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5月, 2011の投稿を表示しています

ハットフィールド・ハウス

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エリザベス1世、若き日のゆかりの館、ハートフォードシャー州にあるハットフィールド・ハウス(Hatfield House)を実に久しぶりに訪れてきました。ロンドン中心地(キングス・クロス駅)から電車で30分ほどのハットフィールド駅のすぐ前と、車が無くとも観光に便利な地。その便利さと、エリザベス女王ゆかり、というのもあってか、なかなか繁盛しています。 ハットフィールド・ハウス、もともとは、イーリー司教、またカンタベリー大司教ともなったジョン・モートンが1485年に建築を開始した館。モートンは、若きトマス・モアが仕えた人物でもあります。後の世代、館と土地は、例によって例のごとく、暴れん坊ヘンリー8世が、ちゃっかり、自分のものとして没収してしまいます。そして、自分の3人の腹違いの子供達、メアリー、エリザベス、世継ぎのエドワードの居住地とします。 モートンが建て、エリザベス達が住んだ、チューダー朝の館は、現代は上の写真のバンケティング・ホールが残るのみです。バンケティング・ホールは木製の天井が見事。この日は、結婚式か何かの催しをやっていたようで、戸口付近から、中を覗き、天井を仰ぎました。こういうお屋敷の維持もお金かかるでしょうから、色々なべニューとして貸し出して、多角経営で金儲けしないと・・・と言ったところでしょう。敷地内の別の場所では、オークションなども行われていた模様です。 今、ハットフィールド・ハウスと言うと、メインの建物は、こちら。ロバート・セシル(第1代ソールズベリー伯)が建てた、ジャコビアン(ジェームス1世時代)の建物です。従って、エリザベス女王の死後に建てられたもの。ジャコビアンと言えば、シェイクスピアなども、エリザベス女王時代の劇作家のイメージが強いけれども、ジェームズ1世戴冠後の活動の方がさかんなので、ジャコビアンの劇作家と呼んだほうが適格だ、などという話も聞いた事があります。 ロバート・セシルは、エリザベスが、王座に付いて以来、ずっと片腕として信頼してきた宰相ウィリアム・セシルの息子。エリザベス治世の成功は、彼女の人選力が優れていたから、などとも言われています。ウィリアム・セシル亡き後は、ロバートが後を継いで宰相となり。エリザベスは、この5年後(1603年)に亡くなっており、子供のいないエリザベスの後継者として、スコットランド、スチュアート

17歳の肖像

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An Education(邦題:17歳の肖像)という映画がテレビでかかっていたので見ました。以前、当映画の主人公のモデルとなった女性(イギリス人ジャーナリストのリン・バーバー)のインタヴューをラジオで聞いて、もともと興味はあった映画ではあります。 60年代初頭、ロンドン郊外に両親と住む16歳の少女ジェニー。私立の女子高に通い、ラテン語以外は成績も良く、チェロを弾き、フランスが好き、顔も可愛く、目指すは、オックスフォード大学。お家の感じや生活ぶりをみると、両親は、ロワー・ミドル・クラスでしょうか。ホワイト・カラーの仕事だけれども、取り立てた高給取りというわけではない家庭。ただ、子供の教育には、熱心。 ある日、ジェニーは、実業家(?)風男性、デイヴィッドと知り合い、そのうち2人は恋仲に。デイヴィッドは、どうやら金持ちらしく、彼女を、コンサートや高級ナイトクラブ、レストラン、オークションなどへ連れ出す。話し上手で社交巧みな彼は、やがて、ジェニーの両親も魅了し、彼女をオックスフォード旅行、更には17歳の誕生日に、パリ旅行にまで連れ出すのを許され。ジェニーは、次第に、デイヴィッドがどうやら、金儲けのため、いかさまめいた事も行っているのに気づくのだけれども、行動派の彼の魅力から離れられず、プロポーズを受けると、OKするのです。両親も、金持ちと結婚して、彼女の将来も安泰と大喜び。ジェニーは、プロポーズを機に、学校をやめ、オックスフォードへ行く目的も捨て・・・。ところが、デイヴィッドは、実は妻子があったのです。 当時は、まだ、女性の社会進出の機会が限られていた時代。デイヴィッドと付き合い始めてから、「大学に行って、どうなる?たいした面白い仕事につけるわけでもなく、何のための教育か。」という考えが、ジェニーを悩まし、女性学校長や、ハイミスの女性教師にも、「あなた達みたいになりたくない」の様な事まで言っていたのに。こうして、学校もやめてしまい、結婚もできず、となってみると、人生、どうしてくれよう・・・と嘆くジェニー。最終的に、彼女は、学校の女性教師の助けを受けて勉強を再開。翌年、オックスフォード大にトライし、受かるのです。無事、オックスフォード学生生活を始めたジェニーの姿で、映画は終わり。 良い大学、特にオックスブリッジを出ると、色々な事への可能性のドアが開く。出てしまってから、何にな

