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私のお気に入り

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Raindrops on roses and whiskers on kittens Bright copper kettles and warm woollen mittens Brown paper packages tied up with strings These are a few of my favorite things Cream-colored ponies and crisp apple strudels Doorbells and sleigh bells and shnitzel with noodles Wild geese that fly with the moon on their wings These are a few of my favorite things Girls in white dresses with blue satin sashes Snowflakes that stay on my nose and eyelashes Silver white winters that melt into springs These are a few of my favorite things When the dog bites When the bee stings When I'm feeling sad I simply remember my favorite things And then I don't feel so bad と、これを私なりに訳してみます。 バラの上の雨のしずくと子猫のひげ ぴかぴかの銅のやかんと暖かい毛糸の指無し手袋 ひもで縛られた茶紙の小包 それが私のお気に入り クリーム色の子馬にさっくとしたアップル・シュトゥルーデル ドアのベル、そりのベル、ヌードルを添えたカツレツ(シュニッツェル) 月を翼に飛ぶ雁の群れ それが私のお気に入り サテンの青いリボンがついた白いドレスを着る少女 鼻先とまつげにとまる雪の結晶 春の泉へと溶けていく白銀の冬 それが私のお気に入り 犬にかまれた時 蜂に刺された時 悲しい気分になった時 お気に入りのもの達を思い起こすの それだけで気分が晴れていくから ...

カティー・サークは魔女のシミーズ

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カティー・サーク(Cutty Sark)というと、ロンドンの グリニッジ にある、19世紀に中国からロンドンへお茶を運んで活躍した快速帆船(ティー・クリッパー)の名前、ひいては、この船の名を取ったスコットランドのウィスキーのブランド名として有名ですが、もともとのカティー・サークは、スコットランドの言葉で、短めのシミーズのような下着を指した言葉だというのですから、少々ずっこけます。意味を知らずに、「カティー・サーク」と聞くと、果敢なる響きがありますから。 確かに、カティーサーク号の船首像(figurehead)は、このシミーズっぽい下着をだらんと着て、胸を露にし、手に馬の尻尾を下げている女性の姿。これは、スコットランドの国民詩人として名高い ロバート・バーンズ が、1791年に発表した詩、「タム・オシャンター(Tam O'Shanter)」に描いた魔女のナニー。この詩の内容は、 酔っぱらいのタムという男が馬のマギーにまたがり、ある夜、教会の前を通りかかると、教会に明かりがともっている。中を覗き込むと、悪魔が奏でるバグパイプの音楽にあわせ、魔女やら魔法使いやらが踊っている。魔女たちは、醜い老婆ばかりだったのが、一人うら若く美しいナニーという魔女が、シミーズ(カティーサーク)を着て、色っぽく体をくねらし踊っていた。見ているうちに、タムは興奮して「あっぱれ、カティーサーク!」と叫んでしまったのが関の山。タムに気づいた魔女や、魔法使いたちが、タムをつかまえようと一気に追ってきた。タムは、マギーにまたがり、必死で逃げ、ドゥーン川(River Doon)にかかるドゥーン橋(Brig o 'Doon)のたもとに向った。魔女たちは、流れる川を渡ることができない、という事になっているので、橋を越えれば、安全、というわけ。ドゥーン橋のたもとで、お色気魔女ナニーは、マギーの尻尾をつかまえたが、それでも、タムを乗せたマギーは、何とか橋を渡り逃げ切り、橋のたもとのナニーの手には、マギーの尻尾だけが残った・・・。 ナニーに追いかけられ必死に逃げるタムを描いた上の絵は、スコットランドの南西部、ロバート・バーンスの生誕地アロウェー(Alloway)にあるロバート・バーンズ・バースプレース・ミュージアム蔵で、この博物館のサイトから拝借しました。 http://...

