たたずみ、見つめる時間もなければ・・・
What is this life if, full of care,
We have no time to stand and stare.
No time to stand beneath the boughs
And stare as long as sheep or cows.
No time to see, when woods we pass,
Where squirrels hide their nuts in grass.
No time to see, in broad daylight,
Streams full of stars, like skies at night.
No time to turn at Beauty’s glance,
And watch her feet, how they can dance.
No time to wait till her mouth can
Enrich that smile her eyes began.
A poor life this if, full of care,
We have no time to stand and stare.
これは、ウェールズ出身の詩人、ウィリアム・ヘンリー・デイヴィス(William Henry Davies1871-1940年)による、彼の一番有名な詩、Leisure(余暇)。私も、大好きな詩です。
特に、最初の2行
What is this life if, full of care,
We have no time to stand and stare.
は有名で、よく引用されたりしていますので、イギリス人であれば、誰が書いたかはともかく、聞いたことがある人は多い事でしょう。
これを日本語に訳してみましょうかね。
この人生とは何であろう
不安と懸念に苛まれ
たたずみ、見つめる時間もなければ
覆う枝葉の下に立ち
羊や牛と同じよう
ゆるりと見つめる時間がなければ
りすが草間に木の実を隠す
森を歩けども
気づくこと無く
昼のただ中
夜空の様に
星が流れる小川も見ずに
美しき人のまなざしに
振り向くことなく
彼女の足が踊るのも見ず
彼女の瞳に浮かぶ微笑が
その口元へ
こぼれるのも待たず
なんと貧しい人生であろう
不安と懸念に苛まれ
たたずみ、見つめる時間もなければ・・・
詩ですので、少々、私自身の好みで、直訳というより意訳になっていますが、書いた本人の気持ちは出ているのではないかと勝手に思っています。タイトルも「余暇」よりは、「見つめる時間」とか「立ち止まる時間」などの方が、感じが出るかもしれません。
テクノロジーの発達は、毎日の生活をかなり便利なものにしてくれました。これが、私の若い頃だったら、W.H.デイヴィスの生きた時代や彼のバックグラウンドなどを知りたければ、調べるのにも、図書館に足を運び、そこに、適当な本がなかったら、注文を出し、また、それでも入手できないなどと言われたら、ブリティッシュ・ライブラリーまで、おっちら出かけ・・・などと、基本知識を入れるだけでも、かなりの時間と労力がかかっていたでしょう。今は、インターネットのおかげで、ほとんどの事は、かなり容易に調べられるようになりました。当然、いい加減な情報、ガセネタなどもあるので、ひとつのサイトだけを覗いて、書かれている事をまるまる信じるのは危険ですので、ある程度、いくつかの文献を読んでの調査は必要とはなりますが、それでも、それが、インターネット上でほとんどできるというのは、助かるのです。そして、更に、デイヴィスという人物に興味が出たら、彼の自伝を、キンドルにダウンロードするのにも、1分とかからないわけですから。
先日のニュースに、最近の子供たちは、朝起きてから寝るまで、スマホを肌身離さず持ち歩き、ソーシャルネットワークのチェックに余念が無く、自分がそのソーシャルネットワーク内で、どう思われているのか、を常時気にしている、というものがありました。そして、自分の事はさておき、周囲の友達の事を、スマホ中毒になっていると思っている子が多い、という統計が出ているのだそうです。テクノロジー発達に伴う、闇の部分です。そういえば、日本の幼馴染からも、「最近の日本の子供たちはLINEとスマホの事で頭がいっぱい。そこに入ってないと、浮いてしまう」、という様な事を聞かされたばかり。イギリスも日本も似たような状態なのでしょうか。まあ、子供だけでなく、大人でも、常に、スマホを眺めながら歩いている人は、かなり多いですね。この美しい時期に、これじゃ、街路樹の紅葉にも気がつかないんじゃないか、などと思い、この詩が頭に浮かんだのです。100年前の詩ですが。
