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8月, 2009の投稿を表示しています

コーンフラワー入りアールグレイと紅茶よもやま話

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普段は、紅茶は、ブランドなどはほとんどお構いなく、その辺にあるスーパーの自社ブランド、しかも、葉と言うより粉状のダストと呼ばれるタイプの安物を飲んでいますが、最近遊びに来た人が、ウィタード(Whittard of Chelsea)のアールグレイ(Earl Grey tea)を手土産に持ってきてくれました。 ウィタードは1886年、ウォルター・ウィタード氏により、ロンドンのシティにて開業された紅茶の老舗。昨年末、経営危機に瀕し、英国内の店舗の数も減ってしまいましたが、新しい経営者に買われ、何とか生き残ってくれました。 ウィタード・ジャパンのHP を見つけました。最近は、何でも日本で購入できるものです。 アールグレイは、映画 「ある公爵夫人の生涯」 にも登場し、1830年に英国首相となった、チャールズ・グレイ(第2代アール・グレイ/グレイ伯爵)の名から取った紅茶。ギフトとして、チャールズ・グレイが、中国から来たこの紅茶を受け取って、大変気に入り、この国で飲まれるようになったと言われていますが。 柑橘系の植物、ベルガモット(bergamot)の実の皮から取った精油で香りをつけたアールグレイ。ものによっては、この香りがきつすぎて、紅茶を飲んでる気にならないようなものもありますが、ウィタードの頂き物は、適度な香りのお上品な味でなかなか美味しい。葉の中に青い乾燥した花びらの様なものがはいっているな、と思って、パッケージの材料のリストを見ると、これには、 コーンフラワー(矢車菊) が混ぜてあるそうです。少量混じった乾燥コーンフラワーの花びらが、どれだけ風味に参加しているかわかりませんが、花を飲む、というのは、何となくロマンチック気分にさせてくれます。 毎朝、起き立ての、もうろうとした頭がしゃきっとしてくるまで、ベッドの中で、ラジオを聞きながら、紅茶を飲むのが常ですが、ここのところは、ずっとこのコーンフラワー入りアールグレイで、一日を良い香りでスタートしてます。 普通の紅茶を入れるときは、我家は、マグカップの底が見えないほど濃く出して、ミルクをだぼだぼ入れるのですが、アールグレイはやや薄めの方が美味しい。・・・ちなみに、濃い紅茶を好むのは労働階級で、お貴族様は、薄い紅茶をおすすりになる、なんていう話がありますが、普段の我家は、紅茶判断でいくと、労働階級に入れ

ジャマイカの走者達

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ベルリンで行われていた世界陸上競技選手権大会が、本日で終了しました。 今大会の思い出は、やはり、ジャマイカのウサイン・ボルト、ボルト、そしてまたボルト。100メートル、200メートル共、超人的なタイムで世界記録を更新。(それから、お茶目な当大会のマスコット、熊のベルリーノ君。) ボルトを含むジャマイカ勢のパワーで、ジャマイカという国のプロファイルがぐっと上がったようです。こんな小国が、メダル・テーブルがアメリカに次いで2位というのは快挙。 ロンドン・オリンピック で、本物ジャマイカ走者達にお目にかかりたいけれど、短距離陸上競技のチケット入手は難しい事でしょう。 ジャマイカの公用語は英語。旧大英帝国の一部で、コモンウェルス(The Commonwealth:イギリス連邦)に属します。 1494年に、ジャマイカに上陸したのは、クリストファー・コロンブス。初めはスペインの支配下に入ります。 スペインは、当初は、島の先住民を奴隷として使用していたものの、先住民は、スペインからの侵略者達が持ち込んだ、新しい病気と厳しい労働により、大多数が死滅。そこでスペインが目をつけるのが、アフリカの黒人達。16世紀前半から、プランテーションで、西アフリカから連れてきた 黒人奴隷の使用 が始まります。 1655年、オリバー・クロムウェル下の英国は、スペインからジャマイカを略奪。英国下でも、サトウキビのプランテーションで、黒人奴隷使用は続きます。1807年に、ようやく、奴隷貿易の廃止、1833年に英国領内での 奴隷制の廃止 。 ジャマイカのイギリスからの完全独立は、1962年。まだ、50年も経っていないわけです。 ジャマイカだけにとどまらず、カリブの他の国々や、アメリカなどでも黒人選手の活躍が目に付く陸上競技。 アフリカから、特に頑強そうな人員が奴隷として売買され、その後、大西洋を渡る間、ぎゅうぎゅう詰めの船の中で息をひきとった者も多数。まず、その難関を生き残り、更には過酷な労働の日々を生き残った人達の末裔が沢山いる国々です。その肉体的に優れた遺伝子を受け継いで、陸上で活躍する人物が多いのは、確かに、うなづけます。 陸上競技を離れると、ジャマイカ・・・と言えばレゲエのボブ・マーリー。いまだ、貧困は蔓延、殺人なども非常に多いこの

