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尼僧物語

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ベルギーとコンゴを舞台に、オードリー・ヘプバーンが、良い修道女になろうと必死に試みる「The Nun's Story」(尼僧物語)。オードリー映画の中では、比較的知名度の低いものですが、僧院の生活ぶりと、時代背景が面白い映画でした。 ガブリエル(オードリー・ヘプバーン)は修道女になるためベルギーの修道院へ入ります。有名な医師である父親の影響もあり、修道女としてベルギー領コンゴに派遣され、そこで看護の手伝いをするのが彼女の夢。 映画の最初は、修道院に入ってから、正式に修道女となるまでの儀式等が、比較的スローテンポで描かれています。修道女は、キリストの花嫁、という事なので、全員ウェディングドレスの様な衣装を着ての儀式など、ふーん、こんなものなのか、と。変なキリスト教のカルトの教祖などが、自分はキリストの再来だなどと称して、カルトのメンバーの女性全員に、自分との結婚をせまったりする話を、時に聞いたりしますが、そんなのは、キリスト教のこういう一面を利用しているのでしょう。 シスター・ルークとなったガブリエル、コンゴ派遣にむけての第一歩に、熱帯病の勉強をする施設に送られ、優等生で試験をパスするものの、まだ、プライドと自我が強すぎ、謙虚さと従順性に欠けるとし、更なる修行のため、コンゴ行きは延ばされ、精神病院にて、しばらく看護する事となります。 辛抱の結果、やがて念願のコンゴに送られるが、原住の黒人のための病院で働きたかったのが、白人専用の病院で働く事となり、少々がっかりする彼女。当時は、まだ、白人と黒人の病院別だったのですよね。南アのアパルトヘイトほどではないにせよ。 白人病院で、名医ではあるものの、無神論者であるフォルテュナティ医師(ピーター・フィンチ)のもとでアシスタントをするうちに、2人は何とはなしに、お互いに惹かれていく。医師は、「自分は、何人もここで修道女を見てきたが、君は、修道女に向かない、修道院の型にはまる事ができないタイプだ」の様な事を、何回か彼女に言う。確かに、看病している最中に、祈りの時間だ、やれなんだ、と戒律に従うため、大切な事も中断しなければならない事、また、緊急時に、一々上の修道女の了解を得ないと、独断での処置ができない事など、彼女の中でも、「これは、本当に神が望んでいることなのか?」と疑問が押し殺しきれない。修道

ブーディカ

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ロンドン、ウェストミンスター橋の北岸の袂、ビック・ベンと国会議事堂をむいて立つ、ヴィクトリア朝に造られたこの像は、ブーディカ(Boudica)。2人の娘を乗せたチャリオットで、ローマ帝国への復讐を胸に突き進む、ケルト人のイケニ族(Iceni、イギリス人は、アイシニと発音する人が多いようです)の女王。 イケニ族は、紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけて、イーストアングリア地方(主に現ノーフォーク州およびサフォーク州北部周辺)を支配した民族です。塩の生産や流通で、比較的裕福な領土。ローマ侵略後は、形上はローマ下にあるものの、民族の長は、王として土地の統治を続け、従属国として、ローマ支配層とは友好な関係であったと言います。 ブーディカの夫プラスタグスも、親ローマだったそうです。プラスタグスが、60年(ローマ皇帝はネロの時代)に死亡した際、彼は、領土の半分をローマへ残し、半分を2人の娘に残したのですが、ローマ帝国側は、イケニの土地をのっとり、まだ、11か12歳であったブーディカの娘2人を強姦、ブーディカは鞭打ちの屈辱を見る事となります。友好的な従属国の長に対し、こういった酷い事をするのは、かなりのタブーであったといいます。 怒ったブーディカは、ローマの支配に反旗を翻し、数多くの部族民を率い、まずは、現イーストアングリア地方のエセックス州にあるコルチェスター、そしてロンドン、 セント・オルバンズ を次々、襲撃し、焼き落とし、大被害を与えます。この3都市は比較的、ローマ軍の防衛が手薄で、ブーディカの軍は、大きな抵抗にもあわず、女子供老人まで虐殺したということ。 3都市を焼き落とした後、ついに、正規のローマ軍と戦いとなりますが、規律正しく効率的なローマ軍により、敗北。ブーディカも、この戦いの際に死んだとされます。この最終の戦地は、どこだかはっきりわかっていないようです。これは、ローマ側が、この最終戦の地が、イケニ族への同情を持ち、反ローマ的傾向のある人間の間での巡礼地となってしまうのを避けるため、わざと伏せてあったという説もあります。 最後の戦地の場所のみでなく、コルチェスターとロンドン、そしてセント・オルバンズに、焼き落とされた建物の跡や、被害を受けた形跡がある事を除けば、ブーディカに関しては、考古学的証拠が非常に薄く、実在しなかった可能性もあるとか。ローマに

