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モグラのスウィートホーム

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クリスマスが近づいてきています。当ブログの過去の記事で何回も言及している、児童文学 「たのしい川べ」 (Wind in the Willows)の中で、私の大好きなエピソードのひとつは、第5章「Dulce Domum」。「Dulce Domum」はラテン語。英語に訳すと「Sweet Home」。時期的にも、クリスマスの直前の話なので、この頃に思い出す事が多いエピソードです。 この章の話の筋は、 モグラは、春の気配に誘われて、外に飛び出し、川辺にて、川ネズミとめぐり合って以来、川ネズミの家に移り住み、そこで光溢れる外界での生活を楽しんでいたのです。そのまま、季節が移り、すっかり、自分の昔の地下の住処のことなどを忘れていたのですが・・・クリスマス迫るある寒い夕刻、川ネズミとモグラが、川ネズミ宅に戻るため早足で歩いていたところ、モグラの鼻に、いきなりなつかしい自分の住処の臭いが感じ取られるのです。電撃に打たれたように、いきなり過去の家での思い出が戻ってきたモグラは、家が近くにあると感じ、先を歩くネズミに呼びかけるのですが、急ぐネズミは、振り向かず、すたすた行ってしまう。仕方なく、ネズミの後を追い、しばらく歩いた後、モグラの様子がおかしいのに気付く川ネズミは、ちょっと休憩を取るのです。そこで、モグラは、こらえていた涙がどーっと出てくる。このくだりを初めて読んだとき、モグラに同情して、もらい泣きしました。 "I know it's a—shabby, dingy little place," he sobbed forth at last brokenly: "not like—your cosy quarters—or Toad's beautiful hall—or Badger's great house—but it was my own little home—and I was fond of it—and I went away and forgot all about it—and then I smelt it suddenly—on the road, when I called and you wouldn't listen, Rat—and everything came

ヤギのミルクでカプリチーノ

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もともと、食生活は、比較的健康なものを食べているつもりではいたのですが、だんなが白血病になってから、「あれはいいんじゃないか」、「これは良くないんじゃないか」と、色々と人からアドバイスを受けることも多くなっています。 今年の夏、大量生産されている牛乳というのは、案外、身体に良くない物も入っている可能性もあるのではないか、、、と人に言われ、以来、ミルクは、ヤギの乳に切り替えました。昔から、牛乳より栄養価が高いという話は聞いていたし、アルプスで ハイジ はヤギのミルクを飲んで、すくすく元気な子に育って、クララも、山の空気とヤギの乳で健康を取り戻したわけですし。最近は、スーパーなどでもヤギのミルクは簡単に手に入りますが、やはり、牛乳ほどの需要は無いので、お値段は少々高め。ただし、最近話題の「traceablility トレーサビリティー」はばっちりです。 トレーサビリティーとは、言うまでも無く、trace(追跡する)と、ability(可能)がくっついた言葉ですが、食べ物に関して使用すると、お皿の上に乗っている食べ物が、実際にどこから、どういう経路を辿って来たかを知ることができる可能性、という意味。最近イギリスのメディアを沸かせた、馬肉注入事件以来、よーく使われるようになった言葉です。 牛肉や羊肉を使っているはずの冷凍食品などに、どこから入手されたかわからない馬の肉が混じっていた・・・という、この馬肉事件によって、スーパーの棚に並ぶ食品のいくつもが、製造される過程で、実に、複雑な経路を辿っていることに焦点が当たったのです。そして、農場からキッチンへの経路が単純で、トレーサビリティーが高い事が重要視されるようになってきました。仲介者を通さず、生産した農家が直接、マーケットの屋台で売るファーマーズ・マーケットなども人気となっています。また、家庭菜園なども、土や肥料、育てる手間を考えると、スーパーで買った野菜の方が安い、という事もありますが、実際に育てるのに何を使ったかの把握は完璧に出来るので、トレーサビリティーの観点からは、グッドなのです。 大体いつも買うヤギのミルクは、ヨーク近くの農場のもの。季節がら、イラストのヤギにサンタの帽子を被せてあるのも気が利いています。また、スパイスの入った、暖かいものが飲みたいこの時期のため、パッケージに、「サンタのカプリ