天は自ら助くる者を助く

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「Heaven helps those who help themselves.(天は自ら助くる者を助く)」 これはチャールズ・ダーウィンの「種の起源」と同日(1859年11月24日)に出版された、サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著の「自助論(Self-Help)」の有名な序文です。今年はその出版150周年。 この本の概要は、そのタイトルと序文のごとく、「努力する人間は成功する」。色々な分野で活躍した人物をとりあげ、彼らがいかに努力して成功したかを綴る。ヴィクトリア朝の進歩の気風に合った内容だったか、瞬く間に、ベストセラーに。その後、何ヶ国語にも翻訳されました。1904年のスマイルズの葬式は、当時では、ヴィクトリア女王の葬式に次ぐほど大々的なものだったと言います。 現在でも、セルフ・ヘルプと称される「人生の成功の鍵を教えます」風の本のジャンルは、どこの本屋でも売れ筋だそうですが、この本はそのジャンルの先駆者。 努力次第で、何にでもなれる、夢が実現できる・・・とは確かに、魅力的な考えですが、実際には、「働けど働けど、尚わが暮らし楽にならず」の様な事も頻繁にある。生まれた環境、親の態度で、スタート地点でハンディ・キャップを負ってしまう事もある。ある分野で成功するには、努力にプラス・アルファして、運が必要なのは必至です。 ***** などと書きながら、少し前、こんな話をラジオで耳にしました。 それが何であれ、あるひとつの事(楽器の演奏、スポーツ、絵画、小説を書く、学問、語学習得、料理・・・その他もろもろ)を習得して、上手くなるには、平均1万時間をその事に費やす必要があるのだそうです。いわゆる、その道の達人達は、天才などと騒がれる人でも、それだけの努力をしているのだと。 考えてみれば、ひとつの事に長い時間を費やすというのも、その事が好きで、ある程度の情熱を持っていないと続かない。「xxになりたい」「xxに精通したい」と思った時、限られた自由時間の中、他の楽しい事をする時間を割いてまで、その事に使えるか。毎日、進歩がのろいと思いながら、続けられるか。この1万時間を突破するのは、情熱の証明テストにもなるのでしょう。 子供のうちから、それだけ好きな事を見つけられるというのは、幸運な事かもしれません。当然、子供の方が、脳は

