12 Years a slave(それでも夜は明ける)

公開当時から見たいと思っていた「12 Years a Slave」(邦題:それでも夜は明ける)をやっとDVDで見ました。

1841年、北部のニューヨーク州サラトガスプリングで、妻と子供2人と自由人として生活していた黒人のソロモン・ノーサップ(Solomon Northup)が、ワシントンDCで誘拐され、まだ奴隷制の続く南部へ連れて行かれ、奴隷として売られてしまい、救出されるまでの12年間を描いた物語。ソロモン・ノーサップは実在の人物で、映画は、この体験直後に、彼が書いた同名の本(12 Years a Slave)に基づいています。この本の方は、以前、ラジオの朗読で聞いた事があり、ストーリーは知っていたのですが、こういう内容のものを映像で見るインパクトは強いです、やはり。

あらすじ

バイオリン奏者のソロモン・ノーサップ(キュウエテル・イジョホー)は、サラトガスプリングで家族と幸せに暮らしていた。ある日、2人の男性に、ワシントンDCで、演奏の仕事があると誘われ、行ったはいいが、飲み物に薬をもられ、意識朦朧とするうちに、身柄を拘束され、ワシントンDCから、他の幾人かの黒人達と共に、南部へと連れて行かれ、奴隷として販売される。

最初にソロモンを購入した農場主フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)は、温厚な人物で、有能なソロモンを大切にするものの、残忍な奴隷監視人から目を付けられ虐待を受けたソロモンは、逆にこの監視人を殴ってしまう。ソロモンを自分の農場では保護しきれぬと感じたフォードは、別の農場主エップス(マイケル・ファスベンダー)へ、ソロモンを売り、ソロモンは、エップスの木綿農場で働く事となる。サドっ気のあるエップスは、木綿を摘む量が少ない奴隷を、習慣的に鞭打たせ、また、女性奴隷の一人、パッツィーに惹かれ、夜な夜な彼女を訪れる。パッツィーに嫉妬を燃やすエップスの妻は、事あるごとに、パッツィーを虐待。

最終的に、ソロモンは、エップスの農場で大工仕事の手伝いに来ていたカナダ人労働者バス(ブラッド・ピット)に、出会う。奴隷制に反対の意見を示すバスに、ソロモンは、自分の過去を語り、北部の自分の友人宛に手紙を書いて、送ってくれるよう頼む。やがて、ソロモンの友人が、エップスの農場へ現れ、ソロモンをサラトガスプリングへ連れて帰り、ソロモンは、やっと12年会わなかった家族と再会を果たす。


映画を見終わってから調べてみると、当時のワシントンDCは、首都でありながら、奴隷制を認めており、北米で一番大きな奴隷市場でもあったという事なのです。確かに、ワシントンDCは、自由の北部と奴隷制の南部を分ける目安に使われるメイソン・ディクソン・ライン(Mason Dixon Line)のちょっと南側にあるのです。私が北部の黒人だったら、仕事に誘われても、そんな所へ出向いて行かないですけれどね。当時の北部の自由黒人がどれだけ、危機感を持って生きていたかはわかりませんが。

映画の中で、一番見ているのが怖かったのは、パッツィーが、杭に縛り付けられて、背中の皮がはげるまで鞭で打たれる場面でした。自分のパッツィーに対する欲望と罪と恥の意識で、パッツィーを狂ったように鞭打つエップスと、それを腕組みして眺める妻。嫉妬にかられる女と言うのは、怖いけれど、この奥さん、裕福で上品な装いをしながら、残酷だから、その文化的な外見と、原始的な内面のギャップが薄気味悪いのです。当時のアメリカ南部を体現している感じで。その上、また、こんな事しながら、この頃は皆、神様を信じていたわけですから。ソロモンが救出された後、エップスの農場に残されたパッツィーはじめ他の奴隷たちはどうなったのか、更にひどい仕打ちを受けたのではないかと気になりました。また、ソロモンが、奴隷監視官に、首をくくられ、あやうく命を失いそうになる場面も、奴隷の命の軽さがわかるものでした。

