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4月, 2016の投稿を表示しています

セント・ポール大聖堂ドームからの眺め

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ロンドンのシティーにそそり立つセント・ポール大聖堂のドーム。何度も、 このドームを仰ぎ見ながら 、そばを行き来することがあるにも関わらず、内部を訪れたのは、もう30年近く前となります。ここ数年、毎年のように、「今年こそは、セント・ポール大聖堂内の観光を久しぶりに。」などと思いつつ、実行せずにおり、気になっていたところ、やっと、先日、再訪しました。 今は、大人の入場料は、19ポンド。1994年発行のガイドブックを見てみると、この頃の入場料は2ポンド50ペンス。ドームに登るチケット付きで4ポンド50ペンスとなっています。 内部では、英語での90分のガイドツアーなどもあり、追加料金なしでやってくれるので、これに参加することにしました。ツアー開始時間まで1時間あったので、その間に、ドームのてっぺんまで登って、ロンドンのスカイラインを眺めることにし。 ドームの先端までの高さは111メートル。行けるところまで登るには、階段は全528段。上の図は、セント・ポール大聖堂の 公式サイト から拝借。 この図からもわかるよう、ドームは3重構造になっていて、外から見えるドームと、内側のドームが緩やかな丸い形。隠れた真ん中の、いささか先のとんがったドームが、一番の働き者で、外からは一切見えないながら、外側のドームからにょきっと出ている、十字を掲げる石のランタンを支えるという重労働をしています。これは、ドーム全体の重さを軽くし、外壁にかかる負担を減らすための工夫。聖堂内部からドームを見上げた時に見える天井画は、内側の一番下のドームに描かれているものです。さらに、せっかく作った見事なドームの内部がみえるように、自然光を取り入れるため、真ん中に明かり取りが、くりぬけてあります。 まずは、階段を257段くるくる上がり、Whispering Gallery(ささやきの回廊)へたどり着きます。ここからは、ドームの内部を、ぐるりと一周して眺めることができ、ベンチがめぐらしてあるので、ゆっくりと座って天井画を眺めることもできます。また、柵にほほ杖付き、遥か下の床を見下ろしても良し。この回廊で、壁にむかってひそひそとささやくと、回廊の反対側にいる人が、その、ささやいた言葉を聞ける・・・なんぞというので「Whispering Gallery」と呼ばれているのです。実際、ベンチに座

チューダー朝レンガの館、レイヤー・マーニー・タワー

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Layer Marney Tower エセックス州レイヤー・マーニー(Layer Marney)にある、レイヤー・マーニー・タワー(Layer Marney Tower)を訪れるのは、これで2回目です。1回目の訪問は、2007年の夏ですので、もう、かれこれ9年前。レイヤー・マーニー・タワーは、15~16世紀にイギリスで建てられたレンガつくりのゲートハウスとして、一番背が高いものとされています。 Layer Marney Tower, 2007 前回の訪問の際は、ゲートハウスの左手に巨木が生えていたのですが、外からゲートハウスがはっきり見えるようにするためか、この木は除去されて無くなっていました。今回の訪問は、周辺に菜の花咲く4月の終わり。 かつてこの地を流れていた小川、レイヤー川から名を取り、周辺の土地は、ただ単にレイヤーと呼ばれていたものを、1066年のノルマン人の征服と共にノルマンディーからやって来たマーニー家は、この辺りに土地を得ると、レイヤーの後に、自分たちの家名をくっつけてレイヤー・マーニーとし。この周辺には、他にも、レイヤー・ブレトン(Layer Breton)、レイヤー・デ・ラ・ヘイ(Layer De La Heye)など、レイヤーの後ろに、それぞれ土地を獲得した、ノルマン人貴族の家名をくっつけた地名が残っています。 このレンガの屋敷が建てられたのは、ヘンリー8世若かりし時代の1520年代前半のことで、時のマーニー家頭首、ヘンリー・マーニーによるもの。ヘンリー・マーニーはヘンリー8世の重臣で、1520年には、贅をつくし、カレー付近の平原で執り行われた、ヘンリー8世と、フランスのフランソワ1世との会合(The Field of the Closs of Gold  金襴の陣 )にも参加しています。この頃は、まだヘンリー8世の離婚騒動は始まっておらず、よって、イングランドはまだローマ法王との関係が強いカトリックの国。 イタリア・ルネサンスの影響も手伝い、イタリア風の建物などが、王侯貴族の間でファッショナブルとなってきた時代です。ヘンリー・マーニーもそんなこんなで、館のところどころに、テラコッタを使用したイタリア風のモチーフをほどこしています。当時は、テラコッタと言えば、イタリアでしたから。上の写真は、塔のてっぺんのテ

