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ばい菌渦巻くロンドンの地下鉄

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がらがらの羽田空港国際ターミナルのディスプレイ 先月(2月)頭から、約1か月、日本に滞在しており、昨日の便で帰国しました。今回、新型コロナウィルスの感染が拡大しつつある中、という、実にタイミングの悪い訪問となってしまい、やりたかった事のいくつかが、残念ながらキャンセルとなりましたが。日々、日本での感染が広がり、帰るころには、英国から、渡航を止められるのでは、などと冷や汗もあったものの、無事、帰宅。調度、私の帰国と共に、英国での感染も勢いをつけて来た模様です。 日本は、昨日段階で、カテゴリー2とやらで、イギリスでは、日本から入国した人には、もし2週間のうちに、風邪や熱などの症状が出た場合は、イギリスの医療機関NHSの決められた番号に電話をするように、などという指示を出していました。が、個々人の自主性に任せられているので、大したことがない風邪っぽい症状を出した人が、実際に医療機関に連絡をとるかどうかは、たいへん疑問です。 帰りの便は、がらがら。乗っていたのは、イギリス人4割、日本人6割くらいの感じでした。日本人は、多くは、私のように、住んでいる人か、駐在の人という気がします。3人分の座席を一人で占領し、ゆったりとすごせたのはいいのですが、機内に、幾人か咳をしている人がいたのには気になりました。(咳が聞こえてくる場所を確認して、その方角のトイレは使わないようにしていました。)ヒースロー空港に着いたら、熱をはかるくらいの事はするのかな、と思いきや、何の検査もなく、すーいすーいと入国。あの咳していた人たちも、何のおとがめもなく入っていったわけです。これじゃ、世界中に広がるわけですよね。どこもかしこも、危機感がなく、ずさん。国への出入り口ですよ。お金にきゅーきゅーしているイギリス政府、こうした場所に、熱を測る検視官を置いたりする金銭的人材的余裕もなく、「まーだいじょーぶだろー」という態度なのかもしれません。日本は、どうやっているのでしょう。 そして、空港から、ロンドンの地下鉄、ピカデリー線の車両に乗り込むと、日本に1か月も滞在したのもあり、車内の汚らしさが、やたら目につきました。まず、座席の後ろ部分に、誰かが車両内で食べたバナナの皮が3,4枚、それにコーヒーの空きカップがころがっていたのです。それを目にした瞬間から、ぴかぴかの日本の車内がすでに恋しくなって...

ブレイキング・バッド(Breaking Bad)

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先月の頭、だんなのヨークシャーの幼馴染から小包が届きました。中に入っていたのは、「すごく面白いよ。エンジョイ!」というメッセージと共に、米のテレビシリーズで、大人気を博した「ブレイキング・バッド」(Breaking Bad)のDVDボックス・セット。イギリスでは、有料のスカイテレビで放送され、最終回の高視聴率は、新聞記事にもなっていた記憶があります。うちは、スカイが無いので、テレビでは1度も見ていませんが、放送中は話題であったため、高校の化学の教師が、肺がんの宣告を受けて、自分の死後、家族が困らないように、金を稼ぎ上げるため、覚せい剤のメタンフェタミンを化学の知識を生かして製造し、麻薬ギャングのはびこる悪の世界へ踏み込んでいく・・・という、簡単なあらすじは知っていました。最近、肺にカビが発生してしまい、肺が弱っているだんなは、「まだ生きているうちに、クリスタル・メス(メタンフェタミン)を作って、一儲けしろっていう陰のメッセージで、これ送ってきたのかな。」なんて言ってましたが。 という事で、先月はほとんど、夜はテレビを見ずに、「ブレイキング・バッド」づくめ。だんな入院期間中には、私が見終わったDVDを、病院に持っていき、 酸素マスク をして、病室からほとんど出られなかった彼は、これをPCでみるのが、唯一の楽しみでした。最終回にたどり着いた時には、マラソンのゴールを切った感じでしたが、本当に面白かった。特に、最終シリーズは展開も早く、最終回は、満足の行くエンディング。なにせ、毎日の様に、楽しみに見ていたので、見終わってしまった今、「ブレイキング・バッド」の離脱症状をわずらっています。 出だしのあらすじを、もう少し詳しく書くと・・・ ニューメキシコ州、アルバカーキー。学者並みの頭脳を持ちながら、高校の化学教師に甘んじて生活を送ってきたブライアン・クランストン演じる、ウォルター・ホワイト(愛称ウォルト)は、生計をたてるため、学校の仕事の後は、近くのカーウォッシュのレジでも働く。妻スカイラーは、2児目を妊娠中で、高校生の息子ウォルター・ジュニアは、身体障害を持ち、杖をついて歩く。50歳の誕生日を迎えた直後、ウォルトは肺がんで、余命いくばくもない事が発覚。良い保険に入っていないため、治療には巨額が必要となる上、自分の死後の家族の生計も心配となる。 ひょんな事...