ぴよぴよと生える5月の新緑を抜けて

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いやはや、惨めな寒い春でした。比較的暖冬であったのに、3月、4月とぐずぐずと寒い天気が続き、4月後半まで、夜は霜が降りる日もあり。温室で育て、昼の間だけ戸外に出していた スイートピー の苗も、地面に植えるに植えられず。毎日のように、夜は 薪ストーブ を焚き。自宅勤務で、毎日、9時から5時まで、室内でPCに向かっている友人は、「あまりにひどい天気で鬱になりそうだ」などと言っており。 5月に入ってから、やっと暖かくなり、今まで、「なんだか、まだ寒いぞ、顔出そうかな、どうしようかな・・・」と迷っていた感じの庭の植物たちも、ここぞとばかりに、2,3日で、「それ、今だ、エイッ!」とばかりに、一気に芽を吹き、あっという間に、にぎやかになりました。生まれたての緑が目にまぶしい。 本日は気温も26度を超しました。日曜日の午前中は、大体、だんなが、車で10分ほどの隣村にテニスをしに行くので、 私も、時に、一緒に車に乗って出かけ、だんながテニスに興じる最中、村の周辺の田舎道を歩き回ったりします。約一か月前も、同じ散歩コースを通って歩いたのですが、風はつめたく、景色の色は緑より、寂しげな茶色が多く、道もぬかるんでいたのが、すっかり姿を変えていました。 りんごの木が列になって植えてある果樹園を通過。我が家のリンゴの木もそうですが、つぼみが色づき始め、あと1週間くらいで満開になりそうです。待ちきれぬように蜂たちが、周辺を飛び回っていました。この果樹園のわきには、受粉のために、蜂の巣がいくつか備え付けてあるのですが、近づくと、 机の引き出しを改造して作ったような姿の巣から、蜂たちは、すでに出たり入ったり。 ふと、萩原朔太郎の「初夏の印象」という詩を思い出しました。 混蟲の血のながれしみ ものみな精液をつくすにより この地上はあかるくして 女の白き指よりして 金貨はわが手にすべり落つ。 時しも五月のはじめつかた。 幼樹は街路に 泳ぎいで ぴよぴよと芽生はもえづるぞ。 みよ風景はいみじくながれきたり 青空にくっきりと浮かぎあがりて ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。 私は、詩というのは、日本語でも英語でもさほど熱心に読む方ではないのですが、若いころ、萩原朔太郎だけは、岩波文庫の詩集を買って持っていて、時にページをめくっていました。日...

ダンスターの紫に覆われた山と流れ行く川

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丘の上にそそり立つダンスター城が見下ろす、サマセット州ダンスター(Dunster)は、可愛らしい、中世の名残を残す村。北はウェールズを望むブリストル海峡、南はエクスムーアとあって、ロケーションも抜群。村を流れるのはアヴィル川(River Avill)。 だんなは、子供の頃、叔父さんとここを訪れて、ダンスターから、エクスムーアへと行く途中のアヴィル川の流れる周辺の谷が、今まで見た中で一番美しい谷・・・と感じたなどと言います。 イギリスの教会でよく歌われる、人気の賛美歌のひとつに、「All things bright and beautiful」(全ての輝ける美しきもの)があります。近所の人のお葬式でも、2回歌ったことがありますが、この世に存在するすばらしいものは、全て神様がお作りになった・・・という内容のもの。(この賛美歌の歌詞と訳は、以前の記事を参照下さい。 こちら 。) これは作詞家のアレクサンダー夫人(Cecil Frances Alexander)が、ダンスターでインスピレーションを受けて書いた・・・と言う話があります。歌詞の一部に The purple headed mountain The river running by 紫に覆われた山 流れ行く川 というくだりがあります。「紫に覆われた山」なんてどんな山じゃいな、と思うのですが、ダンスターの背後に聳えるエクスムーアのヘザーが、夏に紫の花を咲かせる様子かもしれません。 ナショナル・トラストに管理されているダンスター城見学のため、城用の駐車場に車をとめ、受付に行くと、受付のお姉さん、地図を指差しながら、「ダンスター城内は、あと30分経たないと開かないので、先に、川沿いに歩いて、水車を見てくるといいですよ。」 植物に覆われた川のほとりをしばらく歩くと、ありました、18世紀に建設されたと言う水車。 Dunster Watermill 水車を眺めていると、調度、金属部分にオイルをさして手入れしていたおじさんが、「ちょっと待ってれば、これから動かすよ。」起動しているところを見ることが出来ました。今でも小麦を轢いており、内部のショップで、ダンスター・ウォーターミルで轢いた小麦を売っています。余興に一袋購入。 こうして水車小屋経由で、城のある丘のふもとを...

