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12月, 2016の投稿を表示しています

太りすぎの中年イギリス人

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昨日のニュース。イギリスの40歳から60歳にかけての中年層の、10人に8人が、食べ過ぎ、飲みすぎ、運動不足の結果、危険なほどに太っているのだそうです。10人に8人という事は、5人のうち4人・・・。かなり来てます。この割合は、過去20年で、16%の増加。あまりに太りすぎの人が多いため、普通の健康な体格というのがどんなものだか、もう認知できない人もいるのだとか。もっとも、太って見えても健康なイギリス人というのも、わりといるもので、骨太で筋肉が大きかったりすると、ちょっと太目かな、という印象がありますが、こういう人たちは腕や足の筋肉がしまっているのです。ですから、健康に害がでそうな問題の人たちは、ちょっとやわらかそうな人たち。 アメリカほどではないにしても、イギリスは、ヨーロッパで一番のデブちゃん国である、という事は、前から言われていましたが、今回のニュースは、特にサンドイッチ世代と呼ばれ、子供の世話をしながら、年を取った親の面倒も見、仕事もあるため、あまり自分の健康を顧みる時間のない中年世代に的を絞った統計です。このまま行くと、後に、すでにかなり多い糖尿病を含めた病気の激増が心配され、現在、老齢化社会の対処にきりきりまいのイギリスの医療システムNHSが、将来的に崩壊するのではないかという心配から、今のうちに何とかしようという事で発表されたニュース。 大本の原因は、車社会。一日で歩くのは、家のドアから車までと、オフィスの駐車場から自分の机まで、また、スーパーの駐車場から店まで、という人が多い。仕事も座ってコンピューターに向かう作業が多く、家に帰ってからもテレビやコンピューターの前から動かない。サンドイッチ世代は、時間もあまりないので食べるものも、ファーストフードが多い。 私は、電車通勤でしたから、家から駅までの往復20分、駅から会社までの往復30分と、一日50分は歩いており、さらに、4階にあったオフィスに、エレベーターを使わずに駆け上がっていたので、さほど時間が無くとも、適当な運動はしていたと思うのです。ジムに行かなくても。大体、ジムのランニングマシンなんぞも、家の居間でテレビを見ながら、「その場走り」をしていれば同じことなので、時間がなくても、やろうと思えば、体は動かせるものです。最近は、ちょっと運動不足かな、と思うと、居間で、ニュースを聞きながら、紐を

ラジオ・タイムズよ、お前もか!

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「ラジオ・タイムズ」(Radio Times)は、イギリスのテレビ・ラジオ番組を週ごとに網羅する情報週刊誌です。私が、この雑誌を買うのは一年に一回だけ。映画が多くかかり、他にあまりやる事もない、クリスマス期(12月後半)のダブル・イシューと呼ばれる、通常の1週間の番組案内ではなく、2週間分の番組案内が収まっているもの。今年も買って、見たい映画に丸印なんぞを付けてあります。 ラジオ番組よりも、テレビ番組の情報が主役なのに、何故に、「ラジオ・タイムズ」と呼ばれるのか・・・そのココロは、この雑誌が始めて出版されたときはテレビ番組が存在しなかったため。遡る事、1923年。テレビはおろか、ラジオもまだ創成期で、新聞等の出版メディアは、新しい媒体であるラジオなるものを、自らの販売量を減らす原因となる、ライバルとして見始めており、新聞出版協会は、BBCに対して、ラジオ番組のリスティングを新聞に掲載してほしければ、高額の料金を払えと請求。当時のBBC総督のジョン・リースは、それに対して、新聞社に頼らず、ラジオ番組のリスティングを載せた出版物を打ち上げることを考案し、 ラジオ・タイムズの初版 「ラジオ・タイムズ」が誕生することとなるのです。 早くも1928年に、ラジオ・タイムズは、実験的なテレビ放送の開始を発表し、BBCは、早朝30分間のテレビ放映などを行っていたそうですが、テレビ番組の定期的リスティングが始まるのは、1936年の11月から。これによって、ラジオ・タイムズは世界初のテレビ番組リスティングの雑誌の地位を獲得。戦時中は、テレビ放送は一時的に打ち止めとなり、再び、国民は、情報とエンターテイメントをBBCのラジオ放送のみに頼ることになるわけですが、ラジオ・タイムズ自体は発行され続け。戦後はテレビ番組の数の上昇と共にページ数も増えていき、現在では、当然BBCのみならず、すべてのテレビ、ラジオ番組を載せる雑誌となっています。なんでも、1988年のクリスマス版は、イギリスで過去発行された雑誌の中で最大の売り上げを収め、ギネス・ブック入りしているそうです。クリスマス版は、やはり、私みたいに、普段は買わないけど、この季節だけはと手を伸ばす人が出てくるのでしょう。もっとも、この季節をはずしても、未だに、ラジオ・タイムズは、イギリス内で売り上げが第3位の雑誌だと

