投稿

ラベル(文化行事・習慣)が付いた投稿を表示しています

プラチナ・ジュビリーのパーティーとビーコン

イメージ
近所のプラチナ・ジュビリー記念ビーコン(かがり火)  イギリスは、昨日6月2日から始まった、 エリザベス女王即位70周年 を記念するプラチナ・ジュビリー・ホリデーの真っただ中ですが、バッキンガム宮殿のみならず、各地の地方自治体が、色々な催しを行っており、昨日の午後は、我が家から歩いて1分とかからない小川のわきの緑地でも、ちょっとしたコンサートと野外パーティーが催されていました。 うちのお隣さんは、クラッシックカーを所有していて、なんでもクラッシックカーは特別に緑地内に駐車を許されていたらしく、他の2台のクラッシックカーと並べて駐車し、車の中から、コンサートを眺めていました。もうすでに、3時くらいから、音楽が聞こえていたのですが、私たちは、夕食を終わらせてから、腹ごなしもかねて、のこのこ覗きに行きました。お隣さんによると、もっと早い時間には、ちょっと太りすぎのエルビスのそっくりさんなども出てきていたそうで、見栄えはともかく、なかなか上手かったなどと言っていました。なんだ、前から知ってたら、エルビス見に行ったのに・・・。 屋台などもいくつか立ち、臨時トイレなどもあり。屋台の食べ物は、いい匂いはするものの、典型的イギリスのファーストフードで、不健康そうなものばかり売っていたので、こちらは冷やかしでのぞいただけ。コンサート舞台のそばで踊る人たちなどもおり、みんな、幸せそうでした。コロナ、ウクライナ、インフレ等々、暗いニュースばかりだったところへ、ぱーっと陽光が差した感じで。 私は、今の家に住んでもう20年以上たちますが、ここの緑地で、これほどの催しが開かれたのは、初めての経験です。即位70周年・・・これが女王のジュビリーの最後になるのでは、と思う人が多いせいか、地方自治体も力をいれたのかもしれません。うちのだんななどは、75周までは大丈夫じゃないか、などと言ってますが。でも、即位75周年記念の前に、女王は100歳に達するので、そうなると、100歳のバースデー祝賀の方が先に来ますね。 宮殿前の巨木インストレーションの点灯 夜の9時半ころには、バッキンガム宮殿前に備え付けられた巨大な木のインストレーションの点灯をはじめに、イングランド各地にあるビーコンに火がともされることになっており、うちでも、隣村に常設してあるビーコンまで車で行って見てこようか、などと話していたのです...

エリザベス女王のプラチナ・ジュビリー

イメージ
日本訪問中のエリザベス女王とエディンバラ公(1975年5月) コロナのロックダウンの間、お出かけがほとんどできない憂さ晴らしに、スクリーン上で日本旅行をしようと、私は、「男はつらいよ」シリーズの全作を、家で見て楽しみました。「それが、エリザベス女王と何の関係があるんじゃ?」と言わずに、まあ、読んでください。 その中の、シリーズ第15作、1975年8月公開で、浅丘ルリ子のリリーさんが2回目に登場する、「寅次郎相合い傘」の冒頭のシーンを見ている時、日本訪問中のエリザベス女王と夫君エディンバラ公フィリップ王子が、上の写真のごとく、オープンカーで手を振るテレビ画面が映し出されました。それを見ていた、おばちゃんが、(女王は)自分と同じくらいの年なのに、若く見えるという感想をのべ、さらに、ずっと立ちっぱなしで、疲れるだろうに、大変だ。それを聞いていたタコ社長が、でも、ああやって笑っているだけで、おまんま食えるなら、いい、それなら、自分だって、立ちっぱなし位我慢する、と返事。さらには、おいちゃんが、ご主人は養子だってな、とくると、おばちゃんが、おとなしそうで、うちの博さんに似ている、するとタコ社長が、それじゃ、さくらさんは、女王様だ・・・ここで、一同大笑いになる。 エリザベス女王とフィリップ王子が日本を訪問したのは、1975年5月7日から12日にかけてですので、この映画公開直前の事です。フィリップ王子は、「おとなしそう」というおばちゃんの感想とは違い、公の場で、失言や、ひんしゅくを買うようなジョークを飛ばしてしまう事で有名で、一般庶民は、色々笑わせてもらえましたが、周辺の人たちは、「何か変なことを言いやしないか」と、ひやひやものであったかもしれません。(エリザベス女王の日本訪問中の写真は、 こちら で見れます。上の写真も、当サイトより拝借しました。)この2年後の1977年は、女王在位25年を記念する、シルバー・ジュビリーと呼ばれる式典が行われていますので、日本訪問の時には、もうすでにベテラン女王だったのです。笑顔で、立ち続け、手を振り続けるのも、慣れたもので。 「エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー」と題して、女王在位60周年記念の式典について、ブログポストを書いたのも、もうすでに10年前の2012年! ロンドン・オリンピック の年でしたね。なんだか、つい最近の事の様ですが。...