鏡は横にひび割れて

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「The mirror cracked from side to side(鏡は横にひび割れて)」は、アガサ・クリスティーの小説のタイトルにもなっていますが、ヴィクトリア時代の桂冠詩人アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson)の詩、 The Lady of Shalott (レイディー・オブ・シャロット)から取った一節です。 テニスンも、チャールズ・ダーウィンと同様、今年は生誕200年。大きな帽子にマントを被り、長い髭を生やした彼の写真はまるで、魔法使いか何かのようですが、若い頃は、なかなかの美男子だったと言います。 彼の生誕200周年を記念して、ラジオで、彼の有名な詩、クリミア戦争を唄った The Charge of the Light Brigade 、年老いたギリシャの英雄ユリシーズ(オディセウス)が再び旅立ちを夢見る Ulysses などを紹介していましたが、私が一番馴染み深いテニスンの詩は、やはり、The Lady of Shalottです。 アーサー王の伝説からインスピレーションを得ているこの詩。ヴィクトリア朝の画家達の題材にも何回か使われており、ロンドンのテート・ギャラリー(テート・ブリテン)にも、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる、レーディー・オブ・シャロットが小船で自分の死へ向かって流れていく絵がかかっています(上)。この絵は、いまだ、テート・ブリテンで販売されている絵葉書の中でも売れ筋だそうです。 詩のあらすじは・・・ バーリー やライの畑の中を流れる川。その川に浮かぶ小島はシャロット。川と畑内を走る道は、近くにある、アーサー王の王国の伝説の都市キャメロットへと続いている。 シャロットの島の塔内で、ひたすらタペストリーを織る事のみに従事するのは、シャロットの貴婦人(レーディー・オブ・シャロット)。彼女は呪いをかけられているため、窓から外、キャメロットを覗く事を禁じられている。外の世界は、壁にかかる鏡の反映で眺めるのみ。 ある日彼女は、馬に乗って通りかかった騎士ランスロットの輝くような姿が鏡に映るのを見、タペストリーを離れ、もっと彼の姿を良く見ようと、窓へと行き、外を覗き込んでしまう。その瞬間、呪いが実現され、 鏡は横にひびわれて 「呪いが我が身にふりかかった」と叫ぶ シャロットの貴婦人 The mirror cracked

ある公爵夫人の生涯

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映画The Duchess(邦題:ある公爵夫人の生涯)は、故ダイアナ妃のご先祖様でもある、デヴォンシャー公爵夫人、ジョージアナ・キャヴェンディッシュ(婚前の名は、ジョージアナ・スペンサー)の生涯を描いたもの。 「Georgiana, Duchess of Devonshire(ジョージアナ、デヴォンシャー公爵夫人、Amanda Foreman著)」という題名の彼女の伝記を基に作られています。 ジョージ3世が王位に付く直前の1757年に生まれた彼女は、その美貌と、ファッション・センス、カリスマ性、庶民にも共感が持てる気さくな魅力で、イギリス初のセレブ的存在に。まさに、後のダイアナ妃を髣髴とさせる一生だったようです。カメラマンのかわりに、スケッチブックを抱えた風刺画家たちに追いかけられている様子は、映画の中でも描写されています。 16歳にして、10歳年上のウィリアム・キャヴェンディッシュ、第5代デヴォンシャー公爵と結婚。無口で感情表現皆無の公爵が妻に望む事は唯一つ、世継ぎの男児を出産せよ。犬に喋りかける回数の方が多いような無関心公爵との、夢もロマンスも無い結婚に、若いジョージアナはがっくり。しかも、最初の2人の子供が女児で、その後も流産、男児を死産と、結婚生活は難航。 それとは、裏腹に、社交界では花形となり、キャヴェンディッシュ家が代々支持してきた政党ウィッグ党(Whig)のメンバー達にとっても、彼女は、貴重なイメージ、キャンペーン・ガールとなります。彼女の友人達の中には、ウィッグ党リーダー、チャールズ・ジェームズ・フォックスや、劇作家シェリダン、また、頭角をあらわし始めたウィッグ党政治家チャールズ・グレイ。後、グレイとジョージアナは恋仲となります。(ちなみに、ウィッグ党は、フランス風の絶対王政に反対する立憲王制主義で、宗教的傾向はプロテスタント。) あるフランスの外交官いわく、「彼女が現れると、全人の目は彼女の方を向き、彼女がいない時は、常に会話にのぼる。」ジョージアナが着たドレスや帽子は、他の女性たちに競って真似され。 映画の中でも、こんなセリフがありました。「彼女を愛していないのは、彼女の夫だけのようだ。」 さて、結婚生活では、公爵は、ジョージアナの親友であったエリザベスに手を出し、愛人とし、3人は同じ屋根の下で生

