コヴェント・ガーデンの花売り娘
コヴェント・ガーデンの花売り娘、というと、どうしても、映画「マイ・フェア・レディ」のイライザ・ドゥーリトルを連想します。そして、そのイライザ役のオードリー・ヘプバーンが頭に浮かび、何となく、愛らしいイメージに繋がったりするのです。
コヴェント・ガーデンが、まだ、野菜類や花を売る青果市場だった、ヴィクトリア朝の、本物のコヴェントガーデンの花売り娘たちの白黒の写真を見たことがあります。(花売り娘・・・というよりも、少し年長でしたが。)彼女らの写真からは、顔や着ているものに、生活の困窮を感じ、映画のオードリーのキュートなスマイルとは、ほど遠いイメージでありました。繁盛する青果市場の脇に陣取り、何とか食いつないでいくため、少しでも金になることを探して、社会の隅っこに生きた人たちですから。
当時の花売りの女性達は、朝は、早くから市場へ出向き、1日12時間は立って労働をしていた様子。特に貧しい売り子達は、花は、市場内や周辺に落ちているものを拾い集めて売ったり、また、売れ残りのあまり質の良くないものを卸業者から仕入れて売ったり。季節や天気によっては、ほとんどお金にならぬ日もあり。それでも、雨にも負けず、風にも負けず、同じ場所に立ち続け。子供のいる女性は、少しの間、子供に代わりに立たせて、休憩を取ったりもしていたという話です。そんな苦労生活から抜け出せ、ヒギンズ教授から、貴婦人教養を仕込まれたイライザ・ドゥーリトルは、非常に幸運。
コヴェント・ガーデン・・・かつては、ウェストミンスター寺院の修道院(コンヴェント)に付属する野菜を育てるガーデンであったところから、コンヴェント・ガーデンと呼ばれていたこの地。修道院の坊さんによって、院内での生活に必要なものは、ここで耕し育てられ。
ローマとの決別に由来する、ヘンリー8世による修道院の解散後の1540年、ヘンリーは、この土地を、ちゃっかり自分で没収、更に後に、ベッドフォード伯、ジョン・ラッセルへ寄与しています。
1600年代に、建築家イニゴー・ジョーンズが、ここに、お洒落な広場(プラザ)を設計しますが、徐々に、その周辺に、野菜等を売る屋台が立ちはじめます。特に、ロンドン大火で、ロンドン東部のシティーが焼け落ちた後は、市場としての地位を確立。その後、長い間、ロンドンで、青果マーケットと言えば、コヴェンント・ガーデン。18世紀には、また、近隣に、著名人が足を運ぶ有名なコーヒーハウスもでき、今ではコヴェント・ガーデンの代名詞のような、オペラ・ハウスも建設されます。
1840年には、巨大なマーケットホールが建てられ、青果マーケットは、その内部に収容されます。市場自体は、やがて、1970年代に、テムズ川南部へ移され、現在は、ニュー・コヴェント・ガーデンの名で知られています。市場移動後、マーケットホールは、解体して、跡地にオフィスのビルを作る計画もあったようですが、最終的に、大変な反対に合い、結局、お洒落風の店や、工芸品などのマーケット、レストラン、カフェ等を入れて再生され、現在にいたっています。イライザのような花売り娘達はもういませんが、毎日のように観光客で、にぎわっています。オフィスなんかにしなくて良かったですね。
そしてもちろん、無くてはならない大道芸も、マーケットホール西側の広場で披露され、ひとだかり。大道芸人は、すでに17世紀から、コヴェント・ガーデンで芸を見せていたようです。
見物客を喜ばせようと、はりきりすぎて、一輪車から転がり落ちないでね!
「マイ・フェア・レディ」は、映画内に王様が何度か言及されるので、ヴィクトリア女王の息子のエドワード7世の時代が設定。とにかく、歌が1つ残らずいいのです。思うに、私の一番好きなミュージカル映画。中休みが入る、比較的長い映画ですが、退屈せず見れます。
中でも私が一番好きな歌は、イライザがまだ花売り娘の頃に、暖かい家を思い浮かべて歌う、「Wouldn't it be lovely」。特に寒い日、外を歩いているときなど、非常に気持ちがわかる歌詞。「(もし)xxだったら、xxだろう」という、「would」を使用した、英語の仮定法現在の例文にもなりますよ。
All I want is a room somewhere,
Far away from the cold night air.
