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11月, 2009の投稿を表示しています

O2アリーナでテニス

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ロンドンのノース・グリニッチにあるO2アリーナ。2000年のミレニアムの記念のために建てられた当時の名は、ミレニアム・ドーム。巨大マッシュルームに、数本の刺が生えている様な形です。 1999年11月に公開された、OO7映画「The world is not enough」の冒頭のテムズ河のボート・チェイスのシーンに、出来立てのほやほやの姿で登場していました。ボンドが、ドームの屋根から釣り下がるところで、オープニングの曲が入ったのでした、確か。私が、唯一、映画館で見たボンド映画です。 ボート・チェースのシーン でミラニアム・ドームを見てみよう。 最近では、マイケル・ジャクソンが This is It と銘打ったコンサートを行う予定のヴェニューでもありました。  さて、毎年この時期に開催される男子テニス・ワールド・トップ8が競う、ATPワールド・ツアー・ファイナルが、今年から5年間、このO2アリーナで行われることとなりました。来週末に予定されている男子国対抗のデビス・カップの決勝を除けば、一年最後のテニス・トーナメントです。 ここぞとばかりに、チケットをかなり前から予約。 当大会の対戦方は、4人ずつ、2グループにわかれての、ラウンド・ロビン(round robin)・・・どういう意味かと言うと、それぞれのグループ内で、1人の選手が他の3人全員と対戦し、うち、勝ち数、得点の多い2人が、準決勝、決勝へと進出します。 このラウンド・ロビンという言葉は、元はフランス語のrond(円形の)ruban(テープ・リボン)から来た言葉の発音が崩れて、こうなったという事ですので、鳥のロビンとは関係ないのです。スポーツで、この様に、1人が他の全員と対戦する意味の他に、上の者に抗議、反対の手紙などを提出する際、抗議者達が、サインを上から順番にするのでは無く、誰が抗議のリーダーかわからない様にするため、抗議者全員が、円形になるようにサインをした事を指すそうです。元は、船乗りに使われた言葉だと手持ちの辞書にはありました。 私達のチケットで当たった試合は、ラファエル・ナダルと相対するは、アンディー・ロディックが怪我で欠場のため、代わりに入った、スウェーデンのロビン・ソデルリング。 プレイの仕方から、体にボロが早く来て、もしかしたら選手寿

マルコーニも食べたイングリッシュ・ブレックファースト

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イギリスの料理は不味いものばかり・・・観光客や、他国人が良く口にする、お定まりの言葉です。 イギリスの食べ物は、ゆでただけ、とか、揚げただけ、とかで、見た目にも、味にも芸のある代物でないのは確かです。アメリカに次いで、世界第2位のおデブ国なのも、お腹にどんとくる、カロリーたっぷりなものが多い影響もあるかもしれません。 それでも、ホテルやB&Bなどに泊まった時の朝食に、フル・イングリッシュ・ブレックファースト(full English breakfast)と軽いコンチネンタル風の朝食のチョイスがあったら、やはり、前者を注文します。 トースト、目玉焼き、ベイクト・ビーンズ、ソーセージ、ベーコン、焼きトマト、マッシュルーム、などなどが皿ににどんとのって出てきたものを、紅茶と一緒に平らげて、観光へ繰り出すと、ランチは取らなかったり、かなり軽いもので済ませても、夕食まで、エネルギーレベルを保ってフル回転可能。 一部カフェや、ティー・ルームでは、メニューにオールデイ・ブレックファーストを出しているところがあり、午後でもこのボリューム料理にありつく事ができます。上の写真もカフェでお昼に食べたもの。 ちなみに、この日にランチをしたカフェは、上の写真の建物内の最上階に位置しており、調理場は、外に突き出している部分にありました。眺めは良かったですが、強風の日などは、ユラユラとちょっと怖いものがあるかもしれません。 The Old Granary(旧穀倉)と呼ばれるこの建物は、現在は、アンディークセンターとして使用されています。突き出し部分は、昔は、真下にワゴンなどを置いて、小麦の搬入を出来るようにしたためでしょうか。 ***** 食べ物の美味しい他国から来ても、フル・イングリッシュ・ブレックファーストのファンになる人はいるようです。 グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)。イタリア人の父、アイルランド人の母を持ち、イタリアで生まれ育った無線研究家、発明家の彼は、イタリア政府が、自分の研究に全く興味を示さず、支援も受けられないのに見切りをつけ、1896年に、ロンドンへ渡ります。 英国の郵便局などからの支援を受け、無線の開発、実験を進め、1899年には、イギリス海峡を超えた、イギリスーフランス間の無線メッセージを送り、

