投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

情緒あふれるコーフ城

イメージ
崩れかけた古い修道院や城というのは、諸行無常の哀愁が漂い、味があるものです。英語で形容すると、「evocative エヴォカティヴ」と言ったところでしょうか。心に眠っていた記憶、感情などを、揺り動かし、沸き立たせるような、という意味の形容詞です。 私が、今まで、イングランド内でいくつか見てきた廃墟の中でも、一番情緒あふれ、一番「evocative」だと、感じたのが、コーフ城(コーフ・カッスル Corfe Castle)です。まあ、それだから、夕日の中、または朝もやの中、丘の上にたたずむコーフ城のシルエットが、過去からの亡霊の様に浮かび上がる姿は、カレンダー、雑誌などで頻繁に使われるのでしょう。以前から、行きたい、行きたいと思っており、今回やっと訪れました。 コーフ・カッスルの村に夕方到着し、村内の比較的高めのホテルにチェック・イン。それでも、当日駆け込みであったため、良い部屋を少しディスカウントしてくれましたし、部屋はオールドファンションな魅力があり、夜間の路上駐車を非常に嫌うだんなは、ちゃんと大きな駐車場が付いているのにも満足であったようです。 コーフ城の全景を眺めるため、コーフ城のすぐわきの丘に、2度登りに出かけました。まずは、ホテルへのチェック・インを済ませてすぐ、コーフ城の夕暮れを見に。 そして翌朝の朝食後に、再び。今度は、もっとはっきり、城の輪郭や近辺の様子が見れるように、おっちら、おっちら、急斜面を登り。 コーフ・カッスルの村全体も、よく見えました。 丘を降りてすぐの場所には、コーフ城と海辺の町スワネジ(Swanag)を結び、蒸気機関車が走る、 Swanage Railway (スワネジ・レールウェイ)の、コーフ・カッスル駅(Corfe Castle Station)があります。大体、こういう観光客用のヘリテージ路線は、ボランティアが働いている事が多いのですが、子供の頃から鉄道好きで・・・というタイプのボランティアが多いのでしょう、好きなことをやっているため、生き生きとした元気の良い人が多いのです。構内をほうきで掃除していたおじいさん、私たちと目が会うと、陽気に「グッド・モーニング!」発車の時間帯を聞くと、パンフレットを持ってきてくれ、「今日のスケジュールはこれ。合う時間があったら、ぜひ乗って行くといいよ。」

キス・ミー・ハーディー!

イメージ
前回の記事 のチェズル・ビーチ周辺を去った後、今度は、少し北へ車を走らせます。たどり着いた丘、ブラックダウン(Black Down)の一番標高が高い場所に立つのが、ハーディー記念碑(Hardy Monument)。 このハーディーは、ドーセットゆかりの作家、トマス・ハーディーではなく、イギリス海軍のサー・トマス・マスタマン・ハーディー(Sir Thomas Masterman Hardy 1769-1839)の事。このふたり、どうやら、ご先祖様を同じくするようですが、「ハーディー」という苗字だけでなく、ファースト・ネームまで同じ、出身も、双方ドーセット州なので、ちょっとややこしいです。 ハーディー記念碑はナショナル・トラストにより管理されており、駐車場に到着したときは、閉める10分前とやらで、門の前で、ナショナル・トラストのおにいちゃんが、すでに立って、待っていました。「あと、10分で閉めるけど。」と言われ、「ちょっと降りて、くるっと辺りをみるだけだから。」と私たち。記念碑と言っても、近郊のポートランドから切り出したポートランド・ストーンを使用した煙突風のものがどーんと立っているだけ。周辺の見晴らしはとても良いです。 1805年10月21日、トラファルガーの海戦。戦艦ヴィクトリー号の甲板上で負傷したホレーショ・ネルソン提督。その時、そばに立っていたのは、友人であり、ヴィクトリー号のキャプテンでもあったトマス・ハーディー。 ネルソンは船内に担ぎ込まれ、死が近づく中、ハーディーは、2回ネルソンを訪れ、二人は最後の会話を交わすのですが、その時に、ネルソンが言ったというとても有名な言葉は、 "Kiss me Hardy!" (ハーディーよ、キスしてくれ!) これに答えて、ハーディーはネルソンの頬にキスをするのです。 そしてネルソンいわく、 "Now I am satisfied. Thank God I have done my duty." (今は満ち足りた気持ちだ。義務を果たせて良かった。) しばらくネルソンを黙って見守っていたハーディーは、再びひざまずき、今度は、ネルソンの額にキスをするのですが、すでに視界が朦朧としていたネルソンは、 "Who is that?" (誰だ

