鉄道の始まり

線路はつづくーよー、どこまでも
野をこえやまこーえー、谷こえて
はーるかな町まーでー、僕たちの
たーのしい旅のゆめ、つないでる
らららららーら、らららららーら、らららららら、らんららーん

鉄道が、地平線に続くような景色を見ていると、旅情緒にうたれます。どこまでも、これを辿って行ってみたくなるような。もっとも、鉄道というものは、もともと、人の移動よりも、物資の移動のために作られたものなのですが。本日は、ちょっと、その線路・鉄道の歴史を見てみる事にします。

重い貨物を積んだ荷車の車輪が通るための軌道として、溝を掘った道路というのは、古代からあったそうで、ギリシャや中東などにそうした溝の軌道跡がまだ残っているそうです。また、火山爆発により失われたローマ帝国の都市ポンペイにも、この軌道用の溝を刻んだ道が、火山灰の下にそのままの姿で保存されていたと言います。車輪というものは、人類の発明の中で、最も大切なもののひとつに数えられていますが、その車輪を有効に活用するためには、それを効率よく走らせるための軌道も必要。これらの古の軌道の幅は、一様に大体1メートル半弱だそうで、現在の鉄道の軌間(ゲイジ、gauge)で、標準とされる1435ミリと、ほとんど変わらないというのが面白いです。いずれにせよ、機関車というものが誕生する以前の、ずっーと昔から、こうした鉄道のご先祖様たちは活躍していたのです。

特に、鉱山や炭鉱などで、一定の区間を、重いものを大量に移動させる必要がある場合、荷車が、地面に食い込むことなく、スムースに移動するよう、何らかの工夫は必要です。やがて、そうした場所で、木材を使用した線路が作られるようになり、馬や人力に引かれた荷車がその上を行き交いするようになります。この場合、車輪が滑って軌道からはずれるのを避けるため、L字方の線路を作ったり、または車輪の縁にフランジ(flange)と呼ばれるでっぱりをくっつけたりとの工夫がなされます。

こうした簡易線路は、イギリスでは、トラムウェイ(tramway)などと呼ばれましたが、18世紀イギリスでは、炭鉱などでの、そうしたトラムウェイ建設にあたり、木製線路が、泥の中に沈んでいかぬよう、また動かぬよう、下に枕木(railway sleeper)を寝かし、木製線路をその上に固定するようになります。枕木と枕木の間に砂利をひき、馬たちが、ワゴン車をひいて歩きやすいようにもし。こうしたトラムウェイは、炭鉱から、船が停泊できる場所などを結んで建設され、石炭などは、ここで船に積まれ、イギリスの各港町へと運ばれていました。

18世紀も中頃となり、鋳鉄というものが、比較的容易に手に入るようになると、木製線路は、鋳鉄のレールを使用した、まさに「鉄道」へと移行していくのです。鋳鉄のレールも、やはりL字型のものや、車輪の溝にうまくはまるように丸みをおびて作ったものなど、色々あったようです。荷車は、鋳鉄レールのおかげで、以前の木製時代より、ずっとスムースに滑り、より重い貨物を運ぶことが可能になります。こうして作られていった鉄道は、最初はすべて、炭鉱所有者などによる、私用・専用鉄道であったものの、1803年、世界初の公用鉄道であるサリー鉄道(Surrey Iron Railway)が、オープンとなります。この英語名が、単に、「Surrey Railway」ではなく、Ironという単語が入っているところに、以前は木造であった線路ではなく、「鉄」でできているんだよん、というのを念押ししている感覚が現れています。

サリー鉄道は、ロンドン南部の郊外クロイドンから、近郊を流れるワンドル川(River Wandle)が、テムズ川へと合流するワンズワースの波止場までを走る鉄道で、主に、クロイドンの南部にあった石灰岩の鉱山から掘り出した石灰を、波止場へ運ぶ役割りをはたしていました。ワンズワースからは、石炭などを積んで戻り。また、ワンドル川沿いに存在した多くの工場の主たちも、この路線を利用しての物資移動ができるようになり、有り難かったのでしょう。当時、それぞれ、3トンほどの重荷を乗せた12台の貨物車を、たった一頭の馬で、この鉄道上を引くことができたのだそうです。馬もお疲れさまでしたが。

サリー鉄道開通数年後には、ウェールズでスワンジー・アンド・マンブルズ鉄道(Swansea and Mumbles Railway)が開通。やはり物資を運ぶのが目的で建設されたものですが、乗客を乗せる事も許され、世界初の、料金を払って乗客を乗せる鉄道となります。もっとも、これは、線路上を走る馬車のようなものであったのでしょうが。

さて、鉄道はできた、それでは、馬に代わる、更なるパワフルな、速度の速いものは無いのだろうか・・・という話になります。そして、生まれてくるのが、蒸気機関車!

1820年に、トマス・グレイ(Thomas Grey)という人物が、蒸気機関車が一般的になる時代を予言する、"A general iron railway, or land steam-conveyance, to supersede the necessity of horses in all public vehicles" (一般鉄道、または、公共の乗り物として、馬を必要としない蒸気による移動)という本を出版。馬よりスピードが速く、運河などの使用より大量の物資の移動が可能、商業の発展につながる、などと書き綴っているようです。彼は、また、総括的に、イギリス全土にそうした蒸気機関車が走るための鉄道をはりめぐらし、町と町を結ぶ、という構想も掲げています。要は、全国をつなぐ機関車用国鉄を作ろうという案。何を馬鹿げたことをと鼻でせせら笑う者もいたようですが、蒸気機関車は、主に、ジョージ・スチーブンソン、ロバート・スチーブンソン親子などの尽力によって、間もなく、現実にこぎつけることとなるのです。

トマス・グレイの提案した、国による、総括的鉄道のネットワークは、私鉄があちこちに乱立した鉄道創成期のイギリスでは現実化せず、まだ誕生したばかりの新しい国でありながら、ヨーロッパ内でイギリスに次いで2番目に汽車のための鉄道を導入したベルギーにて、実現します。鉄道建設に、国がイニシアチブを取るというベルギーの決断は、トマス・グレイの案にヒントを得たという話です。このベルギーというのが意外ですね。ヨーロッパ内で、イギリスに次いで2番目に早く、列車鉄道を取り入れた国は、どこでしょう、って、気の利いたクイズになりそうです。

また、同1820年には、機関車などの重みや、早いスピードによる圧力を受けると、壊れやすく、また長さも短い物しか製造できなかった、鋳鉄のレールに代わり、ジョン・バーキンショー(John Birkinshaw)という人物により、強靭な錬鉄を用いて長いレールを作る技術が開発され、これに特許が与えられます。これで、錬鉄によるレールが使用されていくようになり、本格的な蒸気機関車開発への土台は準備OKといったところでしょうか。

ちなみに、冒頭に載せた童謡「線路はつづくよ」のメロディーは、もともとは、1860年代にアメリカで大陸横断鉄道建設中に、アイルランド系の労働者たちによって、歌われていた歌であったそうで、原題は、I've been Working on the Railroad (おいらは鉄道で働いている)。レールロード(railroad)というのは、米語で「鉄道」を意味しますが、イギリスでは、レイルウェイ(railway)です。鉄道の、旅の夢を歌う日本の童謡とは、かなり違う内容となっています。

らららららーら、らららららーら、らららららら、らー!

と、陽気に歌ったところで、次回の蒸気機関車誕生の話に続きます。こちら。

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