With one enormous chair,
Aow, wouldn't it be lovely?
Lots of choc'lates for me to eat,
Lots of coal makin' lots of 'eat.
Warm face, warm 'ands, warm feet,
Aow, wouldn't it be lovely?
私が欲しいのは、部屋、それだけよ
どこか、冷たい夜の空気から遠く離れて
すごく大きな椅子があるの
ああ、そうしたら、素敵よね
チョコレートが沢山あって
沢山の石炭がとても暖かい火を燃やし
暖かい顔に、暖かい手と、暖かい足
ああ、そうしたら、素敵よね
イライザのような、コックニー訛りを持つ、ロンドン労働階級の人間は、Hをほとんど発音しないので、ヒート(heat)はイート、ハンズ(hands)はアンズと聞こえます。歌詞中のつづりもをH落とした形で書かれています。ヒギンズ教授の家に下宿しながら、イライザは、この訛りを直し、貴婦人のように喋り振舞うための一大レッスンを受けるわけです。
怠け者で酒飲みのお父さんは、娘からお小遣いをもらいながらも、自分は一切、娘に助けを出さないという、どうしょうもない奴ですが、どこかお茶目。イライザがヒギンズ教授に引き取られたと知ると、館に押しかけ、ヒギンズ教授からお金をもらい、娘を売り払うような行為に出るのですが、なぜか憎めないおじさん。イライザも、ずいぶん、父親に対してはあっさりした態度を示しているのが現在の目から見ると不思議ではあります。
このお父さんが、再婚するに当たって、結婚式の朝の前夜、ロンドンの居酒屋で大騒ぎをする中、歌う、「Get me to the church on time」という歌も愉快でした。ウィリアム王子の結婚式の日、道端や公園の人だかりで、この歌を歌う人たちが、わりといたのが記憶に新しいところでもあります。
I'm getting married in the morning!
Ding dong! The bells are gonna chime.
Pull out the stopper!
Let's have a whopper!
But get me to the church on time!
俺は明日の朝、結婚だ
教会の鐘がディン・ドンと鳴るぞ
固い事は抜きで
大いに楽しもう
だが、時間通りに教会へ連れて行ってくれよ
こうして書いていると、他の歌の歌詞も載せて、訳したくなり、また、ユーチューブで探し出して全部聞きたくなり・・・と、きりがありませんので、この辺にしておきます。
コヴェント・ガーデンが、まだ、野菜類や花を売る青果市場だった、ヴィクトリア朝の、本物のコヴェントガーデンの花売り娘たちの白黒の写真を見たことがあります。(花売り娘・・・というよりも、少し年長でしたが。)彼女らの写真からは、顔や着ているものに、生活の困窮を感じ、映画のオードリーのキュートなスマイルとは、ほど遠いイメージでありました。繁盛する青果市場の脇に陣取り、何とか食いつないでいくため、少しでも金になることを探して、社会の隅っこに生きた人たちですから。
当時の花売りの女性達は、朝は、早くから市場へ出向き、1日12時間は立って労働をしていた様子。特に貧しい売り子達は、花は、市場内や周辺に落ちているものを拾い集めて売ったり、また、売れ残りのあまり質の良くないものを卸業者から仕入れて売ったり。季節や天気によっては、ほとんどお金にならぬ日もあり。それでも、雨にも負けず、風にも負けず、同じ場所に立ち続け。子供のいる女性は、少しの間、子供に代わりに立たせて、休憩を取ったりもしていたという話です。そんな苦労生活から抜け出せ、ヒギンズ教授から、貴婦人教養を仕込まれたイライザ・ドゥーリトルは、非常に幸運。
コヴェント・ガーデン・・・かつては、ウェストミンスター寺院の修道院(コンヴェント)に付属する野菜を育てるガーデンであったところから、コンヴェント・ガーデンと呼ばれていたこの地。修道院の坊さんによって、院内での生活に必要なものは、ここで耕し育てられ。
ローマとの決別に由来する、ヘンリー8世による修道院の解散後の1540年、ヘンリーは、この土地を、ちゃっかり自分で没収、更に後に、ベッドフォード伯、ジョン・ラッセルへ寄与しています。
