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1月, 2011の投稿を表示しています

ニュージーランドでエミューの子守り

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知り合いの夫婦が、2週間ほどニュージーランドのノースアイランド(北島)へ旅行に出かけ、数日前、戻ってきました。現地から、何枚か、写真を送ってくれたのですが、青い空と青い海は、憂鬱な毎日の続くこの時期のイギリスからは、魅力の旅行先ではあります。 現地の友人が留守の間に、ペットのエミューの世話をしてくれれば、無料で家に滞在してよいというアレンジで行ったので、さほど遠出は出来なかったものの、安く上がり、アウトドアライフも満喫して来たようです。上の写真は、泊めてもらった家の広い庭だそうです。にわとりが、勝手に走り回っている・・・。 庭の一部に、このエミューたちを飼っている場所があり、この方達に、宿代無料の代償として、毎日ご飯をあげたそうです。見た目は砂色をしたダチョウといったところ。オーストラリア原生の鳥で、アボリジニーの食べ物であったという事。今でも、食用のために飼育しているケースもあるようですが、このエミューたちは、ただのペットなので、夕飯の食卓に上がる危険はありません。よかったね。 何でも、エミューのおしりのあたりから取れるエミュー油が、お肌に良いのだという噂です。オーストラリア産のエミュー・オイルを販売している会社のサイトをのぞいてみると、エミュー・オイルは、筋肉や関節痛に効き、傷等がはやめに治る、肌荒れを防ぐ、皺防止に良い、養毛・育毛効果がある(!)などと、色々な効用が並べてありました。禿に利くなら、うちのだんなのお土産に買ってきてもらえばよかったか。ただ、こうした効用は、科学的裏打ちが、まだ、しっかりなされていない様です。まあ、副作用は無いというし、さほど高価でもないので、信じるものは救われる、で使ってみる手もありますが。エミュー・オイルも、元は、オーストラリアのアボリジニー達が薬用に使用していたもの。 エミュー氏大アップ。ビー玉の様な目玉。鼻の穴も大きいのです。 ***** さて、旅行から戻った彼ら、ヒースローへ着くなり、母国の灰色の空にがっくり。そしてロンドンを横断した際にも人の多さと、それに伴うストレスにげんなり。「ニュージーランドへ移住したい」と愚痴っていましたが、半分、夢、半分、本気の感じです。「夕食後に、ソファーに座ってテレビ見る代わりに、近くの砂浜に散歩に出れるし、むこうのライフスタイルの方が、確実に上。」だそう。 英語圏ということもあって、イギリ

モーターサイクル・ダイアリーズ

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若かりしエルネスト・チェ・ゲバラが、生涯の友、アルベルト・グラナードと共に、故郷アルゼンチンを出発し、南米を旅した際の日記の映画化。ポンコツのオートバイは途中で壊れてしまいますから、後半は題名に偽りあり・・・ですが。 映画では、ゲバラが、社会主義に目覚めていく過程が強く描かれていますが、原作を読んだ限りにおいては、冒険と人生を楽しんでいる、まだ、悩みなき青春の日記という感が強かったです。映画は、原作に少し手は加えてあり、多少劇的にしてあるものの、主旨がよくわかり、心に響く、いい映画になっていると思います。 ゲバラもグラナードも、正義感、平等の意識が強い人間だったようですが、私が以前読んだゲバラの伝記によると、2人の違いは、グラナードは敵に銃を向けたとき、相手の家族などの顔を想像してしまい引き金が引けないタイプ、ゲバラは個人の悲劇や感情を超え、理想のためなら、引き金をためらいなく引くタイプということ。だんなか友達にするには、グラナードの方がいいかもしれない。 真の革命は、市民を武装させなければ到達し得ない、理想だけの平和主義では、平等な社会を作る前に、暴力を使う事を怯まない体制側にやられてしまう、というのがゲバラの考えだったようです。実際、若い頃、グラナードに、平和的反政府デモに参加しないかと誘われ、「そんな事してどうする。警察の奴らに思いっきり殴られておしまいだ。」という感想をもらしたというエピソードも、同じ伝記で読んだ覚えがあります。これは、独裁者または、体制側が、どれだけ、国際意見を無視して、冷酷に振舞えるかにもよるでしょうが。 2人は、チリのチュキカマタ銅山(Chuquicamata)を訪れ、そこでの鉱夫たちの扱いに怒りを感じる・・・時は経ち、今では、南米では比較的良くやっている感のあるチリ、時折ストライキの話は聞くものの、その鉱夫達の待遇もかなり改善されている様子で、給与も国内の他の産業従事者に比べ悪くはない、という話ですが。最近の救出劇で人気者になった鉱夫たちも記憶に新しいところです。 また、一生働いてきたものの、病気になり、家族の厄介者となってしまった老婆の看護を頼まれた際、貧民への無料の医療提供の大切さを痛感するくだりは、原作のほうでもかなり印象に残っています。 雄大な風景はとても美しく、彼らが少年時代に「本でしか知らなかっ

