老人と犬

我が家のすぐそばには、丘の上に建つ古い教会を眺める緑地があります。緑地の端には小川が流れ、小川を沿って歩行者と自転車専用の道が走っており、格好のお散歩コースともなっています。思うに、この辺りが、それほど柄の良くないこの町の中で、一番風景の良い場所です。

町の繁華街への買い物へ出る時も、駅へ行く時も、私は、ここを通って行くのですが、どの時間に出ても、それはよく見かけるおばあさんがいます。いつも、名犬ラッシーを思わせる、2匹のコリー(ラフコリー)を連れて、歩いては立ち止まり、また歩き。時に、他の犬連れの人たちと立ち話をし。コリーたちは、コリーたちで、自由に緑地内を走り歩き。とても、しつけが良くされているコリーたちで、吠えているのを聞いたこともなければ、他の犬や、道行く人に、牙をむいて「うー」とやっているのも見た事ないです。いつも、おだやかに、満足そうに緑地を歩き回っています。良くシャンプーとブラッシングをしてもらっているような綺麗な長い毛を風にそよがせて。

飼い主のおばあさんは、どうやら、近くの道まで車でやって来て、車をとめて、1時間くらいここで時間を過ごして、また家へ戻っているようです。しかも、それを1日、3回ほどやっている様子。緑地を歩いている姿だけでなく、犬たちを車から降ろすところ、乗せるところも、幾度も目撃しているので。あまりにも長年、何度も見かける人なので、目が合うと、いつも、お互い「ハロー」だけは言って挨拶はしていました。

先週から、彼女の2匹いたコリーが1匹になっていました。

先日の夕方、緑地のそばにある郵便ポストに手紙を投函に出ると、また彼女に出くわしました。例のごとく「ハロー」と言った後、そのまま一時行き過ぎたのですが・・・ふと、気になり、後戻りして、聞いてみました。「犬、2匹いませんでしたっけ?」「1匹は2週間前に他界してしまったの。」「ああ、それは、残念。」そして、彼女は残されたコリーを指差し「この子は、寂しくなってしまって。」彼女の脇にいたコリーは、自分の事が話題に上がっていると知っているかのように、私の顔を見上げて、首をかしげたのでした。本当に寂しそうに。その後、彼女は、「私達、ふたりとも、寂しくて・・・。」こういう時って、何を言ったらいいか、わからないものです。「What a pity...」を、再び繰り返し、同情のため息をつき。この時に、どこかのおじいさんが、散歩道をやってきて、「まだ、新しい犬、買わないのか?」と、彼女に話しかけたので、それを機に、その場を去りました。

伴侶に先立たれ、子供たちも遠くへ行ってしまい、ペットだけが心の支え、という老人は、この国、わりといます。「私達ふたりとも、寂しくて。」だから、家にいるよりも、毎日の様に、一日3回も、わざわざ、あの緑地まで出向いているのでしょう。犬の飼い主同士は、散歩中、犬くらべや犬に関する井戸端会議に花を咲かせることも、とても多いので、彼女にとっては、あそこは、社交の場でもあるわけです。あそこに行かないと、一日、誰とも口をきかない日などもあるのかもしれません。

途中で登場したじいさまに、「新しい犬、買わないの?」と聞かれ、「ノー」という彼女の返事は聞こえました。自分より先に、ペットに死なれるのも嫌でしょうが、犬や猫を飼う老人たちが、それより心配しているのは、自分の死後に大切なペットがどうなるか。死んだ後に世話をしてくれそうな人を、自分が健康なうちに探しておいたり、ペットの慈善団体に、助けを頼んでおいたり、と、気をもむ話題のようです。特に、老犬の場合は、獣医代などが多額にかかってしまう可能性があるので、あまり引き取り手がいない可能性もあります。コリーの飼い主も、後々の事を考えて、今から、別の新しい犬を購入する事はしないのでしょう。

以前隣に住んでいた老夫婦も、3匹のダックスフントを飼っていましたが、「もし、自分達が先に死んだら、娘がひきとると約束をしてくれているから、おそらく、大丈夫だろう。」などと言っていましたっけ。結果的には、犬たちの方が、1匹ずつ、先に死んでしまったのですが。犬を火葬にした後、灰の入った小さな棺のような入れ物を、居間のマントルピースの上に置いていました。入れ物には、リリー、ドリー、ロージーと、それぞれの名が彫られ、その上に、ちょこんと、ひとつずつ、使っていた首輪が置かれていて。

私も、犬はずっと飼いたかったのですが、それこそ、毎日欠かさず、散歩に連れて行ってやれるのか、自分が家にいない時はどうするんだ、旅行に出た時はどうするんだ、ちゃんと、死ぬまで面倒見切れるのか・・・色々考えると、ちょっと無理かな、と、一度も飼ったことはありません。特に私の大好きなボーダーコリーは、牧羊犬で、エネルギーあふれ、毎日、広い場所で、それは沢山、走り回らせてあげないと、ストレスを感じてしまうでしょうし。無条件の愛情を返してくれる犬たちですので、本当に大切にする覚悟で飼ってあげないと、可愛そうですしね。

おばあさんんと残されたラフコリーが、緑地を行く風景を、これからも何年も見れるといいなと思っています。

コメント