ウェディング・ケーキの教会

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1666年、 ロンドン大火 の後、セント・ポール寺院を初め、焼失したロンドン内の多くの教会を設計したのはクリストファー・レン。写真の尖塔を持つ、セント・ブライズ教会( St Bride's Church )も、レンのデザインによるもの。大火後、レンが建て直した数ある教会の中で、一番経費がかかっています。また、レン設計による数ある教会の中でも、大火後、比較的に早めに建てられたもので、これは、当教会関係者が、レンを近くのタバーンに連れて行ってご馳走した、というのがその理由のひとつとやら。 イギリスの新聞業界やジャーナリズムの代名詞のように使われる、ロンドンのフリートストリート(Fleet Street)をちょっと入ったところにあるため、「フリート・ストリートの聖堂」「インクの通りの教会」などとも呼ばれ、ジャーナリストの教会のイメージが強いです。 セント・ブライド教会の有名な尖塔の、もとの高さは、71メートルだそうですが、18世紀半ばに雷に打たれ、2,4メートルほど短くなってしまったそうです。 この地は、過去7つの別の教会が入れ代わり立ち代り建てられた跡地だという事ですが、6世紀に建てられた石作りの教会が、アイルランドの聖人、セント・ブライド、St Bride(またはセント・ブリジッド、 St Brigid)を祭ったものであったため、現教会も、この名で呼ばれています。セント・ブライド(453-525)は、セント・パトリックなどと同じくアイルランドの守護聖人。アイルランドのキルデア(Kildare)に修道院を設立し、当修道院は、学問と精神の中心としての名声を得。彼女が亡くなった2月1日は、彼女の聖人の日(feast day)で、生前の彼女がしたように、豊穣や富みを、貧民に分け与え祝うという事です。 さて、教会に話を戻します。1940年、12月29日、第2次世界大戦中のドイツ軍の爆撃により、かなりの被害を受ける事に。この日の爆撃は、「第2のロンドン大火」などと呼ばれ、シティー周辺にかなりの被害を出し、近くのセント・ポール寺院の巨大なドームが、炎と煙の中に浮かぶ船の様に見えたと。 爆撃で、教会内部は焼け、鐘は、解けて落下したと言いますが、尖塔は、レンの強固なデザインのおかげで、なんとか、その形をとどめ。現在は、きれいに修復された姿で立っていま

トト・ザ・ヒーロー

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人生はこまごまの忘れられぬ思い出のつぎはぎ。今までの人生を振り返ると、あれやこれやの場面がこれといった順番もなく浮かんでは消え・・・。 老人ホームに住むトーマスの一生を、フラッシュ・バックを使って、彼の視点から映像化してあるこのベルギー映画、大好きです。公開された時、映画館で見て、ずっと記憶に残っており、最近になってDVDも入手。 トーマスが、自分の人生を思い返すとき、「何も起こらなかった、失敗の人生」と感じる。その要因は、幼い頃むかいの家に住んでいた金持ち息子のアルフレッド。本来ならば、自分がその家の子供であるのに、生まれたばかりの病院で火事があり、アルフレッドとすりかわって、違う家にもらわれてしまったと固く信じ、アルフレッドに自分の人生を盗まれたと恨む。 ファンタジーめいた半分夢のような場面を含む子供時代、愛に悩む青年期、アルフレッドへの復讐を決行しようとする老年のシーンを行きつ戻りつしながら、話は進行します。 思い出の重要な部分を占めるのが、トーマスとアルフレッドにとって人生最愛の女性となるトーマスの姉アリス。陶器のお人形のような顔をしたおませで奔放なアリスは、少女から大人への移行する時期に、しっかりとこの2人の心をとらえ、死んでしまう。アリスの死の原因も、間接的にはトーマスのアルフレッドへの嫉妬から。 青年になって、2人が恋に落ちる女性はアリスに似たエヴリン。このエヴリンにアリスとそっくりな洋服を着せようとするアルフレッドに、ヒッチコックの映画の中で、私が一番好きな「めまい」を連想しました。 映画の一番好きなセリフは、アリスが両手を宙にかざし、トーマスに「私の右手と左手、どちらが好き?」という他愛ない質問。エヴリンが偶然、同じ質問を青年になったトーマスに尋ねる時、彼は、思い出のつらさに耐えられなくなり泣き出してしまう。 アルフレッドへの執念がなければ、幸せでありえたトーマスの人生。失敗としながらも、強く心に残る美しい瞬間が散りばめられている人生。もともと、人生に失敗、成功などあるのでしょうか。 トーマスの子供時代、陽気なお父さんがピアノを弾いて歌う歌が、この映画のイメージソング。フランスのシンガーソングライター、シャルル・トレネ(Charles Trenet)が1930年後半に書いた人生謳歌、 Bou