思い出巡るメリーゴーランド

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懐かしい昔に連れて行ってくれるメリーゴーランド アメリカの人気テレビシリーズであった「 ブレイキング・バッド 、Breaking Bad」を、去年の春、もらったDVDで一気見して以来、他の映画などを見る時間が無くなるので、この手の長いテレビシリーズは、しばらく避けて手を付けなかったのですが、最近になって、やはり、人気を博したアメリカの「マッド・メン Mad Men」のシーズン1から3までの中古DVDを超特価で購入し、見始めました。恐れていた通り、はまっています・・・。60年代ニューヨークの広告代理店を舞台としたドラマですが、当時起こっていた社会事項や、実際に、本当の製品を取り上げて、代理店がどのように宣伝したか、なども見せていて、とても面白い。 シーズン1の最終回は、「The Wheel 輪」という題名でしたが、これは、当時のコダックの新製品であった、輪形をしたスライド再生機を話題とした話。コダック側は、ただ単に「輪」または、「ドーナッツ」というような、その形を連想させる商品名で、これを売り出そうとしていたのを、主人公の、広告代理店の腕利きドナルド・ドレイパー(ドン)が、ただの「輪っか」などという味もそっけもない名前ではなく、「Carousel」という名で売り出すことを提案。カルーセル(carousel)は、アメリカで、メリーゴーランドのこと。イギリスでは、カルーセルより、メリーゴーランド(merry-go-round)と呼ぶことの方が一般的でしょうか。日本語での昔風の言葉、「回転木馬」も、詩的でちょっと良い呼び名です。 さて、ドンの、コダック側へのセールス・プレゼンテーションは、ギリシャ語を語源とする「ノスタルジア」という言葉から始まります。ノスタルジアの元の意味は、「古い傷からの痛み」を意味したそうで、そこから、過去などを回顧したとき、ハートがきゅんと締め付けられるような痛みを意味する言葉へと発展。ドンのプレゼンは、このスライド再生機は、そんなノスタルジアを感じさせる過去へのタイムマシンだと続きます。再生されるスライドを眺めながら、思いは、巡り巡って、心痛くなるほど懐かしい昔、かつて自分が愛されていた時代へと舞い戻り、行ったり来たりの旅をする・・・よって、このスライド再生機は、単なる「輪」ではない、「カルーセル」だ、と締めくくるのです。奥さんとの

しとしとぴっちゃん異文化考察

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少し前の話となりますが、日本人の友人が、大五郎風の可愛い顔で、超短い髪形をした子供をのせた、巨大乳母車を押している女性を見て、こう言いました。「あの人、 しとしとぴっちゃん みたい。」イメージがどんぴしゃだったので、これには、私は大笑い。笑いながら、ふと思ったのが、ここに、日本語の喋れるイギリス人がいたら、このジョークを聞いて、一緒に笑うことができるかな・・・ということ。もし、できたら、その人の日本語、いや、言語だけでなく、日本の社会文化理解度の深さはかなりの上級レベルです。 異国の言葉を習うとき、読み書き文法、スピーキング、ヒヤリングもばっちりできるようになって、それで、何でも、その国の人間が言っている事がわかるようになるか、会話についていけるか・・・というと、そう簡単にはいかないもの。その国独自の歴史背景、政治社会事情はもちろん、ディケンズなど、よく話に引用される文学作品を多少心得ていることは、大切。かてて加えて、映画、そしてテレビなどのポップ・カルチャーも、有名なものはある程度知っていないと、人の言っている事が完全に把握できない、というケースは多々あります。アメリカ映画などを見ていて、時に、だんなが、「なんか、この意味よくわからんな。アメリカ独特の表現かな。」などと私に言うことがありますから、同じ英語圏でも、社会文化を共有していないと、こういう状況が出てくるのです。「子連れ狼」を見たことも聞いたこともない人には、「しとしとぴっちゃん」が何なのか皆目見当がつかないのと同じ。 この「しとしとぴっちゃん事件」があった直後に、スターバックスの店での新しいカスタマーサービスの話が、ラジオから流れてきたのを聞いていました。スターバックスのカウンターでは、フレンドリーにするために、客の名前を聞く・・・という事を始めたという内容のものでした。私は、スタバにはほとんど入らないので、今もそんな事をしているのかはわかりませんが、イギリス人の中には、コーヒーを買うだけなのに、なんで名を聞いたりするんだ、馬鹿げていると、嫌がる人も多かったようで、名前を聞かれて、反抗して言わなかったり、「ダース・ベイダー」などとふざけて答える人もいたそうです。そして、そのラジオの報道によると、ある人が、スタバのカウンターの列に並んで待っているとき、自分の2人前の人物が名前を聞かれたのが耳に入

