ヴィクトリア女王のウェディングドレスと喪服

花嫁さんが、純白のウェディングドレスを着るのは、昨今では当たり前の光景で、「どうして白なんじゃ?」と疑問を持つ事もほとんどありません。もし聞かれたら、白は純潔のイメージだから、とでも答えるところでしょうか。

結婚式に、白いウェディングドレスを着るのを人気としたのは、ヴィクトリア女王でした・・・という話を最近、耳にしました。ダイアナ妃、キャサリン妃などに比べ、どう考えても、ファッション・アイコンとは言いがたいヴィクトリア女王ですが、それなりにファッションには興味があったのだそうです。特に若い頃は。

ヴィクトリア女王以前、王族の結婚ドレスは、赤などを使用する事が多かったものを、1840年にアルバートと結婚する際、ヴィクトリアは、自らのドレスに白を選び、ブライドメードのドレスなども、彼女がデザインしたのだとか。その影響で、白をウェディングドレスに選ぶ事が、ヨーロッパ及びアメリカの上流社会で人気となります。この風習が、庶民の間でも一般的となるのは、第2次大戦後だそうですが、いまや、ウェディングドレスと言って、他の色を思い浮かべる人は、ほとんど無いようになりました。

さて、そうして、純白のウェディングドレスで結婚した愛しのアルバート公に、1861年、42歳の若さで先に死なれてしまった後、ヴィクトリア女王は、彼女の長い人生の間、ほぼずっと続くような喪に入るのです。葬式や喪中に、黒や渋めの色を着る、というのは、特に彼女が始めた事ではないようですが、他界した人間との関係によって決まる喪に服す期間、葬式、喪に服す人間の服装、振る舞い、などの形式化に影響を与えたのが、ヴィクトリア女王の、この、ながーーーーい未亡人生活であったそうです。

最近、メアリー・アニングを主人公とした、トレイシー・シュヴァリエ(Tracy Chevalier)の本を読みましたが、これが面白かったため、引き続いて、やはり彼女著の、「天使が堕ちたとき」(Falling Angels)という本を読みました。1901年1月のヴィクトリア女王の死から、1910年5月のエドワード7世の死までのエドワード朝を時代背景にした話。

簡単なあらすじは

裕福な夫と結婚し、娘をもうけ、外からは何不自由ない生活のキティー・コールマンは、当時の女性に許された、非常に限られた社会での役割に、いまひとつ満たされないものを感じている。自分の生活に足りない、「何か」を求めて、キティーは、自分の家の墓がある墓場の経営者ジョンと心通わせ、彼との会話を楽しむようになり、やがて、浮気。彼との間に身ごもってしまった子供を陰でおろした後に、生きるしかばねの様になった彼女が、ついに見つけた生きがいが、女性参政権運動。最終的には、クライマックスのハイドパークでの女性参政権運動の一大ラリーで、事故に合い死んでしまうキティーですが、彼女の娘のモードは、キティーが望んだように、自分の意思で行動を起こし、大学へも行こうという決意を見せて終わっています。物語は、コールマン家のメンバー、その隣人のウォーターハウス家のメンバー、コールマン家の召使ジェニー、墓場で働く労働者の息子サイモンなどが、それぞれの観点から、展開する出来事を、入れ替わり語っていく形式をとっています。

話のほとんどは、ロンドン北部の墓場をめぐって展開され、当時の埋葬方、葬式、喪に関する習慣が、比較的詳しく描かれていています。この本によると、葬式と喪に関する「The Queen」と「Cassell's」と呼ばれる、マニュアルがあり、中流以上の家庭では、ことある毎に、これを参考として使用されていたようです。たとえば、夫を亡くした女性が喪に服す期間は、2年間、(そのうち18ヶ月は、フル・モーニング、残り6ヶ月は、ハーフ・モーニング)。また、親が子の、子が親の喪に服す期間は、それぞれ1年、などなど。着用するのに妥当な服装、アクセサリーなども記述されてあったようです。

キティーが、自分の娘のモードと、ウォーターハウス家の娘リビーが、連れ立ってよく墓場へ遊びに行く事に関し、

But really if they want to go there, we have Qeen Victoria to blame for it, elevating mourning to such ridiculous heights that girls with romantic notions grow drunk form it.
でも、本当に、あの子達が、しょっちゅう墓場へ行きたがるとしたら、それは、ヴィクトリア女王のせいでしょうね。喪に服す事を、こんなにも馬鹿げた高みにまでに持ち上げて。おかげで、ロマンチックなものを求める女の子達が、喪というものに憧れて酔っ払っているんだわ。