クリスマスの12日

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クリスマスの12日間とは、クリスマスの夜(12月25日)から、1月5日の夜までの12日間。 そのクリスマスの初日から、12日間に渡り、ひとつひとつ贈り物をもらい、その数が増えていくのが、根強い人気のクリスマス・キャロルである「The Twelve Days of Christmas ザ・トゥエルブ・デイズ・オブ・クリスマス」(クリスマスの12日)。 英語の歌詞は、 On the first day of Christmas my true love sent to me A partridge in a pear tree On the second day of Christmas my true love sent to me Two turtle doves And a partiridge in a pear tree On the third day of Christmas my true love sent to me Three French hens Two turtle doves And a partridge in a pear tree 4日から12日までのプレゼントは、 Four colly birds, Five gold rings, Six geese a laying, Seven swans a swimming, Eight maids a-milking, Nine ladies dancing, Ten lords a-leaping, Eleven pipers piping, Twelve drummers drumming 日本語に訳してみると、 クリスマスの1日目 私の心から愛する人が送ってくれた 梨の木にとまる一羽のヤマウズラ クリスマスの2日目 私の心から愛する人が送ってくれた 2羽のタートル・ダブ(コキジバト) そして、梨の木にとまる一羽のヤマウズラ クリスマスの3日目 私の心から愛する人が送ってくれた 3羽のフレンチ・ヘン(にわとり) 2羽のタートル・ダブ そして、梨の木にとまる1羽のヤマウズラ (以下残りの日々は、プレゼントのみ訳します) 4羽のクロウタドリ、5つの金の指輪、卵を産む6羽のガチョウ、泳ぐ7羽の白鳥

アドベントカレンダー

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今年のクリスマスシーズンは、円形をしたアドベントカレンダーを買って飾っています。早春に設置した 薪ストーブ の上の壁に、庭の植物で作った クリスマスリース をかけていたのですが、薪ストーブからの暖かい風がもわーっとあがっていって、リースはたちまち乾燥してしまったため、何か、代わりに飾るクリスマスらしいものを探していたのです。 「到来」を意味するアドヴェント(advent)は、キリストの到来(誕生)を待つ、待降節の期間。クリスマスから4つ前の日曜日(アドベント・サンデー)に始まり、クリスマス・イブに終わります。ちなみに、アドベント・サンデーの、更に一つ前の日曜日は、 スターアップ・サンデー と称され、伝統的にクリスマス・プディングを作る日とされています。今年はプディング作り、少々出遅れたので、そろそろ材料を用意しないと。 一般に巷で売られているアドベント・カレンダーは、24の小窓が付いていて、それぞれ、1から24までの番号がふってあり、実際のアドベンとの開始とは多少ずれても、それを12月1日から、数字を追って、ひとつひとつ開けていくわけです。今年は、アドベントの開始の日曜日が、ぴったりと12月1日に当たっていました。開けた小窓の後ろには、クリスマス関係のエンジェルや、羊、お星様、などの絵が描かれています。子供には、クリスマスまでの秒読みに、アドベント・カレンダーの窓を毎朝開けるのが楽しみでしょう、きっと。おばさんだって楽しいんだから。アドベントカレンダーの小窓を開けるというのは、もともとは、1850年代に、ドイツで始まった習慣なのだそうです。 だんなの子供時代は、小窓を開けると小さなチョコレートが入っているものを親に買ってもらっていたそうで、24日の窓には、一番大きいチョコが収まっていたそうです。窓をあけるのは、毎朝、喧嘩をしないように、お姉さんと順番。そうですよね、子供は、些細な事できょうだい喧嘩となるものですから。私と兄貴の子供のころの、記憶に残る大喧嘩は、お菓子会社「森永」の当時のテレビ・コマーシャルが原因でした。森永のコマーシャルの最後には、テレビの画面の隅に、背をむけて立っている森永エンジェルが登場して、エンジェルがくるりとこちらに顔を向けると共に、「ポピポピー」と音楽が入るというものでした。この、「ポピポピー」と言うのが楽しくて、兄貴と私と

オバマ大統領とセルフィーでチーズ!