クリスマスの日の散歩

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風は強かったのですが、暖かなクリスマスの日でした。ホワイトクリスマスなどというのは、イギリス南部ではめったにないことですが、温暖化が進むにつれ、ますます、稀な現象となる事でしょう。 クリスマスの日の昼頃は、大体の家庭は料理の仕上げに励むか、そろそろ食卓を囲み始めて席に着くかで、あまり外をふらつく人はいません。よって、12月25日の昼から4時頃にかけては、道路なども、1年のうちで一番空いている時間帯ではないかと思うのです。特に伝統的なクリスマスのご馳走などを作らない我が家では、これを利用して、遊びに来ていた友達を連れ出し、隣村にウォーキングに出かけました。 この隣村へ行くには、ちゃんとした歩行者専用の フットパス が通じていないため、普段は歩いて行こうと思うと、細い田舎の道路沿いの草の上を歩かねばならないので、あまり気分の良い散歩道ではないのですが、この日は行きも帰りも、通り過ぎた車の数は、計5台程度。道中、私たちのように、道路を散歩している変人に一人だけ遭遇。同じ通りに住んでおり、数年前に亡くなってしまったおばあさんは、昔々、まだ車の量が少なかったころは、良く週末にご主人と歩いてこの隣村まで行き、村のパブで食事をして、歩いて戻ったものだ、などと言ってましたが、現在では、車に煩わされずに、こうしてのんびりと隣村まで歩けるのは、1年でおそらくクリスマスの日だけ。 これが、翌日の26日(ボクシングデイ)となると、親戚一同家の中にこもっていたのに飽きた人たちが、近郊に歩きに出たり、また、巷では、クリスマス後のセールが始まるので、車で、ショッピングに出かける人たちなども多いので、同じような静けさは楽しめないのです。 のんびりと、歩いては止まりしながら、約1時間半後に、隣村の教会にたどり着きました。24日の夜には礼拝があって開いていたはずなのですが、クリスマス当日は、扉は閉まっており、内部には入れませんでした。 そこで、教会ポーチでビスケットを食べて、村の可愛い家々を眺めながら、ちょっと一休み。村の内部でも、外を行く人はおらず、ひっそり。 帰りは、別の、普段は田舎道にしては、わりと車の量が多い道路を辿って戻りましたが、こちらも、ほとんど車を見ずに済み、我が物顔で闊歩。50年前にタイムトラベルをしたような散歩でした。 計画通りに、3時少