9つの聖書日課とクリスマスキャロル

イメージ
クリスマスイブの午後3時からは、毎年、BBCのラジオで、ケンブリッジ大学の キングス・カレッジ・チャペル から、9 Lessons and Carols(9レッスンズ・アンド・キャロルズ、9つの聖書日課とクリスマスキャロル)が生放送されます。そして、少々遅れた時間に前もって録音されていたヴァージョンがテレビで放送。(上記写真は、キングス・カレッジの 公式サイト より。) これは、9つの聖書からの抜粋の朗読と、聖歌隊によるクリスマスキャロル演奏が交互に行われるという式典。キングス・カレッジ・チャペルでのサービスは、いつも、聖歌隊メンバーのソロによる"Once in Royal David's City"でおごそかに始まります。9つの聖書の抜粋の朗読は、まず聖歌隊のメンバーから始まり、徐々に、教会内での階級が高い人物が順番に読む形となります。イギリスのみならず、他国でも放送される、超人気のキャロル・サービスとあって、中に入って見ようなどと思うと、もう数日前から、寒い中、寝袋抱えて並ぶ覚悟で、クリスマスイブの朝に配布されるチケットをゲットする必要があるそうです。 クリスマスイブに、この「9つの聖書日課とクリスマスキャロルの礼拝」を行うのは、キングス・カレッジ・チャペルが行うようになってから、クリスマスイブの定番となり、イギリス内、更には、世界各国に広がったのですが、一番最初に行われたのは、1880年、イングランド南西部のコーンウォール州の州都トゥルーロ(Truro)での事。トゥルーロの大聖堂は、同年に建設が始まり、トゥルーロ大聖堂の初代司教となり、後にはカンタベリー大司教にもなる、E.W.ベンソン氏が、参列者に親しみやすい礼拝として考案。大聖堂建設中の仮の木造建築物内で、9つの聖書からの朗読が、9つのクリスマスキャロルに挟まれた形の礼拝が、最初に執り行われたのだそうです。 キングス・カレッジでのサービスが最初に行われたのは、第一次世界大戦終戦の年である1918年。ですから、今年は、100周年記念の年です。第一次世界大戦中、西部戦線そしてイタリアへ送られていた、エリック・ミルナー・ホワイト(Eric Milner White)氏は、帰国後、ケンブリッジへ戻り、キングス・カレッジで首席司祭(Dean)に任命されます。悲惨な 第一次世...

元日の散歩

イメージ
ふと考えると、このブログを始めてから、9回目の新年を迎えました。4時に日が暮れる短い冬の日、クリスマスのデコレーション、春一番の花が咲きだす嬉しさ、新緑、鳥たちの子育て、盛んに飛び交いはじめる蜂たち、イチゴとグラス・テニスの季節、夏休み、木の葉の季節、冬眠に備えて庭を徘徊するハリネズミ、ハロウィーン、そしてまたクリスマスの用意・・・毎年巡ってくる自然の営みと文化行事を、もう、あれから9回も繰り返してきたのです。10年ひと昔ですから、そろそろ、そのひと昔に近づきつつあります。 元日の本日、だんなが、所属する隣村のテニスクラブでプレーしている間、私は、テニスクラブ近郊の散歩をしました。非常に歩きなれた散歩道ですが、季節によって、その姿も味わいも違います。 だんなに車で降ろしてもらって、歩き始める場所にいつもいる馬たちは、私が柵越しから見ていると、近づいてきました。馬は、大体において、近づいてきても、私が、何もおいしいものを持っていないとわかると、すぐに、「なんだ、何も持ってないのか、こいつ。」と言わんばかりに、そのまま、その場を立ち去るのが常ですが、この2頭は、去ることもせず、ずっと私を見ているので、ぽんぽんと顔のわきを交互に叩いてやりました。振り返ると、去っていく私の後姿も見送っていた・・・退屈だったのかな。 ここのところのぐずぐず天気で、古いレンガの橋の下を流れる小川の水量はかなり多く、道もぐちゃぐちゃ。それこそ、このブログを始めた当時から使っている愛用の 長靴 を履いて行って本当に良かった。油断していると、すってんころりんしそうなぬかるみもありましたから。 本日の天気は典型的なイギリスの冬。灰色の空、じめっとした空気。わびさびの世界。 夏の間の黄色い顔もすっかり消え失せ、ガラガラに枯れてもそのまま垂直にたっているひまわりの姿も見かけました。この季節、葉が落ちた木が多いため、景色が、比較的遠くまで良く見えるという利点はあります。が、同時に、葉や茂みに隠れて、こそこそとかがめる場所が減り、おしっこがしたくなった時、野しょんがしにくいという難点もあり。長距離ウォーキングに出かけると、どうしても藪で用足しというのは起こりえる事態です。その点、男性は、本当に有利だと思います。もっとも、いつも、それほど人と出くわすことはないので、見られ...