クリスマスのまえのばん

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1823年12月に、クレメント・クラーク・ムーア(Clement Clark Moore)によって書かれたとされる詩、「クリスマスのまえのばん」(The Night Before Christmas)のイラスト入りの本を、ちょろりと入ったセカンドハンドの店で見かけ、購入しました。新品並みのコンディションで50ペンスは安いですし、昔風のイラストも気に入りましたので。 「クリスマスのまえのばん」は、アメリカのニューヨーク州トロイにて、最初は、新聞に無名で掲載された詩です。発表時は、「セント・ニコラスの訪問」(A Visit from St. Nicholas)のタイトルがついていましたが、瞬く間に人気をはくし、そのうちに、詩の冒頭の「Twas the night before Christmas・・・」(それは、クリスマスの前の晩の事でした・・・)から取った名で呼ばれるようになるのです。 もとはキリスト教の聖人であった聖ニコラスが、アメリカにて、文学や挿絵を通して徐々に現在のサンタクロースへと変化していきましたが、この「クリスマスのまえのばん」も、「聖ニコラスは、聖人という厳かなイメージではなく、陽気なおじいさんのイメージなのだ」と、一般人の間に定着させるのに、かなりの力をふるったようです。 詩の中では、サンタクロースと言う名はまだ使用されておらず、「セント・ニコラス」とはなっていますが、もう、この段階で、聖ニコラスがプレゼントを配りに来る日が、聖ニコラスの日である12月6日で無く、クリスマス・イブとなっていますしね。 詩の概要は、 静かなクリスマスの前の晩、暖炉の前には、靴下がつる下げられており、子供たちはお菓子の夢を見ながらベッドの中、奥さんも隣のベッドですやすや。著者は、戸外の物音に目覚め、窓から外を覗くと、セント・ニコラスが、8匹のトナカイがひくソリに乗ってやってくる。そして、セント・ニコラスは、煤にまみれ、煙突から室内へ降りてきて、覗き見をしていた著者に気がつくものの、ウィンクしただけで、何も言わずに、子供たちへのおもちゃを靴下につめ、再び、煙突へ。最後は、「メリークリスマス、グッド・ナイト」と叫びながら、ソリで去っていく。 ウィキソースに、英語の原文が載っていますので、興味のある方は こちら まで。 聖ニコラスの描写の部分...

たたずみ、見つめる時間もなければ・・・

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What is this life if, full of care, We have no time to stand and stare. No time to stand beneath the boughs And stare as long as sheep or cows. No time to see, when woods we pass, Where squirrels hide their nuts in grass. No time to see, in broad daylight, Streams full of stars, like skies at night. No time to turn at Beauty’s glance, And watch her feet, how they can dance. No time to wait till her mouth can Enrich that smile her eyes began. A poor life this if, full of care, We have no time to stand and stare. これは、ウェールズ出身の詩人、ウィリアム・ヘンリー・デイヴィス(William Henry Davies1871-1940年)による、彼の一番有名な詩、Leisure(余暇)。私も、大好きな詩です。 特に、最初の2行 What is this life if, full of care, We have no time to stand and stare. は有名で、よく引用されたりしていますので、イギリス人であれば、誰が書いたかはともかく、聞いたことがある人は多い事でしょう。 これを日本語に訳してみましょうかね。 この人生とは何であろう 不安と懸念に苛まれ たたずみ、見つめる時間もなければ 覆う枝葉の下に立ち 羊や牛と同じよう ゆるりと見つめる時間がなければ りすが草間に木の実を隠す 森を歩けども 気づくこと無く 昼のただ中 夜空の様に 星が流れる小川も見ずに 美しき人のまなざしに 振り向くことなく 彼女の足が踊るのも見ず 彼女の瞳に浮かぶ微笑が その口...

