8人の大統領に仕えたホワイトハウスの黒人執事

トルーマンに始まりレーガンまでの、戦後アメリカの8人の大統領の名を上げる事ができますか?答えは下の通り。

Harry S. Truman (ハリー・S・トルーマン、民主党1945-1953)
Dwight D. Eisenhower (ドワイト・D・アイゼンハワー、共和党1953-1961)
John F. Kennedy (ジョン・F・ケネディー、民主党1961-1963)
Lyndon Johnson (リンドン・ジョンソン、民主党1963-1969)
Richard Nixon (リチャード・ニクソン、共和党1969-1974)
Gerald Ford (ジェラルド・フォード、共和党1974-1977)
Jimmy Carter (ジミー・カーター、民主党1977-1981)
Ronald Reagan (ロナルド・レーガン、共和党1981-1989)

34年もの間、これら8人の大統領の下、ホワイト・ハウスに勤めた黒人執事は、ユージン・アレン氏(Eugene Allen 1919-2010年)。2008年に、バラック・オバマが初の黒人大統領として選ばれた直後のワシントン・ポストに、彼の人生を取り上げtた記事が登場しました。ワシントン・ポストの記事の原文は、こちらまで。

この記事には、アレン氏の、大統領たちに絡んだ思い出話も載っています。ケネディー夫妻は、とても良い人たちだったという思い出で、JFK暗殺の際は、そのショックは強烈。アレン氏の息子は、父親が泣いているのを見たのは、この時だけだったと。JFKの葬式に招かれたものの、アレン氏は、葬式後にホワイト・ハウスにやって来た客たちに対応する人員が必要だからと、葬式には行かず。上の写真は、このワシントン・ポストの記事からのもので、ケネディー夫妻の娘、キャロラインの誕生日パーティーで、給仕するアレン氏(写真右)。中央に立つのはジャッキー・ケネディー。この時のバースデー・ガール、キャロライン・ケネディーは、現在、駐日アメリカ合衆国大使なのですね、これが。

また、フォード大統領とは、アレン氏、誕生日を同じくし、いつもフォード大統領の誕生日会では、集まった人たちが、自分へも歌をうたってくれたりしたのだそうです。

レーガン時代は、ドイツのヘルムート・コールが訪れた際の公式晩餐会に夫婦で招かれ。レーガン政権の時代に引退を決意したアレン氏は、やめる時に、ナンシー婦人に抱きしめられたという思いでもあるそうです。

党を問わず、また、党とその政権の黒人問題に対する態度を問わず、大方の場合、個人レベルでの大統領たちとの人間関係は良好だった感があります。そして、アレン氏夫婦の感情は、ホワイト・ハウスにずっと勤めてきたという誇り。

少しずつ、少しずつ、ホワイト・ハウスでも、政治のシーンにも黒人が登場し始め、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライスらが現れた時には、時代が進んだ事を感じ。そして、ついに、この新聞記事のきっかけとなったオバマ大統領の選出。彼と、奥さんのヘレンは、オバマに投票するのを楽しみにしていたところ、選挙の前日、朝、奥さんはベッドから起き上がらず、帰らぬ人となったという話で記事は終わっています。

このワシントンポストの記事をきっかけに、アレン氏をインスピレーションとして、創作された話が、2013年の映画「The Butler」(直訳は「執事」ですが、邦題は「大統領の執事の涙」!やめて欲しい、なんで、いつも最後に「涙」がつくのか!演歌じゃないんだから!)。

主人公セシル・ゲインズは、かつてウガンダのイディ・アミンなども演じたフォレスト・ウィテカー。妻グローリアは、オプラ・ウィンフリー。ストーリーとは別に、20世紀後半のアメリカの政治社会史を早送りで見る事もでき、そういう意味でも面白い映画でした。

奴隷の子供として木綿農園で育ったセシル・ゲインズ。幼い時、白人農園経営者家族のひとりに、父を殺された後、経営者の母の情けで、しばらく、家庭内での召使になるよう訓練を受ける。成人した後、セシルは農場を離れ、やがて、ホテルのサービス係りとして働き始める。彼のサービスのすばらしさが、ホワイト・ハウスの従業員に着目され、ホワイト・ハウスで執事として働く様引き抜かれる。映画では、セシルが執事として働き始めるのは、トルーマンではなく、アイゼンハワー政権の時。

