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3月, 2016の投稿を表示しています

ムスカリ・アルメニアクム

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毎春、植えた覚えのないムスカリ・アルメニアクム(Muscari armeniacum)の可憐な花が、庭のところどころに、ちょぼちょぼと顔を出して咲いてはいたのですが、この手の小さな花は、数が少ないとインパクトにかけるのです。そこで、去年の秋、この球根を大量買いし、いくつかの鉢に、まとめ植えしました。 ムスカリは、「じゃ香、musk」を意味するギリシャ語が名の由来。ムスカリの種類の中には、香りを放つものがあるのだそうですが、ガーデン用のムスカリで一番人気のムスカリ・アルメニアクムは、ほとんど香りはありません。ムスカリ・アルメニアクムの原生地は、小アジアと名前の通りアルメニアを含むヨーロッパの東南部。 英語では、グレープ・ヒヤシンス(Grape Hacinth)の俗名で知られるとおり、青の花は、小さな葡萄の房風。花の先端は微妙に白く、提灯袖にささやかなレース飾りがついてる様。 ムスカリは、なんでも、アスパラガス科に属する植物だそうで、そう言われてみれば、まだ色のつかない、生えてきたばかりの花の茎は、ちょんぎってゆでたら食べられそうな雰囲気もあります。実際につぼみの房も花の房も、酢漬けにして食べられる、などという話もあります。だからといって、本当に食べてみようという気はおこりませんが・・・。 去年の10月初に植えてから、かなり早い時期にしんなりした葉っぱがにょきにょきと生えだし、「こんな葉っぱばかりで、ちゃんと咲くのやら。」の心配をよそに、 イースター・サンデー の本日、綺麗に咲きそろいました。 ムスカリ・アルメニアクムを沢山植えてよかったなと思うのは、色が綺麗なのもあるし、蜂たちが好んで寄ってくるのもあります。大型のバンブルビーがグレープ・ヒヤシンスの小花にしがみついている様子は、微笑ましいのです。早春、まだ花が少ない時期に、 蜂に蜜を提供 する花は貴重。春の球根類では、チューリップやヒヤシンスなどは華やかではありますが、昆虫に食物を提供する意味では、クロッカスやムスカリに比べ、価値が低い植物です。観賞用に改良されすぎた結果でしょうかね?いずれにしても、自然にやさしいガーデンを心がけたい人には、春の球根の鉢植えの中に、チューリップ、ヒヤシンス、ダフォデルと一緒に、クロッカスやムスカリを混ぜて植えるのは、ひと押しです。 鉢植えした春の球根類

バトラーズ・ウォーフとシャッド・テムズ、そしてジェイコブズ・アイランド!

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タワーブリッジの東側、テムズ川南岸沿いに望めるのが、バトラーズ・ウォーフ(Butlers Wharf)。いまや、リバー・ヴューをたのしめる、高級マンション、お洒落なレストランやカフェなどに改造されていますが、かつては、輸入されてきた、スパイス、紅茶、コーヒー、砂糖、穀物等を荷揚げし、貯蔵する倉庫があった場所。建設された当時は、ロンドンでも屈指の規模の巨大倉庫であったようです。対岸にあるのは、 セント・キャサリン・ドック 。 1960年、70年代にドックランズが次々と閉鎖となって行き、この周辺も、一時は、朽ちるにまかせたガラーンとした場所であったのが、80年代から改造が始まり、今の姿となっています。バトラーズ・ウォーフの東端には、やはり80年代に、デザイン博物館もオープンし。 バトラーズ・ウォーフ裏側を走る、狭い石畳の道はシャッド・テムズ(Shad Thames)。シャッド・テムズという名は、St. John at Thames(セント・ジョン・アット・テムズ、テムズの聖ヨハネ)の発音が、くずれて出来たという話で、かつては、この辺りに同名の教会があったから、というのが理由のようです。 通りの頭上には、両側にそそり立つバトラーズ・ウォーフの倉庫の建物の上階を結ぶために作られた、数多くの鉄橋が渡っています。シャッド・テムズ以外でも、ドックランズ内で時に、この頭上の鉄橋がまだ残っている場所に行き当たりますが、シャッド・テムズが、ロンドン内で、一番良く保存されている商業的歴史を持つ道だと言われています。 バトラーズ・ウォーフが荷揚げ場として使用されなくなった、1970年代あたりから、その寂れて見捨てられた雰囲気に味があると、映画の撮影に良く使われたのだとか。こうして、写真をセピア色に加工してみると、たしかに、雰囲気あります。 バトラーズ・ウォーフとシャド・テムズの東端は、セント・セイヴィアーズ・ドック(St Saviour's Dock)に突き当たって終わっています。地下を流れる川である、ネッキンジャー川(Neckinger River)が、この場所でテムズ川に合流。11世紀、まだこの辺りが、全くの田舎であった頃、ベネディクト会の一派、クリューニ派が、ここから少し内陸に入った場所にバーモンジー修道院を設立するのですが、ここが、修

オリバー!

