殉教者の丘にて

白いお菓子の宮殿といった感じのサクレクール寺院が聳え立つ丘、モンマルトルの丘。モンマルトル(Montmartre)は、ラテン語のMons Martyrum(「殉教者の丘」の意)から由来した名。

遡ることローマ時代の258年、パリ初のキリスト教司教で、御年90歳であったドニは、ローマ皇帝の神聖性を否定したとして、逮捕され、2人の支持者と共に、マーキュリーの神殿があったというこの丘で、斬首刑となります。言い伝えによると、処刑のあと、ドニは、ひょいと打ち落とされた自分の首を髭をつかんで持ち上げると、近くの流れで洗い、それを抱えたまま、しばらくトコトコ歩き続け、現在のサン・ドニ(聖ドニ)に到着したところで倒れた、という事。彼の遺体は、サン・ドニに埋葬され、後にその場に建てられるのは、代々のフランス王の埋葬の地となるサン・ドニ大聖堂。そして処刑のあった場所は、「殉教者の丘」と呼ばれ。

前回モンマルトルに来たときも、大変な人出だったのですが、今回はまた、日曜日とあって、こみこみでした。階段をひーこら登って、寺院の前に辿り着き、振り返るパリのパノラマ。ああ、来たかいがあった。

寺院内は日曜日のミサが行われており、観光客のほか、ミサに参加する人々でも満員御礼でした。

1870年に勃発した普仏戦争により、ナポレオン3世は瞬く間に失脚し、第3共和制が設立。戦時中パリは、プロシア軍に包囲され、猫やねずみ、動物園の動物まで食べて飢餓を忍ぶ事となります。この間、外とのコミュニュケーションを取る手段とし、週に、2,3回の頻度で、北駅周辺や、モンマルトルの丘から気球を飛ばします。ただ、この気球は一方通行で、出て行くと戻って来れないという落ち度があり、外からパリへの伝達事項は、伝書鳩が使われたと言います。放たれた伝書鳩の数は302羽。うち、無事パリに到着し任務を遂行したのは59羽。残りは鷹などに取られたり、寒さで死んだり、また、お腹をすかせたパリ市民のパイの中身になってしまったと!

プロシアの包囲に続くは、多大な死者を出す事となった、パリ・コミューンと一時ヴェルサイユにおかれた政府との流血騒ぎ。そんなこんなの大騒動の後、1875年に着工開始されたサクレクール寺院は、ようやく訪れた平和と希望の象徴のようなものだったのでしょうか。1914年に完成したものの、今度は、第一次世界大戦の勃発で、教会としての機能を始めるのは、1919年になってから。イエスの神聖なる心(サクレクール)も、ドイツのまたなる侵攻を事前に抑えられなかったわけです。

パリ中心から少し外れた田舎の雰囲気だったモンマルトルに、サクレクール建設と時期を同じく、普仏戦争後の19世紀後半から起こる一大イベントは、カルチェ・ラタンや、モンパルナス等のセーヌ左岸からの芸術家、文筆家達の大移動。徐々に形をなしていく寺院の下で、芸術家のコミュニティーが生まれ、新しい住人達はボヘミアン・ライフをくりひろげ。

さて、サクレクールを後にして、土産物屋が並ぶ観光客いっぱいの通りを抜け、似顔絵を描こうと近寄ってくる街頭絵描き達を振り切り、ちょっと静かなわき道に入ると、ほっとするのです。

一見したところ、おいしそうなにおいが流れてきそうな、田舎の素朴な料理屋風の建物で、ピカソやユトリロを含む芸術家達が通ったというナイトクラブのラパン・アジル(すばしっこい兎)の立つあたりも、比較的静かな良い雰囲気の場所です。看板には、鍋から逃げ出す兎が描かれ。このすぐ脇はパリに唯一残るぶどう畑があります。今は、誰かの庭・・・くらいのサイズのぶどう畑ではありますが、この地の昔の顔を伝える名残ではあります。

かつては、小麦をひき、ぶどうをプレスするため、モンマルトルには風車が、30以上あったとされます。その中で残っているのは、ムーラン・ド・ラ・ギャレット(Moulin de la Galette)。Blute-finと、Radetと称される2台の風車からなるムーラン・ド・ラ・ギャレットは、20世紀初頭は有名なダンスホールとして利用され、ルノワール、ゴッホ等の画家達のキャンバスに残されることになります。今ではレストランとして経営されています。このレストランのサイトはこちら

丘を下り終わり、こちらは1885年に建てられた赤い偽物風車が目印のダンスホール、カンカンでおなじみのムーラン・ルージュ。ちょっと、場末のキャバレー風、品が無い雰囲気のたたずまいですが、まあ、それが昔からの売り物だったわけなので。


ここを最後に、パリ観光も時間切れとなり、ムーラン・ルージュむかいのメトロの駅にもぐり、ホテルへ荷物を取りに、帰途へつきました。パリさん、さよなら、また会う日まで。

コメント

  1. こんばんは
    モンマルトルの丘 と言えば芸術家たちのコミュニティなのですね。ユトリロとか佐伯祐三とか浮かびます。ムーランルージュには古い歴史があるのですね。最近、ニコールキッドマンのミュージカル映画がこのタイトルで楽しかったです。 なんとなく上野のお山を連想します。庶民的で意外とおいしいお店もあったりします。
    サッカーはイングランド大丈夫でしょうか?アメリカと引き分けるとは思いませんでした。私はヘスキーのファンです。

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  2. イングランド、昨夜の試合もひどかった・・・。この国、ボールをドリブルできるスキルのある選手いないのですよ。唯一多少の足技のあるジョー・コール(彼もキュートです)は、まだプレーしていないし。フランスもひどい事になってますが、イングランドも危いです。へスキー・ファンというのも珍しいですね。私は怪我で欠場のディフェンダー、リオ・ファーディナンドが凄みの利いた顔でお気に入りです。本日これから日本対オランダ、ランチ食べながら見ます。
    モンマルトル、上野のお山より、面積は狭いかもしれませんが、観光エリアから離れると、住んでもいいと思えるようなのんびり感もありました。映画ムーランルージュは面白かったですね。

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