O'Bama !

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オバマ米大統領が、アイルランドへ到着しました。これから1週間にかけてのヨーロッパツアーの皮切りです。 何でも、オバマ氏の母方のご先祖様(オバマ氏のgreat-great-great-grandfather。面倒なので、日本語には訳しません。)が、アイルランドの首都ダブリンから南西へ行く事140キロのところにある村、マネーゴール(Moneygall)の出身なのだそうで、このご先祖の村を訪れていました。ご先祖様は、村の靴屋さんだったそうで、彼の息子Falmouth Kearneyが、1850年、アイルランドの大飢饉の真っ只中、19歳にして、アメリカは、ニューヨークへ移住。このご先祖の住んでいた家も、ガイドさんに付き添われ見に行ったとの事。 彼の名のオバマ(Obama)が、ちょっとアイリッシュ風だというのは、常々話題にはなっていました。アイルランドの苗字、スカーレット・オハラのオハラ(O'Hara)のように、「誰々の息子の・・・」という意味の「O'」が付く名が多い。だから、Obama氏は、アイリッシュ風に書くと O'Bamaであるというジョークも徘徊し。アイルランドのバンドによって、2008年に演奏され、人気となった"There’s No One As Irish As Barack O'Bama"(バラク・オバマほどアイリッシュな奴はいない)という可笑しい歌もありました。 この歌を歌詞を見ながら、Uチューブで 聞いてみましょう 。なかなか笑えます。 オバマ氏自身も、ダブリンでのスピーチで、「ハロー、ダブリン!ハロー、アイルランド!私の名は、マネーゴールのバラク・オバマです。どこかで無くしてしまったアポストロフィー(’)を探しに来ました!」なんて、気の利いた冗談を飛ばし。ああ、いいですね。洗練されてますね、彼。 マネーゴールは人口は現在約300人と、かなり小さい村。村のパブで、恒例、ギネス・ビールの試し飲みとあいなりました。ごくごくっとやった後、「大統領は、ちゃんと金払うぞ!」とドンとバーにお金を置いて。これも、なかなか受けてました。 それにしても、彼は、アイルランドだけでなく、ヨーロッパでは人気の大統領の感があります。おそらく、アメリカ内でよりも人気があるのでは。ヨーロッパには、アメリカ国内に多々いる模様の、オバマ氏を

紫のぼんぼん

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アリウム(Allium)は、昔ガーリック(にんにく)を意味した言葉。にんにく、玉ねぎ、長ネギなどを含む、アリウム属に入る植物は700種近くあると言いますが、ガーデニングでアリウムと言うと、大体、5,6月に咲く、この紫のぼんぼん花を、真っ直ぐのすらっとした茎につける植物の事です。 コテージガーデンなどで、一般的に人気のアリウムに、Allium hollandicum 'Purple Sensation'(オランダ・ガーリック ‘パープルセンセーション’)と呼ばれる種があります。ぼんぼんは、約10センチくらいの大きさでしょうか。 上の写真で咲いているのは、紫のぼんぼんが、更に大きく、約20センチはあろう感じでした。頭が一番大きいアリウムで、グローブマスター(Allium 'Globemaster')と呼ばれる品種です。どうりで、後ろにある像が小さく見えるわけで。グローブマスターは、1964年に、オランダ人により開発、命名されています。 それにしても、これだけ、植えられていると、かなりのインパクトがあります。 背景も写すと、こんな感じです。綺麗ですね。アリウムは、花が落ちてしまった後も、形が面白く、ドライフラワーのアレンジに使われたりもします。 蜂も、ご満悦のようです。「こいつは、美味い。気に入った。」花の蜜は、さすがに、玉ねぎ・ガーリック風味ではしないでしょうね。 このアリウム‘グローブマスター’達が咲いていたのは、すでに花が終わってしまった藤棚のわき。藤も、同時期に咲いていたら、全体の紫の印象が、更に、すばらしかった事でしょう。 さて、同じアリウム属でも、Allium schoenoprasumという名の種は、ハーブとして使われるチャイブ(Chive)の事です。 チャイブは、うちでも、ポットで育てていて、ひょろりとした葉を、ちょんちょんと摘んで、サラダや、魚の上にぱらっと落としたりして使っています。その、玉ねぎっぽい臭いを、ナメクジが嫌がるという話で、ナメクジに葉を食べられたくない植物の周りに、チャイブを植えると良いなどと言われています。 チャイブの花は、アリウムにも似ていますが、ずっと小型。上の写真の古長靴を使用したプランターにも、いちごやパセリなどと一緒に植えてありました。 ・・・ああ、それに