ささやかな喜び

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だんなが白血病だと診断され、約1年が経とうとしています。 1ヵ月半前に再発してから、1回目のキモセラピー(化学療法)を終え、1週間、家で休養の予定だったのが、今回は骨髄の回復が遅く、酸素を運んでくれるヘモグロビンなどの数値がなかなか上がらなかったため、2週間の長めの休養となりました。昨日、2回目のキモセラピーの治療開始のため、再び入院。 今回は、骨髄の回復に時間がかかったのみでなく、残念ながらレミッション(寛解)が達成できず、白血病細胞が残ってしまったため、過去2,3日、日常生活に支障が出るほどではないものの、風邪の初期のような症状でした。見た目は相変わらず健康優良児なので、お医者さんにも「あんた、見かけはすごく健康なんだけどね。」などと言われ。骨髄移植を行う予定ではあるものの、その前に、願わくば、寛解を達成するため、2回のみの予定だったキモセラピーを3回に増やす事となり、かなりきつい薬を投与する事となってしまいました。その間、熱や感染の危険がぐっと高くなってしまうようです。 休養中も、激しい運動はぜいぜいしてしまうようなので、ちょっとの体力作りは、良い空気を吸いながらの散歩くらい。見慣れたこんな風景の中を歩くのも、彼には、2回目のキモセラピー後の一時休養で、再び家に戻るまで、しばらくはおあずけです。 入院も長くなると、やはりちょっとした事が嬉しかったりするようです。何はともあれ、自分の家で生活できる、自分のマグカップから、自分で入れた紅茶を飲める、自分の居間で私と一緒に7時のニュースが見れる、「こんな不味い物を作る事が可能なんて!」とびっくりするほど不味いというイギリスの病院食から離れ、好きな物をたらふく食べられる、朝早く起きてまだちょっとひんやりする中、朝露の芝を踏んで庭に出る、自転車に乗って近くの店からミルクを買ってくる・・・そんな事でも嬉しいのです。日本だったら、角の美味いラーメン屋で、久しぶりのミソラーメンと餃子を食べられるのがたまらなく嬉しい、なんていうのもありでしょう。 「死ぬ前に絶対行きたい世界の名所100」とか「死ぬ前に絶対やるべき事100」なんていうようなタイトルの本を書店で見かけたりもします。エキゾチックな場所、エキサイティングな事が色々書かれてあるのでしょう。だんなの自宅休養中に、世界地図を広げて一緒に眺めたりも