パタゴニアの風を感じる映画2作

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「Historias Minimas」(ほんのささやかな物語)という映画があります。アルゼンチン南部のパタゴニア。草木も無い、だだっ広い風景の中、3人の登場人物がそれぞれの理由で、サン・フリアンという町へと向かう過程を描く、3つのささいな物語。第3者からしてみれば、何と言う事はない、ある日のスケッチですが、それぞれの登場人物には、記憶に残る出来事。調べた限りにおいては、日本で公開されていないようで、邦題はわかりません。 さて、この3人のうちの1人は、視力も悪くなり、息子夫婦に後を継がせた雑貨店の前にじっと座っている老人。3年前にどこかへ行ってしまった愛犬を、知り合いからサン・フリアンで見たと知らされ、反対する息子に隠れて、夜中に家を出、サン・フリアンにむかって広大な景色の中を歩いて行く。この愛犬の名は、なんと「変な顔」。 もう1人は、トラベリング・セールスマン。サン・フリアンに住む未亡人に恋して、彼女の子供の誕生日のために、ケーキ屋でケーキを特注し、それを持って行き、彼女を驚かそうという寸法。最初はサッカーポールの形をしていたこのケーキを、今ひとつ、気にいらず、次々と手が入り、姿がどんどん変わっていく過程が楽しいです。 最後の1人は、小さな赤ん坊を連れた若いママ。ちょっとした景品をもらえる、テレビのゲームショーに出演するため、サン・フリアンへと。 たてつづけに喋るセールスマンのロベルト役以外は、ほとんどが素人だそうで、その何とないぎこちなさが、妙に映画に現実感を与えてます。(ケーキ屋の役は本当のケーキ職人だとか。) 窓辺に座って、道行く人を眺めながら、この人はどこへ行くのだろうな、などと考えるのが好きなような人には、楽しい映画です。 南米、それに、パタゴニアなど、おそらく一生行くことが無いような場所と、そこでの生活風景を見れるのも、英米ヨーロッパ圏外の、ワールドシネマの醍醐味でしょうか。南緯40から50度あたりは、陸地が少なく、ほとんどが海洋なため、風が強いなどといわれますが、映画の背景で、確かに、かすかな風の音も聞こえてきます。音といえば、それくらいしかないような場所でもあるのでしょうが。郷愁誘うような音楽もいけます。 Uチューブで見るこの映画の広告ビデオは、 こちら 。 原題:Historias Minimas 監督:Car

かっこう時計

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以前から思ってはいたのです。英語のCuckoo Clock(クックー・クロック)は、直訳すると、かっこう時計であるのに、日本では、鳩時計で通っているのも不思議だな、と。 こちらでは、時計から、かっこうが飛び出してきて、Cuckoo! Cuckoo!(クックー、クックー!、かっこう!かっこう!)とやるのに、日本にいた子供の頃は、鳩が出てきて、「ぽっぽー!ぽっぽー!」と鳴いているのだと信じていたのです。上の絵の通り、見た目も、鳩に似ていなくはないのです。(絵は、 RSPBのサイト から拝借しました。) メアリー・ルイザ・モールズワース(Mary Louisa Molesworth)、または単にモールズワース夫人と呼ばれる女流作家による、1877年著の児童文学、「かっこう時計」(The Cuckoo Clock)を読みました。この話には、かっこう時計の中のかっこうが、少女と遊ぶために登場するので、さすがに日本語でも「鳩時計」とは訳せないのでしょう。「かっこう時計」のタイトルで翻訳が出ているようです。 外国で生まれ、イギリスに住む親戚の2人の老婦人が住む大きな館へ送られてくる少女、グリゼルダ。大人ばかりの館の中で、子供の遊び相手もなく、なんとなく寂しい彼女が、館内の古いかっこう時計の中に住むかっこうと友達になり、色々な世界へ連れて行ってもらう。やがてグリゼルダは、かっこうの導きで、館の大きな庭に迷い込んだ近所に住む男の子、フィルと知り合って仲良くなる。 グリゼルダのおばあさんは、ドイツ出身で、館内のかっこう時計は、ドイツで時計技師をしていた、グリゼルダのおばあさんのおじいさんによって作られたという設定になっています。 中国の首振り人形の国、蝶の国などを、グリセルダが、かっこうに連れられ訪れるファンタジーでありながら、「子供達よ、良い子になりなさい。」の様なお説教臭いところも、ところどころ感じられます。 グリゼルダが、家庭教師とのレッスンの事で、老婦人にぐちった際に、婦人は、かっこう時計が時を告げるのを聞きながら、一言。 Good little cuckoo. What an example he sets you. His life is spent in the faithful discharge of duty. かっこうの感心な事。お

