元日の散歩

ふと考えると、このブログを始めてから、9回目の新年を迎えました。4時に日が暮れる短い冬の日、クリスマスのデコレーション、春一番の花が咲きだす嬉しさ、新緑、鳥たちの子育て、盛んに飛び交いはじめる蜂たち、イチゴとグラス・テニスの季節、夏休み、木の葉の季節、冬眠に備えて庭を徘徊するハリネズミ、ハロウィーン、そしてまたクリスマスの用意・・・毎年巡ってくる自然の営みと文化行事を、もう、あれから9回も繰り返してきたのです。10年ひと昔ですから、そろそろ、そのひと昔に近づきつつあります。

元日の本日、だんなが、所属する隣村のテニスクラブでプレーしている間、私は、テニスクラブ近郊の散歩をしました。非常に歩きなれた散歩道ですが、季節によって、その姿も味わいも違います。

だんなに車で降ろしてもらって、歩き始める場所にいつもいる馬たちは、私が柵越しから見ていると、近づいてきました。馬は、大体において、近づいてきても、私が、何もおいしいものを持っていないとわかると、すぐに、「なんだ、何も持ってないのか、こいつ。」と言わんばかりに、そのまま、その場を立ち去るのが常ですが、この2頭は、去ることもせず、ずっと私を見ているので、ぽんぽんと顔のわきを交互に叩いてやりました。振り返ると、去っていく私の後姿も見送っていた・・・退屈だったのかな。

ここのところのぐずぐず天気で、古いレンガの橋の下を流れる小川の水量はかなり多く、道もぐちゃぐちゃ。それこそ、このブログを始めた当時から使っている愛用の長靴を履いて行って本当に良かった。油断していると、すってんころりんしそうなぬかるみもありましたから。

本日の天気は典型的なイギリスの冬。灰色の空、じめっとした空気。わびさびの世界。

夏の間の黄色い顔もすっかり消え失せ、ガラガラに枯れてもそのまま垂直にたっているひまわりの姿も見かけました。この季節、葉が落ちた木が多いため、景色が、比較的遠くまで良く見えるという利点はあります。が、同時に、葉や茂みに隠れて、こそこそとかがめる場所が減り、おしっこがしたくなった時、野しょんがしにくいという難点もあり。長距離ウォーキングに出かけると、どうしても藪で用足しというのは起こりえる事態です。その点、男性は、本当に有利だと思います。もっとも、いつも、それほど人と出くわすことはないので、見られる心配は、さほどする必要はないのでしょうが。

先日、記事にした、寄生植物のヤドリギ(ミスルトゥ)が、それは沢山くっついている木々も見かけました。

リンゴの木に生えるヤドリギ
ヤドリギは、リンゴの木に寄生する事が一番多いと言われながら、今まで、リンゴの木に生えるヤドリギというのは、見た事が無かったのですが、ちょっといつもの散歩道から迂回したリンゴ園の脇のフットパスで、ついに見ました。リンゴになるヤドリギ。「なんだ、クリスマス前に、ここに沢山あるとわかっていれば、取りに来たのに。」と思いながら、いくつかの枝を、お土産に手でもぎ取って、バッグにつめ。

このリンゴ園脇のフットパスの入り口には、宇宙人のいたずら書きのような、不思議な車輪の跡が湿った芝生に残されていました。

だんなと待ち合わせしてあった村の教会。いつもは開いているのに、本日ドアに鍵がかかっていたので、だんなの車が到着するのを待つ間、墓地をぶらぶら散策。

墓石の前にクリスマス風の花やデコレーションもいくつか置かれており、手の込んだリース、鈴なども、墓地の木々にかけられていました。

家に帰ってさっそくおみやげのヤドリギを束ねて、居間に飾りました。ちょっと遅いですが。

過ぎてゆく季節が与えてくれる、その時その時の巡りあいを楽しみながら、また今年の暦を辿っていきます。

コメント