながら歩くのを見ていると、その重みでぎしぎしと崖が崩れ、落ちやしないかと、それは、はらはらさせられ、始終、あまり崖っぷちに近づくな、と叫ばねばならない始末でした。「崩れるときは、大体、大雨強風の時だろうから」などと言ってましたが、家に帰って、写真を眺めながら、「やっぱり、崖ぎりぎりを歩くのは、危ないかもしれない。」だそうです。犬や子供連れで歩く際は、特に、用心です。 えてして、こういう場所は、自殺の名所と化してしまう事が多いですが、ここもそう。崖っぷちに、いくつかの小さな十字架が立てられ、近くには、「神は、汝の抱える苦難よりも、偉大である」と、自殺を止めようとするためのメッセージのようなも

イーストボーンそぞろ歩き

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イーストボーン(Eastbourne)は、イングランド南岸(イーストサセックス州)にある海岸リゾート地です。位置的には、ロンドンからほぼ真南にあたるブライトンよりもやや、東より。7代目デヴォンシャー公ウィリアム・キャベンディッシュにより開発されたリゾートで、他の多くの海辺のリゾートと同じく、1840年代に鉄道によって繋がれた事により発展をみます。 海岸から海へ突き出す桟橋(pier ピア)もヴィクトリア朝のもの。こうした上に建物のある桟橋の風景は、典型的イングランドのシーサイド・リゾートのイメージです。 家にある、こちらの観光ガイドブックによると、イーストボーンがお気に入りだった著名人には、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、ジョージ・オーウェルなどがおり、作曲家、クロード・ドビュッシーは、「海」(La Mer)を、この地にて書き終えた、ということ。 人気の海岸リゾートは、時にして、海岸沿いに多くのアーケードやゲームセンターが入った醜い建物が並び、いささか品が無く安っぽい感じの場所もありますが、イーストボーンは、そうしたものはあまり目に入らず、なかなかエレガントです。お年寄りのリタイアメントの人気の場所だという事になっています。まあ、イーストボーンだけに限らず、比較的暖かい海岸沿いにリタイアしたがる人は、やはり多いでしょう。 桟橋のあたりから、西へ向けて、プロムナードをそぞろ歩いてみましょう。 この半円形のバンドスタンドは、1935年築。現在でも野外コンサートに使用され、夏は、コンサートと同時に花火が打ち上げられたりもするようです。上から押さえつけて、ちょっとつぶしたソフトクリームの様な屋根が面白いです。 更に西へすすむと、ナポレオン戦争の際、フランスの侵略に備えて立てられた砦、マーテロー塔(martello tower)へ辿り着きます。ナポレオンは最終的に、イングランド本土へは侵攻してこなかったので、実際に作られた目的に使用されること無く、現在にいたるまで保存されています。 こうして、バンドスタンドを超え、マーテロー塔を超え、見えてくるのは、ああ、チョーク層の白い崖。海と空に挟まれて、この白い崖が見える姿に、「これぞイングランド」と感じる人は多いかもしれません。このまま更に西にあるのは、有名なビーチーヘッドそして、更にはセブンシ