ヤドリギの下でキスをする

イメージ
クリスマスの室内の飾りに良く使用されるヤドリギ(Mistltoe、ミスルトゥ)。常緑の細長い葉の間に真珠のような白い実。これを束ねて逆さに吊るし、その下に立つ人には、キスができるというのが習慣ですが、この習慣がどこから来たかというのは、定かではないよう。 ヤドリギで作った矢に刺され死んでしまうバルドル 一説によると、北欧神話に由来するという話があります。バルドル(Baldr)という美男の神様がおりました。彼は、自分の死を見る悪夢に襲われ、母親の女神フリッグ(Frigg)は、それを聞いて、心配し、植物を含む地上のあらゆる生物に、バルドルを決して傷つけないという誓いをたてさせるのです。が、この時、フリッグは、寄生植物であるヤドリギを見過ごしてしまう。ともあれ、この後、バルドルは、不滅の体となり、他の神々がふざけて物を投げつけても、一切、傷つくことがなかった。ところが、心の曲がった神、ロキ(Loki)は、ヤドリギが見過ごされていた事に気づき、ヤドリギを使って矢のような武器を作る。ロキは、バルドルの盲目の兄弟、ヘズ(Hod)に、このヤドリギでできた矢を、バルドルにむかって投げつけさせる。矢に突かれたバルドルは、瞬く間に死んでしまい、他の神々は、やさしく美しかった彼を悼んで悲しんだ・・・とここまではいいのですが、この後のストーリーは、多少のバリエーションがあります。まず、そのひとつは、母のフリッグの流した真珠のような涙は、ヤドリギの実となり、フリッグは、ヤドリギを罰する代わりに、その後、平和と友情の象徴とした・・・というもの。また別のストーリーは、神々は、なんとか、バルドルを死の世界からよみがえらせることに成功し、喜んだフリッグは、ヤドリギを平和と友情のシンボルとし、その下を通るものはキスをするという誓いをたてたとやら。この他にも、また別の説を読んだことがあります。 ヤドリギは、キリスト教以前の古くから、常緑であるため、冬の飾りや行事に使用されており、豊穣の象徴であるとしてドルイド教(Druid)などの異教でも崇められてきた植物。実際、正式にはキリスト教とは全く関係なく、一般では、18世紀ころから、クリスマスの装飾として使用されるようになるものの、ホーリー(西洋ヒイラギ)やアイビー(蔦)と異なり、キリスト教の教会内にヤドリギを飾るという事はほとんどないよう...