セシルとグローリアの間に、息子は二人。長男ルイスは黒人公民権運動に夢中。次男チャーリーは、ベトナム戦争へ志願し、死亡。

セシルは、面接の際に、

Are you political, Mr. Gaines?
政治的活動に興味は、ミスター・ゲインズ?
と聞かれるのです。

No, sir.
ありません。
と答えるセシル。すると、

Good. We have no tolerance for politics at the White House.
よろしい。ホワイト・ハウスでは、政治活動を許さないので。

という返事が戻るのが可笑しかったです。

そうして、歴代の大統領に仕えながら、ずっと、自分の意見は言わず、それこそ、政治的活動には一切かかわらず、黙々と執事としての仕事を続けてきたセシル。相反して、黒人の公民権運動に深く関わって、デモなどにも参加して行く息子のルイスとは、一時は、ほぼ絶縁の状態ともなり。

レーガン時代に、自分には良くしてくれるレーガンとナンシー婦人ではあるものの、南アで起こり始めた反アパルトヘイト運動へは、批判的な態度をとるレーガン政権に、しっくりこないものを感じ始め、まあ、年を取ってきた事もあるし、辞任するのです。そして、南アの反アパルトヘイト支持のラリーで、スピーチをしていた息子ルイスの前に登場。政治的活動や意見を許されなかったホワイト・ハウスを去って、ついに初めての政治的行為として、このラリーに参加し、息子と和解するセシル。

時が経ち、2008年の大統領選挙で、黒人大統領の登場を見、セシルは、かって知ったるホワイト・ハウスへ招かれる事となります。

実際の執事、ユージン・アレン氏は、映画内のセシルよりも、政治的活動にはずっと関わらなかった感じで、レーガン夫妻に対する批判めいた事も、新聞記事の中には一切ありません。良くしてもらった、という印象のみで。レーガン政権の時、公式晩餐会にセシル夫婦が招かれた様子は、映画でも描かれていましたが、映画では、夫婦は、ちょっとおどおどとし、テーブルで、他の人たちとは、何も喋らないのですが、実際、この際、アレン夫婦は別々に座らされて、奥さんは、シャンペン飲んで、かなり堂々と喋りまくったようなのです。

映画内で、一番、ねちっとした嫌な人間風に描かれていた大統領は、ニクソンですね。本当に、こんな人だったのか。猜疑心が非常に強かったという話は以前聞いた事があります。フォードとカーターの時代は、早送りで飛ばしてあり登場していません。

ケネディー暗殺の後に、ひきついだリンドン・ジョンソンは、セシルの前で平気でドアを開けたままトイレに入り、便座に座りながら、彼に物を頼む、という気どらぬおっさん風シーンがあり、大笑いしました。ベトナム戦争で、最終的に政治的泥沼に陥ってしまった彼ですが、ケネディーがやり始めた黒人市民権向上のためには、かなり尽力した大統領だったのです。

ついでに、アイゼンハワーは、自殺してしまったロビン・ウィリアムズがやっていましたが、彼の最後の映画登場のひとつでしょうか。

さて、昨日は、1965年3月7日、アラバマ州セルマで起こった、血の日曜日事件の50周年記念でした。セルマから、州都であるモンゴメリーへの、平和的行進を行う予定であった、黒人公民権運動のデモ隊が、警官隊から過激な暴力を受け、阻止された事件。昨日は、オバマ大統領、そして、デモ隊を率いていたジョン・ルイス氏も、事件のあったセルマの橋での式典に参加していました。(上の写真は、セルマ50周年の式典に関するBBCのニュース記事より。)

キング牧師、及び、公民権運動と、血の日曜日事件をテーマにした映画「Selma セルマ」を、見に行きたいと思っていたのですが、近くの映画館では、かかってわりとすぐに終わってしまい、見そびれました。その代わりに、見て来たのは、「ひつじのショーン」の映画版!まあ、これは、これで、とても面白かったのですけどね。大きなスクリーンで見たかった「セルマ」を見逃したのは残念でした。

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