フランダースの野で

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今年、2014年は、 第一次世界大戦 開始より100年目の年。そのため、あちらこちらで、大戦で命を落とした人たちのシンボルとして使用されるけしの花( ポピー )のディスプレイが目にとまります。 激戦地となったフランダースの平原で、地面が彫り上げられた事により、一気に咲き出したポピー。その様子からインスピレーションを受け、カナダ人ジョン・マクレー(John McCrae)が、1915年に書いた「In Flanders Fields」(フランダースの野で)という詩があります。 In Flanders fields the poppies blow Between the crosses, row on row, That mark our place; and in the sky The larks, still bravely singing, fly Scarce heard amid the guns below. We are the Dead. Short days ago We lived, felt dawn, saw sunset glow, Loved and were loved, and now we lie In Flanders fields. Take up our quarrel with the foe: To you from failing hands we throw The torch; be yours to hold it high. If ye break faith with us who die We shall not sleep, though poppies grow In Flanders fields. ちょっと訳してみますと、 フランダースの野でポピー(ケシの花)が揺れる 我らが横たわる場を示す 十字架の間に 列をなし 空を行くひばりは、いまだ果敢に鳴く 下に響く銃音の中かすかに聞こえ 我らは死者、数日前には 生きて、朝焼けを感じ、夕焼けを眺め 愛し、愛され、それが、今は横たわるのみ フランダースの野で 敵との戦いを続けてくれ 我らの萎えた手から君らに投げるトーチ 以後は君らが高く掲げてくれ もし我らの信頼を君らが裏切るのなら ...

赤い実を食べた

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赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた 白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い 白い実を食べた 青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた 北原白秋が作詞した童謡、赤い鳥小鳥の歌詞です。 黒い鳥が赤い実を食べる様子もなかなかです。写真の黒い鳥は、もちろん、イギリスではおなじみのブラックバード(クロウタドリ)。赤い実は、さんざしの実です。 自宅から駅へ向かう小道沿いには、数本のさんざしがはえていますが、赤い実のなる頃、ブラックバードたちが、さかんに、枝にとまって食事をしている光景に出くわします。(このさんざしが、5月に花を咲かせている様子は、 こちら まで。) 今年は、一般にじめじめとして、寒めの春夏であったため、蜂や蝶の数も少なく、うちの庭のりんごの木は、この秋、ほとんど実をつけませんでした。受粉して、果物野菜の生産の手助けをしてくれる蜂たちの偉大さをひしひし感じ、その数が、減り続け無いようにと望むばかり。 悪天候の打撃を受けたのは、虫ばかりでなく、当然鳥も。タイミング悪く、寒い期間に生まれて育ったブラックバードの幼鳥が、雨に打たれたまま、じっと動かず気分悪そうにしていたのを見かけたのは、先月末。背後からしのびより、つかまえて、ぼろ布を敷いた箱の中に移しても、少々、ビービーと叫んだもののほとんど抵抗しなかったので、かなりもう弱っていたんでしょう。 りんごの木の下に箱を置いて、上から傘をさして、雨があたらないようにして、なんとか元気になってくれないかと思ったものの、箱の中で、うつらうつらと目を半とじにしていたこの小鳥、やはり1日が終わらぬうちに死んでしまいました。少なくとも死に際は、惨めに雨に打たれながらではなく、少しでも乾燥して暖かい思いをしてくれたかな、と考えるのが、ちょっとした慰めです。 死んだ鳥というのは、こういう、後ろにつっぱったポーズですが、死んだ後、体を前方に支える筋肉がなくなってしまうので、きっと、後ろにそってしまうのでしょうね。まだ幼鳥ですから、腹部などは、まだら模様。 ローズマリー の枝を添えて、庭の一番奥に埋めました。この庭に、死んだブラックバードの幼鳥を埋葬するのは、3回目です。 なんとか成長して幼児期をすりぬけても、待っているのは冬。昨日は、朝、ちらっと降った雨が、少々氷っぽく、一部...

