コーラス
1949年、大戦後のフランス。戦争孤児や問題のある家庭の子供を集めた寄宿学校を舞台にした物語。学校の名は、いかにもダメそうな「沼の底」。素行が悪く、校長から、きつい罰則を食らってばかりいる子供たち。校長の方針は、アクション・リアクション。アクション(悪さ)をした子供には、リアクション(体罰を含む厳しい罰則)で対応する、というもの。
そこへ、雪の中、新しく赴任して来る教師が、クレマン・マチュー。作曲家となる夢は捨てたものの、まだ音楽を愛する彼は、子供たちに歌う事を通して、自然に規律と良い行いを教えていく。初日から、子供たちに「禿げ頭!」と罵られる彼の、お人よしのおじさん的風貌が好感です。
彼の存在によって、人生が変わった2人の生徒が50年ぶりに再会するところから、映画は始まります。1人は戦時中のナチスの占領下で、両親が死んでしまったにも関わらず、「いつか、お父さんが土曜日に自分を迎えに来る」と信じ、いつも土曜日に学校の門で外を眺め立っていた少年、ペピノ。もう1人は、仕事に追われる母親しかおらず、問題児となり学校に預けられたが、音楽の才に恵まれた「天使の顔をした小悪魔的悪がき」であった少年、ピエール・モランジュ。クレマンが結成した学校のコーラスで、歌う事で、人生の目的を見つけたモランジュは、やがて、著名な音楽家へと成長するのです。
壮年のモランジュの元へ、ペピノが、クレマンが「沼の底」で教鞭を取っていた期間につけていた日記を抱えて訪れる。2人は、その日記を開いて、共に読み初め、クレマンが「沼の底」へ赴任してから、去るまでの、物語の本筋が始まります。
悪がきどもを、音楽の力で変えていく事によって、クレマンも、捨てかけた音楽への情熱が再浮上し、子供達のコーラスのために一生懸命作曲も始めるのです。いつも悲しそうで、勉強や他の事への気力があまりないペピノには、特に気を使い可愛がり、また、モランジュの音楽の才に気づくと、彼が、後にスカラーシップを取り音楽学校へ行けるよう手助けをする。そして、学校を訪れてくる、モランジュの美人の母親に、ちょっと惚れてしまうというエピソードもあります。歌も歌えないペピノは、先生のアシスタントとして、メトロノームのわきにちょこんと座り、とんでもない音痴の子は、人間楽譜台の役を果たすのも微笑ましいです。そうして、夏が来る頃には、子供たちは、すっかり、クレマンになつくようになり。
ところが、校長が留守中に、子供達を連れて、学校外へ出かけている最中、学校は火事となり、建物の一部が消失してしまう。怒った校長は、即座にクレマンを解雇。バスをつかまえるべく、学校のわきをスーツケースを持って歩いていくクレマンの足元へ、窓から、数多くの紙飛行機が落ちてくる。ひとつひつとつに子供達からの別れのメッセージが書かれ。窓を見上げると、多くの小さい手が、彼にむかって振られおり。日記自体は、学校を解雇された段階で、「自分はただの失敗した音楽家だ」のような記述で終わっています。
日記に書かれていない、その後はどうなったか・・・
モランジュは、すぐ「沼の底」を出、母親と暮らし、やがて音楽学校へ、そして有名な音楽家へと。
ペピノは、バス停へと去って行くクレマンを追って、「ムッシュー・マチュー、ぼくも連れて行って。」クレマンは、「無理だから、学校に帰りなさい」バスは、ペピノを後に残して出発し、じっとバスを見つめるペピノが遠ざかっていく・・・「あーあ、私だったら、あんな子、絶対連れて行って、面倒見る。」と思っていると、バスがきゅきゅーっと止まる。そして、ペピノは、気を変えたクレマンのところへ走って行き、共にバスに乗り込む。良かったねー。そして、ペピノの夢がかなったその日は、「土曜日」だった・・・のです。その後のクレマンは、音楽家としての名声は得ることは無いものの、最後まで忙しく音楽を教え続ける。
「失敗した音楽家」と自分をけなしながらも、音楽を通して、少なくとも2人(もしかしたらそれ以上の)の子供の人生を良い方向へ変えた人物の一生は、大成功と言えるのではないでしょうか。
希望も気力もない者たちを、芸術などの力で変えてゆく、というテーマの映画、結構ありますが、オーバー・ドラマチックにならず、信憑性もあるこの映画は、他に比べ格段に良かったです。きれいな歌声を聞くだけでも、見る価値がありました。子供たちは、みな、アマチュアだったそうですが、ペピノ役の男の子は、特に可愛かった。インタビューでこの子、「僕はいつも悲しそうな顔してなきゃいけないの」の様な事を言っていたのには、笑ってしまいましたが。
映画広告のUチューブビデオは、こちらまで。