チェズル・ビーチへのフットパス

イメージ
前回の記事 で書いたライム・レジスを後に、ドーセット州の海岸沿いを、車で東へとむかいます。その途中の路上から見えたこの景色が・・・チェズル・ビーチ(Chesil Beach)。海岸線から少し離れて、向かい合う陸地から陸地へ、ピンとはられた楽器の弦か弓糸のように、石ころでできた浜辺が一直線に続いているのです。 チェズル・ビーチは、東は、白い建築用の石で有名なポートランド(Isle of Portland)から、西は、ドーセット内で一番可愛らしい村などとも言われるアボッツベリー(Abbotsbury)近郊まで続いており、全長約29キロ。陸とチェズル・ビーチに囲まれた、一部塩水、一部真水のラグーンはフリート・ラグーン(Fleet Lagoon)。 チェズル・ビーチの石ころは、近くの強い海流により、東から西へ、こぶし大のサイズから、徐々に小さくなり、豆粒サイズへと振り分けられているのだそうです。よって、つるつるしたチェズル・ビーチの丸石のサイズを見て、これはビーチのどのあたりのものか、というのが分かるなどと言います。この近くの海流の影響で、イングランド南海岸線では、昔から、航海が危険な場所とされ、過去、いくつかの難破が起こったようです。 だんなは、昔、同じ場所からチェズル・ビーチを見たそうですが、今回は、フリート・ラグーンのわきを歩いてみたいなどと言うので、ラングトン・へリング(Langton Herring)という小さな村のバプに駐車し食事をした後、そこに、そのまま車をとめさせてもらい、 フットパス (footpath 歩行者用ハイキング路)が載っている地図を頼りに、ウォーキングへ繰り出しました。 フリート・ラグーンへたどり着くフットパスの始まりは、まず、ここからだろうなと思われる場所に行くと、パブリック・ブライダルウェイ(Public Bridleway 歩行者の他、乗馬して歩ける道)のサインのわきに、おそらく、ここの土地持ちが、掲げたと思われる看板が立っており、看板いわく「Bridleway Only, Private Road, No access to the sea   ブライダルウェイのみ、私有道路、 海へのアクセスではない 」。これを読んで、私たちはちょっと迷って、「地図上では間違いなく、ここからだと思うけど、海に出れないって・・・

ライム・レジスにて

イメージ
...remarkable situation of the town, the principal street almost hurrying into the water,the walk to the Cobb, skirting round the pleasant little bay, which in the season, is animated with bathing machines and company; the Cobb itself, its old wonders and new improvements, with the very beautiful line of cliffs stretching out to the east of the town,are what the stranger's eye will seek; and a very strange stranger it must be, who does not see charms in the immediate environs of Lyme, to make him wish to know it better. 「Persuasion」 by Jane Austin (ライム・レジスの)町のドラマチックな位置、目抜き通りが先を急ぐように海へと降りて行く様子、観光シーズン中は、行水用の小屋と人でにぎわう、魅力的な小さな湾を抱くような埠頭(コブ)までの散歩、古い部分と新しく改善された部分を含めた埠頭(コブ)そのもの、町の東側へと伸びる美しい崖の線・・・旅人の目は必然的に、そういったものを求めるのです。そして、ライム周辺の魅力に気づかず、もっと探索したいと思わない旅人がいるとしたら、それは、かなり風変わりな旅人であることでしょう。 ジェーン・オースティン「説得」より ドーセット州西部海岸線に位置するライム・レジス(Lyme Regis)。時に単に、「Lyme ライム」とも呼ばれます。「Regis レジス」というのは、「王ゆかり」を意味し、「王様ゆかりのライム」という由緒正しそうな地名。 「レジス」を付けて名乗ってよろしい、と許可を与えたのは、エドワード1世の時であったそうです。にもかかわらず、イギリス内戦(清教徒

エクスムーア最標高地点、ダンカリー・ビーコン

イメージ
ダンカリー・ビーコン(Dunkery Beacon)。エクスムーア国立公園(Exmoor National Park)内で、519メートルと、標高が一番高い場所です。 車を降りると、冷たい風。駐車場所から、片道20分ほど歩き、記念碑のある頂上を目指しました。石を積み上げて作ったケルン(cairn)の記念碑には、この地、ダンカリー・ヒル(Dunkery Hill)が、ナショナル・トラストに寄贈された事を記念し、1935年に設置された、と書かれてあります。ちなみに、「Dunkery、ダンカリー」とは、「石ごろごろの丘」の様な意味であるという事。 私たちが、この辺りで遭遇した人間は、計4人。車から、頂上へ向かう途中、記念碑から戻って来た2人連れに2回会ったのみです。 その後は、人っ子ひとり見ず。頂上でも、お山の大将俺ひとり。 なんでも紀元前から、ここに人類が住んでいた形跡があり、近くに青銅器時代の埋葬場があるというのですが、こんな吹きさらしの場所に、良く住んでいたものです。もっとも、そのころは、まだ木が生えていたのかもしれません。 クワントック・ヒルズ で見たような野生の馬は、エクスムーアにも存在し、エクスムーア・ポニーと呼ばれ有名ですが、残念ながら、エクスムーア・ポニーとのご対面はありませんでした。この風景の中、ぱかぱかと、地平線のかなたから、エクスムーア・ポニーが駆けて来る様子を想像していたのですが。エクスムーアは、また、やはりクワントック・ヒルズ同様、イングランドで一番大きい原生の哺乳類である赤鹿の生息地でもあります。 夏だったら、このハイキングコース、紫のヘザーの花に染まっているのでしょう。その分、人はもっと多いかもしれません。 南の方角には、ブリストル海峡を越えて、かすかにウェールズの南海岸が伺えました。 さて、車に戻り、エクスムーアを更に南に移動。途中、エクスムーアの調度中心点にあたるエクスフォード(Exford)を通過しました。「エクスの浅瀬」を意味するその名の通り、昔から、エクス川(River Exe)を渡る場所であり、今は、川を越えて石の橋がかかっています。エクスフォードを拠点に、ダンカリー・ビーコンまでのハイキングをする人も多いようです。 川辺のパブのテーブルでご飯を食べる人たちを見て、私