春が待てずにハンギングバスケット

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霧雨しとしと、と思うや、いきなり雲が切れお日様が出、また気がつくと、霧雨しとしと。そんな天気の中、近くのガーデン・センターへ出かけました。灰色と濡れた緑ばかりの日々を数えるのに飽き、春が待ちきれずに、明るい色の花を盛ったハンギングバスケットを作りたくなったのです。 冬のこの時期、ガーデン・センターで売っている花の主流は、ヴィオラ、パンジー、それにプリムラ(ポリアンサス)。というわけで、チョイスは比較的限られているのですが、花びらがぎざぎざで、他より多少華やかな感じのパンジー1パックと、造花の様な色のプリムラ3鉢を買いました。造花・・・そうですね、プリムラは、野生の花から、ガーデン様に生み出されたものなので、ある意味で、造花ではあるのです。プリムラ3鉢で1ポンド・・・これは、なかなかお買い得値段でした。 帰宅後、さっそく庭で、相変わらず、霧雨と太陽の交代劇が繰り広げられる中、ワイヤーの小型ハンギングバスケットに、中敷を入れ、土を入れ、明るい色の花たちを植え込み。ついでに、花壇の片隅に生えていたアイビーを少し取って植え込み。 ハンギングバスケットの中敷には、こけを使うのが伝統的なイメージがあります。「庭の芝生や花壇からこけを集めて使いましょう」、などと書いてあるサイトもありましたが、うちの庭には、バスケットをライニングできるほど大量のこけもなし。いつかのテレビ・ガーデン番組では、こけでなく、芝の刈ったもので代用するのも良い、とやっていましたっけ。冬季は庭の芝を刈る必要も無く、よって、切った芝も無いので、今回は、去年の夏に使った、人工の布の中敷を、洗って再利用しました。このほかにも、中敷は、紙の物、ココナッツのファイバーを使ったもの、と色々出回っているようです。芝刈りの季節になったら、一度、芝を使ってライニングしてみる事にします。もう少しナチュラルな感じになるでしょう。 キッチンの窓から見えるところに、バスケットを吊り下げました。料理しながら、このささやかな半球の楽園を眺められるのが嬉しいです。 残りの花たちも、こうして植えて。春まで、気を明るくさせてくれる手助けになるでしょうか。

キンドルは読みやすすぎる?

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先日、朝、ラジオで聞いた話です。 アマゾン・キンドル での読書は、大変読みやすいのだが、読んだ後、内容があまり記憶に残らない・・・これは何故だろう・・・というのです。何でも、脳は、あまり読みやすいフォントを使ったものだと、読んだ内容がわりと簡単に頭から出て行ってしまうのだそうです。それとは逆に、多少読みにくいフォントや、筆記体でくにゃくにゃ書かれたものの方が、しっかりと脳にインプットされやすいと。 理由は、読みにくいフォントを見ると、脳が、情報を吸収する際、「むむ、これは何と書いてあるんじゃ!」と努力をするからなのだそうです。あまりにも、見た目に明確で、読みやすく、すらすら脳に入っていくと、その分、簡単に出て行ってしまう。 Easy come, easy go.(簡単に手に入ったものは、簡単に失せてしまう) No pain, no gain.(苦労なくして、得るものはなし) と昔の人が言った通りか。 脳にも、多少の苦労をさせて、イバラの道を踏ませねば、しっかりとその可能性を発揮しないと言うわけです。 それでも、読感快適、ハンドバッグに収まるサイズで、場所をとらないキンドルは、もう手放せませないのです。私は、所詮、英語は母国ではないから、英語を読むときは、脳みそはすでに、普通のイギリス人よりは、努力しているはずだ、と勝手に解釈しています。読んだ後に、簡単な概要をメモったり、読後感想文などを書けば、効果あるかもしれませんが、読んだ本、一つ残らずに、一々そんな事もやっておれない。 気なった部分、覚えておきたい部分に、キンドルを使ってアンダーラインをひいたりすると、後からすぐにその部分を再度読めるので、この機能は重宝して使っています。 *写真は、Guardian on lineから拝借。