ロード・メイヤーとロード・メイヤー・ショー

イメージ
ロンドン博物館内のロード・メイヤーズ・コーチ さて、来週の土曜日(11月11日)は、ロンドンで、ロード・メイヤー・ショー(Lord Mayor Show)が執り行われます。新しく選出された、ロード・メイヤーが、金ぴかの馬車に乗って、ロンドンのシティー内をパレードする日。 以前の ディック・ウィッティントン の記事でも書いたように、ロード・メイヤーとは、ロンドン市長と訳されますが、現在の、ロンドン全域(Greater London)の代表であり、ロンドン市民の選挙により選ばれ、任期4年のメイヤー・オブ・ロンドンとは異なり、ロード・メイヤーは、シティー・オブ・ロンドンのみの代表者で、任期は1年のみ。かつては、ロンドンと言えばシティー・オブ・ロンドンを指したので、ロード・メイヤーがまさにロンドン市長であったわけですが。 一番最初のロンドンのメイヤー(当時はまだロード・メイヤーとは呼ばれていなかった)は、12世紀に遡り、ヘンリー・フィッツアルウィン(Henry FitzAilwin)という人物。在位中はほとんどイギリス国内にいなかったリチャード1世が、十字軍の遠征に、えっちらおっちら出かける前の、1189年には、フィッツアルウィンは、すでに、シティー内で、王様とシティー有力者たちを代表する人物として、メイヤーに任命されていたのではないかとされます。彼は、今の任期の1年どころか、約20年メイヤーの座を維持し、後は、親族に引き継がれたという事。この時のメイヤーは、まだ王によって任命されていたのが、1215年、だめ王、ジョンは、マグナ・カルタにサインをする6週間前に、シティーに、毎年、自分たちでメイヤーを選出する権利を与えます。また、マグナ・カルタ内の条項、13条には、特定して、ロンドン(シティー)の自由と過去からのしきたりを重んじるという内容も加えられる事となります。 過去一番有名なロード・メイヤーは、おそらく上述のリチャード(ディック)・ウィッティントン。 シティーは、小さな区(Word、現在25区)に分かれており、それぞれの区はオールダーマン(Alderman)という代表者を持ち、ロード・メイヤーに選出されるためには、まず、現役のオールダーマンである必要があります。またシティーには、現在は、特に意味のある役割を果たさないものの、かつては税金の収集を行...

イースター・エッグ・ハント

イメージ
今週末はキリストの復活を祝うイースター・ウィークエンド。 イースター というと、なにかと卵が登場します。卵は、キリスト教以前の時代から、豊穣、生命が芽生えるシンボルでもあり、キリスト教が確立してからは、殻を破るようにして、墓の中からよみがえったキリストの象徴でもあり。卵をきれいに装飾し祝うという習慣も、キリスト教とは別に、世界の色々な地域で、色々な折に行われていたようです。キリスト教に関しては、イースター前の四旬節(レントlent)の約4週間は、卵を含めた肉魚を食べないしきたりもあり、再び、卵を食べられるようになると、ここぞとばかりに、卵をきれいに飾ったり、塗ったりしたというのも、イースターと卵のつながりの由来のひとつ。 一方、やはり豊穣のシンボルであるウサギも、イースターに使用されるようになり、籠を抱えたイースター・バニーがきれいに塗られたイースター・エッグを届けにくる、などという話に発展。 学校も休みですので、子供たちを毎日楽しませるのに頭悩ませ、イースター・ホリデーの間に、各地で催されるイースター・エッグ・ハントに子供を連れて出かける家庭も多いことでしょう。敷地内にイースター・エッグを隠してあるのを、子供たちが探し歩くのですが、大体、昨今のこうした催しのイースター・エッグは、ゆで卵などではなく、チョコレート。 すでに17世紀あたりから、イースターには、卵の形をしたおもちゃに、お菓子などの贈り物をつめて子供にあげる、などという風習が始まっていたようです。最初に卵の形をしたチョコレートが作られるようになったのは、19世紀初頭のヨーロッパ(ドイツ、フランス)だと言われています。イギリスでは、1873年あたりに、とある製菓業者が作りはじめ、次々と他社がまねをし、現在のように、イースターというと卵やウサギを模したチョコレートがスーパーの棚にぎっしり勢ぞろいするまでに至ります。結果、イースター期間には、子供がチョコレートを、がばがば食べすぎると、問題になるほどに。最近のイースター・エッグのチョコレートは、真ん中は空洞で、外の殻の部分だけがチョコレートである事が多いですが、まだ製造技術が発達していない時代は、ごりっと、全部チョコレートであったようで、殻の部分だけをチョコレートにするには、ひとつひとつ、かなり手をかけて作る必要があったようです。どんな些細な...

ラジオ・タイムズよ、お前もか!

