子供の目で見る闘争

チリの映画・・・なんてあまり聞きません。私も見たのは、2004年公開の、マチュカ(Machuca)が始めて。監督のアンドレス・ウッドによると、チリでは、アウグスト・ピノチェト(こちらでは、ピノシェと発音しています)による軍事独裁政権の間、映画は20年近く制作されていなかったそうなのです。

日本では、「マチュカ~僕らと革命」の邦題でDVDが販売されているようですが、お奨めです。特に、少しでも20世紀の南米の歴史に興味があれば。

映画は、1973年、チリのサンティアゴを舞台に、1970年の選挙で大統領になった社会主義のサルバドール・アジェンテ政権が、新しく軍の司令官に任命されたピノチェト率いる軍のクーデターで倒される前の、社会の緊張感が描かれています。一種の政治映画でありながら、話が2人の少年の視線で描かれていくので、とても入りやすいのです。

裕福な家庭の息子、11歳のゴンザロ・インファンテは、サンティアゴの、私立学校へ通う。社会主義派のアジェンデ政権の設立と、学校長マッケンロー牧師の方針で、今まで支払い能力のある金持ちの子供のみを受け入れていた、この学校に、近郊のスラム街からの子供達も通わせる事になり、ゴンザロのクラスにも、数人の貧しい子供が新しく入ってくる。その中の一人が、ペドロ・マチュカ。2人は次第に仲良しに。お互いの住む場所を訪ねあい、そのまったく異なった環境が明らかになっていく。ゴンザロは、やはりスラム街に住、おませ娘、シルヴァナとも知り合い、彼女に淡い恋心も抱くようになる。

一方、学校の富裕層の親達の中からは、この貧しい子供を入れる方針を「共産主義的」と攻撃する声が出てくる。また、アジェンデ政権の社会改革を支持する左派と、体制維持の右派とで、社会一般はまっぷたつ。内戦の恐れも漂い。巷では、双方の陣営がデモを繰り返す日々。浮気と、高価なお洋服購入に余念のない、いささか退廃的なゴンザロの母も、右派のデモに参加するまでになるのです。

ゴンザロがペドロの家(掘っ立て小屋)を訪れた際、飲んだくれのペドロのお父さんは、ペドロがゴンザロを「友達」と称するのを聞いて、あざ笑い、「こいつは、やがて、金持ち父ちゃんの事業をひきつぐだろうが、お前は、いつまでたったて、トイレ掃除の仕事でもしているのがおちだ。数年たったら、お前の名前だって覚えちゃいないだろう。友達だって!けっ!」

最終的には、1973年9月11日のクーデターで、アジェンデは死亡(ライフルを使った自殺か、兵士による他殺かは、定かでありません)、軍が政権を握り、学校も、直接軍の下におかれ。中流富裕層でも、政治的見解が、やや左寄りで、社会主義に同情的な親の子供達は退校処分。マッケンロー牧師も、お払い箱となります。最後に、ゴンザロとペドロが会うのは、軍に押し入られたスラム街にて。軍の人間達による住人への暴力を目撃し、呆然となるゴンザロ。軍人に危害を加えられそうになり「僕はここの住人じゃない。着ている物を見てくれ!」と叫ぶ。金持ちの子だと気づくと、軍人は、とっととここから去れと命令、ゴンザロは、命からがら、ペドロを後に、自転車で逃げ出す。

描き方として、ルイ・マル監督が、第2次大戦と、ユダヤ人に対する虐待を、フランスのカトリックの寄宿学校の子供の目を通して描いた「さよなら子供達」(Au Revoir Les Enfants)を思わせるものがありました。こちらは、日本にいた時に、映画館で見たのです。

特に、最後に、ユダヤ人の子供を学校にかくまっていたため、学校へ侵入してきたゲシュタポに、ユダヤ人の少年と共に連れて行かれてしまう、学校長の牧師さんに、子供達が、「さよなら」と言うのに答え、彼が「さよなら、子供達」と言い返すシーンは、「マチュカ」内で、マッケンロー牧師に、子供達が立ち上がって「さようなら」を言うシーンにとても似ており、ちょっと「頂き」したかな、という気がします。「マチュカ」の方の、さよならシーンは、少々、劇的効果を上げすぎて、これ以上やると、臭くなる、というぎりぎりの線だった感じがしましたが、「さよなら、子供達」での同場面は、とても、さらっと流れ、さりげなく、そのため、余計に現実味と寂しさが伝わったのを覚えています。

家庭の事情、信仰、信条が何であれ、子供は子供として、交友ができた無垢な時代への「さようなら」でもあるのでしょうか。「さよなら、子供達」も良い映画でありました・・・。