田舎の日曜日

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「何じゃ、この映画、何も起こらないじゃないか。」と途中でやめてしまう人もいるかも。私は、とても好きな映画でしたが。かなり以前、一度見たきりですが、色々な場面を良く覚えて、もう一度見てみたい。英語のタイトルは、そのまま直訳の「A Sunday in the Country」。 田舎に住む画家の父親のもとに、日曜日になると頻繁に義理堅く訪ねてくる息子家族。ある日曜日、あまり姿を見せない、娘も訪れた。 この家族が日曜の午後を過ごす様子を追う、それだけの、取り立てた筋も無い映画です。私は、家族間の感情を読むのが面白かったですが。また、口には出さないものの、娘の心の半分を占めている感の彼女の私生活と恋愛関係も、あちらこちらで見え隠れして。 父親は、陽気で奔放な娘の方がなんとはなしに可愛い。兄の子供たちも、堅苦しくぎこちない両親より、明るくきれいなおばさんに好感を持つ。兄にはそれが少し面白くなく、時々、つっかかってしまう。兄の感情描写に「裏切られた、献身的な恋人のように」という表現を使っていたのをなんとなく覚えています。 父親と娘が村の居酒屋へ行き、ダンスをする人々を眺める場面が特に綺麗でした。ルノワールの絵に見えるように撮ったという話を聞きましたが、本当に、その通りでした。「パパ、踊ってよ。」とか言って2人もダンスに加わるのでしたっけか・・・。(右の絵はルノワール、Pierre-Auguste RenoirのDance at Bougival。) 以前、知り合いが「フランス映画は速度がおそくてな。人がスープ飲むところを10分映してるの見ても仕方ないのに。」なんて言ってました。スープを飲みながら、心の中で何かが起こっていて、それを上手く表現できてる映画もあり、これもそんな映画のひとつだと思うのですが。それに、目にもとても良いご馳走になりました。 原題:Un dimanche á la campagne 監督:Bertrand Tavernier 製作:1984年 言語:フランス語

シャード

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Shard(シャード)とは、「(尖ったガラスや陶器等の)破片」を意味します。 現在、ロンドンブリッジ駅のすぐ脇に建設中の建物は、ザ・シャード(The Shard)または、シャード・ロンドン・ブリッジという名で呼ばれており、来年、完成の暁には、310メートル、87階建てと、EU内で一番高いビルになる予定。パリのポンピドゥー・センターの設計で知られる、イタリア人建築家、レンゾ・ピアノ氏によるもの。上の写真、ロンドン橋南岸に見えるのが、建設中のシャードです。 こんな不景気が騒がれている時に、こんなもの建てていいのかい、という感じですが、中東のカタールからの投資がかなり入っています。資源のある国は懐深いです。 上の写真は、、 BBCサイト から拝借した、コンピューター・グラフィックの完成予定図。名前の通り、先が尖がり、表面はガラスに覆われ、ぴかぴか。空に大きく刺さる、ガラスの破片のイメージになるのです。建設途中の今でさえ、その脇を通るときに、何か落ちてきそうな気がするのに、完成後は、大風の日など、ガラスの破片が上から降ってきそうで、あまりそばに寄りたくない感じです。 以前は、「ロンドンのシティーの建物は、セント・ポール大聖堂より高くなってはいかん」という規制があったようですが、今はそれも無く、 ガーキン なども、セント・ポールより背が高いのです。当然、もっとのっぽなシャードは、セント・ポールを見下ろす事となります。上もBBCサイトからの写真ですが、上に乗っかっているクレーンを考慮せずとも、すでに現段階で、高さ同じか超えてます。ちなみに、セント・ポール大聖堂の高さは、英語ウィキペディアによると、111メートル。 シャードの31~33階の高さが、大体ロンドンアイの一番上の高さと同じだというので、観光客用の展望台になる予定だというシャードの68階~72階からの見晴らしは、確かに、かなり良いはず。一度くらいは、上ってみる価値ありでしょうか。 上の図は、ロンドンの サザーク地区の地方紙 に載っていたロンドン内の建物の高さ比べ。 私は、ガーキンもわりと好きだし、変わった建物が、ロンドン内に点々とあるのは面白くていいのですが、これがエスカレートして、そこらじゅう、高層ばかりになると、ロンドンのシティーの今の雰囲気が変わるようで、嫌な気もします。以前、観光でニュ