酒は飲んでも飲まれるな、ではないですが、テクノロジーは使っても溺れるな、かもしれません。ソーシャルネットワークも上手に利用すれば、連絡の取り合い、情報の共有、意見交換など、有益な側面も沢山あるわけですが、人間の生活を向上するために作られているものに、振り回されてしまっては元も子もない。自分と共に刻々と動いて流れいく、今この時の周囲の世界を体感できるのは、当たり前ですが、今だけ。せっかく人間として備え付けている感受性をフルパワーにして、五感が与えてくれる周辺の物の美しさ、面白さを、しっかりと脳に伝えてあげたいものです。それが、また後で、懐かしい思い出ともなるでしょうし。スマホと、ソーシャルネットワークでの自分の位置に気をもんでばかりおらずに、バーチュアルワールドを離れたリアルワールドを、存分、できるうちに楽しみたいものです。
私は、今受けているテクノロジーの恩恵は、失いたくないです。特にインターネットの発展は、プラスマイナスを考えて、プラスの方が絶対に上だと思えますので。それでいながら、同時に、スマホが存在しない時代に生まれ、カマキリの卵を近くの林で見つけて喜んだり、学校帰りは公園で暗くなるまで遊んだり、すっころんで手首を捻挫をしながらも、ローラースケートに夢中になったりできた子供時代があった事に感謝し、うれしく思うのです。スマホ世代の子供たちにも、一日のうち、少しでも、テクノロジーから離れ、外を自由に走り回り、たたずみ見つめる時間もある事を望んでいますが。
We have no time to stand and stare.
No time to stand beneath the boughs
And stare as long as sheep or cows.
No time to see, when woods we pass,
Where squirrels hide their nuts in grass.
No time to see, in broad daylight,
Streams full of stars, like skies at night.
No time to turn at Beauty’s glance,
And watch her feet, how they can dance.
No time to wait till her mouth can
Enrich that smile her eyes began.
A poor life this if, full of care,
We have no time to stand and stare.
これは、ウェールズ出身の詩人、ウィリアム・ヘンリー・デイヴィス(William Henry Davies1871-1940年)による、彼の一番有名な詩、Leisure(余暇)。私も、大好きな詩です。
特に、最初の2行
What is this life if, full of care,
We have no time to stand and stare.
は有名で、よく引用されたりしていますので、イギリス人であれば、誰が書いたかはともかく、聞いたことがある人は多い事でしょう。
これを日本語に訳してみましょうかね。
この人生とは何であろう
不安と懸念に苛まれ
たたずみ、見つめる時間もなければ
覆う枝葉の下に立ち
羊や牛と同じよう
ゆるりと見つめる時間がなければ
りすが草間に木の実を隠す
森を歩けども
気づくこと無く
昼のただ中
夜空の様に
星が流れる小川も見ずに
美しき人のまなざしに
振り向くことなく
彼女の足が踊るのも見ず
彼女の瞳に浮かぶ微笑が
その口元へ
こぼれるのも待たず
なんと貧しい人生であろう
不安と懸念に苛まれ
たたずみ、見つめる時間もなければ・・・
詩ですので、少々、私自身の好みで、直訳というより意訳になっていますが、書いた本人の気持ちは出ているのではないかと勝手に思っています。タイトルも「余暇」よりは、「見つめる時間」とか「立ち止まる時間」などの方が、感じが出るかもしれません。