焦点になる庭園の石像

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大き目の庭園では、両側を花壇や生垣に挟まれた小道の突き当たりに、焦点として、石像などを置いてあったりします。絵画などの鑑賞をしていても、構図の線を辿って目が自然に辿り着くところに、何か気になるものが描かれていると、絵がぐっとひきしまった感じになるのと同じ。そぞろに、花を楽しみながら小道を歩いていても、前面にある石像が、おいでおいでと呼んでいる気がするのです。 そうして、ぐんぐん石像に引き寄せられて接近すると、 ギリシャ・ローマ風高貴なお顔をしたこの方の胸元には、蝶までが、引き寄せられてとまっていました。 アップして見ると、レッド・アドミラル(Red admiral)でした。この蝶の名の由来は、アドマイラブル(admirable 賞嘆すべき)の発音がくずれて、アドミラルとなったようです。 イギリスで見られるレッド・アドミラルのほとんどは、5,6月に、南方のコンチネンタル・ヨーロッパから海峡を越えて飛んで来るものです。外国から到着した蝶達は、卵を産み、新しい世代の若い蝶が、夏にデヴューを果たします。秋になると、何羽かは、親がやって来た南ヨーロッパへ飛んで行き、何羽かは、こちらで冬を越すそうです。当然、冬に生き延びられない蝶も沢山います。この蝶は、海の向こうから飛んできたのでしょうか?それとも、寒いイギリスの冬を耐えたのでしょうか?どちらにしても、お疲れ様、という感じですね。しばし、彫像のアクセサリーと化して、ひと休み。陽射しを楽しんでいました。 さて、こちらの石像なども、その配置たるや、絵画の遠近法習得デッサンの教材になりそう。 この石像の髪の毛にも、蝶がとまってくれていたら、それは良いシャッター・チャンスだったのですけどね。

子供の目で見る闘争

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チリの映画・・・なんてあまり聞きません。私も見たのは、2004年公開の、マチュカ(Machuca)が始めて。監督のアンドレス・ウッドによると、チリでは、アウグスト・ピノチェト(こちらでは、ピノシェと発音しています)による軍事独裁政権の間、映画は20年近く制作されていなかったそうなのです。 日本では、「マチュカ~僕らと革命」の邦題でDVDが販売されているようですが、お奨めです。特に、少しでも20世紀の南米の歴史に興味があれば。 映画は、1973年、チリのサンティアゴを舞台に、1970年の選挙で大統領になった社会主義のサルバドール・アジェンテ政権が、新しく軍の司令官に任命されたピノチェト率いる軍のクーデターで倒される前の、社会の緊張感が描かれています。一種の政治映画でありながら、話が2人の少年の視線で描かれていくので、とても入りやすいのです。 裕福な家庭の息子、11歳のゴンザロ・インファンテは、サンティアゴの、私立学校へ通う。社会主義派のアジェンデ政権の設立と、学校長マッケンロー牧師の方針で、今まで支払い能力のある金持ちの子供のみを受け入れていた、この学校に、近郊のスラム街からの子供達も通わせる事になり、ゴンザロのクラスにも、数人の貧しい子供が新しく入ってくる。その中の一人が、ペドロ・マチュカ。2人は次第に仲良しに。お互いの住む場所を訪ねあい、そのまったく異なった環境が明らかになっていく。ゴンザロは、やはりスラム街に住、おませ娘、シルヴァナとも知り合い、彼女に淡い恋心も抱くようになる。 一方、学校の富裕層の親達の中からは、この貧しい子供を入れる方針を「共産主義的」と攻撃する声が出てくる。また、アジェンデ政権の社会改革を支持する左派と、体制維持の右派とで、社会一般はまっぷたつ。内戦の恐れも漂い。巷では、双方の陣営がデモを繰り返す日々。浮気と、高価なお洋服購入に余念のない、いささか退廃的なゴンザロの母も、右派のデモに参加するまでになるのです。 ゴンザロがペドロの家(掘っ立て小屋)を訪れた際、飲んだくれのペドロのお父さんは、ペドロがゴンザロを「友達」と称するのを聞いて、あざ笑い、「こいつは、やがて、金持ち父ちゃんの事業をひきつぐだろうが、お前は、いつまでたったて、トイレ掃除の仕事でもしているのがおちだ。数年たったら、お前の名前だって覚えちゃいないだろう。友達だって!けっ!」