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Food, glorious food ! Hot sausage and mustard ! Food, glorious food ! Cold jelly and custard ! Pease pudding and saveloys ! What next is the question ? Rich gentlemen have it, boys Indigestion ! 食べ物、すばらしき食べ物 マスタードをつけた熱々ソーセージ 食べ物、すばらしき食べ物! カスタードをそえた冷たいゼリー ピーズ・プディングとサビロイ 問題は、次に何を食べるか 金持ち紳士なら経験できるよ 消化不良というやつも チャールズ・ディケンズ作の小説「オリバー・ツイスト Oliver Twist」のミュージカル版「オリバー!、Oliver !」内、イギリスで一番有名なのは、この歌「フード、グローリアス、フード、Food glourious food」でしょうか。 1968年に、天使の顔をした金髪の少年、マーク・レスターをオリバーとして映画化した、このミュージカルを、最初から最後まで見ていないうちのだんなですら、この歌は、当然のように、知っています。食べ物大好きな人ですから、焼いた肉の良いにおいが漂ってきたり、冷蔵庫に顔を突っ込んだりしている時、よく鼻歌で歌っていますし。 日本の姪に、ビクトリア朝とエドワード朝の、ロンドン社会の様子を見せる勉強(?)の意味を兼ねて、それぞれ、ミュージカル映画「オリバー!」と、「 マイ・フェア・レディ 」のDVDを送ったのですが、その後、自分でも、「オリバー!」を、実に久しぶりに見てみました。「オリバー!」も「マイ・フェア・レディ」も、初に序曲が入り、また、途中で休憩が入るので、ちょっと劇場へ足を運んだ風なのもいいのです。 身寄りの無い貧民が、寄宿し、強制労働に従事した場所であった、ワークハウス(救貧院)で育った孤児のオリバー・ツイスト。映画の出だしは、オリバーが育った、とある地方の町のワークハウスで仕事をする、やせこけ、みすぼらしい服を着た子供達の様子から始まります。ワークハウスでの労働は1日12時間ほどの長時間で、コンディションも最悪。ワークハウスに入れられた子供の死亡率は非常に高かったそうで

春の始まりとめぐる季節

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春分の日(Spring Equinox)は、今年は3月20日。英語のエクウィノックス(Equinox)は、ラテン語から派生した言葉で、「均等の夜」を意味します。昼と夜が同じ長さの日。この日から、夏に向けて、昼が長くなって行き、お日様パワーを吸収して、木や茂みが、ぐんぐん芽を吹き出していくのを想像するのは嬉しいものです。もっとも、オーストラリアやニュージーランドなど、南半球の国々では、秋分の日(Autumn equinox)を迎え、日が短くなっていくのですが。 さて、イギリスの気象庁によると、 気象学上(meteorological) の春の始まりは春分の日ではなく、3月1日を使用しているのだそうです。これは、年によって、若干、日にちにずれがある春分の日を使用すると、年々の季節のデータを比べるのがやっかいなため、気象学上の春は、3月1日から5月31日までと決めてあるのだそうです。書くまでも無いかもしれませんが、6、7、8月が気象学上の夏、9、10、11月が秋、12、1、2月が冬。 太陽の周りの軌道上の位置で決まる 天文学上(astronomical) の季節においては、 春分の日(Spring equinox)が春の始まり、 夏至 (Summer solstice)が夏の始まり、 秋分の日(Autumn equinox)が秋の始まり、 冬至(Winter solstice)が冬の始まり。 天文学上の季節の始まりは、其々、気象学上の季節より約3週間ほど遅れて到来。季節があるのは、上の図の通り、地球が自転する地軸が、23・5度傾いていることによって起こる現象です。(この図は、これを書くに当たって参考とした イギリス気象庁のサイト から。) 気象学上はもう春ですので、風は少々冷たくとも、そろそろ庭仕事も開始。毎年、3月恒例となっている、 セント・ジョーンズ・ワート の茂みの刈り込みをしました。わずか1年でこんなに生えたか、と思う量の常緑の葉を刈り取り、残ったのは、枝の枠組みだけ。今回は、この枝の間に、小さな鳥の巣がちょこんと座っているのを発見しました。 庭のあちこちから色々な素材を集めてきたのでしょう。カーペットには、今は枯れて茶色くなったセント・ジョーンズ・ワートの葉っぱが敷かれていました。この葉は良い香りしますからね。さわやか