ロンドン・ブリッジ

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テムズ川を渡って、北はロンドンのシティー、南はサザーク(Southwark)を結ぶ橋が、ロンドン・ブリッジ。現在のものは、1973年に開通となった、特に風情も無いコンクリートの橋。上の写真は、北岸から、橋の南端を取ったもの。背景に頭をちょっこり覗かせている教会は、シェイクスピアゆかりのサザーク大聖堂。中世のサザークは、興行娯楽地域でしたので、シャークスピアのオリジナルのグローブ座も、この界隈にありました。 長い間、ロンドンの主な交通の目抜き通りであったテムズ川。物資も人も、テムズ上を船で移動させた方が、陸路を行くより早かったのでしょう。最初に、この辺りに橋をかけたのは・・・、そうです、やっぱりローマ人。43年にイギリスに遠征したクラウディアス帝の軍により、簡単な橋が建設され、後、さらにちゃんとした木製の橋が建てられたと言われます。そして、この橋の北側の、現在のロンドンのシティーにあたる場所が、ロンディニアム(Londinium)と称され、発展することとなります。今のロンドンは、ここから発生し、大きく広がっていくこととなります。ローマ人が去った後、この最初の橋は、取り壊されるか崩れるかし、発掘物から判断する限りにおいては、その後、かなり長い間、この場に橋がかけられた形跡はないようです。 1000年ごろ、木製の橋がかけられますが、これは、何度か侵入してくるバイキング達によって崩されたり、火災や洪水被害にあっては、修復され、建て直され。 ようやく木造の橋に懲りたか、ヘンリー2世の時代の1176年に、石造の橋の建築が始まり、これが完成するのが、1209年。旧ロンドン・ブリッジと呼ばれるものです。「London Bridge was built on woolpacks.」(旧ロンドン橋は、羊毛の上に築かれた)などと言われるよう、建築費の大部分は、羊毛にかけられた税金からまかなわれ。この旧ロンドン・ブリッジは、1831年に、取り壊されるまで、約600年以上もの間、活躍する事になります。橋の長さは約290メートル、19の石のアーチが使用され。 船で、このロンドン・ブリッジの下を通り抜けるのは、なかなか要注意だったようで、「London Bridge was made for wise men to pass over and fools to pass unde

ランベス宮

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ランベス宮(Lambeth Palace)。ロンドンは、国会議事堂の、テムズ川を挟んだ向かい(やや西より)の南岸にあるこの建物は、イングランド国教会(Church of England)の長、カンタベリー大主教(Archbishop of Canterbury)のロンドンにおける公邸。宗教政治関係の国内外のゲストを迎えての公の催しなども時に執り行われる場所でもあります。 過去約800年の間、カンタベリー大主教(大司教)公邸であり、当初の使用目的が、これほど長い間、現在に至るまで変わっていないという点で、わりと珍しい建物のようです。もちろん、ヘンリー8世前は、カンタベリー大司教は、ローマ・カトリックであったわけですが。残念ながら、内部は、通常は一般公開されていません。 建物全体は、時代を経て、建て増し、改造が行われており、この正面入り口の建物、モートンズ・タワーは、1490年、当時カンタベリー大司教であったジョン・モートンにより、建てられたもの。12歳だったトマス・モアは、このモートンに仕えるため、短期間、この塔に居住し、また、後にモアが、ヘンリー8世を、イングランド国教会の長と認める誓いを立てるのを拒絶したのも、このランベス宮においてだったといいます。 (トマス・モアについては、以前の記事、 「全ての季節の男」 まで。) 初代カンタベリー大司教は、ローマ法王グレゴリウス1世により、布教のためにイギリスへ送られたベネディクト派僧のアウグスティヌス(英語読みは、オーガスティン、Augustine)。ケント州のカンタベリーを本拠地とした彼は、597年に、カンタベリー大司教となります。 当時、イギリスは、このオーガスティンに率いられたローマからのキリスト教の布教と、更には、アイルランドからのケルト風のキリスト教の布教活動が行われています。最終的に、ローマ派のキリスト教が、主流となります。そして、ヘンリー8世がローマと決別した後も、現在に至るまで、カンタベリーが、イングランド国教会総本山としての位置を保つ事となります。 (アイルランドからの布教とローマからの布教の話については、過去の記事、 「イギリスで一番古い教会」 を参照下さい。) 現カンタベリー大主教は、ローワン・ウィリアムズ(Rowan Williams)氏。大きく上に跳ね