原題:Les Choristes
監督:Christophe Barratier
製作:2004年
言語:フランス語
そこへ、雪の中、新しく赴任して来る教師が、クレマン・マチュー。作曲家となる夢は捨てたものの、まだ音楽を愛する彼は、子供たちに歌う事を通して、自然に規律と良い行いを教えていく。初日から、子供たちに「禿げ頭!」と罵られる彼の、お人よしのおじさん的風貌が好感です。
彼の存在によって、人生が変わった2人の生徒が50年ぶりに再会するところから、映画は始まります。1人は戦時中のナチスの占領下で、両親が死んでしまったにも関わらず、「いつか、お父さんが土曜日に自分を迎えに来る」と信じ、いつも土曜日に学校の門で外を眺め立っていた少年、ペピノ。もう1人は、仕事に追われる母親しかおらず、問題児となり学校に預けられたが、音楽の才に恵まれた「天使の顔をした小悪魔的悪がき」であった少年、ピエール・モランジュ。クレマンが結成した学校のコーラスで、歌う事で、人生の目的を見つけたモランジュは、やがて、著名な音楽家へと成長するのです。
壮年のモランジュの元へ、ペピノが、クレマンが「沼の底」で教鞭を取っていた期間につけていた日記を抱えて訪れる。2人は、その日記を開いて、共に読み初め、クレマンが「沼の底」へ赴任してから、去るまでの、物語の本筋が始まります。
悪がきどもを、音楽の力で変えていく事によって、クレマンも、捨てかけた音楽への情熱が再浮上し、子供達のコーラスのために一生懸命作曲も始めるのです。いつも悲しそうで、勉強や他の事への気力があまりないペピノには、特に気を使い可愛がり、また、モランジュの音楽の才に気づくと、彼が、後にスカラーシップを取り音楽学校へ行けるよう手助けをする。そして、学校を訪れてくる、モランジュの美人の母親に、ちょっと惚れてしまうというエピソードもあります。歌も歌えないペピノは、先生のアシスタントとして、メトロノームのわきにちょこんと座り、とんでもない音痴の子は、人間楽譜台の役を果たすのも微笑ましいです。そうして、夏が来る頃には、子供たちは、すっかり、クレマンになつくようになり。
ところが、校長が留守中に、子供達を連れて、学校外へ出かけている最中、学校は火事となり、建物の一部が消失してしまう。怒った校長は、即座にクレマンを解雇。バスをつかまえるべく、学校のわきをスーツケースを持って歩いていくクレマンの足元へ、窓から、数多くの紙飛行機が落ちてくる。ひとつひつとつに子供達からの別れのメッセージが書かれ。窓を見上げると、多くの小さい手が、彼にむかって振られおり。日記自体は、学校を解雇された段階で、「自分はただの失敗した音楽家だ」のような記述で終わっています。
日記に書かれていない、その後はどうなったか・・・
モランジュは、すぐ「沼の底」を出、母親と暮らし、やがて音楽学校へ、そして有名な音楽家へと。
ペピノは、バス停へと去って行くクレマンを追って、「ムッシュー・マチュー、ぼくも連れて行って。」クレマンは、「無理だから、学校に帰りなさい」バスは、ペピノを後に残して出発し、じっとバスを見つめるペピノが遠ざかっていく・・・「あーあ、私だったら、あんな子、絶対連れて行って、面倒見る。」と思っていると、バスがきゅきゅーっと止まる。そして、ペピノは、気を変えたクレマンのところへ走って行き、共にバスに乗り込む。良かったねー。そして、ペピノの夢がかなったその日は、「土曜日」だった・・・のです。その後のクレマンは、音楽家としての名声は得ることは無いものの、最後まで忙しく音楽を教え続ける。
「失敗した音楽家」と自分をけなしながらも、音楽を通して、少なくとも2人(もしかしたらそれ以上の)の子供の人生を良い方向へ変えた人物の一生は、大成功と言えるのではないでしょうか。
希望も気力もない者たちを、芸術などの力で変えてゆく、というテーマの映画、結構ありますが、オーバー・ドラマチックにならず、信憑性もあるこの映画は、他に比べ格段に良かったです。きれいな歌声を聞くだけでも、見る価値がありました。子供たちは、みな、アマチュアだったそうですが、ペピノ役の男の子は、特に可愛かった。インタビューでこの子、「僕はいつも悲しそうな顔してなきゃいけないの」の様な事を言っていたのには、笑ってしまいましたが。
映画広告のUチューブビデオは、こちらまで。
原題:Les Choristes
監督:Christophe Barratier
製作:2004年
言語:フランス語
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