子羊のいる牧場

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イギリスの農家で、子羊が生まれる季節は、ラミング・シーズン(lambing season)と呼ばれます。ラミング・シーズンは、イギリス国内の場所にもよりますが、冬季から初春にかけて、早いところで12月に始まり、遅くは4月頃まで。特に2月、3月に生まれる子羊たちが多い感じです。生まれる羊の数は、雌羊一頭につき、平均1.3頭とのこと。秋に妊娠し、約5か月で子羊の誕生。 2月頃に生まれた子羊たちだちは、もう牧場デヴューを果たしています。暖かな小春日和となった昨日、散歩で通りかかった牧場でも、お母さんに連れられた子羊たちを何匹も見かけました。可愛い! 立ち止まって、眺めていると、お母さん羊は、ちょっと警戒して、こちらの様子をうかがっています。 家畜に限っては、「食べちゃいたいほど可愛い」という表現が、現実味をおびるのです。この愛らしい子羊たちの中には、間もなく食卓に上がってしまうものもいるでしょうから。家畜は、人間が必要としなければ存在しない動物。子羊たちも、最終的な「食肉」としての目的がなければ、生まれてくる事もなく、こうして見かける事も無いのでしょう。特に、現段階では、羊の毛の需要も値段もかなり落ちているようですから、羊毛だけを目的として、羊を飼うという農家は、ほとんどいないでしょうし。 それでも、こうして、羊たちが生きている間は、のびのびと戸外で走り回ることができるわけですが、世界人口が増えに増え、より多くの人々が、肉を毎日のように沢山食べる事が習慣となっていくと、こんな悠長な飼育もしておられなくなり、すべて狭い場所に閉じ込め、工場のように家畜生産をするのが一般的となる日もあるかもしれません。一部のニワトリの飼育はすでにそんな感じですし。最近になって、世界の人口増加対処策として、たんぱく質の獲得のために、もっと多くの人に昆虫を食べるように奨励してはどうか、などという案も出ていますが、西洋人は、昆虫食べるのは、嫌な人多いでしょうね。私も、以前食べたイナゴなどは、足が歯に挟まったりして、食感が悪かったのを思い出します。 もっとも、中年をすぎると、動物たんぱくの取りすぎは、癌などの病気につながる事にもなり、プラスよりマイナスとなる場合が多いらしいです。ですから、50くらいからは、菜食主義者になった方が、体のためにも良い、などという話もあります

プロテスタントの娼婦、ネル・グウィン

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Let not poor Nelly starve. 可愛そうなネリーが、ひもじい思いをしないようにしてやってくれ。 これは、死の床の中で、チャールズ2世が、弟(後のジェームズ2世)に告げた言葉とされています。チャールズ2世が、自分の死後の行く末を気にかけたネリーは、チャールズ2世の数ある妾たちの中でも、おそらく一番有名な、ネル・グウィン。 エレノア(ネル)・グウィン、(Eleanor / Nell Gwyn)は、貧しい家庭に生まれたため、正確な生年月日と誕生の地、更には父親が誰であったのかも定かではないようですが、おそらく1651年の誕生とされています。幼少の頃の記録もおぼろげで、わかっているのは、1663年あたりから、ロンドンのキングス・シアターで、オレンジ・ガール(劇場の観客にオレンジを販売する女性)として働いていたこと。今では、劇場で販売される食べ物はアイスクリームが定番ですが、昔は、オレンジだったんですね。 時代は、ネル・グウィンの頃より後になりますが、ウィリアム・ホガースによる1733年の「The Laughing Audience、笑う観客」という、劇場内の様子を描いた版画があり、その中には、オレンジ・ガール達も描かれています。ネル・グウィンも、こういう感じで働いていたのでしょうか。オレンジ売り子を始めてから約1年後には、舞台に登場し、女優としてデビュー。著名な俳優であり、ネルと愛人関係にあったと言われるチャールズ・ハートにより、舞台に紹介されたという話。 シェイクスピアの時代などは、女性の役も男性がやるのが常であったわけですが、この頃から、女性が舞台に登場し始め、ネル・グウィンはそういった意味で、女優というものの先駆者のひとりであったわけです。 ロンドン大火 などを記録した、日記作家のサミュエル・ピープスは、綺麗な女性を眺めるのが好きなすけべおじさんであった事でも知られている感じですが、彼も、この新しい現象である、本物の女性が女役をやる、というのを見るため、劇場によく足を運んだようで、当然、ネル・グウィンにも注目するようになります。ピープスによると、「可愛く、機知に富んだネル」(Pretty Witty Nell)は、喜劇に登場すると圧巻であるが、悲劇はいまひとつ・・・であったようです。折しも、レストレーション・コメディー(