コヴェント・ガーデンの花売り娘

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コヴェント・ガーデンの花売り娘、というと、どうしても、映画「マイ・フェア・レディ」のイライザ・ドゥーリトルを連想します。そして、そのイライザ役のオードリー・ヘプバーンが頭に浮かび、何となく、愛らしいイメージに繋がったりするのです。 コヴェント・ガーデンが、まだ、野菜類や花を売る青果市場だった、ヴィクトリア朝の、本物のコヴェントガーデンの花売り娘たちの白黒の写真を見たことがあります。(花売り娘・・・というよりも、少し年長でしたが。)彼女らの写真からは、顔や着ているものに、生活の困窮を感じ、映画のオードリーのキュートなスマイルとは、ほど遠いイメージでありました。繁盛する青果市場の脇に陣取り、何とか食いつないでいくため、少しでも金になることを探して、社会の隅っこに生きた人たちですから。 当時の花売りの女性達は、朝は、早くから市場へ出向き、1日12時間は立って労働をしていた様子。特に貧しい売り子達は、花は、市場内や周辺に落ちているものを拾い集めて売ったり、また、売れ残りのあまり質の良くないものを卸業者から仕入れて売ったり。季節や天気によっては、ほとんどお金にならぬ日もあり。それでも、雨にも負けず、風にも負けず、同じ場所に立ち続け。子供のいる女性は、少しの間、子供に代わりに立たせて、休憩を取ったりもしていたという話です。そんな苦労生活から抜け出せ、ヒギンズ教授から、貴婦人教養を仕込まれたイライザ・ドゥーリトルは、非常に幸運。 コヴェント・ガーデン・・・かつては、ウェストミンスター寺院の修道院(コンヴェント)に付属する野菜を育てるガーデンであったところから、コンヴェント・ガーデンと呼ばれていたこの地。修道院の坊さんによって、院内での生活に必要なものは、ここで耕し育てられ。 ローマとの決別に由来する、ヘンリー8世による修道院の解散後の1540年、ヘンリーは、この土地を、ちゃっかり自分で没収、更に後に、ベッドフォード伯、ジョン・ラッセルへ寄与しています。 1600年代に、建築家イニゴー・ジョーンズが、ここに、お洒落な広場(プラザ)を設計しますが、徐々に、その周辺に、野菜等を売る屋台が立ちはじめます。特に、 ロンドン大火 で、ロンドン東部のシティーが焼け落ちた後は、市場としての地位を確立。その後、長い間、ロンドンで、青果マーケットと言えば、コヴェンント・ガーデ

