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ゴミのポイ捨て

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あまり自動車の走らない田舎の道路沿いを、散歩にひょこひょこ歩いている時、「あー、いい気持ち。ウォーキングはやっぱり、気分すっきりね。」などと、鼻唄のひとつも出ようかといういう矢先、こういう風景に出くわすほど、がっくりするものはありません。ゴミのポイ捨て跡。車の中で、食ったり飲んだりして、その後、家か職場に戻るまでの短い時間、自分で出したごみを、そのまま車内に積んで帰るのは嫌だと言わんばかりに、窓から投げ捨てる人が多いのです、この国。 いや、車からだけでなく、道端で、くちゃくちゃ食べたハンバーガーやら、パイやら、ポテトチップスやらの包み紙をそのまま、ハトがフンでも落とすように、何の気なしに落としていく。こういう人たち、全く、悪いという気持ちのかけらもない様です。 学校で、生徒が自分たちの教室などのお掃除をする、日本のシステムというのは、すぐれものだと、感じます。誰かが、どこかで、自分の散らかしたごみを掃除して拾い上げねばならない、という事を子供の時から身をもって覚え、公共の場を汚さないようにするという訓練ができる。あとは、掃除をするという作業が、自分がするに足らない劣る事、という驕った感覚を芽生えさせずに済むという意味でもいい事だと思います。 こちらときたら、ゴミは平気で落とすは、電車やバスの座席の上に、汚い靴のまま足を乗せるような輩は、かなり多いです。当然、きちんとした人もいますが、全体的割合にこういうのが多いと、それが国の印象になります。子供などが、靴を履いたまま、電車の座席の上に立ったりするのも、平気の平左の母親も沢山。以前、子連れの日本人の友達と電車に乗っていた時、窓際に立って、外を見るんだ、という子供に「ここは人が座るのだから、靴脱ぎなさい。」と脱がせていた様子が、妙にすがすがしかった。こんなのがすがすがしい・・・という社会も情けないですが。 その辺の道路際もさることながら、景勝地に出かけて行って、ボトルやら食べ物の包み紙などが捨ててあるのを見ると、その怒りたるや、大爆発です。自然を楽しむために、そういう所に、自らのこのこ出て行って、その自然を台無しにするような行為をして戻って来るとは、どういう神経か、と思うのです。ゴミ箱が無かったら、自分のカバンに入れて帰ればいいだけの事。それが何故に、そんなに難しい?持ってきたのはあんただろって。