アデルの恋の物語
この映画の原題の直訳、「アデル H の物語」のHは、ユゴー(Hugo)の省略。「レ・ミゼラブル」で知られる、フランスの文豪、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)の次女、アデル・ユゴーの狂気に至る片思いの物語で、実話が元となっています。アデル役は、感情を赤裸々に表現する役をやらせたら天下一品の、イザベル・アジャーニ。うら若き彼女の、出世作でもあります。
共和主義者であったユゴーは、1851年に、フランスでナポレオン3世が台頭した後、一時ベルギーに亡命、後にガーンジー島(イギリス領、イギリス南部とフランス北部の中間にある島)に居を構え、ナポレオン3世失脚まで、そこで暮らす事となります。娘のアデルは、ここで、イギリス軍人、アルバート・ピンソンと出会い、恋に落ちるのです。ピンソンが軍と共に、カナダの東岸に位置するハリファックスに駐屯となり去った後、彼を追って、ハリファックスへと一人海を渡る。映画は、彼女がハリファックスの港に辿り着くところからスタート。
父が、世界に名の知れた文豪だという事を隠すため、偽の姓を使い、気のよい老婦人の家に下宿しながら、ピンソンを探し当てたものの、美男子でプレーボーイのピンソンにとって、アデルはすでに、過去の女。結婚を迫る彼女に、彼は冷たく、ガーンジーへ帰れと言う。
アデルは、毎日の様に恋文をしたため、彼を追い回し、彼の元へ、自分からのプレゼントだと、売春婦を送りつける様な事まで始めるのです。ピンソンがつれなくすればするほど、アデルの偏執ぶりはエスカレートし、ついには精神のバランスを失う。母の病状の悪化の通知にも、やがての訃報にも、ヨーロッパに帰る気配をみせず。そして、ピンソンの軍がバルバドス島へと移ると、再び後を追い、バルバドス島へ。浮浪者の様にポロをまとい、朦朧とバルバドスの道を歩き回る彼女。もはや、ピンソンの顔も認識できぬほど狂ってしまう。奴隷制度反対者としても有名であったヴィクトル・ユゴーのためにと、現地の心ある黒人女性は、道で倒れたアデルを看護した後、彼女をエスコートし、父の元へ送り返すのです。アデルは、精神病院で、長い余生を送る事となります。映画によると、ガーデニングと書き物に勤しんで過ごしたと。
ハリファックスの本屋で、アデルはいつも手紙用の紙を買うのですが、当時の紙は、けっこう硬そうな漂白されていないものを、壁紙の様に、ロールにして売っていたんですね。書く時に、ペーパーナイフでサイズに切って使っているところなども面白かったです。とにかく、彼女、書くは、書くは、ピンソンへはもちろん、お父さんへも、手紙を書きまくる。そして、文豪とは言え、愚かな娘に、「お金を送って頂戴」と頼まれると、送ってしまうのが人情のようです。彼女が、紙を買うために、足しげく通うこの本屋の経営者は、彼女が好きだった感じなのですが、彼女は、一切合切、他は目に留まらず、自らの破滅へ向かって一直線。
実際、これが男性の話だったら、ただのストーカーでしょう。例えば、映画での1シーンの様に、クリーニングに出して返ってきたコートを着ようとして、その外ポケット、内ポケットに、別れたつもりの相手からの狂信的なラブレターが多数出てきたら、私だったら、背中に鳥肌立ちます、きっと。可憐なイザベル・アジャーニであっても、ここまで来たら、ちょっと怖いのに、当時のアデルの実際の年は、33歳だったというので、これは、切羽詰るものがあって、もっと怖い。端正できれいな顔だけれど、冷たく情のなさそうなピンソンは、適役でした。
なんでも、ヴィクトル・ユゴーの長女は、結婚してすぐに、セーヌ川のボートの事故で、19歳の若さで、夫と共に溺死してしまったという事で、ユゴーは、最愛の娘の死から、しばらく立ち直れず、家の中に、彼女の着ていたドレスを飾っていたという逸話が、映画内に出てきます。有名すぎる父、早く死んでしまい、手に届かぬ完璧なイメージのまま父に愛され続ける姉への劣等感などで、アデルは、もともと、心の奥の不安分子が大きかった人だといえるでしょうか。
さて、ヴィクトル・ユゴーは、1870年、普仏戦争の勃発によるナポレオン3世の失脚で、第三共和制下のフランスへ帰国。その直後は、プロシア軍に包囲されたパリ市内で、食べ物不足のため、他の市民達と同様、動物園の動物やら、得体の知れないものまで食べる経験もします。映画の最後では、1885年のユゴーの葬式にも触れて、その写真なども出てきますが、これは、パリでは、かなり大々的な出来事であったようです。彼の棺は、まるで英雄の死の様に、凱旋門の下に一時設置され、後に、フランスの偉人の眠るパンテオンへと運ばれるのです。うって変わって、アデルがひっそりと死亡したのは、1915年、85歳にて。
「事実は小説よりも奇なり」ではないですが、彼女の人生も、お父さんの人生も、それ自体が小説になりえる様なものであったわけです。
パンテオンと、そこに眠るフランス著名人に関しては、過去の記事、「パンテオンとフーコの振り子」を、普仏戦争中、プロシア軍に包囲されたパリの状況については「殉教者の丘にて」をご参照下さい。
写真は上から、セーヌ川(オルセー美術館臨む)、ヴィクトル・ユゴーの棺(パンテオン内)、パンテオン正面入り口。