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当時の南米の政治に非常に介入していたアメリカ。南米に共産主義がはびこるのを恐れ、チリの右派を支持し、アジェンデ政権打倒のため、経済封鎖なども行い。映画内でも、この影響か、物資不足の様子が描かれ、店のシャッターには、「肉ありません」「ミルクありません」の張り紙。ゴンザロ一家のような富裕層は、闇マーケットで、物資をごっそり仕入れていたようですが。例によって例のごとく、CIAも暗躍して、汚い事をしていたようです。南米だけに限らず、リベラル派の中に多い、アメリカへの嫌悪感を強く抱く人々には、こういうのも、アンチ・アメリカになる大きな原因でしょう。

スティングの歌、「They Dance Alone」(彼女達はひとりで踊る)は、政権を取ったピノチェトに殺害された息子や夫、親族の写真を手に、ひとりで踊りをおどるチリの女性たちの事を歌った、政治メッセージ・ソングでした。貧民層に限らず、中流のリベラルなインテリ層でも、ピノチェトの独裁政権下で逮捕、殺害された人たちは多々いたでしょう。

また、ほぼ同時期に、アルゼンチンでも、同じように、右派による左派の粛清が行われて、多数の人間が、「行方不明」(要は殺された)の憂き目に。

このスティングの歌の歌詞、途中で、ピノチェトを名指しで呼んで、なかなかダイレクトなのです。

Hey Mr. Pinochet
You've sown a bitter crop
It's foreign money that supports you
One day the money's going to stop
No wages for your torturers
No budget for your guns
Can you think of your own mother
Dancin' with her invisible son

They're dancing with the missing
They're dancing with the dead
They dance with the invisible ones
They're anguish is unsaid
They're dancing with their fathers
They're dancing with their sons
They're dancing with their husbands
They dance alone
They dance alone

ピノチェト氏よ
君は苦い穀物の種をまいた
君を支えるのは外国の資金
いつの日か、その資金も滞り
君の拷問に給与がでなくなり
君の武器への予算は枯れる
君は、君自身の母が
目に見えない息子と踊るのを想像できるか

彼女達は行方不明者と踊っている
彼女達は死者と踊っている
彼女達は目に見えない者と踊っている
彼女達は苦悩を口にせず
彼女達は父と踊っている
彼女達は息子と踊っている
彼女達は夫と踊っている
彼女達はひとりで踊る
彼女達はひとりで踊る

Uチューブでこの歌を聞いてみよう

ところで、ピノチェトは、1998年に、病気の治療のためにイギリスを訪問。その際、何人かの市民がチリで拷問を受け、70年代に、外交官もチリで殺害されていたスペインは、イギリスに、裁判にかける事ができるよう、ピノチェットの身柄のスペインへの引渡しを要請。当時の労働党政府は、ピノチェトを逮捕、イギリス国内で、身柄拘束。1年以上に渡るけんけんごうごうの議論の末、最終的に体調を理由に、チリへ帰還することを許しています。ピノチェトは親アメリカであったし、イギリス対アルゼンチンのフォークランド戦争では、チリから手助けを受けたサッチャー元首相は、ピノチェトとは仲良しさんだったので、この際、彼女は、率先して、ピノチェトのスペインへの身柄引き渡しに反対していました。後、彼は、2006年に、裁判にかけられることなく、チリで、91歳で死んでいます。大体において長生きですよね、こういう独裁者。

今は、民主主義の国として、経済的に向上しているチリですが、ゴンザロとペドロの2人に代表されるような、貧富の差は、まだまだなくなっていないようです。監督のインタヴューによると、この2つの階級が、唯一共通の話題と興味を持てるものは、サッカー。映画が、スラム街の前にある空っぽのサッカー場を見つめるゴンザロの姿で終わるのも、象徴的な意味があるようです。とりあえずは、チリが、こういう映画を自由に作る事ができる社会になっただけでも、進歩ではあります。

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追記:5月23日 月曜日

本日、チリにて、サルバドール・アジェンデの遺体が掘り起こされ、自殺か、他殺かの、死因を確認するための、科学検査が行われる予定だとのニュースが入りました。公式では、アジェンデは、クーデターの日、友人であったキューバのカストロからもらったライフルで自殺したとされているものの、兵士による銃殺の疑いもあるまま、今に至っています。この件に関する記事は、こちらまで。

コメント

  1. こんばんは
    今日はもう真夏の暑さでした。
    子供の時代にさよならするのは現実を知る時なのでしょうか? 独裁者のもとで生きるしかないとしたら、絶望にかわる希望をどう探せばいいのか。リビア、エジプト、チュニジア、さらにひろがる革命にも同じ空気が感じられます。混沌として来た世界に思いを馳せました。スティングはポリスのころからの大ファンです。南米の政治情勢にも関心がふかいですよね。

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  2. 独裁者側にいる人間は、比較的良い思いをしての生活も可能でしょうが、反対側に立っていた人間は、たまったものではないですね。ピノチェトなども、チリでの意見は、いまだ分かれている様なので、どちら側にいたかで、その判断も違うのでしょう。私だったら、独裁者の反対側だったら、すかさず亡命です。

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