汚れなき瞳

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イングランド北西のランカシャー州(Lancashire)にある農家が舞台のこの映画は、アンドリュー・ロイド・ウェバーの同名ミュージカル「Whistle Down the Wind」の基になったものだそうです。原題は、「風にのる口笛」とでも訳せばよいのでしょうか。邦題は「汚れなき瞳」となっています。 殺人を犯し逃亡中の男(アラン・ベイツ)は、3人の子持ちのやもめ男性が営む、大きな丘のふもとの農場の納屋に身を隠す。やがて、農家の子供たちは、納屋でこの男を発見し、ひょんな理由から、彼を、この世に再来したイエス・キリストだと思い込んでしまう。長女キャシー(ヘイリー・ミルズ)の持つイエスの絵は、彼にそっくり。 傷を負って疲れ果てている、この現代のイエス(英語読みはジーザス、Jesus)に、子供たちは、食べ物、飲み物を持ち込み、与え、また、大人たちに知らせると、前の時のように、イエスは捕らえられ、どこかへ連れて行かれてしまうと心配し、密かに納屋にかくまい続けるのです。そのうちに、イエスが納屋にいるという噂が村の子供達の間に漏れてしまい、幾人もの子供達が、一目イエスを見ようと押しかける。それでも、何とか、しばらくの間は、子供の間だけの秘密とする事ができるのですが。 キャシーは、食べ物の他にも、イエスに欲しい物は無いか聞き、調達しようとします。「煙草が欲しい。」と言われ、「あなたが、煙草を吸うなんて知らなかった。」というやり取りが愉快でした。 やがては、大きなケーキをイエスのために持っていこうとした次女が思わず口を滑らせ、納屋に殺人犯がいると知った父親は警察を呼ぶ。警察がくる前に、納屋の壁の外から、涙ぐみながら「またいつか会うことができる?約束してくれる?約束してくれる?」と、内部に立てこもる現代のイエスに聞くキャシーの姿がいじらしいのです。 警察が来ると、男は、抵抗せずに納屋から出ます。警官に凶器を持っていないか調べられる際に、彼は、ぱっと両手を横に広げ、十字架にかかったようなポーズを取る。キャシーは、その姿に、はっと息をのむのです。そして、子供達の見守る中、連行されてしまう。この後、彼がどうなったかはわかりませんが、当時の殺人罪は、ほとんどの場合が、死刑・・・でしょうか。 当映画の原作は、キャシー役のヘイリー・ミルズの母、メアリー・ヘイリー・ベルによる1

キンギョとドラゴン

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キンギョソウ・・・英語の一般名称はスナップドラゴン(Snapdragon)、正式名はアンティライナム(Antirrhinum majus)。夏、近所を歩いていて、道端のアスファルトの隙間などからもにょきにょき生えているものを見かけもし、前庭には、雑草の様に、毎年、幾本か勝手に生えてきたりもし。比較的丈夫な植物なのでしょう。 色は、多々ありますが、私が一番好きなのは、日本の名称のキンギョソウを一番地で行く感じのオレンジがかった赤、これに花の中心部がかすかに黄色がかっているものです。これが風に揺れると、なるほど、空中を泳ぐキンギョ。前庭に生えてくるものは、いつも黄色ばかりなので、去年、このタイプのものを、ガーデンセンターで3株買ったのですが、それから種を取って、今年は大量生産して花壇いっぱいに植えました。キンギョソウも、ものによっては、背が高いタイプもありますが、うちのは、比較的背丈の低いものです。 深い紅色の少々丈の高いものも去年取った種からいくつか伸びてきました。蜂たちが、近所の別タイプのキンギョソウの花粉をうちのものに受粉させた結果でしょうか。お父さん似となったわけです。 さて、英語一般名称のスナップドラゴン。スナップ(snap)には、「ぱくっと噛み付く、パタンと鳴る、パタンと閉まる(開く)」などなどの意味があります。 花を手に取り、花の下のところを指できゅっと押すと、 こうして、花がぱかっと口を開けるのです。獅子舞の獅子が、口をぱかぱか開けたり閉めたりするような感じで。 それにしても、キンギョとドラゴン、国によって随分とイメージが違うものです。 花の中心の蜜のある部分に接近するのに、蜂たちは、こうしてドラゴンの口の中に、もぞもぞと潜り込む必要がありますが、その様子を眺めるのが、また楽しい。 花が終わった茎をまめに摘み取り続けていますので、まだ、当分の間は咲いていてくれそうです。

