最高の人生の見つけ方
スコットランドの作家、イアン・バンクス氏が、癌のため、余命数ヶ月で、おそらく1年以上は生きられないだろう、というニュースが先日流れました。出版社は、イアン・バンクスの最新作で最後となる作品「The Quarry」が、氏の在命中に書店の棚に並ぶ可能性が高くなるよう、予定より4ヶ月早く出版できる努力をしているとのこと。氏は、残された日々を、家族や友達と一緒に楽しく過ごしたり、自分達ににとって大切な場所を訪れたい、という話をしています。パートナー(伴侶)であった女性に、「僕の未亡人になってくれる?」とブラックユーモアを利かしたプロポーズで、結婚もし、ハネムーンへも出かけ。
このニュースに関連して頭をよぎったのが、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、余命が短いと宣告され、病室を共にすることになった、生い立ちや背景がかなり違う癌患者、エドワードとカーターを其々演じた「最高の人生の見つけ方」という映画。
日本語の題名とはかなり違い、英語の元のタイトルは「ザ・バケット・リスト The Bucket List」、直訳すると、「バケツ・リスト」。これは、kick the bucket(バケツを蹴る=死ぬ)という英語の俗語をもとにしたものですが、なぜ、バケツを蹴るのが、死ぬという意味になるかというと、昔、絞首刑を執行する際、バケツの上に乗って首の周りに絞首刑ようの縄をかけられたあと、バケツを蹴飛ばして、犯罪者は首が絞まって・・・死ぬ・・・というわけ。そして、バケツ・リストとは、死んでしまう前にやりたい事を書き並べたリスト。そして、書かれている事項を達成すると、それを消していく。
映画のあらすじは、
あまり金のない車の修理工カーターが、バケツ・リストを作ったものの、余命いくばくもないから無理だとあきらめて捨てる。それを拾い上げ読んだ、同じ病室の患者、金持ちのエドワードは、自分が金を出すから、やってみようと申し出る。そうして、バケツ・リスト実現のため、退院後、世界旅行へ繰り出す二人。最終的には、アドベンチャーもいいが、家族が大切と、カーターは、愛する奥さんのもとへ戻り、裕福だが孤独なエドワードが、長い間交流を絶っていた娘と和解する手伝いをする。
カーターは、後すぐに死んでしまい、エドワードは、彼の葬式で、「今までの人生の中で、彼と一緒に過ごした時間が一番楽しかった」とのスピーチをし、カーターのバケツ・リストのひとつ、「あかの他人を助ける」という項目を果たしたものとして消す。エドワードは、その後、よりを戻した家族との交流も深め、長寿を全うする。
原題:The Bucket List
監督:Rob Reiner
言語:英語
2007年
「bucket list」という言葉は、この映画の後から、それは良く耳にするようになり、いまや、一般的に会話に登場する表現となった感じです。先日もラジオで、「癌だと宣告されて、バケツ・リストを作りました。」と喋っている女性がいました。彼女のバケツ・リストのひとつは、スタンドアップ・コメディー(日本で言う、お笑い、漫才のようなものか)をやる、というのがあり、シルバー世代のお笑い大賞のようなものに参加した・・・というような話でした。
先進国では、平均寿命が長くなり、若くして難病を患わなければ、80代までは、何とかいけそうだ、と期待できる時代。死が常に隣りあわせだった昔々よりも、死に対する忌まわしさ、考えたくない、という気持ちは強くなっています。生まれてくる前は、自分はこの世に存在しなかったのだから、その生まれる前の状態に戻るだけなのに、いなくなることは、なんとも末恐ろしい。最初から持っていなければなんとも思わないものを、与えられた後、それを取り上げられてしまうと、その喪失感は大きい・・・というのと同じ心理でしょうか。
イアン・バンクス氏や、上に書いた漫才に挑戦する女性など、余命短いと告げられ人々の、残された人生に対する抱負を、何度か見聞きしました。いつも強い印象を受けるのが、皆、わりとさばさばしていて、感傷的でないこと。数ヶ月前には、やはり余命1年以内というミュージシャンのインタヴューを聞きましたが、「さよならコンサート」でツアーをする予定だと喋っていましたっけ。彼は、ちょっと年取ったミュージシャンが、「さよならコンサート」と称しながら、その実、何度も何年も「さよならコンサート」を繰り返したりするが、自分は死ぬから、これは本当のさよならコンサートだよ、と笑いながら語り。また、「良い人生だった。これ以上望んだら、貪欲というものだ。」そして、「風が頬に触ってすり抜ける感触のような小さな事が、非常にありがたいものに感じる。」と言っていたのが記憶に残っています。
