バイバイ、マギー・サッチャー!
チャリング・クロスから東へ、セントポール大聖堂へとむかう道、ストランド、フリート・ストリート、そしてラドゲイト・ヒル。私も、数え切れないほど何度も歩いたこの道。ここを行進していくパレードや、式典の列も、かつて何回も見たものです。
昨日は、「鉄の女」こと、マーガレット・サッチャーの棺がセント・ポールでの葬式のため、ここを通りました。「鉄の女」というニックネームは、彼女がまだ首相になる前に行った反共産主義のスピーチを聞いて、ソ連の首脳陣が最初に使った言葉だという話です。好きな人と嫌いな人がはっきりわかれる、究極のマーマイト政治家などとも言われる彼女。棺が通過するルートで、多くのプロテストが起こるのではないかと懸念されていたものの、多少のブーイングと野次、何人かが棺に背を向けるくらいで、あまりに悪趣味なプロテストは起こらず、とりあえずは良かった、良かった。大方は、拍手と静かな歓声に送られて、寺院への道を行きました。棺に背を向けながらも、思わず、ちらっと振り返ってみてしまう人なども目撃されたようで、そりゃそうですよ、わざわざ出向いていって、歴史の一幕を見ないというのもね。
私がイギリスに最初に足を踏み入れた時の首相が彼女でした。日本では、政治などにほとんど興味なかった私が、与党野党が向かい合って討論するこの国の政治を、面白いと思うようになり、なにより、政治家の喋っている事がわかるというだけでも、開眼だったのです。そのうちに、昨日の葬儀にも集合していた、サッチャー内閣のメンツも、当時人気だったそっくりさんマペットを使ったテレビの時事風刺番組「スピッティング・イメージ」などにも助けられ、すぐにお馴染みとなり。要は、私のロンドンでの最初の日々を思い起こすと、いつも、この過渡期の政治シーンがバックグラウンドにあり、そのバックグラウンドミュージックは、飛び交う野次をものともせずに、国会でのスピーチを続けるサッチャーさんの声でした。そういう意味では、彼女の葬式は、公のヒステリーな反応にびっくりしたダイアナ妃の葬式よりも、私には感慨深いものがあったのです。
以前のロンドンの自治体であったGLC(グレーター・ロンドン・カウンシル)に勤めていて、1986年に、サッチャー政権によって、GLOが解散されてしまい、一時的に仕事をなくした私の友人は、いまだ、サッチャーに対して底知れない嫌悪感を抱いています。この人と喋るときは、サッチャーの話になると、うんざりするほど悪態がとまらなくなるので、彼女の名はご法度。公平に見れば、彼女の政権下で、これは鉄の意志で敢行して良かったよ、これはただの人気取りのお粗末な政策だ・・・と、他の多くの政権と同じで、よい面もあり悪い面もあった。
政策の議論を始めればきりが無いけれど、議論の余地が無いのは、イギリス最初(そしておそらくかなり長い間唯一の)女性の首相であり、貴族出身のチャーチルとは違い、雑貨屋の家庭から、選別の公立校(グラマースクール)へ進み、一時は社会に出て働き、自力であそこまでたどり着いたという功績。裕福で協力的なだんなに恵まれたという事と、双子を抱えながらも議員として活躍できたのは、選挙区がロンドンのフィンチリーでウェストミンスターとの行き来が楽であったため、というのもありますが、それでも並の努力ではできない。今の政治家が、与党も野党もキャリア政治家が大半をしめ、他に人生経験が無い人が多い。さらに、金に糸目をつけぬ親のおかげで、私立学校で良い教育を受けたお坊ちゃん、お嬢ちゃんが幅を利かせているのです。性格も情熱も気概もないような、マネキン人間のようなのばかり。
セント・ポール大聖堂内での葬儀で、歌われた聖歌や、聖書からの抜粋などは、本人が死ぬ前に選んだものだったという話です。ダイアナ妃が好きで、彼女の葬式でも歌われた「I vow to thee, my country(我が祖国よ、汝に誓う)」は、サッチャー女史が一番好きな聖歌でもあったと言う事で、最後に歌われていました。歌詞はセシル・スプリング=ライスにより、1908年と、第1次世界大戦前に書かれた、母国に献身的愛を捧げる・・・という非常に愛国的なもの。後半の歌詞は、母国とは別に、キリスト教信者として神の国をたたえる内容。曲がついたのは、1921年で、グスタフ・ホルストの「惑星」の中から木星のメロディーの一部をとったもの。ちなみに、ホルストは、スウェーデン系のイギリス人であったため、元の名は、グスタフ・ヴォン・ホルスト。第一次世界大戦で、国内のドイツ人がうさんくさい目で見られ始めたため、万が一の用心で、ドイツ風に聞こえる「ヴォン」を、名前から落としたと言われます。現王室が、やはり反ドイツの気風を受けて、さりげなく、家名をドイツ風から現在のウィンザー家へ変えたのと同じ。
I vow to thee, my country, all earthly things above,
Entire and whole and perfect, the service of my love;
The love that asks no question, the love that stands the test,
That lays upon the altar the dearest and the best;
The love that never falters, the love that pays the price,
The love that makes undaunted the final sacrifice.