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セルフィー(selfie)は、オックスフォード英語辞典により、2013年の「今年の言葉 ワード・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた新語です。日本で言う、携帯電話のカメラで写す、自分撮りのこと。 昨日、世界各国の要人が集まり、雨の中行われた、南アでの ネルソン・マンデラ氏 の追悼式。今朝、その模様を報道する英国の新聞の多くが一面記事に選んだ写真は、デンマークの美人首相、ヘレ・トーニング=シュミットが、オバマ大統領とデービッド・キャメロン首相に挟まれて自分撮り(テーク・ア・セルフィー)する姿。そして、脇には、憮然とした面持ちのミッシェル・オバマ夫人。「なによ!ブロンド女に鼻の下のばして!後で、ゴツンだわよ!」とでも言いたそうな顔で。ジムで鍛えた立派な二の腕の持ち主であるし、怒らせたら怖そうです。それにしても、あー、気の毒に。昨今、有名人たるもの、気を許せないのです。どこで、誰が、面白いシャッターチャンスを狙っているかわからないので。新聞のみならず、昨夜のテレビニュースでも、この仏頂面のオバマ夫人は話題になっていました。 ちなみに、トーニング=シュミット首相は、過去のイギリスの労働党リーダーであったニール・キノック氏の息子と結婚しており、このセルフィーの事を聞かれたキャメロン首相は、「キノック家の一員から、セルフィーを一緒に撮ってくれるよう言われたら、当然、了解する。」と、上手くかわしていました。 マンデラ氏追悼式は、こちらでは、かなり大々的に報道されていたものの、儀式としては、少々インパクトに欠ける、だらだらしたものとなっていました。おまけに、スピーチをしている人物の隣に立って手話をしていたお兄さんが、まるで、でたらめの手話をしていた事まで発覚し。彼は、以前にも政府の行事で手話をした事があるのだそうで、その際に、耳の聞こえない人たちの団体が、「あの手話、まるで無茶苦茶や。」と苦情を入れたというのですが、政府はまるでそれを無視。挙句の果て、世界が見守る中で赤っ恥をかく事となったのです。やはり、今の政権、ちょっと、いいかげんなのでしょうね、これは。手話兄さんは、ラジオに登場して、「自分のパフォーマンスを誇りに思ってる」なんて言ってましたが、ダンスじゃないんだから・・・。そして、「巨大エンジェルが、スタジアムに降りてくるのが見えて、動揺して、その後、手話がぐちゃぐち

クリスマス・クラッカーの歴史

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クラッカー(cracker)という英語には、食べるクラッカーの意味のほかに、火薬、爆竹の意味があります。イギリスで、クリスマス・クラッカーと呼ばれるものは、クリスマス時期に、ぼりぼり食べるクラッカーではなく、紙で巻いた大型キャンディーのような形をし、中に摩擦で音がでるように、火薬をまぶした細長のひも状の紙が仕込んであるるものです。クリスマス・クラッカーを、2人で、片側ずつひっぱって破ると、バチーンと音がし、中からでてくるのは大体、紙テープや、どうしょうもないおもちゃ(プラスチックのこま、紙で出来た王様のかんむりなどなど)と、これまたどうしょうもないジョークが書かれた紙などが出てきます。 パブなどでクリスマス・パーティーなどをすると、用意されたテーブル上に、ちょこんと、このクリスマス・クラッカーが載っているのが常。隣の席の人と、両端を引き合って、クラッカーを鳴らそうとするのはいいけれど、これが、一発でパーンと爽快な音で開く事はまずなく、何回も引っ張って、やっと・・・ということが多いのです。去年の売れ残りのクラッカーを大量に安く買って使っているから、火薬がしけてしまっているんじゃないか・・・などと疑ってみたりして。 無駄使いと感じるため、自宅で使うためにクリスマス・クラッカーを買ったことは一度もありません。ちなみに、上の写真のクリスマス・クラッカーは、フォートナム&メイソン社で販売しているもの。6個入りでお値段なんと、250ポンド。ぎょぎょ!普通のクラッカーより大型で、中には、紙の冠やジョークを書いた紙の他に、わりと高級なプレゼント(手作りローズ石鹸など)が入っているので、このお値段なのです。ロンドンの金持ちのクリスマスパーティーでは、こんなクラッカー使うのですかね。普通のものは、おそらく、この50分の1くらいの値段でしょう。これだけの高級クラッカーだったら、景気良い音を立てて鳴ってくれないと。 クリスマス・クラッカーは、19世紀の御菓子業者トム・スミスの考案から始まったものだという記事を先日雑誌で読みました。1840年に、パリを訪れたトム・スミスは、パリの菓子屋で、アーモンドを砂糖でコーティングしたお菓子が、それぞれひとつずつ、綺麗にティシュに包まれて売られているのを目撃して、いたく感動。ロンドンへ戻るや、同じように、ひとつずつを紙で包んだボンボン