この頃の南部、黒人を人間として見ていないので、ひどい扱いをしても良い、の様な感覚の人物が大勢いたようですが、動物にだって、苦しめる事を目的に、背中の皮が剥がれ落ちるまで鞭打ったりのような事は、普通の感覚だったらできないでしょう。また、そういう事が動物に対してもできる人間は、根本的に、かなりの残虐性を秘めた人。仮にうちのだんなが、動物を叩きながら、その苦しみを見て、「げへげへ」と、気味の悪い笑みを浮かべているのを目撃したりしたら、翌日に離婚届け出しますね。

自分の所有物だから、どうしようと勝手だ、などという理論も納得できないですし。愛車は、ぴかぴかに磨いて大切にするもので、殴りつけてぼこぼこにする人など、いないわけですから。他人に対して、自分が何でも好きな事ができるというパワーがたまらなく楽しいという輩はいるものです。また、奴隷の数は、かなり多かったでしょうから、彼らが反旗を翻したら、という恐怖も手伝って、見せしめ・・・というのもあったでしょう。

こうしたサド的人間が、法に裏打ちされて、猛威をふるえる社会状況内で、南部では、比較的、奴隷に寛容な人物達も、奴隷主や奴隷制支持者達の怒りを買わぬよう、行動に注意しなければならなかったというのも恐ろしい話です。最初の農場主フォードも、カナダ人バスも、黒人を助けようとする事による、自分にも降りかかる危険を感じていたようなので。そんな危険を承知で、約束通りに、ソロモンの友人に、ソロモンの苦境を伝える手紙を書いたバスは、えらかったですよ。ですから、登場時間は短くても、ブラピが演じているわけで。

「風と共に去りぬ」などは、南部の昔をかなりノスタルジックに描いていて、当時の残酷さには一切触れていなかったな、と今になって思います。良い主人に恵まれて、まあまあの生活をする黒人もいた事はいたのでしょうが。「それでも夜は明ける」内では、昔は奴隷だったのが、農場主に愛され、白人の奥様となり、良い生活を送る黒人女性も登場していましたし。南北戦争後は、名目上は、自由となった多くの黒人達が、さて、それでは、実際、何をやって生きていけばいいのか、という新しい問題が出てきます。

ソロモン・ノーサップの本が出版されたのは、彼が自由を取り戻してすぐの、1853年だそうで、アメリカの南北戦争(1861年ー1865年)が始まるきっかけにもなったなどと言われる、ハリエット・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人)著の「アンクル・トムの小屋」が書かれた1年後。ノーサップの本は、ストウ夫人に捧げられているという事です。

北部へ戻り、家族と再会したところで、映画は終わっていますが、その後のノーサップは、奴隷制廃止活動も行い、アメリカ北東部、カナダのあちこちで、奴隷制の悲惨さを告げる講義なども行ったようです。が、1857年に、忽然と歴史の記録から、彼の名が消えてしまうのだそうです。彼に何が起こったのか、どこで、どう死んだのかの情報が皆無なのだそうで。彼を捕まえ南部へ売った一味に捕らえられ殺された、別の人さらいに捕らえられ、再度、奴隷として南部へ売られてしまった、放浪者となってのたれ死んだ・・・と、ソロモン・ノーサップがどういう最後を遂げたかの憶測は絶えないようです。

さて、最後にちょっと、植物の話を。木綿農場の風景もさる事ながら、湿気の強く、暑い、アメリカ南部の雰囲気を盛り上げるのは、スパニッシュ・モス(Spanish moss、ラテン名:Tillandsia usneoides)です。映画の中、あちらこちらに映っていました。ぱっと見ると、木の一部のようですが、スパニッシュ・モスは、直生植物。木などにからまって育つものの、寄生植物とは異なり、木から養分を吸い取ることなく、空気と雨水から、水分と養分を吸収するという面白い植物。以前も、アメリカ南部の風景写真で、このスパニッシュ・モスが、夕焼けを背景に、木の枝から、藤の花か、しだれ柳の様に垂れ下がっている姿を見た事があります。少々不気味でありながら、不思議な美しさを持つ植物で、南部のゴシックのイメージに使われるというのもわかります。

原題:12 Years a Slave
監督:Steve McQueen
言語:英語
2013年

コメント