ポーロック宿泊記

イメージ
前回の記事に載せた ダンスター (Dunster)から、海岸線を沿って西へ約12キロの、ポーロック(Porlock)という村にたどり着きました。ダンスター同様、ポーロックの南に聳えるのはエクスムーア、北にはブリストル海峡。 夕方にポーロックに到着し、たまたま駐車場のすぐむかいにあった小さなB&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)の窓に「空き室あり」(Vacancy)のサインが出ていたのを見て、ノック。気が良さそうなおばさんが出てきて、即効で宿泊を決め、荷物を運び込みました。窓から、かすかに海が見えたので、「ここから、海岸に出ようと思ったら、どこへ行くのが一番いい?」と、聞くと、「ポーロック・ウィアー(Porlock Weir)がいいわよ。歩くとちょっとあるけど、車で10分もかからないから。」道を教えてもらい、日が暮れてしまう前にと、夕食前に海を見に出かけました。 海岸は、こぶし大の丸い石がごろごろとしていて、とても歩きにくいのですが、わびさびの魅力がある場所。石は丸くスムーズで、一切とがった部分が無いので、「はだしで歩いたほうが簡単かな。」とだんなは、靴を脱ぎ、手に提げて歩き始めましたが、5メートルくらい歩いて、「いててて。」と、足の裏への石のごろごろパワーが強すぎ、すぐに靴を履きなおしていました。我慢して歩き続ければ、足の裏の刺激になって、結構体にはいいかもしれませんが。 つりをしている人たちが数人、暮れていく空を背景に立っていました。 第2次世界大戦中、海岸線防備のために作られたピルボックス(pillbox)と称される見張り場は、今でも、イギリス各地で見ることができますが、この海岸線にも、いくつかピルボックスらしきものが点在していました。大体の場合、ピル・ボックスは、セメントで作られているものが多いのですが、これは、海岸から集めたような石を積み上げてつくってあり、なかなか周辺の風景になじんで絵になります。 アングロ・サクソン時代に、すでに港として発展したポーロックは、バイキング(デーン人)に目をつけられ、9、10世紀に何度か襲撃を受けているそうです。また、1052年には、のちにアングロ・サクソン最後の王様ハロルド2世となる、ハロルド・ゴドウィンソンが、ポーロックに上陸、襲撃し、村を焼き、地元の兵士貴族を30人以上殺

ダンスターの紫に覆われた山と流れ行く川

イメージ
丘の上にそそり立つダンスター城が見下ろす、サマセット州ダンスター(Dunster)は、可愛らしい、中世の名残を残す村。北はウェールズを望むブリストル海峡、南はエクスムーアとあって、ロケーションも抜群。村を流れるのはアヴィル川(River Avill)。 だんなは、子供の頃、叔父さんとここを訪れて、ダンスターから、エクスムーアへと行く途中のアヴィル川の流れる周辺の谷が、今まで見た中で一番美しい谷・・・と感じたなどと言います。 イギリスの教会でよく歌われる、人気の賛美歌のひとつに、「All things bright and beautiful」(全ての輝ける美しきもの)があります。近所の人のお葬式でも、2回歌ったことがありますが、この世に存在するすばらしいものは、全て神様がお作りになった・・・という内容のもの。(この賛美歌の歌詞と訳は、以前の記事を参照下さい。 こちら 。) これは作詞家のアレクサンダー夫人(Cecil Frances Alexander)が、ダンスターでインスピレーションを受けて書いた・・・と言う話があります。歌詞の一部に The purple headed mountain The river running by 紫に覆われた山 流れ行く川 というくだりがあります。「紫に覆われた山」なんてどんな山じゃいな、と思うのですが、ダンスターの背後に聳えるエクスムーアのヘザーが、夏に紫の花を咲かせる様子かもしれません。 ナショナル・トラストに管理されているダンスター城見学のため、城用の駐車場に車をとめ、受付に行くと、受付のお姉さん、地図を指差しながら、「ダンスター城内は、あと30分経たないと開かないので、先に、川沿いに歩いて、水車を見てくるといいですよ。」 植物に覆われた川のほとりをしばらく歩くと、ありました、18世紀に建設されたと言う水車。 Dunster Watermill 水車を眺めていると、調度、金属部分にオイルをさして手入れしていたおじさんが、「ちょっと待ってれば、これから動かすよ。」起動しているところを見ることが出来ました。今でも小麦を轢いており、内部のショップで、ダンスター・ウォーターミルで轢いた小麦を売っています。余興に一袋購入。 こうして水車小屋経由で、城のある丘のふもとを