テクノロジーの発達は、毎日の生活をかなり便利なものにしてくれました。これが、私の若い頃だったら、W.H.デイヴィスの生きた時代や彼のバックグラウンドなどを知りたければ、調べるのにも、図書館に足を運び、そこに、適当な本がなかったら、注文を出し、また、それでも入手できないなどと言われたら、ブリティッシュ・ライブラリーまで、おっちら出かけ・・・などと、基本知識を入れるだけでも、かなりの時間と労力がかかっていたでしょう。今は、インターネットのおかげで、ほとんどの事は、かなり容易に調べられるようになりました。当然、いい加減な情報、ガセネタなどもあるので、ひとつのサイトだけを覗いて、書かれている事をまるまる信じるのは危険ですので、ある程度、いくつかの文献を読んでの調査は必要とはなりますが、それでも、それが、インターネット上でほとんどできるというのは、助かるのです。そして、更に、デイヴィスという人物に興味が出たら、彼の自伝を、キンドルにダウンロードするのにも、1分とかからないわけですから。
先日のニュースに、最近の子供たちは、朝起きてから寝るまで、スマホを肌身離さず持ち歩き、ソーシャルネットワークのチェックに余念が無く、自分がそのソーシャルネットワーク内で、どう思われているのか、を常時気にしている、というものがありました。そして、自分の事はさておき、周囲の友達の事を、スマホ中毒になっていると思っている子が多い、という統計が出ているのだそうです。テクノロジー発達に伴う、闇の部分です。そういえば、日本の幼馴染からも、「最近の日本の子供たちはLINEとスマホの事で頭がいっぱい。そこに入ってないと、浮いてしまう」、という様な事を聞かされたばかり。イギリスも日本も似たような状態なのでしょうか。まあ、子供だけでなく、大人でも、常に、スマホを眺めながら歩いている人は、かなり多いですね。この美しい時期に、これじゃ、街路樹の紅葉にも気がつかないんじゃないか、などと思い、この詩が頭に浮かんだのです。100年前の詩ですが。
酒は飲んでも飲まれるな、ではないですが、テクノロジーは使っても溺れるな、かもしれません。ソーシャルネットワークも上手に利用すれば、連絡の取り合い、情報の共有、意見交換など、有益な側面も沢山あるわけですが、人間の生活を向上するために作られているものに、振り回されてしまっては元も子もない。自分と共に刻々と動いて流れいく、今この時の周囲の世界を体感できるのは、当たり前ですが、今だけ。せっかく人間として備え付けている感受性をフルパワーにして、五感が与えてくれる周辺の物の美しさ、面白さを、しっかりと脳に伝えてあげたいものです。それが、また後で、懐かしい思い出ともなるでしょうし。スマホと、ソーシャルネットワークでの自分の位置に気をもんでばかりおらずに、バーチュアルワールドを離れたリアルワールドを、存分、できるうちに楽しみたいものです。
私は、今受けているテクノロジーの恩恵は、失いたくないです。特にインターネットの発展は、プラスマイナスを考えて、プラスの方が絶対に上だと思えますので。それでいながら、同時に、スマホが存在しない時代に生まれ、カマキリの卵を近くの林で見つけて喜んだり、学校帰りは公園で暗くなるまで遊んだり、すっころんで手首を捻挫をしながらも、ローラースケートに夢中になったりできた子供時代があった事に感謝し、うれしく思うのです。スマホ世代の子供たちにも、一日のうち、少しでも、テクノロジーから離れ、外を自由に走り回り、たたずみ見つめる時間もある事を望んでいますが。
Miniさん、初めまして。通りすがりの者です。
返信削除とある英語圏の本を調べていた際にMiniさんのブログの記事を見つけ、こちらの記事と合わせて拝見させて頂いておりました。
Miniさんの文章は優しい表現をされていて綺麗ですね。また、英語の日本語訳もとても分かりやすくて、こういう訳し方もあるのだと参考になりました。
前後していましたが、突然のコメントと乱文失礼致しました。
通りすがりのお方
削除読んでいただいて、うれしく、励みにもなります。
先週は、イギリスは、久しぶりの連続好天に恵まれて、本当にたたずみ見つめたい光景に沢山遭遇しました。日本も紅葉が綺麗なシーズンに入りますね。秋日和を楽しみましょう。