馬糞売ります

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田舎で、馬糞(horse manure)をこうしてバッグに分け入れて売られている光景に時折遭遇します。お金は、そばに置いてあるお皿か、貯金箱の様なものに落としていけばいいのです。先日見たものは、1バックにつき20ペンスで売っていました。 馬糞なんて無料でその辺にころがっているものなのだし、農家や馬場の所有者も、ありすぎる場合は処分に困る時もあるでしょうから、「無料でいいです。持っていって下さい。」くらいの気前のよさがあってもいいのではないかという気がしますが。まあ、20ペンスくらいなら、バッグに振り分けた手数料くらいの感覚ではあります。 この馬糞の落とし主は、すぐ近くで、もぐもぐ落ち葉の食事をしていたこの方でしょう。きれいなキャラメル色の馬です。 馬が一年に落とすうんこの量は、結構なものがあるようです。この馬も、私がそばを通る間、脇目もふらず一心に食べていましたから。それを花壇や野菜畑の肥料に使わない手は無いわけです。家畜の糞は、「黒い金」(black gold)と称される、土地を豊かにする良質の肥料と成りえます。特に、化学肥料を使わず、オーガニック・ガーデンに励みたい人には、強い味方。 したてほやほやの牛や馬の家畜の糞を、そのまま花壇に撒いたりすると、その強烈パワーで、植物にダメージが出るので、こういう馬糞を入手したら、しばらくの間は、積み上げて完全に腐らせる必要があると言います。くさい臭いが一切無くなり、土っぽい臭いに化し、色は、「限りなく黒に近い茶色」となるまで。その期間は季節と暑さによって異なりますが、6ヶ月はじっと我慢の子。積み上げた量が多いほど、内部が暑くなって、腐敗する速度も速くなるそうです。また、馬場などからの馬糞で、木屑や敷きわらが糞の間に混じってしまっている場合は、黒い金に変身するまで、更に長い時間がかかると。 周辺の畑の小麦の収穫も、今は、ほとんど終わっている様子です。今年は初夏の雨不足の影響で、水分保有量の高い重い土の土地での収穫は、まあまあだったものの、水はけの良い軽い土地での収穫は、芳しくなかったという話です。収穫の済んだ畑に点在する巻きわらの数が、例年より少ない気がしたのも、そのせいでしょうか。 こんなわらも、冬の間の家畜のご飯となり、それが、糞として落とされ、それを肥料に使ったどこか誰かの花壇で、や

ブードゥー・ナイフ・ブロック

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先日、泊まりに行った友人宅のキッチンにおいてあったこの代物・・・人型のナイフ(包丁)スタンド。面白くて、気に入ってしまい、写真まで取っていると、「ブードゥー・ナイフ・ブロック」(Voodoo Knife Block)というのだと教えてもらいました。ご主人が前の職場をやめる時に、お別れのプレゼントとして同僚達からもらったのだそうです。職場で憎まれていたわけではないと思うんですけどね。 うちのキッチンは、日本の家のお台所も真っ青になるほど小さいので、わりと場所を取るこのナイフ・スタンドは、あっても置く場所がないのですが、いつの日か、大き目の家にでも引っ越す事があったら、これ、欲しいです。アマゾンUKなどからも入手可能ですし。どうやら、イタリアの商業デザイナーによるデザインのようです。 アマゾンでこの商品を探していたら、下の様なナイフ・スタンドもありました。こちらも、笑えます。 サーカスでやるような、人をターゲットにくくりつけたナイフ投げ風ナイフたて。 横から見た写真も愉快。円形板の部分は、本物のサーカスのナイフ投げよろしく、ぐるぐる回転させることができるようです。 こういう商業デザインでも、ひとつ当たって、人気になると、わりとお金になる事でしょう。発想から、実際の商品への製作の過程も楽しいでしょうし。創造性のある人だったら、下手にアーティストなどになるより、商業デザイナーの方が、見て面白く、かつ実用性のあるものが作れ、しかも、自分の作ったものが、多くの家庭で使われるのを見れて、やりがいあるのでは、などと思ったりもしました。