ネルソン・マンデラ

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ネルソン・マンデラが一昨日(12月5日に)死んでしまった・・・。5日の夜にテレビを見ている時、ニュース速報として画面の下にテロップが流れて知ったのです。ニュース番組以外で、こういう速報ニュースが画面に登場するのは、まれな事で、彼の存在が、この国でいかに重要視されていたかがわかります。95であったし、2010年の南アフリカでのサッカー・ワールド・カップ以来、公の行事に現れず、体調が悪いニュースが何度も流れていたので、まあ、死去のニュースも近いかな、とは皆思っていたのでしょうが。もう、こんな立派な、モラルある政治家は、なかなか出てこないでしょうね。葬式は、15日の日曜日に予定されています。世界要人が一同に南アフリカに大集合となるでしょう。 アパルトヘイトの南アの事は、日本の学校の世界史の教科書に短い記載があったのは記憶しています。お金があった日本人は、名誉白人という事で、白人と同じ扱いを受けていたというのが書かれていました。「なんか変なの。人種差別はたてまえで、金が物言うのか、やっぱり。」と子供心に思ったのでした。「お前の鼻はちょっと低めだが、金さえ見せれば、多少、見た目が変でも大目に見てやるよ。」と言われているようで、いささか、居心地の悪い覚えもしたのです。 白人至上主義をモットーとする政府への反対活動の後、逮捕されたマンデラ氏は、1990年に釈放されるまで、27年間の監獄生活。時々、「テレビで見た記憶に残るニューストップ10」などが、紹介される事がありますが、マンデラが監獄から釈放されて自由の一歩を踏み込んだ場面(上の写真)は、常時トップ10入りを果たしていました。釈放後、F.W.デクラークの白人政府との和解の話し合いの際に、ネルソン・マンデラは、自分が投獄されてひどい目にあったから、どーの、こーの、という事は一切合切、口に出さなかったと言います。過去のうらみつらみは全て捨てて、現在と将来、どうするのが南アのためにいいか、のみに焦点を置いて。黒人に初めて選挙権が与えられ、投票をするためにながーい列ができた・・・あんな風景も、すでに投票権があるのが当たり前の昨今の先進国社会には、見られないものでした。大統領となった後も、白人に対する報復手段は一切とらないよう、国民にも呼びかけ。 一般市民の間での反アパルトヘイト運動が広がり、ネルソン・マンデラの釈放を要