空気が無ければ生きられない

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イングランドはダービー出身の18世紀の画家、ジョセフ・ライト Joseph Wright(通称、ライト・オブ・ダービーWright of Derby )による、1768年に描かれた上の絵「An Experiment on a Bird in the Air Pump  空気ポンプ内の鳥への実験」は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。かなり大きな絵ですので、ナショナル・ギャラリーに足を踏み入れた事があれば、特に注意をはらっていなくても、「あ、何となく、目にした記憶がある」という人もいるかもしれません。産業革命の題材を扱った最初の画家、また闇の中の光を効果を求めた画家として知られるジョセフ・ライト。友人には、産業革命を前進させた実業家達や、科学者も多く、こんな題材もそれを反映するもの。 この絵は、中心に立つ自然科学者が、内部に真空を作る空気ポンプを使用して、生物が行き続けるには空気が必要という実験を行っているところ。本格的化学室での実験と言うより、簡単な、家庭でのデモンストレーションといった感じ。科学者が、ポンプ内の空気を外に出した結果、息苦しくなっていくため、ぱたつく内部の鳥。科学者の右手にいるお父さんは、ペットの鳥の苦境に嘆く女の子達に、何が起こっているのかの説明。テーブル右端に座る老人は、1人、死に思いをめぐらせ。右手上の少年は、科学者が、再びポンプ内に空気を戻し、ペットの鳥を助けてくれる事を期待し、鳥かごを下ろし。科学者左手の若いカップルは、実験などそっちのけで、見つめあい。左手手前の少年と青年は熱心に実験を見守る。神の様に佇む自然科学者、鳥の命を生かすも殺すも彼の判断次第。 ***** 真空ポンプは、もともとは、この絵の描かれる100年以上前の1650年ころ、当時は存在し得ないとされていた「真空」というものの研究を行ったドイツ人科学者オットー・フォン・ゲーリケ(Otto von Guericke)が、発明したものです。絵の中のテーブルの上には、またオットー・フォン・ゲーリケが考案した、マクデブルクの半球(Magdeburg spheres)が置かれています。このマクデブルクの半球は、半球2つを合体させて球を作り、中の空気を抜き真空にすると、外からの気圧の影響で、球はぴっちりと塞がったままとなり、ちょっとやそっとの力では、開ける...