古い物のある庭

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庭のデコレーション用に、訪れたアンティークセンターの中にあった、廃材やら古いテーブルやら、古い置物やらを売っている店を覗いてきました。昨今、多少、錆ているような古い物を庭に置くのがお洒落なのだそうです。 そこで、我家の庭も、お洒落な庭になるよう、安かったら何か買おうかな、とも思ったのですが、値札をひとつずつ取り上げてみて、その度にあきらめ。見ようによっては、ただの「がらくた」の様なものが、結構値段するものです。昔形のブリキのじょうろやバケツを植木鉢にしたもの、刃物研ぎ用のマシン、洗濯物の水絞り機、古い煙突、荷車の車輪、錆びた鉄製のテーブル、ランプ、街灯、手押し車、樽・・・。 その「がらくた」の中で特に気になったのが・・・ 古いトイレを植木鉢にした代物。 トイレの座椅子をはずした便器に、パンジーが沢山植えてあったのです。お店の人は、きっと「すばらしい考えだ」と思ったのでしょう、同じようなのが3つもありましたから・・・。 50ポンド以上も出して、古いトイレを買って、家の庭に置きたいか?私は、「ノー」です。トイレは汚い、という偏見より、形がさほど良いとは思えないのと、50ポンド出せば、同じくらいの大きさで、新品の綺麗な色や形の植木鉢が3つは買えるだろうな、という経済的理由から。 ・・・教訓は、しっかり作ってある古いものは、捨てる前に、じっくり考えよう、という事でしょうか。こんなもの要らぬ、と思ったような品物が、わりといい値段で、どこかで売られているかもしれません。実際、ここで売られていたものの中に、義理の両親の家からもらってきた、古い温室用ブリキのヒーターなどもありましたから。 古い便器ですら、捨てる前に、他に使用法は無いか一思案、というのは悪いことではないでしょう。ふと思いました、日本風のしゃがみ形便器は、スリッパの様で、庭のデコレーションとして、西洋物より、いい味出すかもしれません。 軒を並べて、似たようなお店が幾つかあり、そのうちの一軒で、お馴染みイギリスの赤い電話ボックスも売りに出されているのを目撃。この赤電話ボックスのお値段は、配達を頼むと1400ポンド、自分で持って帰ると1200ポンドだそうで。大きな庭だったら、こんなのはあると楽しいでしょうね。以前も、歩いていて、何度か、この電話ボックスが置かれている庭を見

全ての戦争を終わらせるための戦争

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本日は、Remembrance Sunday(追悼の日曜日)でした。11月11日に一番近い日曜日。 1914年の6月28日に、バルカン半島、サラエボで響いた一発の銃声に端を発するThe Great War、こと、第一次世界大戦は、1918年、11月11日の午前11時にて、終結。11月11日は、Armistice Day(終戦日)と呼ばれています。回避しようという気があれば、回避できた戦争であったと言いますが、1914年の8月にはすでに、ヨーロッパ7カ国が参戦、終戦の際には、世界30カ国が巻き込まれていました。 終戦後、時の英国王ジョージ5世(現エリザベス女王の祖父)が、この日の11時に、死者のために2分間黙祷を捧げるよう促して以来、その伝統は今でも続いています。 そしてその式典は、Remembrance Sundayに、行われるしきたりです。現在は、第一次、第二次、及び、全ての戦争の犠牲者のために祈りを捧げる日。 上の写真は、南は国会議事堂と、北はトラファルガー広場を結び、南北へ走る官庁街、ホワイトホールの南端の道の真ん中に立つ、Cenotaph。もともとは、第一次世界大戦で、命を落とした戦士達の慰霊碑として作られましたが、今では、全ての戦争で命を亡くした者の慰霊碑でもあります。 毎年、Remembrance Sundayの式典が行われるのが、この慰霊碑の回り。英国王室メンバー、政治家などが一同集まりますので、イギリスの要人が一挙に会したのを見たかったら、絶好の時と場所でしょう。 11時のビッグベンの鐘の音が鳴り響くと、全員2分間の沈黙。エリザベス女王が、国民とイギリス連邦を代表してポピー(けし)の花輪を捧げ、その後次々と他の参列者が花輪を置き、儀式後は周りがポピーの花輪でいっぱいになります。 本日の追悼式の様子は、 こちら 。  ポピーがシンボルとして使われるのは、第一次大戦中のヨーロッパの戦場跡で、無数のポピーの花が風に揺られて咲いていた為。長い間、地内に埋まったままだったポピーの種が、戦闘で土地がほじくり返されたことから、一挙に咲き出したと言われています。 10月中ごろから、巷では、胸につけるための紙でできたポピーを売る、ポピー募金が始まります。ブリティッシュ・リージョン(The British Legion