ブルー・カーバンクルの冒険

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コナン・ドイル作シャーロック・ホームズの物語は、ロンドンの街がミステリアスな闇に包まれる事が多くなるこの季節に読むにはぴったりです。短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の中に含まれる「The Adventure of the Blue Carbuncle ブルー・カーバンクルの冒険」(邦題は、青い紅玉、青いガーネット、など)は、クリスマスの話で、季節柄、特にタイムリーな読み物です。昔のクリスマスの風習がわかり、青い宝石、ブルー・カーバンクルをめぐるミステリーはもちろん、社会風俗が楽しめる要素が多い話でした。 あらすじは、 クリスマスの明け方、ホームズの知り合いのピーターソンは、ちょいと一杯引っ掛けた帰り、トッテナム・コート・ロード周辺の路地で、クリスマス用のグース(がちょう)を手にした男性が、何人かのちんぴらにからまれているのを目撃。男性は、護身のために、持っていた杖を振り上げたが、それで、通りの窓ガラスを割ってしまう。ピーターソンが、男性を助けようと、駆けつけると、チンピラたちは、もとより、窓ガラスを割った事を恐れた男性も、瞬く間に逃げてしまう。がちょうと被っていた帽子を落として。ヘンリー・ベーカーの名札がぶら下がるがちょうと、帽子を拾ったピーターソンは、それを、シャーロック・ホームズのもとへ持っていく。ホームズは、帽子だけをひきとり、ピーターソンにがちょうをクリスマス・ディナー用に持っていって食すよう薦める。 翌朝、ホームズのもとを訪れたワトソン。そこへ、ピーターソンが、料理したがちょうの体内から出てきた、青い宝石を持って、再びホームズの元へ。それは、クリスマスの前に、ホテル・コスモポリタン内で盗難に合い、発見者には1000ポンドの礼金を出すと報道されている、高価な宝石ブルー・カーバンクルだった。ホームズは、あらゆる新聞に、「クリスマスの朝、がちょうと帽子を落としたヘンリー・ベーカー氏、ベーカー街221bまで」との広告を出す。広告に答えて現れたベーカー氏に、ホームズは、帽子と、がちょうは食べてしまったとして、別のがちょうを用意して渡す。別のがちょうに満足そうなベーカー氏は、当然、ブルー・カーバンクル事件にまったく関わりが無いと見たホームズは、がちょうをどこで手に入れたのかを聞き出し、大英博物館付近のパブから入手したものと知る。 ホームズとワ

大災難P.T.A.

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其々の国、その国独特の、家族で過ごす事を一般的とする休日があります。そしてまた、そうした休日の直前は、国中の人々が故郷や家へ帰るため、民族大移動のような状況になる事も往々。日本ではお盆、正月がそれでしょうか。欧米はクリスマス前が、一番、頭に浮かぶところ。アメリカでは、クリスマス前の11月第4木曜日のサンクスギビング(感謝祭)の祝日にも、家族と共に過ごすため、仕事の後、長い旅路につく人たちも多いようです。翌日の金曜日は、国民の祝日では無いものの、連休として休みを取る人が多いため、年内の平日で、米国金融市場が一番静かな日と言われます。逆に、クリスマスショッピングに繰り出す人が多く、アメリカでは、一般的にクリスマス商戦の始まりの日。ブラック・フライデーと呼ばれて、このブラックは、店の帳簿が黒字になる事から来ていると言います。 (感謝祭の歴史に関しては、過去の記事をご参照ください。 こちら 。) 「プレーンズ・トレインズ・アンド・オートモービールズ」(Planes, Trains and Automobiles、邦題は、大災難P.T.A.)は、サンクスギビングのホリデーにむけて、妻子の待つシカゴの家へ必至でたどり着こうとする広告会社に勤めるニール(スティーブ・マーティン)の物語でした。何回か見ている映画ですが、その度に、ギャハハと笑って、最後は、ほのぼの、ほろり。 サンクスギビングの2日前の夕方、ニューヨークからシカゴへたどり着こうとするニールの災は、まずは、空港までのタクシー争奪戦から始まります。苦労してたどり着いた挙句、飛行機が遅れ、更には悪天候のため、飛行機がシカゴに着陸できず、代わりに、はるばるカンザス州ウィチタに着陸。ウィチタで足止めを食ったその夜、ニールは、ニューヨークの空港で知り合ったシャワーカーテンの輪っかを売るセールスマン、デル(ジョン・キャンディ)と、ぼろモーテルで部屋をシェアする羽目になり、2人の珍道中が展開される事となります。 まずは、凍える天気の中、トラックの荷台に乗って最寄の駅へ、やっと電車に乗り込んで、これで大丈夫と思いきや、電車がだだっ広い何もない景色の中で故障。長距離バスの停車場まで歩き、そこから更にミズーリ州セント・ルイスまでバス旅行。そして、セント・ルイスからレンタ・カー。ところが、デルは、運転中、ひょんな事から、反