森の中に広がるアン女王のレース

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カウ・パセリ(英語俗名Cow Parsley、ラテン学名 Anthriscus sylvestris)が、小さな森の木陰一面に咲いていました。 日本語ではシャクと呼ばれるカウ・パセリは、5月の後半、田舎の道端、森の中、原っぱの端っこに、大挙して生える雑草ですが、緑を背景にばーっと広がる様子や、こうして木漏れ日の中で地面を覆う様子をみると、なかなかどうして、美しいものです。「アン女王のレース」(Queen Anne's Lace)などと呼ばれるのも、うなずけます。 カウ・パセリの学名につくsylvestrisという言葉は、手持ちの 植物ラテン語辞典 によると、sylvesterなどと同じく、「森の」という意味。響きも、意味も、さわやかな感じ。俳優のシルベスター・スタローンのシルベスターも、もとはこの語源からでしょうね。 この森林は、隣接のお屋敷の所有で、屋敷の主の書いた情報パンフレットによると、森林内の植物は、ウサギや 灰色リス にがぼがぼと食され、その被害なかなか大変だということ。 特に、ウサギ達は、レンガ塀に囲まれた、屋敷のウォールド・ガーデン内(上の写真)にも入り込み、色々と食べまくるので、ついに、館の主は、銃を買った、とありました。私、町の肉屋で、ウサギを以前買って料理した事があるのですが、「近くで取れたウサギ」と札がついていましたっけ。この館で取ったものだったりして・・・。 ウサギや灰色リスは、法で守られている動物とは違い、できるだけ痛みを与えないよう、銃などで一発でしとめるようにすれば、殺しても良い動物となっています。まあ、殺してしまったからには、無駄にせず、食べた方がいいのです。それにしても、マクレガーさんの庭に潜入して追い掛け回されるピーター・ラビットの様なドラマが、今でも、その辺で繰り広げられているものです。 ウサギも灰色リスも、もとは、過去に海外から導入された、よそ者動物ですが、その繁殖力と、生命力ですっかり、現地の動物のようになってしまっています。やっかいな暴れ者。それでいながら、森林内のベンチの土台には、上の写真の様な、リスのモチーフが使われていて・・・。このベンチを見ながら、「可愛いんだけど、困るんだよね・・・」という、こうした動物たちと人間の微妙な関係を感じました。 それにしても、ウサギやリス攻撃に合いな

マイリンゲンにいざ参りけん!

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スイス、マイリンゲン(Meiringen)。一般には、あまり聞きなれない地名かもしれませんが、シャーロック・ホームズのファンには、「最後の事件」(The Final Problem)の舞台としてなじみがある事でしょう。この話の中で、ワトソンとホームズはマイリンゲンに滞在し、ホームズは近辺にある、ライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)にて、モリアーティ教授と取っ組み合いの後、滝つぼに落ちる設定になっています。作者コナン・ドイルもよくやって来た場所だという事。 It was on the 3d of May that we reached the little village of Meiringen・・・ われわれがマイリンゲンという小さい村に到着したのは、5月3日の事だった・・・(「最後の事件」より) ここは、また、お菓子、メレンゲの発生の地とも言われます。マイリンゲン・・・メレンゲ・・・なるほどね。 私がマイリンゲンを訪れたのは、かれこれ、7年位前になるのでしょうか。3月終わりから4月の頭にかけてだったと思います。チューリッヒからの電車の往復切符つきのお得な1週間のスキーのパッケージツアーを見つけて行ったのです。 泊まったホテルのすぐ横には、イギリス風教会があり。その地下は、とても小さいシャーロック・ホームズ博物館となっていました。 当ホームズ博物館のある広場はその名もずばり、コナン・ドイル・プレイス。博物館内部には、ロンドンのベーカー・ストリートにあったとされるホームズのアパートを再現。訪問者用の記帳本にはちらほら日本語の書き込みもありました。私が博物館を覗いた日付でも、日本人男性のサインが!スキー場や、道を歩いていても、日本人など、いっさい見かけなかったのに、マイリンゲンを訪れる日本人は、皆、ここに押し寄せていたのか!こんなに小さな博物館だけを目当てに?まあ、このあと、ライヘンバッハの滝を見学、というのも考えられます。 先日ラジオで、世界中で、シャーロック・ホームズ関係のクラブや、協会は多々あるが、そのうち最大規模のものは、東京にある、シャーロック・ホームズ・クラブです・・・とやっているのを聞いてびっくりしたのです。そのラジオ番組によると、このクラブのメンバーは約千人。そのメンバー内の、34人は、クラブ内の他のメンバ