ステーキ・アンド・エール・パイ

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写真は、初夏に、近くの村のパブで食べたステーキ・アンド・エール・パイ(Steak & Ale Pie)。これが、なかなか美味しかったのです。エールでビーフをぐつぐつ煮込んで、仕上げにパイ生地をかぶせたもの。 エールは大麦麦芽を酵母を使用し常温発酵させたピールで、以前は、おやじの飲み物、のイメージだったのですが、最近ルネサンスを見て、料理以外でも、飲み物として、若者にも人気となってきているようです。 パイをさくさくっと切ってあけると、 中はこんな感じです。 レシピをインターネットで見つけたので、作ってみることにしました。 *材料(4人分) オリーブオイル 1/2テーブルスプーン 煮物用ビーフ・ステーキ 1キロ(脂身を取り除き、小さめに切る) ガーリック2かけ(つぶす) ニンジン 1本(角切り) 玉ねぎ 大1個(みじん切り) 強めのエール 500ml 固形ブイヨン(ビーフ)4個 固形ブイヨン(野菜) 1個 チリパウダー 1/2テーブルスブーン タイム すでに用意して冷蔵してあるパイ生地300g つやだし用溶き卵 1つ コショウと塩 少々 *作り方 玉ねぎとにんにくを1分間フライパンでいためる。 ビーフを加え、ピンク色がなくなるまでいためる。 エールを半分加え、約1分煮、残りのエールをタイムとチリパウダーとコショウと塩と共に加える。 固形ブイヨンを砕きながら入れ(ブイヨンの量は、好みにより加減)、ニンジンを加える。 10分ほど煮た後、カセロールなべに移し、オブンへ入れ、ガスマーク3,4(180~200度)で最低1時間半は煮る。(煮汁が肉を覆いきっていない場合は、水を少々加える。) 料理を出す20分ほど前に、パイ生地を、パイ・ディッシュの大きさにひきのばす。オブンから、カセロールなべを取り出し、中身を、それぞれ、4つの個別のパイ・ディッシュへ分け、移す。パイ・ディッシュの上をひきのばしたペストリーで覆い、それぞれ、オブンへ戻し、約200度で20分ほど加熱。個別の器に移さず、カセロールなべを、そのまま大きくひきのばしたパイ生地で覆い、大型のパイを作っても可。 オブンから取り出す。内部がかなり熱いので、しばらく冷ます。出来上がり! 当レシピの載ったサイトは、

メイソン・キャッシュのミキシング・ボール

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ネクタリンが安かったので山ほど買い込みました。果物入れとして、居間に置いて使っているメイソン・キャッシュ(Mason Cash)のミキシング・ボールに、どんと積み上げ、見ていても綺麗です。 メイソン・キャッシュは、19世紀初頭に、ダービシャー州のチャーチ・グレスレイ(Church Gresley)に設立された、陶磁器、主にキッチンウェアの老舗。特に、この、薄い黄土色をし、独特のパターンのついたミキシング・ボール(mixisng bowl)で有名なブランドです。色は、もともとは、地元の土の自然色だったということ。用途はケーキやプディングの材料を混ぜるためのボールですが、私は、ここのところ、ずっと、こうやってフルーツ・ボール代わりに使っています。 うちのミキシング・ボールは、義理の両親宅からそのまま受け継いだものです。ボールの底には、Mason Cash, Made in England, Church Gresley の文字が刻まれていますので、この頃は、まだ、チャーチ・グレスレイで作られていたわけです。だんなは、子供の時に、お母さんが、これを使ってケーキの材料を混ぜ、それを型に入れた後、ボールを洗う前に手渡してもらって、抱えこみながら、ボールにまだ残ってこびりついた材料を指でこそげとって食べるのが好きだったという事を時々、なつかしそうに喋っています。 現在でも、全く同じ形とパターンの物が販売されていますが、何せ、長い事、形が変わらず作られてきたものですので、時代設定が古い映画などにも、キッチンの場面で、時々登場します。例えば、1900年のイギリスが舞台の映画 「The Go-Between」 (恋)でも、召使達が働く台所の場面に出てきたのを覚えています。しかも、この映画では、主人公の男の子レオが、キッチンに入り、召使の一人から、ミキシング・ボールを渡されて、中の材料の残りを、木べらで、すくって食べるという、うちのだんながやっていた事と同じような事をしているので、非常に記憶に残っているのです。 また、昔の台所を再現した博物館などでも、見かけたりします。上の写真の左の机の上にのっているのも、このメイソン・キャッシュのボールです。 メイソン・キャッシュの物で、やはり長い間、形を変えずに使われ続けているものに、上のプディング型(pudding