世界最古の木造教会、グリーンステッドの聖アンドリュー教会

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ロンドン近郊の、エセックス州チッピングオンガー(Chipping Ongar)から徒歩15分ほどのところに、グリーンステッド(Greensted)という場所があります。グリーンステッドとは、「緑の場所」の意味で、わりと各所にある地名です。そのため、この地の正式名は、Greensted juxta Ongar(オンガーの近くのグリーンステッド)。サクソン時代、一帯は森林で、その只中の「緑の中の空き地」であったのでしょう。今、周辺は農地となっています。 このグリーンステッドにぽつねんとたたずむのが、 世界で一番古い木造のキリスト教会 として知られる聖アンドリュー教会(St Andrew)。この教会も例外にもれず、時代と共に、何度も改造改築が加えられており、サクソン時代に遡る最古の木造部分と称されるのは、現在の教会の建物の中間部分です。 ローマ時代が終わった後のアングロ・サクソン時代初期は、周辺のサクソン人は、異教の神々を信仰していたのですが、7世紀半ばに、ケルト派のキリスト教宣教師達が、エセックス州ブラッドウェル・オン・シーに降り立ち、海岸線に、 セント・ピーター・オン・ザ・シー教会 を設立。そこを、イングランド南部の拠点とし、周辺の住民の改宗に成功。その際、グリーンステッドにも教会が建てられたようですが、この一番最初に建てられた教会は残っていません。現存する木造部が建てられたのは、今のところ、1060年頃ではないかと言われており、ノルマン人の侵略直前のころのものです。 年代もののオークの木材が支える教会内部。チューダー時代に付け加えられた窓から明かりが差し込んでいますが、初期には、藁葺き屋根で窓が無く、ランプの明かりで照らされていたのみ。そのため、木材の一部に、ランプの明かりによる焦げ跡が残っているそうです。 天井を走るはりの中心には、どんぐりが掘り込まれていました。この木材がどんぐりだったのは、1000年以上は前の話。どんぐりの様な、小さなものから、こんなに息長く立ち続ける重厚な木材となる、 オークの木 が育つというのは、いつ考えても、魔法のようです。このどんぐりを掘り込んだ職人も、自然のまか不思議を実感していたのかもしれません。 ドアを開けて入るようになっている箱型座席のわきの壁に、小さな覗き穴のようなものがありました。上の

壁画のあるイギリスの教会

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教会内に中世の壁画がある・・・フランスやイタリア、スペインなどのカトリックの国に住んでいる人であれば、そんなの別に騒ぎ立てる事でもない、良くある話じゃん、という事になるかもしれませんが、ローマ法王を筆頭とするカトリック教会を離脱し、宗教改革を経験したイギリスでは、一面びっしりの、しっかりとした壁画が残る教会は、さほど数が無いのです。というのも、宗教改革(Reformation)の最中に、偶像崇拝を嫌い、質素を旨とするプロテスタントにより、Popish(ローマ法王風、カトリック風)なもの、虚栄的と思われたものは、除去の憂き目に合い、教会内部のカラフルな彫像などは破壊され、壁画は漆喰で上から白塗りされてしまったためです。 裕福であった教会の資産や金も目当てとした、ヘンリー8世による 修道院解散 もさることながら、ヘンリーの息子のエドワード6世は、自分の私的理由でローマ法王と決別し、イギリス国教会を作った父王よりも、教義上、更に敬虔なプロテスタントであり、教会内の偶像の破壊、除去は、エドワードの時代に多く起こったようです。後の、イギリス内戦後のオリバー・クロムウェル下の清教徒により、破壊されたものもあるでしょう。また、教会によっては、壁画を隠すため、先に、自ら漆喰で壁を覆ってしまったものもあるようです。 ともあれ、13世紀以降に建てられたイギリスの教会のほとんどが、最初は、内部は壁画で飾られていたのではないか、というのが大方の専門家の意見だそうです。昔は字が読めない人が大半であったので、教会に入って、聖書の話や、聖人の話が鮮やかに描かれているというのは、村人の信仰心を沸きたてるために大切なことであったので。 それが、宗教改革後に、漆喰で塗られるか、破壊されるかで、現在、イギリス内で、壁画が見られる教会は約2000だそうです。2000というと、結構あるじゃないか、と思う人がいるかもしれませんが、ほとんどが、近年になってから、漆喰に覆われていたのを、はがして、再浮上したもので、痛みや破損のため、はっきりと見えなかったり、継ぎ接ぎ的感覚があり、全体的に綺麗に残っているものとなると、その数は減ります。 上の2つの写真は、大聖堂で有名な ソールズベリー にある教会。聖トマス教会(St Thomas)の内部。ソールズベリー大聖堂建設のために雇われた労働者のため