経度を求めて

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米作家、デーヴァ・ソベル(Dava Sobel)による、Longitude: The true story of a lone genius who solved the greatest scientific problem of his time(経度:時代の最大の科学的問題を解決した孤高の天才の実話)という本が一時ベストセラーになっていました。 日本語では、「経度への挑戦―1秒にかけた四百年」というタイトルで翻訳物が出ているようです。 18世紀の時計技師ジョン・ハリソン(John Harrison)が航海に耐えられる正確な時計を作成するための約40年間に渡る苦闘。そして、その約200年後、第一次世界大戦直後、埃をかぶり、倉庫に埋もれたままになっていた、ハリソンの貴重なクロノメーター(chronometer:航海用時計)を再びもとのコンディションに修正しようとするルパート・ゴウルド(Rupert Gould)の努力。 原作は読んだ事がないのですが、この本をもとにテレビ用にドラマ化されたものを見たことがあります。これが、とても、良かったのです。ジョン・ハリソンはマイケル・ギャンボン、ルパート・ゴウルドはジェレミー・アイアンズが演じていました。 ドラマは、18世紀のハリソンと20世紀のゴウルドの話を交互にフラッシュバックで見せ、ハリソンの5つのクロノメーターが作られた背景と、それがいかにゴウルドによって、現在のコンディションに戻されたかを、他の事にはいっさい注意を払わないような、両者の執拗なまでの時計への情熱を共通点として綴っていきます。 当時は、航海の際に、船のいる緯度(latitude)を知る事は、星の観測などで比較的容易に得られたものの、経度(longitude)を的確に知る方法がまだ見つかっておらず、経度を誤まったため船が難破、遭難する事が問題となっていました。その打開には、やはり天体の観測が鍵、と、チャールズ2世により、グリニッジ天文台も設置されたわけですが、なかなか解決策は見つからなかった。 1時間の時差があると、経度は15度違う・・・よって、天体に頼らずとも、基本になる場所の時間(例えばグリニッジの時間)と、船の現地時間(こちらは、太陽の位置によって計算可能)がわかれば、経度の計算もできたのですが、基本の場所の時間を知るには、

ウィッカーマン

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いわゆるカルト映画です。ホラーなどと言われますが、血が飛び散って、ギャー!!!というものでなく、じわじわとくる、心理的に薄気味悪い類のものです。それでいながら、半分、フォークソング調のミュージカル風でもあり、あまりのシュールさに、時に「ぶっ」と吹き出してしまう、妙なおかしさもあるのです。 原作と映画版のシナリオを手がけているアンソニー・シェーファー氏は、「アマデウス」で有名な英戯曲作家のピーター・シェーファーとは、双子の兄弟です。 ニコラス・ケイジ主演の2006年のリメイクもありますが、話題に上がるのはいつも、1973年作、エドワード・ウッドウォード、クリストファー・リー出演のイギリスのオリジナルの方ですので、誰が何と言っても、絶対に、こちらを見ましょう。 スコットランド西部のサマーアイル島(Summerisle、実在しません)にて、島の少女、ローワンが行方不明になった、と本土の警察に無記名で手紙が送られてくる。それに答えて、小型飛行機で島に降り立つ一人の警官、ハウイー(エドワード・ウッドウォード)。島のパブ、店、学校で、島民達に、送られてきた少女の写真を見せ、捜査を行おうとするのだが、母親も含め、全員が口をあわせ、「こんな娘は知らない」と言う。 サマーアイルは、キリスト教前の、ケルト系の異教の影響を受ける宗教や習慣を持ち、自然の神々、特に太陽を崇拝し、多産、豊穣、生殖をあがめ、輪廻転生を信じる。島民が夜、裸で徘徊する様子、裸の若い女性達が火の周りを踊りながら、炎を飛び越える異様な光景等を見て、ハウイーも、見る側も、「こいつら、様子がおかしいぞ・・・少女に一体何があったのか。」と疑惑を持つ。しかも、ハウイーは、スコットランドの厳格なプロテスタント(Presbyterian プレスヴィテリアン:長老派教会)のキリスト教信者であり、婚前のエッチや、休息の日の日曜日に、飲んだり騒いだりのドンちゃん騒ぎはとんでもない、というタイプ。 学校でも、この異教の風習を生徒達に伝授。ハウイーが学校を訪れると、校庭ではメイポールの周りを生徒達が歌って踊っており、教室内では、先生が「メイポールは何を象徴しますか?」の問いに、生徒が「ファルス(おちんぽこ)。」と答えるのを聞き、絶句する彼。また、滞在したパブ兼宿では、宿のお色気お姉さん、ウィローが、夜、ハウイーを誘惑しよ