燃えるロンドンとイギリスのアンダークラス

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8月4日木曜日に、ロンドン北東のトットナムにて黒人青年が警察によって射殺される。8月6日土曜日に、この事件に関して、青年の遺族達がトットナムで平和的プロテストを行う・・・これが、今回3夜に渡って続いたロンドンでの暴動の名目上の理由です。この平和的なプロテストに、暇で、やる事も無く、何かエクサイティングな事を求めていた地元及び周辺の、いわゆるアンダークラスの若者たちが加わり、目抜き通りの店を破壊し、内部の物を盗む、車や建物に火をつける、の破壊行動を初め、暴動と化し。何でも、この乱痴気騒ぎの中には、10歳くらいの子供や、女性も混じっていたというのですから、たじたじです。 暴動は、3夜に渡り、ロンドン各地に飛び火し、ハックニー、エンフィールド、クロイドン、クラッパム、そして、日本人派遣社員家庭なども多く住むイーリングにまでも広がります。暴徒は、ブラックベリーのメッセージの交換で、次にどこを襲撃するかを決めたりなどしたようです。やがては、バーミンガム、ブリストル、リーズ、ノッティンガム等の地方都市でもコピーキャット(まねっこの)暴動が起こり、4夜目にあたる昨夜は、ロンドンはとりあえず静かになったものの、マンチェスター、リバプール等で問題が起こっていました。 上の地図は、BBCの ニュース記事より 拝借。 上の写真は、クロイドンの創業1860年代の、家族5世代に引き継がれてきたという家具屋。第一次世界大戦、第2次世界大戦の空襲を逃れたのに、今回、暴徒に放火され、焼け落ちてしまい。こんなのは、お金だけの問題では無い、地方のひとつの歴史の破壊行為でもあります。ライブで、この建物が焼け落ちるのを見ながら、口はあんぐり。また、エンフィールドでソニーの倉庫がごうごう燃え上がる様子も、まるで戦場。ロンドンでの暴動などは、時々起こることはありますが、これだけの規模のものは、覚えていません。(写真は、テレグラフの サイト より。) イギリスは階級社会だなどと言われます。おおまかに、アッパークラス、ミドルクラス、ワーキングクラス。そして、一番問題の、社会の底辺が、アンダークラス。このカテゴリーには、家族3世代、一切働いた事が無い家庭なども多く、教育もまともなものを受けておらず、職が無い、というより、職につける技能が一切無いのです。実際、お父さんは、刑務所で、お母さんは麻

ソイレント・グリーンに描かれた将来

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「ソイレント・グリーン」は、1973年に作られたとは思えない映画です。近未来(2022年)のニューヨークを舞台に、地球が、そして、人間社会が、どうなっているかを描いています。米のSF作家ハリー・ハリスンによる小説「Make room! Make room!」(場所をあけろ!場所をあけろ!)を元に映画化されたもの。SFと呼ぶには、あまりにも、現実味を帯びた内容です。 地球の温暖化による環境の破壊、そして、抑制されないまま急上昇してしまった世界人口により、食料と物質が不足した社会。金持ちは、警備厳戒で、快適なアパートメントで生活する傍ら、大多数の貧しい庶民は、殺伐とした町に、野良犬の様に生き、水道も食料も配給制に頼る。特に貴重なタンパク質を含む食べ物ソイレント・グリーンの配給の日は、押すな押すなの群集が集まり、ソイレント・グリーンが切れようものなら、大規模の暴動に発展する。ソイレント・グリーンは、海底プランクトンを集め製造されるという、緑色の乾燥したビスケットの様なもの。ソイレントとは、ソイ(soy 大豆)とレントル(lentil レンズマメ)からの造語ということで、確かに、健康食のイメージある言葉なのだけれど・・・・。 ある日、そのソイレント・グリーンを製造するソイレント社の重役であった人物、サイモンソンが、自宅の高級アパートで殺害される。調査を進めるは、警官のソーン(チャールトン・ヘストン)。そのうちに、サイモンソンが殺害される直前、懺悔を行った教会の牧師も殺害される。そして、ソーンは、上司から調査が打ち止めになったと知らされるのだが、何か背後に怪しいものがあると睨んだ彼は、事件の真相を追い続ける。殺害された2人は何を知っていたのか? 住まいあるものの、決して裕福とは言えぬ警官のソーンも、事件で訪れた高級アパートなどでは、石鹸やアルコール、食べ物などをちょろまかす。貧相なセロリと、リンゴ、それにビーフを、サイモンソンのアパートから取って来た日は、捜査の調査の手伝いをする相棒で同居人の老人ソル(エドワード・G.ロビンソン)と、ビーフシチューを作り、それはすばらしいご馳走にありつくように食べる。ソルは、昔、まだ美しい田舎の景色があり、新鮮な食べ物を食べられた時代を覚えており、そんなものの存在を知らないソーンに、昔をなつかしく語る。 また、面白いのが、高級アパートを借りる