サッチャーさんのアイスクリーム

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当初は、今年の夏は暑くなる、などと言われていました。確かに、ウィンブルドン・テニス・トーナメントも、珍しくほとんど雨の無いからりとした日の連続。  ・・・ああ、それなのに、ウィンブルドンが終わってからというもの、さえない感じの夏となってしまい。雨多く、いきなりのどしゃ降りにやられる事も多々。気温も、今ひとつ。残りの夏の日々、少しはましになるんでしょうか。 ピカデリーにある紅茶で有名な老舗、フォートナム&メイソン(Fortnum & Mason)の店先は、いつも洒落たウィンドウ・ディスプレーが話題ですが、今は、夏の海岸をイメージしたディスプレー。巨大なアイスクリームや綿菓子、砂のお城などが飾られてます。これを見て、気分だけでもビーチ。 夏の海岸や公園にやって来るアイスクリーム・ヴァン(アイスクリームを売る白いワゴン車)などで売られているイギリスのアイスクリームは、ほとんどの場合、入っている牛乳分が少なく、かわりに植物脂肪がたっぷり。当然、ミルクで作った本物のアイスクリーム(Dairy Ice Cream)に比べると、味は落ちます。空気を中に吹き込んで膨らましてあるものの、見かけは、なんだかつるっとしてプラスチック風。このアイスクリームは、マーガレット・ロバーツという女性によるところが大きいと。 食料雑貨店の娘に生まれ、勤勉優秀であったため、グラマー・スクール(公立の選別校)を出、オックスフォード大学で化学を専攻したマーガレット・ロバーツ女史。後に、結婚して名前がマーガレット・サッチャーと変わり、税金関連の弁護士、そして政治家、やがて英国首相へ変身する以前の彼女は、一時、ケータリング及び食品会社のLyons社のアイスクリーム開発チームで働いていたのだそうです。プラスチック風アイスクリームの誕生は、この当時の開発チームによるという話。鉄の女とアイスクリームは妙な組み合わせですが。 先月、今月と、我家の前にも、夕方、アイスクリーム・ヴァンがちんころかんころ音楽を流してやってきます。夕食前だし・・・と思いながらも、時折、このサッチャー首相のアイスを買って食べたりしています。

Smoked Pork Hockと豚の飼育方

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写真は、豚の脚の部分の肉(hock)を調理して燻製したもの。 肉屋で、このままどかっと売ってるのですが、まさに、肉食の国の感があります。薄くスライスして食べると、普通のハムとそれほど変わらない味です。 これは1キロで2ポンド85ペンスでしたので、お値段もお手ごろ。 1匹の豚、無駄なく、どこも食べるというのは良いことでしょうが、見た目は怖いものがあります。 *** イギリスの家畜の飼育方法は、EUの基準などに比べ、大変良好なのだそうで、豚や牛なども、のびのび育ったものが多い。 以前、こちらの人気シェフ、ジェイミー・オリバーが、テレビで、「飼育状況が良い英国産の豚肉を買おう」の様なキャンペーンをやっており、EUでの飼育状況の実態とイギリスのそれを比較説明してました。 他のEU諸国(特にデンマークとオランダを取り上げてました)で良い方だ、とされる飼育方が、イギリスでは、規律で許される最低ぎりぎりの飼い方だったりするそうです。オランダでは、飼育状況のテレビ撮影取材を拒否されたと言っていました。 EUでは、子供を生ませるのが目的で飼育されている雌豚は、振り返る事もできない狭い檻に一生入れられているものもあるのだそうで、比較的知能が高いと言われる動物であるため、ノイローゼ状態に陥るものも多いらしいです。普通の肉食様の豚も、敷きわらもない、狭い場所にぎゅう詰め、という事も多い。汚い所を指して、「豚小屋みたい」などと言ったりしますが、それとは反対に、豚は、非常に綺麗好きな動物でもあり、不潔でぎゅうぎゅうな小屋で過ごす一生は、その本来の性質と相反し、ストレスを感じるそう。 「結局は、食べるんだから、同じじゃないか」、と言ってしまえばそれまでですが、「だからどんな目に合わせてもいい」、というのはおかしい。生きてる間くらいは、あまり酷い思いをせず、のびのび生活して欲しいというのはあります。それに、そういう肉の方が栄養もあるし、美味しいのではないかと。 こちらのスーパーでも、「デンマーク産」「オランダ産」のブーちゃん、安く売ってますが、あの番組見て以来、買う気はすっかり失せました。豚肉は英国産で通します。