1600年代に、建築家イニゴー・ジョーンズが、ここに、お洒落な広場(プラザ)を設計しますが、徐々に、その周辺に、野菜等を売る屋台が立ちはじめます。特に、ロンドン大火で、ロンドン東部のシティーが焼け落ちた後は、市場としての地位を確立。その後、長い間、ロンドンで、青果マーケットと言えば、コヴェンント・ガーデン。18世紀には、また、近隣に、著名人が足を運ぶ有名なコーヒーハウスもでき、今ではコヴェント・ガーデンの代名詞のような、オペラ・ハウスも建設されます。
1840年には、巨大なマーケットホールが建てられ、青果マーケットは、その内部に収容されます。市場自体は、やがて、1970年代に、テムズ川南部へ移され、現在は、ニュー・コヴェント・ガーデンの名で知られています。市場移動後、マーケットホールは、解体して、跡地にオフィスのビルを作る計画もあったようですが、最終的に、大変な反対に合い、結局、お洒落風の店や、工芸品などのマーケット、レストラン、カフェ等を入れて再生され、現在にいたっています。イライザのような花売り娘達はもういませんが、毎日のように観光客で、にぎわっています。オフィスなんかにしなくて良かったですね。
そしてもちろん、無くてはならない大道芸も、マーケットホール西側の広場で披露され、ひとだかり。大道芸人は、すでに17世紀から、コヴェント・ガーデンで芸を見せていたようです。
見物客を喜ばせようと、はりきりすぎて、一輪車から転がり落ちないでね!
「マイ・フェア・レディ」は、映画内に王様が何度か言及されるので、ヴィクトリア女王の息子のエドワード7世の時代が設定。とにかく、歌が1つ残らずいいのです。思うに、私の一番好きなミュージカル映画。中休みが入る、比較的長い映画ですが、退屈せず見れます。
中でも私が一番好きな歌は、イライザがまだ花売り娘の頃に、暖かい家を思い浮かべて歌う、「Wouldn't it be lovely」。特に寒い日、外を歩いているときなど、非常に気持ちがわかる歌詞。「(もし)xxだったら、xxだろう」という、「would」を使用した、英語の仮定法現在の例文にもなりますよ。
All I want is a room somewhere,
Far away from the cold night air.
With one enormous chair,
Aow, wouldn't it be lovely?
Lots of choc'lates for me to eat,
Lots of coal makin' lots of 'eat.
Warm face, warm 'ands, warm feet,
Aow, wouldn't it be lovely?
私が欲しいのは、部屋、それだけよ
どこか、冷たい夜の空気から遠く離れて
すごく大きな椅子があるの
ああ、そうしたら、素敵よね
チョコレートが沢山あって
沢山の石炭がとても暖かい火を燃やし
暖かい顔に、暖かい手と、暖かい足
ああ、そうしたら、素敵よね
イライザのような、コックニー訛りを持つ、ロンドン労働階級の人間は、Hをほとんど発音しないので、ヒート(heat)はイート、ハンズ(hands)はアンズと聞こえます。歌詞中のつづりもをH落とした形で書かれています。ヒギンズ教授の家に下宿しながら、イライザは、この訛りを直し、貴婦人のように喋り振舞うための一大レッスンを受けるわけです。
怠け者で酒飲みのお父さんは、娘からお小遣いをもらいながらも、自分は一切、娘に助けを出さないという、どうしょうもない奴ですが、どこかお茶目。イライザがヒギンズ教授に引き取られたと知ると、館に押しかけ、ヒギンズ教授からお金をもらい、娘を売り払うような行為に出るのですが、なぜか憎めないおじさん。イライザも、ずいぶん、父親に対してはあっさりした態度を示しているのが現在の目から見ると不思議ではあります。
このお父さんが、再婚するに当たって、結婚式の朝の前夜、ロンドンの居酒屋で大騒ぎをする中、歌う、「Get me to the church on time」という歌も愉快でした。ウィリアム王子の結婚式の日、道端や公園の人だかりで、この歌を歌う人たちが、わりといたのが記憶に新しいところでもあります。
I'm getting married in the morning!