オールド・ラング・ザイン

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昨夜は、真夜中のニューイヤーのカウントダウンと、恒例ロンドン・アイを背景にしたテムズ川の花火をテレビで見てから床に就きました。 2000年には、現在入院中のだんなと一緒に、テムズ川までわざわざ足を運び、押すな押すなの人ごみの中、実物を見に行ったのでしたっけ。もう、大昔の事のようです。以来は、ずっとテレビで放送されたものを見ています。 花火も終わり、テムズ川からの放送終了の直前にアナウンサーが、ニューイヤーは、「スペインではぶどうを12粒食べ、日本では鐘を108回鳴らす、イギリスでは、そう、ロバート・バーンズの詩がついた、有名なAuld Lang Syne(オールド・ラング・ザイン、蛍の光)を歌うのです」とオールド・ラング・ザインの大合唱になりました。 アナウンサーのお言葉通り、オリジナルの詩は、18世紀のスコットランドの詩人、 ロバート・バーンズ によるもので、題名は「過ぎし日々(のために)」といった感じ。これを古い民謡のメロディーにのせ、真夜中の時計の音が鳴ると共に、新年に歌われる風習も、スコットランドから発し、イギリス中に広がり、やがて世界に広がり。今では、歌詞こそ違え、日本でも歌われていますものね。こうしてみると、本当に、最初は、英国から始まった、という風習や、事物・・・非常に多いのです。 歌詞の一番目と、ざっと訳したものは下の通り。 Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind ? Should auld acquaintance be forgot, and auld lang syne? For auld lang syne, my dear, for auld lang syne, we’ll tak a cup o’ kindness yet, for auld lang syne. 過ぎし日々の馴染みを忘れ 決して思い起こす事無くとも良いものか 過ぎし日々の馴染みを忘れ 遠い日々を忘れても 遠い日々のために、君よ 遠い日々のために、 我ら、今も尚、心温かい杯を掲げよう 過ぎ去った日々のために 日本語の「蛍の光、窓の雪」というのは、なんでも、中国の古い言い伝えに基づくものだそうで、夜の明かりのための油も...

愛しい人が眠るまで Truly, Madly, Deeply

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若くして亡くなってしまったアンソニー・ミンゲラ監督が、イングリシュ・ペイシェントを作る数年前、こんな心温まる小作を作っていたんです。観客を笑わせたり泣かせたりしながら、最愛の人を失ったひとりの女性が、徐々に、立ち直り、新しい人生を辿り始める過程を追っていきます。アカデミー賞というのも、時にあまり当てにならないものがあります。私は受賞作「イングリッシュ・ペイシャント」より、あまり知られていない、こちらの方がずっと好きです。 セロ奏者の彼、ジェイミー(アラン・リックマン)が死んでしまった後、スペイン語の通訳者のニーナ(ジュリエット・スティーブンソン)は落ち込みもはげしく、なかなか立ち直れない。そこへ、ジェイミーは幽霊として、彼女のもとへ戻ってくる。 最初は、狂喜したニーナ。けれども、ぽろぽろと問題が出始める。ジェイミーの幽霊友達が、居間でビデオを見たりして、いりびたりはじめる。始終寒くて仕方が無いジェイミーはセントラルヒーティングの温度をぎりぎりまで上げ、部屋は蒸し風呂状態。家具の配置なども、幽霊友達と変えていく。ニーナは段々、死人と共に住む難しさを感じていく。この幽霊友達の様子も、彼らの映画お宅ぶりも笑わせてくれます。 そして、新しい出会いがあったニーナ。 ジェイミーとニーナが最後に二人で語り合うシーンで、ジェイミーがニーナにスペイン語の詩、Pablo Neruda作の「La Muerta」(亡き女性)の一節を暗誦してニーナに訳してくれと頼みます。このシーン、とても良いのです。簡単な詩の訳は、 ゆるして欲しい。 もう貴方がいないのなら、 もう貴方が死んでしまったのなら、愛しい人、 私の心には枯葉が舞い落ち、 私の魂には日夜雨が打ち続ける。 私の足は、貴方の眠る場所へ向かおうとするが、 私は、生き続けなければならない。 詩の原文は、 こちら 。 「あんたのスペイン語のアクセント・・・ひどい・・・。」などと憎まれ口をききながらも、涙がうるうるしてくるニーナ。 Uチューブで見る、ジェイミーがニーナに詩を暗誦するシーンは こちら 。泣かせてくれます。 主人公二人が、ちょと風変わりでいながら、隣に住んでそうな感じのキャラクターなのがいいです。ニーナの新しい彼氏も、美男子でないところに、現実味。イギリス舞台でたたきあげた、...

