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6月, 2018の投稿を表示しています

放課後の校庭を走る君がいた

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「夕映えはあんづ色」昔遊んだ公園 今回の日本滞在中 に、母親が、昔ヒットした曲を流す歌謡番組を見ており、一緒に見ていました。亡くなってしまった西城秀樹などが登場し、「この人、死んでしまったのか。」と思うと、子供時代の一部が、手の届かない遠くへ行った喪失感がありました。大ファンでもなかったのですが。母が、「最近、歌番組が少なくてつまらない。それに、新しい人の歌は、聞いてもなんだか、よくわからない。」とぐちっていました。そういえば、母親は、いつだか、一緒に趣味のサークル活動をしている、周辺の自分の友人たちのおばあちゃん一団を指して、「みんな、体のどこかしらが、痛いとか言ってるから、私たちは、傷だらけのローラならぬ、傷だらけの老婆!」だなんて言ってましたっけ。こんなジョークが通じるのも、みんなが、同じ歌を聞いて、良く知っていたから。 70年代80年代の日本。お茶の間でテレビが家庭だんらんの中心だった時代には、いつも歌謡番組が中心にあった。この曲が流行っていた時は、あれをしていた、これをしていた、と歌謡曲、特に子供にとってはアイドルの歌謡曲がいつも、生活のBGMとして、記憶とからまりあって心に残っているのです。そして、当時の歌謡曲は、うちの母が、よくわかないという類の歌ではなく、曲は覚えやすく、詩も頭に入りやすいものが多かった気がします。振付なんかも覚えましたし。たかが歌謡曲、されど歌謡曲。それぞれ、同時代を過ごした人たちには、何とも言えない思い入れがあるのです。 さて、この歌番組の中で、村下孝蔵氏の「初恋」という曲も流れました。この人も、若くして亡くなってしまったんですよね。 好きだよと言えずに 初恋は ふりこ細工のこころ 放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつでも君を探してた 浅い夢だから 胸を離れない というヤマの部分の歌詞の、特に「放課後の校庭を走る君がいた」というくだりには、本当に、日本の中学、高校時代の夕方の校庭が思い出され、久しぶりに聞いて、いや、懐かしかったのです。甘く、せつない初恋、というテーマは、さておいても。実際、私は、この曲が流行ったころは、大学だったと思うのですが。それは、10代の、中学時代なんて、悩みもあるし、落ち込んだり、傷ついたりもあり、楽しいことばかりではなかったけれど、自己形成期に毎日長い時間を過ごした

紫陽花と菖蒲の季節

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昨日の投稿 に続き、日本滞在の事を続けて書きます。当ブログのタイトルとは少々意を反するのですが。 今回の日本への帰国のタイミングは、取っていた資格コースの試験終了後、即、イギリスの気候になれてしまった体では、おそらく耐えられない、日本の夏が本格的に始まってしまう前にと思い、5月30日から6月21日の約3週間。できれば梅雨入りは6月の後半くらいになってくれないかな・・・と願っていたのですが、帰国後わりとすぐに梅雨入りと相成りました。それでも、雨の降らない日も沢山あったので、外出も十分でき。そして、6月と言えば、日本は紫陽花の季節ですから、紫陽花と菖蒲を求めて、ちょこちょこと、近郊での日帰り旅行をしました。 イギリスでも、巡る季節の花を求めるハイキングは、毎年行っていますが、日本で過ごした若い時は、わざわざ花を求めてどこかへ出かけるなどとは、考えたこともなかったです。空港から初めて着いた日、母の住む団地内を歩き、うちの棟のすぐそばで、綺麗な大型の紫陽花に迎えられ、「そうか、日本は、紫陽花の季節。」と気づいた次第。それをきっかけに、紫陽花寺とも呼ばれる千葉県松戸市の本土寺を皮切りに、上野不忍の池のほとり、北鎌倉などへ趣き。また、本土寺でも北鎌倉でも、菖蒲にも巡りあい。千葉県の佐倉でも菖蒲、更には茨木県潮来でのあやめ祭りにも電車で足を運び。紫陽花も菖蒲も、雨と水を連想させる植物です。 本土寺に行ったときは、それまでの雨量が少なかったのと、時期的に少し早かったのもあってか、満開とはいかず、咲いているものも、いささか干からびた感じはありましたが、人出は多く、場所場所できれいに咲いているところもあり、初の紫陽花遊山としては、まあ楽しかったです。境内に入るのに、500円の入場料。 本土寺では菖蒲も沢山咲いていたのですが、こちらも地面がいささか干からびた感じで、間にドクダミが沢山生えているのが目につきました。そういえば、滞在中、やたら目についたドクダミは、イギリスでは全く見ないため、記憶から消えかかっていた植物です。鎌倉で入ったレストランで、このドクダミの花を短く切ったものを2、3本だけ、小さなお猪口にさして、テーブルに飾られているのを見ましたが、そうやって飾られているのを見ると、愛らしい花です。菖蒲園のわきで、「ここは、全く手入れしてない感じね。見てよこ

浦島花子の日本帰国

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3週間ほど、実に8年ぶりに日本へ戻っていました。2010年の夏にだんなが 白血病 で入院し、病院を出たり入ったりが数年続いていたため、まさかの時のために、この間、イギリスからは、ほとんど出なかった私です。今回は、ここ2年程、わりと調子が良いものの、だんなは家でお留守番。一人で母の住む千葉県内の実家に戻りました。 それは、8年も帰っていなければ、浦島太郎ならぬ浦島花子になるのです。大体、イギリスからの直行便のほとんどが、現在は、私には便利だった成田ではなく、羽田に飛ぶというのも、航空便の予約をいれるまで気が付かなかった。 まず、羽田空港に降り立ち、さて、京急線に乗ろうと思うと、切符販売機の前で数あるボタンを眺めつつ、どれを押して、家までの切符をどう買えばいいかもわからず、茫然とたたずんでしまいました。外人が多く乗り降りするのもあってか、外人お助け係の駅員お兄さんが立っていたので、これ幸いと、この人に「すいません、長い間、帰ってこなかったもので、切符の買い方がよくわからなくて。」とお願い口調で言うと、代わりに、ボタンをちょちょいのちょいと押して、切符を選んでくれました。更に、乗換駅でも、おたおたし、間違った場所から出ようとして、バリアに行く手をふさがれてしまうと、やはり係員さんが駆けだしてきて、丁寧に目的路線の方向までお供してくれました。もう、この段階で、イギリスの見て見ぬふりでいい加減なサービスとは大幅に違う、日本の至れり尽くせりサービスに感動。とりあえずは、無事、母の家にたどり着きました。 その後、2度ほど、切符の購入を手伝ってもらった後、ついにスイカ購入。日本の人は笑うかもしれませんが、これでお出かけはずっと楽になりました。ロンドンの地下鉄、鉄道にもオイスターなる前払いチャージ(英語ではトップ・アップ)制のカードはあるのですが、これはロンドン内だけ。私鉄でも国鉄でも全国どこでも使えるスイカは、ありがたい。 イギリスの鉄道の切符の料金形態は、非常に複雑で、使用する路線はもとより、時間帯により値段も違い。あと、往復切符と片道切符の値段がほとんど変わらない、という妙な事情もありますので、片道を、行と帰りで別に買うと、往復を最初から買うより、損をすることになります。今回も、私の住む町の駅からロンドンのヒースロー空港までの30日間有効往復切符を購入してお