クリント・イーストウッドになりたい!

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以前、うちのだんなに、「誰にでもなれるとしたら、誰になりたい?どんな顔になりたい?」と聞いたことがあります。それに対して、すかさず返った言葉は、「クリント・イーストウッドになりたい!」ジョニー・デップやブラッド・ピットの類は女性にもてるかもしれないが、それだけの感じ。一方、クリントは男の中の男で、とにかくクール(かっこいい)なのだ、そうです。 これを、先日、友人のご主人に話したところ、「それは良い趣味だ」といわんばかりにうなづいて、「He must be one of the coolest guys in the world.」(彼は、世界で一番かっこいい男の一人に違いない。) 監督としても、いくつものしっかりしたストーリー・ラインを持つ良い作品を作り、私も、近年の彼の監督もので、見たものは全て気に入っています。若いころのアクション・マン、タフ・ガイのイメージに加え、渋いインテリの香りも漂わせ。それに、あの手の顔は、年を取っても、あまり変わららず、品良く老けられる顔。 政治的には一応はリパブリカン(共和党)という事ですが、リパブリカンの一般的スタンスを全て闇雲に賛同することなく、論争点ごとに、自分の意見を持つ人の感があります。(なんて、詳しいことはわからないですけれどね。)理論も道理も関係なく、公共の物事に政府が金を使う事を、ことごとく社会主義とレッテルをはり反対する、ティーパーティーピープルとは、全く異なる感じです。 実際、映画「グラン・トリノ」では、非白人の移民に対する同情と、医療保険を持たず病院費が払えない貧しい人間の事情なども描いているし、 「チェンジリング」 のインタヴューでは、車に溢れ、排ガスだらけの現在のロスを思うと、ロスに昔あった都電を廃止してしまったのは、実に遺憾である、ような事を言っていました。硫黄島もの2本の作品では、米から見た戦争、日本から見た戦争を、こっちが善で、こっちが悪と割り切らず、両国ともに、善も悪も共存し、闘争に巻き込まれた個々人の人間ドラマとして、上手に描いていたと思います。ジョージ・ブッシュ・ジュニアの様に、アメリカは正義、相反するものは悪の権化・・・では無いのです。要するに、「考える人」なのでしょう、クリントは。 ***** だんなは、子供の頃、それは何度もテレビで「ダーティー・ハリー」(