という台詞を飛ばし、ヴィクトリア女王が大好きなガートルード・ウォーターハウスをむっとさせるのです。

キティーは別の場面で、頑なに、ヴィクトリア朝に決められた喪の習慣に従おうとするリビーに、そこまでする必要はないと説きながら、

King Edward limited the mourning period for his mother to three months.
エドワード7世は、母親(ヴィクトリア女王)への喪に服す期間を、(1年から)3ヶ月へと短縮したことだし。

とも言っています。

また、埋葬の風習なども、変わりつつあり、ヴィクトリア朝は、まだ、土葬が主であり、保守的人間は、火葬は、非イギリス国教徒(キリスト教の他宗派)の人間がやる事と蔑視していたようです。それが、少しずつ火葬が人気となっていき、キティーも、「自分は火葬してもらって、灰はばらまいて、花が良く育つのにでも役立つといい」のような感想をもらしていたのです。が、保守的な義理の母と夫の意向で、土葬。これを、後になってから、キティーの意思を尊重したいと、愛人であった墓場の経営者ジョンは、密かに、キティーの骨を彫り上げて火葬にし、彼女の灰を野の花やバラが咲く場所に撒くのです。

堅苦しいヴィクトリア女王の時代から、もっと奔放なエドワードの時代へと移行し、社会の風習も、徐々に移行していくわけですが、女性参政権は、エドワード7世の死の直後に終わる物語の中では実現しません。ヴィクトリア女王死亡の際には、世間が一斉に喪に服して社会がほとんどストップしてしまうほどであったのに、馬鹿げた習慣はないほうがいいと、エドワードの死の際には、そこまでには至らず。また、ヴィクトリア女王が亡くなった際に、キティーが、黒でなく、濃い青のドレスを着ていたのが、少々、センセーショナルであったのが、エドワードの死の際には、保守的な、ウォーターハウス家の娘リビーまでも青のドレスを着るようになっています。

女性解放への大きな変化が起こるのは、この物語の設定の4年後に起こる第一次世界大戦を待つ事となります。また、キティーが、悶々と生きがいを感じなれない生活を送る中、家庭内の召使ジェニーは、朝早くから夜遅くまでの労働で、生きがいどころか、生活の糧を得ることに必死。ブルジョアの奥方キティーのように、悠長な事は考えていられない、という事実も存在します。このクラスシステムのじょじょなる崩壊を見るのも第一次世界大戦後。

「天使が堕ちるとき」を読み終わってから、町の中心に買い物に出かけた際に、その近くの墓場を通り抜け、古めかしい墓石などを眺めたりしました。この時、頭の中で、いきなり、大昔の、沢田研二のヒット曲、「墓場でダバダ」が流れ出し、止まらなくなってしまったのです。「酒場を探して見えないときは、近くの墓場をさがしてみろよ」とかいう歌詞でしたっけね。なんで、ヴィクトリア、エドワード朝の女性たちの話から、墓場でダバダになるのやら。良く思うのですが、人間の脳みその働きなんて、支離滅裂なものです。「ダバダディーディー、ダバダディーダ、ダバダディーディー、ダバダディーダ、それもまた、せつないね」っと。それにしても、妖艶な顔と声のジュリーは美しかったな・・・。でぶおじいちゃんになってしまった今でも、声だけは、つややかですけどね。

ともあれ、希望とすがすがしさを含んだ純白のウェディングドレスを社会に導入した同じ女性が、垂れ込む雲の様に、必要以上に重い喪の習慣を、意図的ではないにしても国民に強いた結果となったのです。当時も、すでに立憲君主であったものの、上流社会へのトレンドセッターとして、ヴィクトリア女王の行動が、良かれ悪しかれ、社会に与えた影響と言うのは、大きなものがあったのでしょう。

最近のイギリスでは、亡くなった人をmourn(悼む)よりも、その人の人生を celebrate(称える)ような葬式をしたい、という家族も増えていています。故人が好きだった、かなりアップビートな音楽を流したり、参列者には、わざと黒を着ないで明るい色の服を着てきて欲しいと依頼したりと。葬式とは、所詮は、生きている人間たちのためのものですが、「祝い」風葬式は、故人の人生が無駄なものではなかった、すばらしいものだった、と、葬式が終わった後、前向きに考えられるという利点があるのでしょう。

コメント