白血病で病院を出たり入ったりのだんなを持っているせいもあってか、バケツ・リストや、幸せな人生とは何か、などと最近良く考えたりします。先月、だんなの退院直前に、また、いつ再発するかもわからないなというのが頭にあるので、「この夏特にやりたいことある?バケツ・リストみたいなのはあるの?」と聞くと、うーんとしばらく考え、「海外旅行は、出張なんかでも、変わった場所にかなり行ったし、特にこれと言ったのは浮かばないし、言い出すと切りないし・・・。うーーーん、とりあえず、紅茶飲んで美味しいもの食べたい。」という返事に、少々ずっこけました。以前の記事「ささやかな喜び」でも書いたように、、病院に長い間いた直後は、家庭で普通の生活ができるというだけでも幸せのようです。牢獄から解放された罪人のように。泥縄タイプの人なので、とりあえずは、やりたいなと思う事があったら、ちょっと面倒でも、「明日があるさ」と延期しないで即実行するようにはっぱをかけています。そんなこんなしながら、医者の予測と裏腹に、「最高の人生の見つけ方」のエドワードの様に長生きしてくれれば、ばんばんざいです。
私もバケツ・リストは特に作ってません。余命数ヶ月と言われたら、かなりショックを受け、うろたえそうな気もします。ラジオでインタヴューを聞いた人たちのように、悠然と構えたいと思ってはいるけれども。そして、人生を振り返り、「これ以上望んだら貪欲だ」と思うようでありたいけれど。後悔いっぱいで、時間のあるうちにあれしとけば良かった、これしとけば良かった、と思うようだったらちょっとつらいですわな。そして、人生あとわずかで何をしたいかと聞かれたら、今頭に浮かぶのは、広々した綺麗な風景の中で、「風が頬に触ってすり抜ける感触」を楽しみたいくらいでしょうか。大切なのは、余命短くとも、まだ地上にいるうちは、死ぬことでなく、生きることに焦点を置く・・・ということでしょうね。
追記
昨日(6月9日)、イアン・バンクス氏の訃報が流れました。最後の作品は、近日書店に並ぶそうですが、すでに氏は、印刷された作品を、出版社から渡されていたそうですので、仕上がりは見ることができて、良かったですね。
このニュースに関連して頭をよぎったのが、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、余命が短いと宣告され、病室を共にすることになった、生い立ちや背景がかなり違う癌患者、エドワードとカーターを其々演じた「最高の人生の見つけ方」という映画。
日本語の題名とはかなり違い、英語の元のタイトルは「ザ・バケット・リスト The Bucket List」、直訳すると、「バケツ・リスト」。これは、kick the bucket(バケツを蹴る=死ぬ)という英語の俗語をもとにしたものですが、なぜ、バケツを蹴るのが、死ぬという意味になるかというと、昔、絞首刑を執行する際、バケツの上に乗って首の周りに絞首刑ようの縄をかけられたあと、バケツを蹴飛ばして、犯罪者は首が絞まって・・・死ぬ・・・というわけ。そして、バケツ・リストとは、死んでしまう前にやりたい事を書き並べたリスト。そして、書かれている事項を達成すると、それを消していく。
映画のあらすじは、
あまり金のない車の修理工カーターが、バケツ・リストを作ったものの、余命いくばくもないから無理だとあきらめて捨てる。それを拾い上げ読んだ、同じ病室の患者、金持ちのエドワードは、自分が金を出すから、やってみようと申し出る。そうして、バケツ・リスト実現のため、退院後、世界旅行へ繰り出す二人。最終的には、アドベンチャーもいいが、家族が大切と、カーターは、愛する奥さんのもとへ戻り、裕福だが孤独なエドワードが、長い間交流を絶っていた娘と和解する手伝いをする。
カーターは、後すぐに死んでしまい、エドワードは、彼の葬式で、「今までの人生の中で、彼と一緒に過ごした時間が一番楽しかった」とのスピーチをし、カーターのバケツ・リストのひとつ、「あかの他人を助ける」という項目を果たしたものとして消す。エドワードは、その後、よりを戻した家族との交流も深め、長寿を全うする。