オーストリア土産はモーツァルトクーゲル

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今年は、春に、1年ほどなりを潜めていた、だんなのが 白血病 が背骨へと移転してしまいました。珍しいケースなのだそうですが、またもや、貧乏くじを引いた感じです。初夏はキモセラピーのための入院、真夏は1ヶ月毎日続いた放射線治療、その後、2ヶ月ほど、血液の数値があがらずに、週に2,3回、輸血のために病院通いと、振り向くと、わりと大変な年ではありました。「治った!」と思って、再発という状態に慣れっこになりつつあり、ショック感が鈍化して、それなりの日常を送れる様になっています。発病から4年と3ヶ月、有難い事に、まだ生きてますし。日本の母親が、学校時代の同窓会を、「生きてるかい?」と命名したと言っていました。名簿係の人は、毎年、死んでしまった人の名を、横線で消しているのだそうで、先月の同窓会でも「死んでしまうと、こうして横線引かれてしまいますからね。皆さん、健康に注意してがんばって長生きしましょう!」とお開きになったようです。うちも、まさにそんな感じ。 先日、だんなは、単発で、オーストリアはウィーンでの仕事をいきなり依頼されました。肺も弱っており、ぜいぜいする事もあるので、酸素の少ない飛行機に乗って良いものか・・・という心配はあったものの、何人かの医者に聞き、まあ、大丈夫だろうという事で、発病してから初めて海外へ、1日ですが、ぽこぽこ出かけて行っていました。べニューがホテル内であったため、空港ーホテルー空港、ちょっとだけ外のレストラン、という典型的ビジネス旅行で、クリスマス迫るウィーンの町並みを楽しむなどという事はできなかったようですが、「全然、問題なかった」と帰国。「何かをやった」という気持が、楽しかったようで、引き受けて良かった、と喜んでいました。帰りの空港で、お土産に買ってきたのは、赤いコートを着たモーツアルトの絵の包み紙にくるまったお菓子、モーツァルトクーゲルと、ホテル・ザッハーの缶入りファッジ・ケーキ。 モーツァルトクーゲル(Mozartkugel)は、1890年に遡り、モーツァルトの故郷のザルツブルクのチョコレート職人であったパウル・フュルストが考案し、1905年、パリで開催されたお菓子展示会で、堂々の金賞を取った代物なのだそうです。クーゲル(Kugel)は「球」の意味で、クーゲルン(Kugeln)はその複数形。英語では往々にしてモーツァルトボールなどと...

ロンドンで見るツール・ド・フランス

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ツール・ド・フランス (Tour de France)開始3日目の昨日は、イギリスでのルートの最終日。ケンブリッジから出発した一団は、エセックス州を通過して、ロンドンはストラトフォードのオリンピックパーク経由で、テムズ沿いを走り、パッキンガム宮殿前のマルにて終了、という日程でした。 故郷ヨークシャーでのツールを見に行けなかった代わりに、「ロンドンでツールを見たい、見に行きたい!」と、入院中のだんなは大騒ぎ。医者から、午前中の治療が終わったら、外出しても良いと許可をもらい、私と一緒に、そそくさと、ツールの観戦に出かけました。まあ、人間、何かをしたい、見たい、と思っていられるうちが花ですので。キモセラピー用のチューブが手首からぶらぶらぶらさがり、足をひきずってのお出かけなので、なるべく人気が少なそうで、駅に近く行きやすい場所を・・・とツールのルート・マップをまじまじながめて、ロンドン東部のシャドウェル駅に降り立ちました。 こういう回りに何も有名なものが無い場所だったら、混んでないだろうと思い行ったのですが、これが、大当たり。通過予定時間20分くらいに到着しても、東には、カナリーワーフ、西には シャード が望める道路の両側とも、観戦場所が沢山残ってましたから。道端に座って、到着待ち。西からの風が吹いていたので、少々、タイムが遅れたのか、待つ事4、50分くらい。雨粒がぽつりぽつりと顔に落ち始め、「早く来ないかな~」。 あ、やって来た! フレー!写真をパチリ! あ、もう行っちゃった! 瞬く間とは、この事。マラソンの様に、先頭とびりっけにかなりの時間差があり、道端にたって、わりと長時間、声援を送れるというのとは、全く違う。本当に風の様に駆け抜けて行きました。都心を走る車と、あまり違わないスピードで走っているわけですから。 一団が通り抜けた後、スピーカー付きの車が「まだ、あと二人ライダーが来ます。」とアナウンスをしていったので、その2人を待ちましたが、それも、3,4分のこと。 見物人の中で、白地に赤の水玉模様の帽子を被る人たちを何人か見ました。この柄は、山岳地点でのポイントが一番高かった人物が着用する、マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ(キング・オブ・マウンテン 山岳賞)のもの。山岳どころは、まっ平らな場所ですが、この柄が一番独特だから...