ハギスとバーンズ・ナイト

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 写真の黒っぽい食べ物は、ハギス。スコットランドのお国料理だなどとも言われています。ローマ人も同じようなものを作って食べていた形跡があるようですが、スコットランドのハギスが、ローマ人から伝授されたものか、独自に育ったものかは、よくわかっていないようです。 中身が何かと言うと、羊の臓物をみじん切りにした物にオーツなどの穀物や、たまねぎ、羊の油、または牛脂、その他スパイスなどを混ぜ、家畜の胃に詰め込んで煮たもの。歴史の古い料理に良くありますが、残り物を使い、長期保存できるようにした料理の一種。家畜を殺した後、腐りやすい臓物は、保存できる形に手早く調理・・・というわけです。 家で食べるときは、ほとんどスーパーから買いますが、そういったものは、大体において、胃袋ではなく、ビニールのラップに丸く包まれているものが多く、中身をボールに移して、電子レンジでチンして食べる、簡単な夕飯となります。付け合せは、かぶ類が相性いいようです。 さて、ハギスというと、スコットランドの詩人、ロバート・バーンズ(Robert Burns :1759~1796)を連想します。彼は、英語でも詩を書いたものの、スコットランドの言語、スコットランドの方言などでも書き、いまだ、スコットランドの国民詩人として見られているようです。 彼の生まれた1月25日は、バーンズ・ナイト(Burns Night)という催しが開かれ、ハギスを食べ、ウィスキーを飲み、バーンズの詩(特に、 Address to a Haggis  「ハギスに告ぐ」と呼ばれる詩)を朗読し、彼の人生と作品を祝う。ちなみに、この詩「Address to a Haggis」も、スコットランド方言で、ちょっと読みにくいものがあります。美味しい、素朴なハギスを讃える詩。 ロバート・バーンズとバーンズ・ナイトについて、詳しくは、 こちら 。 最近は、イングランド内のパブなどでも、ハギスとウィスキーを出すバーンズ・ナイトをやる所が増えている気配です。先月、おしりも凍えるような、寒い霧の日に散歩に出かけ、ランチを食べた、上の写真のパブでも、「バーンズ・ナイトの予約受付中」何て書かれた宣伝の黒板が表に出されていました また、うちの近くの肉屋でも、バーンズ・ナイトの前に、ハギスとウィスキーの試食宣伝をして、かな...

ルパート・ブルックのグランチェスター

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ケンブリッジから少し離れ、ケム川に沿ってやや上流(ケンブリッジより南)へ行くと、グランチェスター(Grantchester)という小さな村があります。ケム川の旧名である、グランタ(Granta)から取った地名。 グランチェスターは、20世紀初期の詩人、ルパート・ブルック(Rupert Brook)が住んだ事で有名。彼、写真を見ると、ロマンチックな感じの美男子。 この地をこよなく愛した彼は、Byron's Pool(バイロンの池)と呼ばれ、バイロンが泳いだとされる周辺のケム川で泳ぎ、今も、ティー・ルーム/ティー・ガーデンとして経営されている The Orchard (オーチャード・果樹園)の庭でお茶をし。 このオーチャード・ティー・ガーデンの歴史は、遡ること、1897年のある春の日。当時、スティーブンソン夫人所有のOrchard House(オーチャード・ハウス)に、数人のケンブリッジ大学の学生が現れ、館の庭の花盛りの果実の木の下でお茶を出してもらえないか、と頼んだのが始まりと言います。この果樹園内でのお茶は、瞬く間に、ケンブリッジの学生の間で人気に。 オーチャード・ハウスでは、下宿人も取っており、1909年にこの屋に部屋を借りるのが、ルパート・ブルックです。彼は、後、隣に建つThe Old Vicarage(旧牧師館)に移り住みます。この牧師館は、今では、小説家ジェフリー・アーチャーに買われてしまっています。 ブルックがグランチェスターへ居を構える1909年から第一次大戦勃発の1914年まで、彼を中心に、彼の著名な友人達が、オーチャード・ティー・ガーデンに集います。作家のヴァージニア・ウルフ、E.M.フォースター、経済学者のジョン・メイナード・ケインズなど、その面々は、ほとんどが、ブルームズベリー・グループのメンバー。グランチェスター・グループなどと称される事があるようです。 *ブルームズベリー・グループは、ロンドンのブルームズベリー(Bloomsbury:大英博物館や、ロンドン大学の拠点があるエリア)周辺に集まり、議論した、作家、芸術家、思想家達のグループ。* 彼の詩の中でおそらく一番有名なのが、 The Old Vicarage,Granchester (グランチェスター、旧牧師館)。これは、ブルッ...