Ding dong! The bells are gonna chime.
Pull out the stopper!
Let's have a whopper!
But get me to the church on time!
俺は明日の朝、結婚だ
教会の鐘がディン・ドンと鳴るぞ
固い事は抜きで
大いに楽しもう
だが、時間通りに教会へ連れて行ってくれよ
こうして書いていると、他の歌の歌詞も載せて、訳したくなり、また、ユーチューブで探し出して全部聞きたくなり・・・と、きりがありませんので、この辺にしておきます。
miniさん、ご無沙汰していました。コヴェントガーデン、懐かしいです。珍しいレコード買ったり、そこでプレイしていた学生さん風の弦楽四重奏を聴いたことを思い出しました。
返信削除震災後お見舞いいただいていたのに、返信しようとした時はコメント欄がなかったりして、時期を逸しておりました。私の住んでいるあたりまで揺れは伝わってきましたが、被害は高層ビルのエレベータが一時期停まった位でした。日本はまだまだ原発復旧の見通しが立たず、非常に危惧しています。やはりこんな地震国に原発は危険だと、国が方針を変えてくれることを願うばかりです。省エネ、省エネといっても無数にある自動販売機撤去とかコンビニの営業時間を短くするとかの声は聞えてきませんね。今年の夏はエアコンの設定温度を28度にと言ってますが「我が家は30度だけど、、」とつっこんでます。
恋さん、お久しぶりです。
返信削除お住まい、西の方だった気がしたので大丈夫だろうな、とは思ったのですが、ご無事で何よりです。30度は、こちらの天候になれた私には、卒倒しそうな気温ですが、原発無くして、前と同じ生活は、無理かもしれません、確かに。一大エネルギー改革と、あらゆる角度からの節電の二刀流が要る事でしょう。
こちらは、もうかれこれ1ヶ月、雨らしき雨が無く、水不足が心配で、節水です。
コヴェントガーデンは、観光名所となっているし、今の形で残って良かったです。先日、こちらの人気番組The Apprenticeで、ニューコヴェントガーデンの野菜市場を見せていました。こちらは、私も、中を見るのは初めてでした。(ただの市場ですが。)
いやぁ~いいお話を今夜も見させていただきました。
返信削除コベントガーデンのコンサートいいですよねぇ~。チップという習慣のない私でさえ帽子を持って回られると、つい小銭をいれますもの^^昨年は、2階からフィッシュ&チップスを食べながらビールを飲み、アンティークの会場を見下ろした昼食をとって、ご満悦でしたが、その後の地下鉄の中で奥ちゃんのバッグから現金全財産すられたという思い出深い場所に変わってしまいました^^
今日から吉祥寺の東急百貨店のジュエリーフェアにでています。朝から夜まで立ち通し・・けっこうきついです・・
すりにあったのは、コヴェントガーデンからの地下鉄でしたっけか。それは、良い思い出と言うか、悪い思い出と言うか。お金あるように見えたのですよ、きっと。
返信削除内部の店は少々高めの気がして、私は、あまりお買い物はした事がない場所です。色々見て回れば、掘り出し物もあるのでしょうね。
ジュエリー市、がんばって下さい。
こんにちは
返信削除大好きなマイフェアレディは名曲ばかりですよね。君住む町を歌う青年がテレビドラマのシャーロックホームズと知って驚きました。雨は広野に降るなどは英語の発音練習にぴったりです。発音も明瞭で年に一度はみるようにしています。あと、ウディアレンの美味しい生活にはこの映画を皮肉ったヒューグラントのイギリス紳士がユーモラスです。この映画もそれなりに面白いと思います。そして、マイフェアレディのリメイクをエマトンプソンが計画しているとか、でもこの古典をこえるのは難しいでしょうね。
オードリーとレックスハリスンの組み合わせも絶妙ですし、衣装も素晴しかった。
コヴェントガーデンが保存されたのはよかったですね。ぜひ訪ねたいです。
レックス・ハリソンは、オードリーよりも、舞台で同ミュージカルを共演したジュリー・アンドリュースと映画でも共演したかったという話を聞きました。
返信削除実は・・・ヒュー・グラント・・・私は今ひとつ好きになれない役者さんです。