ヨークシャーの丘を走り抜けるツール・ド・フランス

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本日、イングランド北部のヨークシャー州にてツール・ド・フランス(Tour de France)が始まります。 1日目はヨークシャーの大都市リーズから、うちのだんなの故郷ハロゲイト。 2日目はヨークから、シェフィールド。 3日目は北部を去り、自転車の町ケンブリッジから、オリンピック・パークを抜け、おなじみロンドンはバッキンガム宮殿前のマルまで。 この後、一行は、通常通りフランスへ行くわけです。 ヨークシャーは、私も2年住んだ事がある思い入れのある土地でもあるし、だんなは、時折、ヨークシャーの丘が恋しいなどと思うこともあるようで、ツールにあわせて、また、ヨークシャーデールにでも行って、声援を送ってみるベー、という話をしていたのですが、だんなは 白血病 再発で入院とあいなり、観戦はデールの道端からではなく、病室の中からとなります。 ヨークシャーデイルを歩くのが大好きだった、だんなの両親の灰も、デイル内(上の写真の場所)に撒いてあります。 今週末のスポーツイベントは、ワールド・カップ、ウィンブルドン、そして、ツールと盛りだくさんで、昨日のラジオでは、どのイベントが一番見るかちがあるか、などという議論まで繰り広げられていました。私は、少しずつ全部見たい・・・。だんなも、とりあえずは、病室内で、しばらくは退屈する事はないかもしれません。 せっかくの機会なので、ツール・ド・フランスのヨークシャー内でのルートで走る場所の写真などを、少し、ブログに載せてみることにしました。ヨークシャーの美しさを世界に知ってもらおうと、地元では、ツールに向けて、かなり前から準備を進めていたようです。 1日目ルート内 貫禄のお城があるSkipton(スキップトン)。 スキップトンは、ヨークシャーデール国立公園の玄関口でもあります。 Aysgarth(エイスガース)は、段々の滝で有名。あまり高い山の無いイングランドでは、華厳の滝のような頭上はるかかなたから落ちてくるようなものはありません。 この周辺は、 ウォレスとグルミット のウォレスが大好きなウェンズリーデール・チーズ生産地のウェンズリーデール地方です。 この橋も走り抜けるかな? Buttertubs Pass(バタータブス・パス)は、1日目のルートの見所のひとつではな...

最高の人生の見つけ方

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スコットランドの作家、イアン・バンクス氏が、癌のため、余命数ヶ月で、おそらく1年以上は生きられないだろう、というニュースが先日流れました。出版社は、イアン・バンクスの最新作で最後となる作品「The Quarry」が、氏の在命中に書店の棚に並ぶ可能性が高くなるよう、予定より4ヶ月早く出版できる努力をしているとのこと。氏は、残された日々を、家族や友達と一緒に楽しく過ごしたり、自分達ににとって大切な場所を訪れたい、という話をしています。パートナー(伴侶)であった女性に、「僕の未亡人になってくれる?」とブラックユーモアを利かしたプロポーズで、結婚もし、ハネムーンへも出かけ。 このニュースに関連して頭をよぎったのが、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、余命が短いと宣告され、病室を共にすることになった、生い立ちや背景がかなり違う癌患者、エドワードとカーターを其々演じた「最高の人生の見つけ方」という映画。 日本語の題名とはかなり違い、英語の元のタイトルは「ザ・バケット・リスト The Bucket List」、直訳すると、「バケツ・リスト」。これは、kick the bucket(バケツを蹴る=死ぬ)という英語の俗語をもとにしたものですが、なぜ、バケツを蹴るのが、死ぬという意味になるかというと、昔、絞首刑を執行する際、バケツの上に乗って首の周りに絞首刑ようの縄をかけられたあと、バケツを蹴飛ばして、犯罪者は首が絞まって・・・死ぬ・・・というわけ。そして、バケツ・リストとは、死んでしまう前にやりたい事を書き並べたリスト。そして、書かれている事項を達成すると、それを消していく。 映画のあらすじは、 あまり金のない車の修理工カーターが、バケツ・リストを作ったものの、余命いくばくもないから無理だとあきらめて捨てる。それを拾い上げ読んだ、同じ病室の患者、金持ちのエドワードは、自分が金を出すから、やってみようと申し出る。そうして、バケツ・リスト実現のため、退院後、世界旅行へ繰り出す二人。最終的には、アドベンチャーもいいが、家族が大切と、カーターは、愛する奥さんのもとへ戻り、裕福だが孤独なエドワードが、長い間交流を絶っていた娘と和解する手伝いをする。 カーターは、後すぐに死んでしまい、エドワードは、彼の葬式で、「今までの人生の中で、彼と一緒に過ごした時間が一...