ストーンヘンジでテスを想う

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広大な吹きさらしのソールズベリー平原(Salisbury Plain)。そんな何も無い風景の中にたたずむ遺跡がストーンヘンジ(Stonehenge)。 ソールズベリー からは北へ行く事、約13キロです。 作られたのは、幾つかの段階を経て、紀元前3000~1600年の間と言われています。太陽を崇める宗教の儀式に使われたのか、それとも天文観測に使われたのか、その目的は定かでないまま。おそらく、ずっと、謎のストーン・オブ・ミステリーとして存在し続ける事でしょう。毎年、夏至の日には、古代ケルト宗教のドルイド教の信者達が大勢ここに集い、日の出を迎えるのが恒例行事となっています。(夏至の日のストーンヘンジに関しては、以前の記事 「一年で一番長い日」 をご参照下さい。) 巨人が積み木をしたような風情で、ただ何の芸も無く積み立ててあるように見えながら、この岩の組み方など、当時使われたであろう道具などを慮ると、どうしてなかなかの技術がほどこされているそうです。 ストーンヘンジはイングリッシュ・ヘリテージによって管理運営されています。入場料現在7ポンド50ペンス。実際、入場料を払ったところで、あまり近くに寄る事はできず、少し離れたところに設置された、ストーンヘンジを取り巻くような歩道をぐるっと回って、遠巻きに見て、お終いです。 友人のご主人の話によると、子供の頃は、「触ったり、座ったりできた」とのこと。ここが、ユネスコ世界遺産となるのは、1986年。もしかしたら、以来、観光客の数がうなぎ登りになり、近くに寄らせない方針となったのかもしれませんし、または、いたずらがきするなど、ふとどきな輩がいたのやもしれません。もし、ストーンサークルの中に、何が何でも入りたければ、夏至の日に、ドルイド教の人たちに混じって行ってみる、という手もありますが・・・こちらは、毎年大変な人出で、乱痴気騒ぎになる事もあるかもしれません。 駐車場に車をとめた後、広々とした平原に陣取り、ストーンヘンジを遠く眺めながら、ソールズベリーのパン屋で買った、それは美味しいウィルトシャー・ハム・サンドイッチでお昼。 その後、けちけち観光客である私たちは、ストーンヘンジに近寄り、入場料を払わず、金網越しから鑑賞し、写真を撮る、というせこい事をしました。まあ、自分が、海を渡ってやってきた外人観光客で、おそらく

ソールズベリー

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先週末、ハンプシャー州に住む、イギリスに来てから一番付き合いの長い日本人の友人が、「気晴らしに泊まりに来たら?」と誘ってくれ、お言葉に甘え、金曜日に、だんなを病院で見舞った後、電車に飛び乗り行って来ました。 彼女の家からは、ウィルトシャー州のソールズベリーやストーンヘンジが、比較的近いので、土曜日は、車でこのあたりの観光へ連れ出してもらい、ご機嫌。 ソールズベリー。123メートルと、イギリスで一番高い尖塔を誇るソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)で有名な町です。ちなみに2番目に高い尖塔を持つのが、 ノリッチ大聖堂 で、こちらは96メートル。 中世の建物にしてはめずらしく、1220年の着工から、38年間と言う超スピードで完成。そのため、建築スタイルはアーリー・イングリッシュと称される同一スタイルで統一されているそうです。大体の場合において、聖堂など、建設に長い時間がかかる建物は、こちらは、xx式で、あちらはoo式と、色々な建築スタイルがミックスされているものが多いのですが。ただ、ソールズベリーの有名な尖塔は、後の時代1334年に付け足されています。 イギリス一の尖塔も、やや難アリ。聖堂の土台は1.8メートルと浅い上、重さ6500トンの塔と尖塔を支えるのは至難の技で、尖塔は、ピサの斜塔よろしく傾いているらしいのです。17世紀に、建築家のクリストファー・レンが、尖塔の先っぽが、約75センチ傾いているのに気づき、被害の拡大を抑える処置を取ったとありました。写真を見る限りにおいては、わかりませんが、言われて見れば、傾いているような気もしてくる・・・、うーん、75センチ。頭を傾けて見ているから、そう思えてくるだけでしょうか。 さて、そんな統一の取れた中世の聖堂の中にドーンとある、上の写真の洗礼台は、比較的最近(2008年)造られたもの。 楽器かと思った上の写真は、copeと呼ばれる、聖職者の着ける半円のローブをしまうチェストだそうです。13世紀のもの。 ソールズベリーのクロイスター(回廊)は、イギリスで最大の中世のクロイスターとのこと。 クロイスターを通って入れるチャプターハウスには、4つ現存するマグナ・カルタ(1215年)のうちのひとつが収めてあったのですが、ガイドブックを持っていかなかったので、気づかずに、見ずに出て