And there's another country, I've heard of long ago,
Most dear to them that love her, most great to them that know;
We may not count her armies, we may not see her King;
Her fortress is a faithful heart, her pride is suffering;
And soul by soul and silently her shining bounds increase,
And her ways are ways of gentleness, and all her paths are peace.
我が祖国よ、汝に誓う
その上に存在する全ての物へ
完全無傷にして完璧なる物へ
我が愛の献上を
疑問を知らぬ愛、試練に絶える愛
祭壇へも捧ぐべく貴重にして至上の愛
戸惑うことなき愛、代価を厭わぬ愛
最終の犠牲も省みぬ愛
そしてまた、ここに別の国がある
昔々に聞いた国が
それを愛するものには最も貴重である国
それを知るものには最上の国
その国の軍と交わる事はないかもしれぬ
その国の王を見る事はないかもしれぬ
その砦は信じる心
その誇りは苦難に耐える事
そして、その輝ける境界は、静かに、ひとつ、またひとつと魂へ広がる
その流儀はやさしさであり、その全ての道は平和へと続く
歌詞は確かに、少々古臭くはあります。特に、長くなるので上には載せなかった中間部は、母国を守るため戦う、というくだりが入りますし。でも、メロディーは、すばらしくて、特に古い大聖堂の中で奏でられると、おおーと気がもちあがるものです。
バイバイ、マギー・サッチャー!バイバイ、私のイギリス最初の日々!
*追記(4月28日)
昨夜、少女の頃から国会議員になるまでのマーガレットが、姉に書き綴った手紙を追ってのドキュメンタリーがあり、見ましたが、彼女の意外な一面が描かれていました。洋服や見栄えを非常に気にする人だったようで、手紙内容の大半は洋服と男性の話。また、オックスフォード大に入ってから、上流風のカクテルパーティーや集い、食事会、ダンスパーティーなどにはまり、男性も、金持ちがお好きなようだった感じです。デニス・サッチャーと結婚したのも、純愛よりも、彼はクラスも上で金がある・・・というのがわりと大切な要因だったようです。後に、人間は、自力でがんばって身を立てるのが通常だ・・・のような事を説いた人の割には、ちょっと他力本願。人間、本音とタテマエは、誰にでもあるんですわな。
また、雑貨屋を経営して実直に働いた父を尊敬し、父のような人間になろうと努力した、というのが、彼女にまつわるストーリーとしていつも書かれていました。が、結婚後ロンドンで政治活動を行っていたマーガレットのもとへ、未亡人となった父が遊びに来た際、彼女は姉に、この忙しいのに、早く帰ってくれないと邪魔だ・・・のような事を書いていた。そして、無事、彼女が国会議員として選出された後、父は、姉に「マーガレットは忙しいのだろうが、まだ手紙をくれない」とこぼしていたそうで、父が死ぬ前の最後の姉への手紙にも、「マーガレットからの手紙はまだこない」とあったのです。なんだか、小津の「東京物語」みたいです。
このドキュメンタリーで感じた人物像は、勤勉で精力的ではあったが、虚栄心が強い、自分の背景を少々恥じ、それより上のクラスに属するよう努力し、少々計算高く、情は強くない・・・と、要するにあまり、友達にしたくないような人間でした。
昨日は、「鉄の女」こと、マーガレット・サッチャーの棺がセント・ポールでの葬式のため、ここを通りました。「鉄の女」というニックネームは、彼女がまだ首相になる前に行った反共産主義のスピーチを聞いて、ソ連の首脳陣が最初に使った言葉だという話です。好きな人と嫌いな人がはっきりわかれる、究極のマーマイト政治家などとも言われる彼女。棺が通過するルートで、多くのプロテストが起こるのではないかと懸念されていたものの、多少のブーイングと野次、何人かが棺に背を向けるくらいで、あまりに悪趣味なプロテストは起こらず、とりあえずは良かった、良かった。大方は、拍手と静かな歓声に送られて、寺院への道を行きました。棺に背を向けながらも、思わず、ちらっと振り返ってみてしまう人なども目撃されたようで、そりゃそうですよ、わざわざ出向いていって、歴史の一幕を見ないというのもね。