ピカデリー・サーカスのエロス像

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ピカデリー・サーカス、夜9時過ぎ。ネオンサインが、暗くなってきた空に映え始め。 サーカスは、円形広場の意で、ピカデリー・サーカスは、南北を走るリージェント・ストリート、西にむかうピカデリー、東へのシャフツベリー・アヴェニューが出会う交差点。 ピカデリー・サーカスと言えば、やはり、弓矢を放つエロス(Eros)の像が有名。 エロス(キューピッド)として一般には呼ばれながらも、これは、実際は、エロスの弟であり、相互愛の象徴のアンテロス(Anteros)なのだそうで。エロスが象徴する男女間の軽い恋愛沙汰よりも、やさしい成熟した愛情を表すと言います。 ヴィクトリア朝の政治家、慈善家で、貧民、貧しい子供の生活向上のため貢献した7代目シャフツベリー伯(Earl of Shaftesbury, Anthony Ashley-Cooper)を記念するため、アルフレッド・ギルバート(Alfred Gilbert)によって1893年に製作されたアルミニウムの像です。 刻々変わるネオンを背景に写真を撮ったら、像はほとんどシルエットだけとなってしまいました。 労働時間制限、安全規律や、工場従業員への考慮などが、ほとんど無かった時代、シャフツベリー伯は、工場の労働環境改善に尽力。数ある反論の中、1847年の工場法(Factory Act)で、工場での最長労働時間を10時間までと制限する法を通したのも、彼の功績。10時間でも、子供などには長い労働時間ではありますが、進歩は進歩。 また、映画の「メリー・ポピンズ(Mary Poppins)」などにも出てくるような煙突掃除の少年達に対しても、安全対策など全く取られていなかった。孤児、または、貧しい家庭から売られた子供が、煙突掃除の親方の下、煙突内を這い上がり、掃除するのは、「Chim Chimney, Chim Chimney, Chim Chim Cher-ee チムチムニー、チムチムニー、チムチムチェリー」などと、にこにこしながら、陽気に歌うメルヘンの世界とは全く異なった過酷な世界。狭いところを登る事で、間接が変形してしまう、埃やすすを吸い込んでの窒息死、掃除中の転落死、やけど、すすに含まれたケミカルによる癌・・・。 以前あった煙突掃除に関わる法律も、ほとんど、あって無きにしも、の状態。場合によっては

ローズマリーは追憶のため

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 庭にローズマリーが3株あります。常緑葉なので暗い冬でも有難いのと、触ると香りも良く、もちろんハーブとしても重宝。春に咲く、小さな水色の花は、蜂たちも好きな様子です。 羊肉と合うので、ローズマリーというと、羊のローストのイメージもあったのですが・・・。 ***** 先日読み終わった18世紀後半のイギリスを舞台にした小説で、葬式の参列者が、各々手にローズマリーの小枝を持って、「for remembrance(追憶のため)」と棺桶の中に落としていくシーンがありました。 また、1700年に亡くなったイギリスの桂冠詩人、ジョン・ドライデン(John Dryden)の葬式の様子が書かれたものにも、彼の遺体はローズマリーの束と一緒に収められていた、と。 「ローズマリーは追憶のため」という一説は、シェークスピアの「ハムレット」第4幕5場、狂気に陥ったオフィーリアのセリフ。 There's rosemary that's for remembrance; pray you, love, remember: and there is pansies, that's for thoughts. これはローズマリー、追憶のため、 愛しい人よ、覚えていて そして、ここにパンジーが、これは想いのため。 これで、ローズマリーを見る目がちょっと変わりました。「ローズマリーは羊肉のローストに」、より、「追憶に」、の方がずっと綺麗ですし。 *絵は、英画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse)の1910年作品、「オフィーリア(Ophelia)」。