トースト

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スライスしたパンの両面をこんがり焼いてバターを塗り、サクッと一口・・・簡単なのに、ああ、美味しい。トースト(toast)という代物は、イギリスが誕生の地だそうです。その歴史は、「トスト」(tost)と称された中世の頃にまで遡ります。肉汁やスープなどをきれいにすくい取って食べるためのパン切れ(sop、ソップ)が、液体によって、すぐにぐにゃっと解体しないように、前もって、火にあぶって焼く事が多かったのだそうです。 現在のように、スライスしたトーストにバターを塗って食べるのが人気となるのは、17世紀後半になってからということ。そして、ホットドリンクとしては先にイギリスに入ってきた コーヒー人気 を押しのけて、後からイギリスに入り込んだ紅茶が、イギリス国民の飲み物としてのステータスを獲得すると同時に、イギリス人の朝食は、バターを塗ったトーストと紅茶、というのが定番となっていきます。このパンの両面を、火の前にかざして焼く、という習慣は、大陸ヨーロッパには無かったという事で、イギリスを訪れた大陸からの旅行者達が、イギリス人が朝食に好んで食べるトーストというものを、風変わりな習慣として綴った手記などが残っているようです。 イギリスは、食べ物のまずい国、というのがお定まりの語り草となっていますが、パンは美味しいのです。逆に、日本に帰ると、あの漂白されすぎたような輝く白さの、口の中にべたっと張り付く、ねちっとした食パンのまずさにびっくりする事があります。学校の給食で、いつも2枚半出されていた食パンを、毎日のように残していたのは、私のせいではなかった、まずい代物だったのだ!と思うのです。「全部食べなさい」と先生に言われ、どうしても食べきれず、追い詰められた私は、食べるフリをしながら、机の中にパンを突っ込み、後で、こそこそと、ティッシュに包み、カーディガンの下に隠し、トイレに持って行って流していた・・・今だから言える、というやつです。しかも、2枚半のパンについてくるのは、銀色の紙に包まれた、それは小さなマーガリン一個のみでした。マーガリンの包み紙にはいつも、豆知識のような文が書かれたのですが、「サルのお尻が赤いのは、血の色が透けて見えるから」と書かれた包み紙ばかりが、やけに多かった気がします。ですから、今でも、マーガリンと聞くと「サルのお尻が赤いのは・・・」と頭を横切る次第。

ロンドンプレインツリー

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この写真の、テムズ川沿いに並ぶ木々は、ロンドンプレインツリー(London Plane Tree、日本語名はモミジバスズカケノキ、ラテン語学名 Platanus x acerifoliaまたは、 Platanus x hispanica )。ロンドンプレインツリーは、ラテン語学名の属名「Platanus」からもわかるよう、プラタナスと称される木の一種で、ロンドン内の街路樹として一番良く目にする木です。写真も、プラタナスの並木道・・・というわけです。ちょいとロマンをそそる言葉ですね、プラタナスの並木道というのは。 ロンドンプレインは、東と西が遭遇したことによるあいの子ちゃんのプラタナス。地中海東部が原産のオリエンタル・プレイン(スズカケノキ、学名Platanus orientalis)と、北米産のアメリカン・シカモー(アメリカスズカケノキ、学名Platanus occidentalis)が、ヨーロッパのどこかで合体し生まれた種です。其々の学名の後ろの部分、「orientalis」と「occidentalis」は、「東」と「西」を意味し、要は、「東のプラタナス」と「西のプラタナス」がロンドンプレインツリーの両親。 アメリカ原産の「西のプラタナス」を17世紀前半にイギリスへ初めて導入したのは、著名庭師親子であったジョン・トラデスカント・ヤンガー(息子の方)です。お父さんのジョン・トラデスカント・エルダーは、 ハットフィールド・ハウス の庭師として名が知れた人物。ジョン・トラデスカント・ヤンガーは、プロの庭師としては初めて北米の新植民地(ヴァージニア植民地)へ足を踏み入れた人であり、そこから、アメリカスズカケノキをヨーロッパに持って帰ったわけです。 トラデスカントによる、北米種導入時には、すでにイギリス内に「東のプラタナス」は存在しており、1700年までには、この2種のあいの子であるロンドンプレインツリーが誕生しています。初の混合種が、いったい、どこで生まれたのかは、いまだ定かではないようで、ロンドンプレインの学名のひとつ、「 Platanus x hispanica スペインのプラタナス」が示すように、スペインで誕生したという説があるかと思うと、イギリスで生まれたと思っている人も多いようです。ロンドンプレインのもうひとつの学名 「Platanus x ac