イメージ
「ラジオ・タイムズ」(Radio Times)は、イギリスのテレビ・ラジオ番組を週ごとに網羅する情報週刊誌です。私が、この雑誌を買うのは一年に一回だけ。映画が多くかかり、他にあまりやる事もない、クリスマス期(12月後半)のダブル・イシューと呼ばれる、通常の1週間の番組案内ではなく、2週間分の番組案内が収まっているもの。今年も買って、見たい映画に丸印なんぞを付けてあります。 ラジオ番組よりも、テレビ番組の情報が主役なのに、何故に、「ラジオ・タイムズ」と呼ばれるのか・・・そのココロは、この雑誌が始めて出版されたときはテレビ番組が存在しなかったため。遡る事、1923年。テレビはおろか、ラジオもまだ創成期で、新聞等の出版メディアは、新しい媒体であるラジオなるものを、自らの販売量を減らす原因となる、ライバルとして見始めており、新聞出版協会は、BBCに対して、ラジオ番組のリスティングを新聞に掲載してほしければ、高額の料金を払えと請求。当時のBBC総督のジョン・リースは、それに対して、新聞社に頼らず、ラジオ番組のリスティングを載せた出版物を打ち上げることを考案し、 ラジオ・タイムズの初版 「ラジオ・タイムズ」が誕生することとなるのです。 早くも1928年に、ラジオ・タイムズは、実験的なテレビ放送の開始を発表し、BBCは、早朝30分間のテレビ放映などを行っていたそうですが、テレビ番組の定期的リスティングが始まるのは、1936年の11月から。これによって、ラジオ・タイムズは世界初のテレビ番組リスティングの雑誌の地位を獲得。戦時中は、テレビ放送は一時的に打ち止めとなり、再び、国民は、情報とエンターテイメントをBBCのラジオ放送のみに頼ることになるわけですが、ラジオ・タイムズ自体は発行され続け。戦後はテレビ番組の数の上昇と共にページ数も増えていき、現在では、当然BBCのみならず、すべてのテレビ、ラジオ番組を載せる雑誌となっています。なんでも、1988年のクリスマス版は、イギリスで過去発行された雑誌の中で最大の売り上げを収め、ギネス・ブック入りしているそうです。クリスマス版は、やはり、私みたいに、普段は買わないけど、この季節だけはと手を伸ばす人が出てくるのでしょう。もっとも、この季節をはずしても、未だに、ラジオ・タイムズは、イギリス内で売り上げが第3位の雑誌だと...

クリスマスの日の散歩

イメージ
風は強かったのですが、暖かなクリスマスの日でした。ホワイトクリスマスなどというのは、イギリス南部ではめったにないことですが、温暖化が進むにつれ、ますます、稀な現象となる事でしょう。 クリスマスの日の昼頃は、大体の家庭は料理の仕上げに励むか、そろそろ食卓を囲み始めて席に着くかで、あまり外をふらつく人はいません。よって、12月25日の昼から4時頃にかけては、道路なども、1年のうちで一番空いている時間帯ではないかと思うのです。特に伝統的なクリスマスのご馳走などを作らない我が家では、これを利用して、遊びに来ていた友達を連れ出し、隣村にウォーキングに出かけました。 この隣村へ行くには、ちゃんとした歩行者専用の フットパス が通じていないため、普段は歩いて行こうと思うと、細い田舎の道路沿いの草の上を歩かねばならないので、あまり気分の良い散歩道ではないのですが、この日は行きも帰りも、通り過ぎた車の数は、計5台程度。道中、私たちのように、道路を散歩している変人に一人だけ遭遇。同じ通りに住んでおり、数年前に亡くなってしまったおばあさんは、昔々、まだ車の量が少なかったころは、良く週末にご主人と歩いてこの隣村まで行き、村のパブで食事をして、歩いて戻ったものだ、などと言ってましたが、現在では、車に煩わされずに、こうしてのんびりと隣村まで歩けるのは、1年でおそらくクリスマスの日だけ。 これが、翌日の26日(ボクシングデイ)となると、親戚一同家の中にこもっていたのに飽きた人たちが、近郊に歩きに出たり、また、巷では、クリスマス後のセールが始まるので、車で、ショッピングに出かける人たちなども多いので、同じような静けさは楽しめないのです。 のんびりと、歩いては止まりしながら、約1時間半後に、隣村の教会にたどり着きました。24日の夜には礼拝があって開いていたはずなのですが、クリスマス当日は、扉は閉まっており、内部には入れませんでした。 そこで、教会ポーチでビスケットを食べて、村の可愛い家々を眺めながら、ちょっと一休み。村の内部でも、外を行く人はおらず、ひっそり。 帰りは、別の、普段は田舎道にしては、わりと車の量が多い道路を辿って戻りましたが、こちらも、ほとんど車を見ずに済み、我が物顔で闊歩。50年前にタイムトラベルをしたような散歩でした。 計画通りに、3時少...

