ヨーロッパの語源となったエウロパ

この絵は、ヴェニスの巨匠ティツィアーノによる、米のボストンにあるイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館蔵、「エウロパの誘拐」(The Rape of Europa)。エウロパ(日本語では、エウローペーとも)の誘拐をテーマにした絵画の中でも最も知られているものだと思います。白い牡牛にさらわれるエウロパが、「あーれー!助けてー!」と叫んでいる様子が、ダイナミックに描かれています。

こちらは、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある17世紀前半に活躍したボローニャの画家、グイド・レーニによる「エウロパの誘拐」ですが、この絵のエウロパは、興奮も過ぎ去り、落ち着き払った様子を見せています。衣装も、ギリシャ・ローマというより、中世風。

さて、それでは、ギリシャ神話のエウロパ(エウローペー)の誘拐とは、どんな話かというと・・・

フェニキア王、アゲノール(Agenor)の娘であったエウロパ(Europa)。彼女が、海岸線を、女友達と、花を摘みながらそぞろ歩いていたところを、主神ゼウスの目に留まります。エウロパの美しさに一目ぼれしたゼウスは、白い牡牛に姿を変えて、乙女たちの前に姿を現す。大人しく、美しい、牡牛に、エウロパは近づき、やがて、その背中に這い上がる。これぞ、チャンスと、牡牛はいきなり、エウロパを背に乗せたまま走り出し、海にざぶんと入ると泳ぎ始める。きゃー!と大騒ぎする、他の乙女たちを海岸線に残して。やがて、ゼウスは、エウロパをクレタ島へと連れていき、エウロペはゼウスの愛人となり、ゼウスとの間に子供を作ることになります。幸い、ゼウスのやきもち妻、ヘラは、エウロパの存在には気が付かずに、エウロパは、ヘラの嫉妬に悩まされる事もなく。

2人の間に生まれた3人の息子は、ミノス、ラダマンテュス、サルペードーン(Minos, Rhadamanthus, Sarpedon)。特にミノスは、青銅器時代クレタ島に栄えた文明、ミノス文明の名のもとになっています。

エウロパをたいそう愛したゼウスは、彼女に3つの贈り物を与えます。ひとつは、彼女の護衛のための、タロス(talos)と呼ばれる青銅の人間。獲物は絶対に逃がさない狩猟犬ライラプス(Lilaps)。そして、目的を必ず射貫く投げやり。

エウロパは、やがてクレタ王アステリオス(Asterius)と結婚し、クレタ女王となります。アステリオスはゼウスの3人の子供の養父となり、彼の死後、ミノスがクレタ王となるわけです。

星座のおうし座(Taurus)は、ゼウスがエウロパの誘拐の時に姿を変えた牡牛を模しているとされます。牡牛の体の前方のみが星座となっているのは、海を泳いで渡ったため、下半身が見えなかったことにあるようです。

誘拐されたときに、彼女が、現レバノンあたりに位置したフェニキアの土地から、海を西へと渡った事により、その周辺と西に位置する場所が、やがてヨーロッパと呼ばれるようになります。木星(英語ではジュピター:ゼウスのローマ版)の第二衛星の名も、彼女から取ってエウロパと呼ばれています。

ラリングストン・カッスル、ワールド・ガーデン内のエウロパ
もともと、今回、エウロパの話を書こうと思ったきっかけは、先日出かけたラリングストン・カッスル、のワールド・ガーデンにて、大陸ヨーロッパからの植物を集めたコーナーに、エウロパを模した像が置かれていた事。まさに、ヨーロッパのイメージガールですね。

ローマン・ヴィラの床モザイク
また、そのすぐ後に訪れた、ラリングストン・ローマン・ヴィラに残る、ローマ時代のダイニング・ルームの床のモザイク模様が、やはりエウロパでした。

ローマからは、辺境と見られていたとは言え、当時は、ローマ帝国の一部として、大陸ヨーロッパとその文化にしっかり繋がれていたイギリス。島国であるがゆえに、「自分たちはヨーロッパ人ではない。」「自分たちは違う、特殊な存在じゃ。」と思う人が多いのが、今回のブレグジット騒ぎの要因のひとつかもしれません。イギリスを、ヨーロッパと呼ぶか、呼ばないかはともかく、古くから、歴史と文化と、そして遺伝子を分かち合って来たきょうだいであることは間違いないのですが。

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