O2アリーナのワールドツアー・ファイナル再び

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現在、ロンドンのO2アリーナで開催されている、男子テニス・ワールド・トップ8が競う、ATPワールドツアー・ファイナルをはじめて見に行ったのは、すでに4年前の話になります。時がたつのは早いもの・・・。クリスマスが近づき、日が毎日のように短くなっていく、この時期のロンドンの恒例行事のようなものとなっている感がありますが、ATPワールドツアー・ファイナルが、確実にロンドンにとどまるのは、あと1、2年とやらで、いずれは、どこか別の地に移る事となります。去年は、行きそびれてしまったので、今年は、前もって席を予約。昨日、繰り出してきました。 テニスのトーナメントのチケット前予約は、どの選手がその日にプレーすることになるかわからないから、良い取り組みを見れるかどうかは運まかせ。誰がプレーするかわかるまで、買うのを待つという手もありますが、それはそれで、席が取れない可能性もあり。 今回、運よく、ワールドナンバー1に返り咲いたナダル対、勢いのついてきているスイスのナンバー2、スタニスラス・バブリンカ(ワウリンカ)の試合に当たりました。そのうち、フェデラーを抜いて、スイス、ナンバー1となる日も来るやもしれません。 シングルスの始まる前のダブルスの試合も、スペインのフェルナンド・ベルダスコとチェコのラデク・ステパネクが出場する試合を見ることができ、ダブルラッキー。 ナダルはいつ見てもエキサイティングで、がっかりする事はないし、うちのだんなは、バブリンカのスパーンと切れ味のいい、片手打ちバックハンド・ストロークが大好きで、想像の世界の中では、自分のバックハンドは、バブリンカの様だと信じているため、特に、大喜び。前日の夜、組み合わせが発表になった時、二人で、「カリンカ」のメロディーに合わせ、 バーブリンカ、バブリンカ、バブリンカカヤー バーブリンカ、バブリンカ、バブリンカカヤー と羽目をはずして歌いました。 以前から、バブリンカという名がカリンカのようだと、私は、彼をテレビで見るたびにメロディーを口ずさんでいたのですが、皆、考えることは同じで、当ツアーの初日の対戦で彼が登場した際に、スイスのファンが、同じように合唱しているのを聞きました。あはは。 2009年に、 O2アリーナでナダルとロビン・ソダーリング戦を見た時 は、ナダルがソダーリングにフレンチオ