スノーマンとスノードッグ

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テレビ用短編アニメ映画として、1982年のクリスマス・イブ放送されて以来、毎年、イギリスのクリスマス期のテレビの常連となっていた、 「スノーマン」 (The Snowman)ですが、30年経った今年になって、遅ればせながら、この続編アニメ「スノーマンとスノードッグ」(The Snowman and The Snowdog)が、クリスマス・イブに放送されると話題になっています。子供でもあるまいに、恥ずかしながら、私、これ、わりと楽しみにしているのです。 ペットの犬の死を悼む少年が、自宅の床下に隠されていた靴箱を見つける。箱を開けると、そこに入っていたのは、緑色のマフラーと、ある少年と雪だるまの写真。この家は、30年前に、スノーマンを作って夢のような一夜を過ごした少年が、かつて住んでいた家。この過去の写真に触発され、少年は、雪だるま(スノーマン)と、雪の犬(スノードッグ)を庭に作る。そして、動き出したスノーマンとスノードッグと少年は、第1作目同様、空へ飛び立ち冒険旅行へ。今回は、ロンドン上空を飛ぶそうで、ビッグベン、ロンドンアイや、OXOタワーなどを見下ろす飛行シーンとなるようです。 手描きアニメは、手作りの暖かさはあるものの、手間はかかります。24分のアニメに、なんでも40人のスタッフが20万枚の絵を描き、色付けしたということ。コンピューターアニメものより、人件費も高いでしょうから、金もかかったでしょうが、すでに10カ国以上の国々への販売が確定しているという話なので、いずれは、もとは取れて、それにおまけがついて返ってくるのかな。こういうアニメの手描きをする仕事なども、そのうちに、先進国内で行うには高くつきすぎるので、人件費の安い国に回す・・・などという事態もでてくるのでしょう。 この「スノーマンとスノードッグ」でも、最後に、スノーマンは溶けてしまう。ただし、スノーマンと一緒に訪れたサンタさんからもらった犬の首輪のプレゼントを、スノードッグの首につけると、スノードッグは本物の犬に変身。少年のペットとして残ることになります。と、ストーリーは、犬を除けば、まるで第1作とそっくりなので、続編というより、ヴァリエーションといったところ。 30年前は、田舎のど真ん中にあった少年の家は、今は住宅地の真ん中にあり、オリジナルの少年は、両親が二人ともいたのに、「...

骨髄移植その後

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だんなが、急性白血病のため、 骨髄移植 を受けてから、約7週間経ち、やっと、昨日、病院から、移植自体は成功したようだ、という事を聞かされました。時折、ドナーさんからもらった骨髄が、受け手の身体を拒絶して、定着しない事があるようなのです。新しい住処に移って来た骨髄が、この場所はどうも嫌だ、と住むのを拒否する・・・といったらわかりやすいでしょうか。とりあえず、まず、その心配はなくなったようで、第1ハードルを乗り越えた感じです。 先週、その判定のために、腰骨のあたりから、骨髄サンプルを取りました。日本では、マルクと呼ばれる、この作業が、部分麻酔をかけるものの、非常に居心地が悪いらしいです。巨大注射器を、ぐりっと骨に差し込んで骨髄を抽出するのですが、先週は、若いお医者さんが、それは深く注射器を差し込んで、なかなか抜けなくなったのだそうです。ぬこうとすると、だんなの体が、宙に浮いてしまうくらいだったらしく、最終的に、お医者さんはベッドに足をかけて引き抜いた・・・という話。うちのだんなは、かなり体が大きいおじさんなのに。まるで漫画の様に聞こえてしまうかもしれませんが、本人、その後数日間、腫れた感じがすると、嘆いていました。「骨髄サンプルを取るのには、もう慣れているはずなのに、前回のは、ちょっと参ったな。」 それだけ苦労して取ったサンプルを検査した結果、100%がドナーさんの骨髄になっており、これが新しい血液を作りつつある事と、(現時点では)白血病細胞が一切発見されなかった事がわかった次第です。血液はまだ以前のB型で、ドナーさんのO型には変化していませんが、血液が完全に変わるには時間がかかるようです。また、山の様な薬も、まだ飲み続ける必要があります。 移植後、退院してからすぐに、血尿が出始めて、再入院するというハプニングも経験しましたが、これは、何かのウィルスによるものだそうで、膀胱から血の塊を掻き出す簡単な手術をし、ウィルス用の薬も投入されて、現在はおさまっています。また、しばらくの間、血小板の数値があがらず、鼻血なども出し、時折、血小板の投入を受けていましたが、こちらも、徐々に自分で作り始めているようです。しばらく、おかしくなっていた味覚もすっかり元へ戻り、食べ物への情熱も、再び燃え上がっている模様。 今、一番彼を悩ましているのは、体中が、かゆい・・・事。...