毛織物業のお役立ち植物、チーゼル

イメージ
この、トゲトゲ卵型、巨大アザミのような花は、チーゼル。夏には、トゲの間からラベンダー色の小花を咲かせます。日本ではチーゼルの他に、オニナベナ、または、ラシャカキグサとも称されているようです。 英語では「Teasel」とつづられ、発音は、チーゼルというより、ティーゼル。学名は、Dipsacus fullonum。学名の後半部分の、「fullonum」は、「毛織物縮充工(に関する)」の意味があります。ちなみに、この毛織物縮充工(英語でfuller)とは、毛織物を洗浄、収縮、起毛する処置を行った人物の事。かつて、イギリスの毛織物業界では、起毛のために、このトゲトゲ頭のチーゼルがずっと使われてきたので、その用途がそのまま学名になっているわけです。 先月訪れた ラヴェナムのギルドホール で、昔の毛織物業の工程を説明する展示物がありましたが、チーゼルの頭をいくつか切り取ってくっつけ、それにハンドルをつけた起毛用器具が展示されていました。 中世のイギリスで、羊毛が毛織物へと変身するまでの過程をざっと書くと、 羊毛を洗い、泥や油を洗い落とす・ 羊毛を質と長さにより仕分けする。 羊毛にブラシをかけなめらかにする。 つむぎを専門とする女性( spinster )へ羊毛を持っていく。 つむぎ終わった糸を、染色業者へ。 染色された糸を機織りへ。 織りあがった布は、毛織物縮充を行う水車小屋へと持ち込まれ、そこで、毛織物縮充工は、まず、布を尿や、水と石鹸にひたし、厚みが出るまで布を叩き、洗い流す。 布は、戸外で、木枠にはりつけられ、既定の形と幅に伸ばされ、干される。 仕上げに、チーゼルを用いて起毛させ、表面が均等になるよう、飛び出た部分などを刈り込む。 となります。 中世の時代に、ラヴェナムのような毛織物業を専門とする村や町に住んでいたら、住人のほとんどが、上の過程のどこかに携わって生計をたてていたのでしょう。チーゼルも、染色用に使った植物もそうなら、おしっこもそうですが、とにかく、身の回りで簡単に手に入るものを見つけては、「これはいける」と使用し、慣習となっていた様子もわかります。 秋も深まり、散歩中、にょっきりと背の高いチーゼルの茶色く乾燥した姿が時に目に入ります。さすがに、昨今の織物工場では、チーゼルは使用されていないでしょうから...

エリザベス女王の2つの誕生日

イメージ
現イギリス女王、エリザベス2世が生まれたのは、1926年4月21日。ですから、彼女の本当の誕生日は4月なのですが、記念式典、パレード等を行う公式誕生日は6月の土曜日となります。今年はこの公式誕生日が、昨日、6月11日の土曜日。御年90とあって、一昨日から、昨日、今日と盛りだくさんの式典。一昨日は、また、夫君エジンバラ公の95歳の誕生日で、朝のラジオで、国歌が流れてきました。 もともと、イギリスの王様女王様が夏に公式誕生日を持つ、というのは、1748年、ジョージ2世の時代に遡るそうです。11月生まれであったジョージ2世は、誕生日を祝うパレードを行うには、11月は、寒くて惨めであったため、夏に公式誕生日を移行してセレモニーを行った、というのが事の始まり。このため、現在もイギリスの王様、女王様は、夏のお天気が良い時期に誕生日のお祝いをすることができる、というもの。4月も悪くはないですが、チューリップ以外の花も咲きそろい、イギリスのバラも開き始める6月の方が、たしかに魅力的ではあります。 という事で、昨日、式典に登場したエリザベス女王の洋服はびっくりするような蛍光の緑。まあ、遠くから、すぐに誰だかわかりますが。それにしても、90歳と95歳で、結構長時間、立ちっぱなしとかもまだやってますので、かなり丈夫。おトイレなども、時に、平気のへいざの顔をしながら、我慢しなければならないでしょうに。長生きするのなら、このくらいぴんしゃんしていたいものです。 ロンドンの官庁街ホワイトホールの裏手に位置するホース・ガーズ・パレード(Horse Guards Parade)で行われるトゥルーピング・ザ・カラー(Trooping the Colour)という儀式は、彼女の公式誕生日の恒例行事。ここで言うカラーとは、イギリス及び、大英帝国軍隊の連隊の旗で、かつて戦場で、それぞれの連隊の兵士が自分たちの属する部隊の位置と状況確認できるよう、旗をあげて行進を行ったことに由来するようですが、上記の通り、ジョージ2世が公式誕生日を夏に設置してからは、イギリス君主の誕生日パレードにも使われるようになります。 トゥルーピング・ザ・カラーは、毎年、テレビでも報道。この兵隊の列、おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ、ですね。布地のデザインの様にも見える。昔は、エリザベス女王、...