原題:The Bucket List
監督:Rob Reiner
言語:英語
2007年
「bucket list」という言葉は、この映画の後から、それは良く耳にするようになり、いまや、一般的に会話に登場する表現となった感じです。先日もラジオで、「癌だと宣告されて、バケツ・リストを作りました。」と喋っている女性がいました。彼女のバケツ・リストのひとつは、スタンドアップ・コメディー(日本で言う、お笑い、漫才のようなものか)をやる、というのがあり、シルバー世代のお笑い大賞のようなものに参加した・・・というような話でした。
先進国では、平均寿命が長くなり、若くして難病を患わなければ、80代までは、何とかいけそうだ、と期待できる時代。死が常に隣りあわせだった昔々よりも、死に対する忌まわしさ、考えたくない、という気持ちは強くなっています。生まれてくる前は、自分はこの世に存在しなかったのだから、その生まれる前の状態に戻るだけなのに、いなくなることは、なんとも末恐ろしい。最初から持っていなければなんとも思わないものを、与えられた後、それを取り上げられてしまうと、その喪失感は大きい・・・というのと同じ心理でしょうか。
イアン・バンクス氏や、上に書いた漫才に挑戦する女性など、余命短いと告げられ人々の、残された人生に対する抱負を、何度か見聞きしました。いつも強い印象を受けるのが、皆、わりとさばさばしていて、感傷的でないこと。数ヶ月前には、やはり余命1年以内というミュージシャンのインタヴューを聞きましたが、「さよならコンサート」でツアーをする予定だと喋っていましたっけ。彼は、ちょっと年取ったミュージシャンが、「さよならコンサート」と称しながら、その実、何度も何年も「さよならコンサート」を繰り返したりするが、自分は死ぬから、これは本当のさよならコンサートだよ、と笑いながら語り。また、「良い人生だった。これ以上望んだら、貪欲というものだ。」そして、「風が頬に触ってすり抜ける感触のような小さな事が、非常にありがたいものに感じる。」と言っていたのが記憶に残っています。
白血病で病院を出たり入ったりのだんなを持っているせいもあってか、バケツ・リストや、幸せな人生とは何か、などと最近良く考えたりします。先月、だんなの退院直前に、また、いつ再発するかもわからないなというのが頭にあるので、「この夏特にやりたいことある?バケツ・リストみたいなのはあるの?」と聞くと、うーんとしばらく考え、「海外旅行は、出張なんかでも、変わった場所にかなり行ったし、特にこれと言ったのは浮かばないし、言い出すと切りないし・・・。うーーーん、とりあえず、紅茶飲んで美味しいもの食べたい。」という返事に、少々ずっこけました。以前の記事「ささやかな喜び」でも書いたように、、病院に長い間いた直後は、家庭で普通の生活ができるというだけでも幸せのようです。牢獄から解放された罪人のように。泥縄タイプの人なので、とりあえずは、やりたいなと思う事があったら、ちょっと面倒でも、「明日があるさ」と延期しないで即実行するようにはっぱをかけています。そんなこんなしながら、医者の予測と裏腹に、「最高の人生の見つけ方」のエドワードの様に長生きしてくれれば、ばんばんざいです。
私もバケツ・リストは特に作ってません。余命数ヶ月と言われたら、かなりショックを受け、うろたえそうな気もします。ラジオでインタヴューを聞いた人たちのように、悠然と構えたいと思ってはいるけれども。そして、人生を振り返り、「これ以上望んだら貪欲だ」と思うようでありたいけれど。後悔いっぱいで、時間のあるうちにあれしとけば良かった、これしとけば良かった、と思うようだったらちょっとつらいですわな。そして、人生あとわずかで何をしたいかと聞かれたら、今頭に浮かぶのは、広々した綺麗な風景の中で、「風が頬に触ってすり抜ける感触」を楽しみたいくらいでしょうか。大切なのは、余命短くとも、まだ地上にいるうちは、死ぬことでなく、生きることに焦点を置く・・・ということでしょうね。
追記
昨日(6月9日)、イアン・バンクス氏の訃報が流れました。最後の作品は、近日書店に並ぶそうですが、すでに氏は、印刷された作品を、出版社から渡されていたそうですので、仕上がりは見ることができて、良かったですね。
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