教会のリッチゲートと正門ポーチ

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イギリスの教会の敷地に入るところに、時に、屋根つきの門が立っていたりします。これがリッチゲート(lychgate)。 「lychgate」の語源は、アングロサクソンの言葉で、死体を意味する「lich」。 死体を棺おけに入れてから埋葬するという習慣が始まる前は、死体は経帷子に包んでそのまま埋葬していたわけですが、儀式を行うための牧師さんが到着するまでの間に、この死体を、雨風から守って置いておく場所として、リッチゲートが登場したようです。 やがて棺に収めるのが主流になると、棺を担いできた人たちが、教会の敷地に入る前に、棺を置いて、一休みする場所として使用され、更には、儀式を行う牧師は、ここで葬式の一団と会合し、リッチゲートで、まず、葬式の最初の儀式が執り行われたりしたようです。リッチゲートを出て一行は、今度は、教会の正面ポーチで再び止まり、ここでもまた簡単な儀式を行い、教会内に入り、正式な葬儀、そして埋葬のために墓地へ・・・という段取り。 リッチゲートがまだ残っている教会というのは、比較的数が少ない感じで、さほど頻繁にお目にかかりません。しかも、17世紀以前のリッチゲートが残っている教会は、珍しいという話で、大体のものは再築されているもののようです。かなり大きいもの、座席が付いているもの、石造りのもの、2階がついているものなどもあったそうで、2階の付いている場合、上の部屋は、日曜学校、教区の物置、牧師の部屋、図書館などに使用されていたということ。 さて、教会の正門(多くの場合南側)の前にあるポーチですが、こちらは、教会のドアを雨風から守る他に、雨天の時の村人の雨宿りの場でもあり。木の下に立つよりはずっといいですから。 古い教会のある場は、往々にして村のマーケットがあった場所でもあり、ポーチを利用して、村人達の間で商談や法に基づく取引なども行われたそうです。屋根がある公共の場所という便利さの他に、神様の前で取り交わした約束事は、そう簡単に破れないというわけで。また村人達への伝達事項などもポーチに張り出されることもあり、要は、ちょっとした村人の集会の場所でもあったのです。よって、往々にして、ポーチにもベンチが備え付けてあります。 また、洗礼の儀式、結婚式は、ポーチで始まり、その他簡単な儀式もポーチで執り行われる事があり、上記の通り、葬儀も

ムンドンの教会と枯れたオークの木

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マルドン・シーソルト で有名なエセックス州の マルドン (Maldon)から5キロほど南下したところに、ムンドン(Mundon)という小さな集落があります。このムンドンにあるひなびた教会が好きで、去年の夏一度訪れ、先月も再び足を運んだのですが、 教会の裏手の、平野の中に、「Mundon Dead Oaks」と呼ばれる、枯れたオークの木が何本か、その曲がりくねった腕を空に伸ばしている風景も、また、物悲しく、そしてちょっとミステリアスでいけるのです。 かつてこの辺りにあった古の森の名残だそうで、今はこの化石の様な木たちの他には、背の低い藪や潅木が残るのみです。海岸が近いので、木たちは、塩にやられたのかもしれません。 写真をモノクロにすると、その不思議な感じが伝わるでしょうか。月夜に訪れると、更にムードが盛り上がるかもしれません。 さて、Mundonのセント・メアリー(St Mary)教会ですが、こちらもオークたちに負けず劣らず、雰囲気があります。教会の周辺、まるで霊気が漂うかのように、ひやっとしていました。 教会は、この地にサクソン時代からあったようですが現在の建物は14世紀のものだそうです。 「友達のいない教会の友達」( Friends of Friendless Churches )という慈善団体がありますが、イギリス各地の、見放され朽ち果てるに任せた教会を買い取っては修復する、という団体で、この教会も、ぼろぼろになっていたものを「友達のいない教会の友達」によって、見事に修復されて、2009年に再オープン。 他に何も無いこの地へ、わざわざ足を運んだ人たちを喜ばせてくれています。こういう団体は大いにがんばって欲しいところです。 教会の北側には、昔の屋敷があったそうですが、今は農家。 教会の正門というのは、多くの場合、南側にあるのですが、この教会は北側にポーチのある正門がついています。昔、屋敷の人たちが行きやすいようにと北側を正門としたのでしょうか。 この地を、東西に、セント・ピーターズ・ウェイ(St. Peter's Way)という長距離の パブリック・フットパス (ハイキング道)が通っていますが、ここから東へひたすらこのフットパスを沿って行進すると、やがて、イングランドで一番古