私がイギリスに最初に足を踏み入れた時の首相が彼女でした。日本では、政治などにほとんど興味なかった私が、与党野党が向かい合って討論するこの国の政治を、面白いと思うようになり、なにより、政治家の喋っている事がわかるというだけでも、開眼だったのです。そのうちに、昨日の葬儀にも集合していた、サッチャー内閣のメンツも、当時人気だったそっくりさんマペットを使ったテレビの時事風刺番組「スピッティング・イメージ」などにも助けられ、すぐにお馴染みとなり。要は、私のロンドンでの最初の日々を思い起こすと、いつも、この過渡期の政治シーンがバックグラウンドにあり、そのバックグラウンドミュージックは、飛び交う野次をものともせずに、国会でのスピーチを続けるサッチャーさんの声でした。そういう意味では、彼女の葬式は、公のヒステリーな反応にびっくりしたダイアナ妃の葬式よりも、私には感慨深いものがあったのです。
以前のロンドンの自治体であったGLC(グレーター・ロンドン・カウンシル)に勤めていて、1986年に、サッチャー政権によって、GLOが解散されてしまい、一時的に仕事をなくした私の友人は、いまだ、サッチャーに対して底知れない嫌悪感を抱いています。この人と喋るときは、サッチャーの話になると、うんざりするほど悪態がとまらなくなるので、彼女の名はご法度。公平に見れば、彼女の政権下で、これは鉄の意志で敢行して良かったよ、これはただの人気取りのお粗末な政策だ・・・と、他の多くの政権と同じで、よい面もあり悪い面もあった。
政策の議論を始めればきりが無いけれど、議論の余地が無いのは、イギリス最初(そしておそらくかなり長い間唯一の)女性の首相であり、貴族出身のチャーチルとは違い、雑貨屋の家庭から、選別の公立校(グラマースクール)へ進み、一時は社会に出て働き、自力であそこまでたどり着いたという功績。裕福で協力的なだんなに恵まれたという事と、双子を抱えながらも議員として活躍できたのは、選挙区がロンドンのフィンチリーでウェストミンスターとの行き来が楽であったため、というのもありますが、それでも並の努力ではできない。今の政治家が、与党も野党もキャリア政治家が大半をしめ、他に人生経験が無い人が多い。さらに、金に糸目をつけぬ親のおかげで、私立学校で良い教育を受けたお坊ちゃん、お嬢ちゃんが幅を利かせているのです。性格も情熱も気概もないような、マネキン人間のようなのばかり。
セント・ポール大聖堂内での葬儀で、歌われた聖歌や、聖書からの抜粋などは、本人が死ぬ前に選んだものだったという話です。ダイアナ妃が好きで、彼女の葬式でも歌われた「I vow to thee, my country(我が祖国よ、汝に誓う)」は、サッチャー女史が一番好きな聖歌でもあったと言う事で、最後に歌われていました。歌詞はセシル・スプリング=ライスにより、1908年と、第1次世界大戦前に書かれた、母国に献身的愛を捧げる・・・という非常に愛国的なもの。後半の歌詞は、母国とは別に、キリスト教信者として神の国をたたえる内容。曲がついたのは、1921年で、グスタフ・ホルストの「惑星」の中から木星のメロディーの一部をとったもの。ちなみに、ホルストは、スウェーデン系のイギリス人であったため、元の名は、グスタフ・ヴォン・ホルスト。第一次世界大戦で、国内のドイツ人がうさんくさい目で見られ始めたため、万が一の用心で、ドイツ風に聞こえる「ヴォン」を、名前から落としたと言われます。現王室が、やはり反ドイツの気風を受けて、さりげなく、家名をドイツ風から現在のウィンザー家へ変えたのと同じ。
I vow to thee, my country, all earthly things above,
Entire and whole and perfect, the service of my love;
The love that asks no question, the love that stands the test,
That lays upon the altar the dearest and the best;
The love that never falters, the love that pays the price,
The love that makes undaunted the final sacrifice.