レディングの印象

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「ここはどこ、私は誰?」と思わずつぶやいてしまったこの景色。 先日、バークシャー州レディング(Reading)に住む知り合いの家へ遊びに行きました。駅まで迎えに来てもらい、更に、到着した時間が遅かったため、周辺に何があるかはほとんどわからず、夕食後かなりおそくまで居間でだべったあと、客室のブラインドも開けずに、床についたのですが、翌朝初めてブラインドを開けて、目に入った光景・・・このイスラム教のモスクに少々たじろぎました。 レディングは、色々な民族が交じり合って住んでいる町として知られていて、イスラム系、インド系、はもとより、ポーランド人なども多い場所です。英語のウィキペディアによると150もの違う言語が喋られている町、と記載されています。多民族が交わる場所とは、行く前からわかっていたのですが、何も考えずにいきなりブラインドを開けて、モスクが見えたときには、寝ている間に、飛んでイスタンブールしてしまったのかと、一瞬思いました。 レディングは、比較的民族異文化間のいさかいもなく、協和して住んでいるようで、このモスク建設にも、資金繰りに困っている時に、インドのシク教徒の団体がお金を少し寄付したという話を知り合いがしていました。西洋のあちこちの国々で、ひとつの社会の中に、多民族、多宗教を抱えたマルティカルチャリズムは、失敗した・・・という意見は昨今多いところですが、一応、押し合いへし合いしながらも、仲良く暮らしている場所もあるのです。ロンドンやニューヨークなどもそうで、だからこそ面白い、という面もあるのですが。 それでも・・・メルティングポットの一大都市ならともかく、イギリスの郊外の町や村に住んでいるからには、私は、やっぱり、朝窓を開けたら、モスクよりどちらかというと教会を見たいなと思うのです。特にキリスト教徒でもないのですけれど。結婚式のある日や、鐘の練習日である水曜日の夜に、近くの教会から鐘の音が聞こえてくると、牧歌的で、心安らぐものあります。そういう意味で、私は、レディングには、住めないですね。日本で除夜の鐘が、他の異文化習慣に取って代わられて、別の音が聞こえてきたら、「え、ちょっと違うんじゃないの?」となるのと同じ心境ではないでしょうか。 文化とアイデアの交流によって、人間は進歩を遂げてきたわけでしょうが、その反面、外から入ってきた

ホレス・ウォルポールのストロベリー・ヒル・ハウス

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真っ白のストロベリー・ヒル・ハウス ホレス・ウォルポール(Horace Walpole 1717-1797)は、イギリス初の首相と呼ばれるロバート・ウォルポール(Robert Walpole)の息子で政治家、また小説家でもあった人物。 彼が、ロンドン南西部のトゥイッケナム(Twickenham)に建てた夏の別荘、ストロベリー・ヒル・ハウス(Strawberry Hill House)は、ストロベリー・ヒル・ゴシックと称される、ゴシック建築とされていますが、メルヘンの世界から飛び出した、外を白砂糖で固めたお菓子の家の風体。かなり長い間、朽ちるにまかせてあったものが、2008年から、大金をかけた修復作業が行われ、2010年に一般公開が始まりました。修復がすべて終わったのは2014年。1797年に、ホレス・ウォルポールが死んだ時と同じ内装で修復されているとのことですが、ストロベリー・ヒル・ハウスは、内部の記述が、非常に詳細に記されている建物であったため、想像力に頼ることなく、比較的忠実に内部再現が可能であったのだそうです。 修復完成当時に新聞記事にも取り上げられ、話題となっていたので、この時に、ホレス・ウォルポールのゴシック小説「オトラント城」(The Castle of Otranto)を、どんなものかと読んでみたのですが、メルヘンと、あまり怖くないお化け話と騎士の物語を混ぜたような内容で、まあ、こんなもんかな、という感じで、とりたてて感心しませんでした。当時の人たちは、こんなのが面白かったのでしょうか。それでも、この妙なストロベリー・ヒル・ハウスは、ちょっと気になって、常々、訪ねたいとは思っていたのです。そこで、今年は、まだ一回も会う機会が無かった友人夫婦が、興味あったら一緒に行こうと声をかけてくれたのもあって、私たちも夫婦で出かけて、 リッチモンド橋 リッチモンド・ブリッジで待ち合わせしました。たまたま、トゥイッケナム・スタジアムでラグビーの試合があり、リッチモンド駅も 川沿いの散歩道 も、トゥイッケナムも、試合前に時間をつぶす、体の大きなラグビーファンのお兄さん、おじさんでいっぱいでした。 リッチモンド・ヒルからテムズをのぞむ まずは、リッチモンド・ヒルの上から、過去の芸術家たちにも愛された、テムズ川がうねうねと曲がり地平線