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10月, 2012の投稿を表示しています

赤い実を食べた

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赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた 白い鳥 小鳥 なぜなぜ白い 白い実を食べた 青い鳥 小鳥 なぜなぜ青い 青い実を食べた 北原白秋が作詞した童謡、赤い鳥小鳥の歌詞です。 黒い鳥が赤い実を食べる様子もなかなかです。写真の黒い鳥は、もちろん、イギリスではおなじみのブラックバード(クロウタドリ)。赤い実は、さんざしの実です。 自宅から駅へ向かう小道沿いには、数本のさんざしがはえていますが、赤い実のなる頃、ブラックバードたちが、さかんに、枝にとまって食事をしている光景に出くわします。(このさんざしが、5月に花を咲かせている様子は、 こちら まで。) 今年は、一般にじめじめとして、寒めの春夏であったため、蜂や蝶の数も少なく、うちの庭のりんごの木は、この秋、ほとんど実をつけませんでした。受粉して、果物野菜の生産の手助けをしてくれる蜂たちの偉大さをひしひし感じ、その数が、減り続け無いようにと望むばかり。 悪天候の打撃を受けたのは、虫ばかりでなく、当然鳥も。タイミング悪く、寒い期間に生まれて育ったブラックバードの幼鳥が、雨に打たれたまま、じっと動かず気分悪そうにしていたのを見かけたのは、先月末。背後からしのびより、つかまえて、ぼろ布を敷いた箱の中に移しても、少々、ビービーと叫んだもののほとんど抵抗しなかったので、かなりもう弱っていたんでしょう。 りんごの木の下に箱を置いて、上から傘をさして、雨があたらないようにして、なんとか元気になってくれないかと思ったものの、箱の中で、うつらうつらと目を半とじにしていたこの小鳥、やはり1日が終わらぬうちに死んでしまいました。少なくとも死に際は、惨めに雨に打たれながらではなく、少しでも乾燥して暖かい思いをしてくれたかな、と考えるのが、ちょっとした慰めです。 死んだ鳥というのは、こういう、後ろにつっぱったポーズですが、死んだ後、体を前方に支える筋肉がなくなってしまうので、きっと、後ろにそってしまうのでしょうね。まだ幼鳥ですから、腹部などは、まだら模様。 ローズマリー の枝を添えて、庭の一番奥に埋めました。この庭に、死んだブラックバードの幼鳥を埋葬するのは、3回目です。 なんとか成長して幼児期をすりぬけても、待っているのは冬。昨日は、朝、ちらっと降った雨が、少々氷っぽく、一部

緋色の研究

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ロンドンの街路樹の葉の色も変わりつつある今日この頃。海を渡ったアメリカでは、米大統領選挙も近づいてきました。今のところ、オバマ、ロムニー、どちらに転んでもおかしくないような状況ですが、もし、ミット・ロムニーが勝利すると、初のモルモン教信者の大統領誕生となります。今でこそ、無くなったものの、モルモンは設立当時からしばらくの間、その一夫多妻制で悪評でした。 ジョセフ・スミスにより、1830年、ニューヨークにて設立されたモルモン教(未日聖徒イエス・キリスト教会)。信者の数が増えると共に、糾弾を受けはじめ、ニューヨークから移動し、一時は、イリノイ州ナヴーに落ち着きます。が、再び、地元非信者からの糾弾が始まり、1840年代、ジョセフ・スミスは暴徒により殺害。ブリガム・ヤングを新しいリーダーとして、信者達は、ナヴーを去り、更なる約束の地を求めて米大陸を移動し、やがてたどり着いたユタ州ソルトレイクシティーに定着、現在に至っています。 このモルモン信者達の、ナヴーを後にしての、聖地を求めての移動と、一夫多妻制、モルモン社会内の戒律を破ったもに対する残酷なしうちが題材になっているのが、コナン・ドイル作、シャーロック・ホームズの第一作目「A Study in Scarlet 」(邦題:緋色の研究)でした。 「緋色の研究」出版は、1887年。よって、モルモン開拓者達のソルトレイクシティーへの移動からから、まだ50年経っておらず、モルモンが、一夫多妻制の廃止を決める1890年以前に書かれた物語。モルモン信者達の社会が否定的に描かれているのは、当時、一般のイギリス人たちに、このキリスト教新派がうさんくさく見られていたためでしょう。 ホームズ第一作ですので、この小説は、従軍医師として、アフガニスタンから負傷して、イギリスへ戻ったワトソンが、旧友のつてで、アパートをシェアできる相手を探していたホームズに紹介され、2人で、ベーカー街のアパート、221Bを見に行き、大いに気に入り即決で借り、共同生活に入るくだりから始まります。ワトソンは、この新しい友人兼同居人の風変わりな習慣や生活ぶりに興味津々。やがて、彼の探偵という職業がわかり、ワトソンは、初めて、犯罪の調査に同行するのです。 南ロンドンの空き家で発見された死体は、アメリカ人ドレッバーのもの。外傷は無いものの、毒殺と読

チェス川沿いに見たもの

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先月、ロンドン北西部を流れるチェス川(River Chess)沿いのウォーキングに出かけ、地下鉄メトロポリタン・ラインのチェシャム(Chesham)駅から出発、コーリーウッド(Corleywood)駅まで歩きました。更にがんばってずっと行進し、もう一駅区間歩けば、 前回運河沿い を歩いた、リックマンズワース(Rickmansworth)駅までたどり着いたのですが、途中で、日が暮れかけてしまったので。 このウォーキングの途中、川の斜面に、段々畑の名残のような土地がありました。11世紀頃のイギリスは、現在より、かなり気候が温暖だったということで、葡萄を育成していたという話があります。まあ、今でも、大掛かりではないものの、イングランド南東部で育てた葡萄を使って作るワインなどもありますから。なんでもこの段々斜面は、昔、この気候が温暖だった時代の葡萄園だった、と言われています。チェス川周辺は、フランスのワイン産地などと同じくチョーク層で、葡萄園には適した地質ではあるわけです。実際、一番最初に、葡萄の木をイギリスに持ち込んだのは、やはりローマ人だったようですが。 段々畑を背に、草の上に腰掛けて、川を眺めながら一休みしました。今は、葡萄の木の形跡は無く、多くの牛が草を食んでいるだけ。友人は背後からしのびよってきた子牛に、ベロリと耳をなめられていました。 やがて、一頭の牛が、川辺に下りてきて、水を飲み始めると、我も我もと、何頭も後から水辺に近づき、そこで憩いのひと時を過ごしていました。 イギリス産ワイン・・・といえば、巷で、イングリッシュ・ワインと称されるものと、ブリティッシュ・ワインと称されるものが売られています。その2つの、一体、何が違うのか、という事を調査したテレビ番組を、先日見ました。それによると、イングリッシュ・ワインと呼ばれるのものは、正真正銘のイギリス産で、イングランドで育った葡萄を使って作られたワインで、お値段、やや高め。反して、ブリティッシュ・ワインは、ヨーロッパ(主にスペイン)から、シロップのような、葡萄の濃縮ジュースを輸入し、イギリスで発酵加工して、ボトルに入れて売り出しているものなのだそうです。よって、ブリティッシュ・ワインは、お値段かなり低いバーゲン価格ワイン。安いからと、ブリティッシュ・ワインに手を出すと、あまーくて、「こ