And there's another country, I've heard of long ago,
Most dear to them that love her, most great to them that know;
We may not count her armies, we may not see her King;
Her fortress is a faithful heart, her pride is suffering;
And soul by soul and silently her shining bounds increase,
And her ways are ways of gentleness, and all her paths are peace.
我が祖国よ、汝に誓う
その上に存在する全ての物へ
完全無傷にして完璧なる物へ
我が愛の献上を
疑問を知らぬ愛、試練に絶える愛
祭壇へも捧ぐべく貴重にして至上の愛
戸惑うことなき愛、代価を厭わぬ愛
最終の犠牲も省みぬ愛
そしてまた、ここに別の国がある
昔々に聞いた国が
それを愛するものには最も貴重である国
それを知るものには最上の国
その国の軍と交わる事はないかもしれぬ
その国の王を見る事はないかもしれぬ
その砦は信じる心
その誇りは苦難に耐える事
そして、その輝ける境界は、静かに、ひとつ、またひとつと魂へ広がる
その流儀はやさしさであり、その全ての道は平和へと続く
歌詞は確かに、少々古臭くはあります。特に、長くなるので上には載せなかった中間部は、母国を守るため戦う、というくだりが入りますし。でも、メロディーは、すばらしくて、特に古い大聖堂の中で奏でられると、おおーと気がもちあがるものです。
バイバイ、マギー・サッチャー!バイバイ、私のイギリス最初の日々!
*追記(4月28日)
昨夜、少女の頃から国会議員になるまでのマーガレットが、姉に書き綴った手紙を追ってのドキュメンタリーがあり、見ましたが、彼女の意外な一面が描かれていました。洋服や見栄えを非常に気にする人だったようで、手紙内容の大半は洋服と男性の話。また、オックスフォード大に入ってから、上流風のカクテルパーティーや集い、食事会、ダンスパーティーなどにはまり、男性も、金持ちがお好きなようだった感じです。デニス・サッチャーと結婚したのも、純愛よりも、彼はクラスも上で金がある・・・というのがわりと大切な要因だったようです。後に、人間は、自力でがんばって身を立てるのが通常だ・・・のような事を説いた人の割には、ちょっと他力本願。人間、本音とタテマエは、誰にでもあるんですわな。
また、雑貨屋を経営して実直に働いた父を尊敬し、父のような人間になろうと努力した、というのが、彼女にまつわるストーリーとしていつも書かれていました。が、結婚後ロンドンで政治活動を行っていたマーガレットのもとへ、未亡人となった父が遊びに来た際、彼女は姉に、この忙しいのに、早く帰ってくれないと邪魔だ・・・のような事を書いていた。そして、無事、彼女が国会議員として選出された後、父は、姉に「マーガレットは忙しいのだろうが、まだ手紙をくれない」とこぼしていたそうで、父が死ぬ前の最後の姉への手紙にも、「マーガレットからの手紙はまだこない」とあったのです。なんだか、小津の「東京物語」みたいです。
このドキュメンタリーで感じた人物像は、勤勉で精力的ではあったが、虚栄心が強い、自分の背景を少々恥じ、それより上のクラスに属するよう努力し、少々計算高く、情は強くない・・・と、要するにあまり、友達にしたくないような人間でした。
批判も多くあるようですが、夫には彼女の死が少しショックだったみたいです
返信削除サッチャー時代長かったですからね。自分の過去の一部が手の届かない遠くへ行ってしまった感があります。
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