嵐のあと

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1987年10月15日。当時のBBCのお天気おじさん、マイケル・フィッシュが午後1時のテレビ天気予報に登場。「ハリケーンが来るっていうが、本当か、と先ほどBBCに電話をかけた女性がいましたが、もし見ていたら、心配しないように。ハリケーンは来ませんから。強風とはなりますが、その経路は主にスペイン方面です。」 この夜、イギリスにやってきたのが、1987年のグレート・ストームと呼ばれる大嵐。死者18人、風速は115マイルまで達し、木々はなぎ倒され、イギリス各地は大被害。嵐の後、各メディアは、気象庁が、的確な警報を出さなかったと非難をはじめ、哀れ、マイケル・フィッシュ氏は、グレート・ストームを予測できなかったお天気おじさんとして、イギリスの社会史に名を残す事となります。彼が「心配しないで・・・(ドント・ウォーリー)」と呼びかける、天気予報のビデオは、その後も、事あるごとに、何度も何度も流されることとなり、なんと去年のロンドン・オリンピックのオープニング・セレモニーでも、このビデオが登場していました。 そんな苦い経験もあってか、昨日は、かなり早くから、「日曜の夜と月曜の朝にかけて、25年ぶりの大嵐となる恐れがあります」と報道が繰り返され、運転を控える鉄道路線も多かったのです。朝起きてみると、風は嵐という感じとは程遠く、経路はずれたかな、と、ラジオのスイッチを入れました。「こんな大した事のない強風に、大騒ぎするなんて」という批判のメールやらテキストやらがBBCのスタジオへ多く送られてきているとアナウンサーが言っているのを聞き、「嵐が来ないから大丈夫」というと非難ごうごう、「嵐がくるぞー」と言ったら非難ごうごう、気象庁も気の毒に・・・と紅茶をすすりながらボーっと思っているうちに、7時を回り、「え、なんだか、風が強くなってきたぞ・・・」そして、その後約2時間、しばらくぶりに見る強い嵐が吹き抜けていったのです。2階の窓から、隣の家の塀が倒れるのを見、庭の木が、地面と平行になる感じでなびくのを見。 嵐がいくらか静まった9時に、空は快晴。ちょっと外がどんな様子か見て来ようと、出かけてみる事に。とにかくなぎ倒された木が多かったのには、びっくりしました。あんな短い時間で。 上の写真の木は、本当に根こそぎ、という感じで、最近雨が多く地面が湿っていたのも手伝ってか、脇に埋

ハトのクーちゃん

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2週間前、家の前で雨樋の修理をしていただんなが、「おーい!おーい!」と呼ぶのです。何かと思って家の前を覗くと、前庭に面した道路に、ハトが一羽うずくまり、だんなは、脱いだ靴を片手にかざして、向かいの家の前で、そのハトをじっと見ている三毛猫を脅かしていました。「あの猫に襲い掛かられて動けない鳩がいるから、何か、鳩を入れられる箱持ってきて。」私が、そそくさと箱を渡すと、だんなは、ちじこまるハトを箱に移して、お遊び用の獲物を逃した猫を尻目に、うちの裏庭に移動。 花壇の片隅に、箱から出して鳩を置くと、そのままじとっと、羽を膨らませうずくまっている・・・。だんなは、庭の小鳥用の餌を、常時10キロくらい蓄え持っている隣の家に行って、餌を少し分けてもらい、それを鳩の顔の前に置くと、しばらくじっとそれを眺めていたもののやがて立ち上がって、むしゃむしゃむしゃ。 見た目から、まだ雛に毛が生えたくらいの若いハトでしょう。血も出ておらず、あからさまな外傷は無いものの、飛ぶ様子は一切見せず、歩き出しても、のろのろ。片足を少しかまれたのか、ひょこひょこ引きずっている・・・まだ良く飛べないうちに巣から転がり落ちて、猫に押さえつけられたのかな。これだけ食欲があれば、面倒見れば生き延びるかも;と、大き目の浅いダンボール箱にハトを移し、トマトの苗を引き抜いて整理したばかりのグリーンハウス(温室)を、臨時のハト・ホテルとすることにしました。お泊り、おひとり様ー! このハトは、Collared Dove(コラード・ダヴ、シラコバト)。英語の直訳は、「首輪バト」とでも言うのか、首の周りに黒い首輪か襟のような線が入っているのが特徴です。「クークーククー、クークーククー」とい う、のどかな鳴き声でもおなじみ。イギリスの生き物辞典によると、シラコバトは、1930年代までは、ヨーロッパではバルカン半島辺りにしか生息していなかったものを、その後、大変な勢いで生息地域が増え、1950年代に、イギリスでも見られるようになり、今では、イギリス国内で沢山見られる鳥です。 うちの庭に来る、いわゆる「ハト」は、このシラコバトのほかに、Wood Pigeon(ウッド・ピジョン、モリバト)がいます。上の写真がそれ。こちらは、シラコバトより、ずっと大型で、イギリスで一番大きいハト。身体も見るからに重そう。飛び