骨髄移植

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骨髄移植(造血幹細胞移植)を行った19日後、うちのだんなは、入院先の病院から退院してきました。今回の骨髄移植は、だんなの急性骨髄性白血病(M4、inv16)が去年の7月に再発した結果です。 去年の7月から10月終わりにかけて、3回に渡るキモセラピーで、レミッション(寛解、白血病細胞が見えない状態)は達成したものの、白血病の再発が1年以内であったため、再び病気が戻ってくる可能性が高いと判断され、先月、クリスマスの直前に、名も知らぬドナーさんに助けてもらい、骨髄移植となったわけです。骨髄液内にある造血幹細胞を他人から分けてもらい、それによって、願わくば、白血病の無い、新しい血液を造っていけるように。 骨髄移植の際、白血球の型(HLA型)がマッチするドナーを探す必要があります。ABO型の赤血球よりも、HLA型は数多く、複雑で、一致する場合が兄弟姉妹でも4人に1人と少ないという話を聞いていたため、同じ型で、ドナー登録してくれている人がいるか心配ではありました。ただ、医者からは、白人は、ほとんどの場合見つかると言われており、実際、かなり早い段階で、一致するドナー登録者が軽く10人以上いると判明。イギリス内で数人、また、ドイツにも数人見つかり、有り難い話です。イギリスは人口比でドナー登録者数が比較的多い国ですが、ドイツは、更に、登録者の数が非常に多く、ここでドイツと出てきたのも、わかる気がします。 秋にはすでに、型が10中10一致し、血液型もB型と同じ、ロンドン在住の20代の男性ドナーが、提供してくれるという事で、話が進んでいたのですが、直前にこのドナーがCMV(Cytomegalovirus サイトメガロウィルス)というウィルスを持っていることがわかり、再び、新しいドナーを探す必要から、11月に予定されていた移植が1ヶ月ずれこみました。このCMVは、何でも、人口の半分は持っているウィルスで、健康体であれば、キャリアーでも問題ないのだそうですが、白血病の治療を受けている、体の抗体が無い患者がこれをもらってしまうと、危険なのだそうです。このドナー候補の男性は、登録した時点では、CMVを持っていなかったものを、途中で感染してしまい、採取前のテストで発覚したらしいのです。こういう事もあるため、一人の患者につき、複数のドナー登録者が見つかることが理想なのでしょう。 ...

