バトラーズ・ウォーフとシャッド・テムズ、そしてジェイコブズ・アイランド!

タワーブリッジの東側、テムズ川南岸沿いに望めるのが、バトラーズ・ウォーフ(Butlers Wharf)。いまや、リバー・ヴューをたのしめる、高級マンション、お洒落なレストランやカフェなどに改造されていますが、かつては、輸入されてきた、スパイス、紅茶、コーヒー、砂糖、穀物等を荷揚げし、貯蔵する倉庫があった場所。建設された当時は、ロンドンでも屈指の規模の巨大倉庫であったようです。対岸にあるのは、セント・キャサリン・ドック

1960年、70年代にドックランズが次々と閉鎖となって行き、この周辺も、一時は、朽ちるにまかせたガラーンとした場所であったのが、80年代から改造が始まり、今の姿となっています。バトラーズ・ウォーフの東端には、やはり80年代に、デザイン博物館もオープンし。

バトラーズ・ウォーフ裏側を走る、狭い石畳の道はシャッド・テムズ(Shad Thames)。シャッド・テムズという名は、St. John at Thames(セント・ジョン・アット・テムズ、テムズの聖ヨハネ)の発音が、くずれて出来たという話で、かつては、この辺りに同名の教会があったから、というのが理由のようです。

通りの頭上には、両側にそそり立つバトラーズ・ウォーフの倉庫の建物の上階を結ぶために作られた、数多くの鉄橋が渡っています。シャッド・テムズ以外でも、ドックランズ内で時に、この頭上の鉄橋がまだ残っている場所に行き当たりますが、シャッド・テムズが、ロンドン内で、一番良く保存されている商業的歴史を持つ道だと言われています。

バトラーズ・ウォーフが荷揚げ場として使用されなくなった、1970年代あたりから、その寂れて見捨てられた雰囲気に味があると、映画の撮影に良く使われたのだとか。こうして、写真をセピア色に加工してみると、たしかに、雰囲気あります。

バトラーズ・ウォーフとシャド・テムズの東端は、セント・セイヴィアーズ・ドック(St Saviour's Dock)に突き当たって終わっています。地下を流れる川である、ネッキンジャー川(Neckinger River)が、この場所でテムズ川に合流。11世紀、まだこの辺りが、全くの田舎であった頃、ベネディクト会の一派、クリューニ派が、ここから少し内陸に入った場所にバーモンジー修道院を設立するのですが、ここが、修道院の船着場として使われていたことから、今も、この「セント・セイヴィアー」(救い主)という神々しい名で呼ばれています。

そして、セント・セーヴィアー・ドックの反対側、バトラーズ・ウォーフから更に東の地域が、チャールズ・ディケンズの生きた時代、悪名高き貧困と犯罪の集落であった、ジェイコブズ・アイランド(Jacob's Island ヤコブの島)であったのです。島・・・というのも、建物と建物の間に、多くの下水の様な水の流れる溝が走り、汚物、近くの皮なめし工場等からの残骸などが、ここに流れ込み、病原菌はびこる、それは汚く臭い状況であったようで、「ペスト島」の異名も取っていたようです。溝を渡るための、朽ちた歩道橋があちこちに掛かり。

チャールズ・ディケンズ作、1837-1839年の小説「オリバー・ツイスト」の中で、悪漢ビル・サイクスが最後を遂げるのが、このジェイコブズ・アイランドでした。ディケンズのジェイコブズ・アイランドの描写があまりにも酷いものであったため、政治家の中には、「そのような場所はロンドンに存在しない」と、否定に走り、ディケンズを批判する声もあったそうですが、ディケンズはそれに対し、1867年に、「オリバー・ツイスト」の本が再発行された際の序文に、「ジェイコブズ・アイランドの様な場所は存在したことがないという批判を受けたが、ジェイコブズ・アイランドは存在したし、多少改善されているが、現在も存在し続けている」と書いているそうです。

さすがに、現代は、バトラーズ・ウォーフ同様、当時のうさんくさい雰囲気は全く無く、ハンカチで鼻を覆わなければならない様な異臭も無く、快適な散歩を楽しめます。

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