ガイ・フォークスとガンパウダー・プロット

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11月5日のガイ・フォークス・ナイト(Guy Fawkes Night)が近づいてくると、毎夜、あちこちで花火の音が聞こえます。近所の庭で花火をあげる人もいるので、家の窓からミニ花火大会を楽しめる事もあります。 最近は、アメリカから逆輸入されてきた様なハロウィーンに押され、印象が薄くなってきているなどと言われるこの日です。何でも、季節的イベントで一番、国民がお金をかけるのは、上から順番に、クリスマス、イースター、ヴァレンタインズ・デイ、そしてハロウィーン・・・なのだそうで、商業的にも、魔女コスチュームなどなどのおかげで、ハロウィーンが上位にのし上がってきているとの事。 さて、ガイ・フォークス・ナイトは、何を記念するかというと・・・ 「ヴァージン・クイーン」として一生を終えた為、当然子供がいなかった、プロテスタントのエリザベス1世。彼女の時代が終わると、カトリックであったメアリー・スチュワートの息子であり、すでにスコットランドではジェームズ4世として君臨していたジェームズが、イングランドのジェームズ1世となります。 ジェームズの戴冠に、イングランド内カトリック信者達の間では期待がふくらみます。「新王はカトリックに、もっと同情的かもしれない・・・。」。しかし、この期待は、すぐに蒸発。ジェームスは、宗教に関しては、エリザベス時代の態度を変える気配が無い。 そこで幾人かのカトリック信者たちが、国会開会日に、国会に集まったプロテスタントの有力者達を、国王もろとも、爆弾で吹っ飛ばそうとの謀反を企てます。ガンハウダー・プロット(The Gunpowder Plot)と呼ばれるテロ計画です。 プロットは事前に漏れ、決行予定日1605年11月5日の前夜、国会の地下で、ごそごそしていた一味の一人、ガイ・フォークスが多量の爆薬と共に発見され逮捕。翌朝、事がばれたとわかった他の参謀者たちは、逃げ散ったものの、やがて捕まり、処刑。 このころの謀反人に対する処刑は残酷で、 Hanged, Drawn and Quarteredと言われ、 まず、殺さぬ程度に縄で首吊り、その後、生きているうちに、腹を割き、内臓を引きずり出し、火にくべる。後は、体を4つに切り、首ちょんぱ。そして、遺体はしばらく、見せしめにさらされたりしたのでしょう

ロビンと秘密の花園

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赤い胸当てをしたような小鳥、 ロビン 。日本では、ヨーロッパコマドリと呼ばれるこの鳥は、クリスマス・カードのデザインにも頻繁に使われる事でもおなじみです。細い足と小さなくちばし、大きな黒い目は、まるでおもちゃ。 ヨーロッパコマドリは、庭仕事をしていると、掘り起こした土の中の虫やみみずを目当てに、近くに飛んできたりすることから、ガーデナーズ・フレンド(庭師の友達)などとも呼ばれています。 地面に突き立ててある庭を耕すためのシャベルやガーデン・フォークの取っ手に、ちょこんととまっているコマドリの絵は、良く目にするものです。ピーター・ラビットの絵本で、畑でにんじんをかじるピーターの脇にも描かれていました。 上の写真、植木鉢のふちにとまっているの分かるでしょうか。こっち見てます。 可愛い・・・のですが、縄張り意識はわりと強い鳥の様で、結構凶暴な面もあります。以前住んでいた家の庭の奥に、いつもいたコマドリ、他のコマドリが飛んで来ると、大変な剣幕で追いかけ、追い払ってました。人も鳥も、見かけによらないのです。 ***** さて、フランシス・ホッジソン・バーネット(Frances Hodgson Burnett)の「秘密の花園」(The Secret Garden)を読みました。 まだ大英帝国の下にあったインドで育った少女メアリー・レノックス。両親にほとんど無視され、インドの召使達に、育てられ、わがままで、ひねくれた彼女。コレラで両親が死亡した際、イギリスのヨークシャーに住む、せむしの叔父の豪邸に引き取られる。 叔父は、妻が、館の庭園内にある壁に囲まれた花園の木から落ちて死んでから、すっかり落ち込み、始終、館を留守にするようになっていた。妻が生存中は、2人でこよなく愛したこの花園は、10年間、鍵をかけられたまま、誰も入ったものがいない。 メアリーはこの花園の話を聞いてから興味がわき、その花園への鍵とツタに覆われたドアの場所を知りたがるのですが、メアリーを、その秘密の場所へ導くのが、館の庭に住み着いていたロビン(ヨーロッパコマドリ)。メアリーが、徐々に元気な普通の少女へと変身する、最初のきっかけも、このロビンと仲良しになった事から。 やがて、ムーアのコテージに住む自然を愛する少年ディッコンと共に秘密の花園を生き返らせ