ティリーハット

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先週の土曜日、だんなが、第2回目のキモセラピー(化学療法)コースを終えて、症状が落ち着いたところで、一時の自宅療養に退院してきました。 キモセラピーは、毒をもって毒を制す。白血病細胞、癌細胞も殺すけれども、他の正常な器官や機能も、これによってやられてしまいます。そのため、抗菌剤その他数々の薬も、しばらくはどっさり飲み続けねばならず。1回目のキモで、白血病細胞が残ってしまい、寛解が達成できなかったので、今回のキモは、かなり強烈な薬を投入し、5日のコースが終わった後、疲れ果て、参っていました。唾液や、消化器官の液の量も減ってしまったとかで、飲食物が喉を通り、胃に入るまで、飲み込むのが非常に痛い、という症状も出て、「まるで紙やすりを飲み込むみたい」とか。これは、ようやく、治まってきましたが、食べ物大好き人間にとって、食事時間が苦痛というのは、げんなりだったようです。 この他、キモの影響として、紫外線に弱くなる、というのもあるようです。入院中に、近くのベッドに、白血病の治療の後、皮膚がんになってしまった人がいたとかで、うちのだんなも、それが心配になった様子。お天気の日の長時間の外出の際に、はげ頭を、お日様の有害紫外線から守るため、さっそく、愛用できる帽子を買いに出かけていました。軽くて、それでいて風に飛ばされず、汗をかいたら洗えるもので、つばも含め全て布製が良い・・・そんな帽子ないかな、と言いながら。 そんなこんなで、アウトドアの店で、ティリーハット(Tilley Hat)なるものに行き当たり、少々高めであったけれど、希望する事項、全て合格で、買って帰ってきました。2年以内に、帽子が紛失、盗難、または破損した場合、原価格の半額で購入できるという保証も付いています。「nearly indestructible」(ほぼ破壊不可能)などという、うたい文句で、よほどの事が無い限り、一生物だそうです。ちなみに、帽子のサイズを選ぶ際は、かぶった時に、額の前に指が2本入るくらいがグッド。 つばの脇を上に折り返して、ボタンで留められるようにもなっています。ちゃんと顎ひもがついてますから、風が吹いても「だいじょーぶ!」 ティリーハットは、カナダ人、アレックス・ティリー氏によって考案された帽子。アート・ディーラー、アート・コンサルタントであった彼の趣味は、セーリング。彼は、セーリング用に、風に...

ささやかな喜び

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だんなが白血病だと診断され、約1年が経とうとしています。 1ヵ月半前に再発してから、1回目のキモセラピー(化学療法)を終え、1週間、家で休養の予定だったのが、今回は骨髄の回復が遅く、酸素を運んでくれるヘモグロビンなどの数値がなかなか上がらなかったため、2週間の長めの休養となりました。昨日、2回目のキモセラピーの治療開始のため、再び入院。 今回は、骨髄の回復に時間がかかったのみでなく、残念ながらレミッション(寛解)が達成できず、白血病細胞が残ってしまったため、過去2,3日、日常生活に支障が出るほどではないものの、風邪の初期のような症状でした。見た目は相変わらず健康優良児なので、お医者さんにも「あんた、見かけはすごく健康なんだけどね。」などと言われ。骨髄移植を行う予定ではあるものの、その前に、願わくば、寛解を達成するため、2回のみの予定だったキモセラピーを3回に増やす事となり、かなりきつい薬を投与する事となってしまいました。その間、熱や感染の危険がぐっと高くなってしまうようです。 休養中も、激しい運動はぜいぜいしてしまうようなので、ちょっとの体力作りは、良い空気を吸いながらの散歩くらい。見慣れたこんな風景の中を歩くのも、彼には、2回目のキモセラピー後の一時休養で、再び家に戻るまで、しばらくはおあずけです。 入院も長くなると、やはりちょっとした事が嬉しかったりするようです。何はともあれ、自分の家で生活できる、自分のマグカップから、自分で入れた紅茶を飲める、自分の居間で私と一緒に7時のニュースが見れる、「こんな不味い物を作る事が可能なんて!」とびっくりするほど不味いというイギリスの病院食から離れ、好きな物をたらふく食べられる、朝早く起きてまだちょっとひんやりする中、朝露の芝を踏んで庭に出る、自転車に乗って近くの店からミルクを買ってくる・・・そんな事でも嬉しいのです。日本だったら、角の美味いラーメン屋で、久しぶりのミソラーメンと餃子を食べられるのがたまらなく嬉しい、なんていうのもありでしょう。 「死ぬ前に絶対行きたい世界の名所100」とか「死ぬ前に絶対やるべき事100」なんていうようなタイトルの本を書店で見かけたりもします。エキゾチックな場所、エキサイティングな事が色々書かれてあるのでしょう。だんなの自宅休養中に、世界地図を広げて一緒に眺めたりも...