原題:L'Histoire d'Adèle H.(The Story of Adele H)
監督:François Truffaut
言語:フランス語・英語
1975年
共和主義者であったユゴーは、1851年に、フランスでナポレオン3世が台頭した後、一時ベルギーに亡命、後にガーンジー島(イギリス領、イギリス南部とフランス北部の中間にある島)に居を構え、ナポレオン3世失脚まで、そこで暮らす事となります。娘のアデルは、ここで、イギリス軍人、アルバート・ピンソンと出会い、恋に落ちるのです。ピンソンが軍と共に、カナダの東岸に位置するハリファックスに駐屯となり去った後、彼を追って、ハリファックスへと一人海を渡る。映画は、彼女がハリファックスの港に辿り着くところからスタート。
父が、世界に名の知れた文豪だという事を隠すため、偽の姓を使い、気のよい老婦人の家に下宿しながら、ピンソンを探し当てたものの、美男子でプレーボーイのピンソンにとって、アデルはすでに、過去の女。結婚を迫る彼女に、彼は冷たく、ガーンジーへ帰れと言う。
アデルは、毎日の様に恋文をしたため、彼を追い回し、彼の元へ、自分からのプレゼントだと、売春婦を送りつける様な事まで始めるのです。ピンソンがつれなくすればするほど、アデルの偏執ぶりはエスカレートし、ついには精神のバランスを失う。母の病状の悪化の通知にも、やがての訃報にも、ヨーロッパに帰る気配をみせず。そして、ピンソンの軍がバルバドス島へと移ると、再び後を追い、バルバドス島へ。浮浪者の様にポロをまとい、朦朧とバルバドスの道を歩き回る彼女。もはや、ピンソンの顔も認識できぬほど狂ってしまう。奴隷制度反対者としても有名であったヴィクトル・ユゴーのためにと、現地の心ある黒人女性は、道で倒れたアデルを看護した後、彼女をエスコートし、父の元へ送り返すのです。アデルは、精神病院で、長い余生を送る事となります。映画によると、ガーデニングと書き物に勤しんで過ごしたと。
ハリファックスの本屋で、アデルはいつも手紙用の紙を買うのですが、当時の紙は、けっこう硬そうな漂白されていないものを、壁紙の様に、ロールにして売っていたんですね。書く時に、ペーパーナイフでサイズに切って使っているところなども面白かったです。とにかく、彼女、書くは、書くは、ピンソンへはもちろん、お父さんへも、手紙を書きまくる。そして、文豪とは言え、愚かな娘に、「お金を送って頂戴」と頼まれると、送ってしまうのが人情のようです。彼女が、紙を買うために、足しげく通うこの本屋の経営者は、彼女が好きだった感じなのですが、彼女は、一切合切、他は目に留まらず、自らの破滅へ向かって一直線。
実際、これが男性の話だったら、ただのストーカーでしょう。例えば、映画での1シーンの様に、クリーニングに出して返ってきたコートを着ようとして、その外ポケット、内ポケットに、別れたつもりの相手からの狂信的なラブレターが多数出てきたら、私だったら、背中に鳥肌立ちます、きっと。可憐なイザベル・アジャーニであっても、ここまで来たら、ちょっと怖いのに、当時のアデルの実際の年は、33歳だったというので、これは、切羽詰るものがあって、もっと怖い。端正できれいな顔だけれど、冷たく情のなさそうなピンソンは、適役でした。
なんでも、ヴィクトル・ユゴーの長女は、結婚してすぐに、セーヌ川のボートの事故で、19歳の若さで、夫と共に溺死してしまったという事で、ユゴーは、最愛の娘の死から、しばらく立ち直れず、家の中に、彼女の着ていたドレスを飾っていたという逸話が、映画内に出てきます。有名すぎる父、早く死んでしまい、手に届かぬ完璧なイメージのまま父に愛され続ける姉への劣等感などで、アデルは、もともと、心の奥の不安分子が大きかった人だといえるでしょうか。
さて、ヴィクトル・ユゴーは、1870年、普仏戦争の勃発によるナポレオン3世の失脚で、第三共和制下のフランスへ帰国。その直後は、プロシア軍に包囲されたパリ市内で、食べ物不足のため、他の市民達と同様、動物園の動物やら、得体の知れないものまで食べる経験もします。映画の最後では、1885年のユゴーの葬式にも触れて、その写真なども出てきますが、これは、パリでは、かなり大々的な出来事であったようです。彼の棺は、まるで英雄の死の様に、凱旋門の下に一時設置され、後に、フランスの偉人の眠るパンテオンへと運ばれるのです。うって変わって、アデルがひっそりと死亡したのは、1915年、85歳にて。
「事実は小説よりも奇なり」ではないですが、彼女の人生も、お父さんの人生も、それ自体が小説になりえる様なものであったわけです。
パンテオンと、そこに眠るフランス著名人に関しては、過去の記事、「パンテオンとフーコの振り子」を、普仏戦争中、プロシア軍に包囲されたパリの状況については「殉教者の丘にて」をご参照下さい。
写真は上から、セーヌ川(オルセー美術館臨む)、ヴィクトル・ユゴーの棺(パンテオン内)、パンテオン正面入り口。
原題:L'Histoire d'Adèle H.(The Story of Adele H)
監督:François Truffaut
言語:フランス語・英語
1975年
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