黒い羊と農場の風景

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先日、小さな農場の脇を走る遊歩道を辿って散歩に繰り出しました。 その際、この羊に遭遇。サフォークと呼ばれる種の、顔と足だけが黒く、毛が白い羊は良く見かけますが、顔も毛も黒い羊を見るのは珍しいので、ちょっと嬉しくなり。立ち止まって、呼びかけると、とことこと私達の方へ寄ってきた様子も可愛らしく。後で、調べたところ、Black Welsh Mountain Sheep と呼ばれる種のようです。 下はこの時のビデオ。だんなの手の臭いを、ふんふんと嗅いだ後、気に入らなかったか、すぐにくるりと振り向いて去って行ってしまいました。 白い羊毛と異なり、染色できない事から、一般に、昔から、黒い羊というのは価値が低いものとされていたようであり、また、黒という色が悪魔を連想させ、英語で、ブラック・シープというと、(家族や社会の中の)厄介者、風変わりな者の意味があります。 He is the black sheep of the family. (彼は一家の厄介者・変わり者だ。) そして、ブラック・シープと言って頭に浮かぶのは、「ナーサリー・ライム」(マザーグースの唄)のひとつの、「バー、バー、ブラックシープ」。羊が、バーと鳴くか、メーと鳴くか・・・各国により、音の判断と表現が違うというのも当たり前のようで、不思議なものです。 Baa, baa, black sheep, Have you any wool? Yes sir, yes sir, Three bags full. One for the master, One for the dame, And one for the little boy Who lives down the lane. メー、メー、黒羊 ウールはあるかい? はい、はい、あります 3袋、いっぱい ひとつはご主人用、 ひとつはご夫人用、 そして、ひとつは道を下った家に住む 小さな男の子のために 「バー、バー、ブラックシープ」を 聞いてみよう 。「きらきら星」と同じメロディーです。 この黒羊君の他にも、同じ農場に、ちょっと変わった羊達がのんびりしていました。 更に、歩いてゆくと、屋外で豚が飼われているところがあり。 一匹の大きな豚氏、背中がかゆいのか、さかんに、木で背中をごりごり掻いていました。ああ、気持ちはわかります。孫の手でも欲しいところか。 そして、子豚

闇の奥

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小説「闇の奥」(Heart of Darkness)の作者、ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad 1857-1924)という人物は、なかなか面白いバックグラウンドを持った作家です。 ポーランドの貴族の家系で、生まれたのは当時ロシア占領下のポーランド(現在はウクライナ領土)の町、両親共に文学者で、父親はシェークスピアの翻訳なども行っており、早くから文学に親しみ。両親は、政治的に反ロシアの活動を行い、やがて、家族は、北ロシアへ追放される。両親を早くして亡くし、15,6歳にして、船乗りとなる。やがて、イギリス商船で働くようになり、その後、イギリスに帰化。 語学の才に長けた人で、母国語と呼べるものは、ポーランド語、フランス語、ロシア語。そして学校ではドイツ語とラテン語も学び、英商船勤務中に、英語もマスター。コンラッド自身は、フランス語あたりで書いても良かったのでしょうが、イギリス人にとっては幸いな事に、「闇の奥」は、英語でかかれる事となります。 船乗りとして勤務の間、オーストラリア、極東など、色々な場所を訪れ、それも作品のインスピレーションとなっているようです。「闇の奥」の語り手、船乗りのマーローが、子供の頃に、世界地図を見ながら、ここも行きたい、あすこも行きたいと、思いをめぐらしたくだりなどは、本人の子供時代の思いにつながるものがあるのでしょう。 はっきりどこが舞台か明記していないものの、「闇の奥」の物語が展開されるのは、ベルギー国王レオポルド2世の支配下の、コンゴ。マーロー同様、コンラッドも、まだ未開で、内陸の事情が良くわかっていなかったアフリカに惹かれ、コンゴで蒸気船の船長となり川を上り。そこで繰り広げられる、白人による現地人に対する残虐な行為を目撃し、精神的衝撃を受け、その印象は一生続く事となったようです。ベルギーなどの、今は大人しい、害の無いイメージの国も、昔は、やはりひどい事していたものです。先進国で、過去、手に血がついていない国は、無いのかもしれません。 小説内初めの方に、マーローが、テムズ川に停泊する船上に座りながら、かつて、ローマ支配下にあったイギリスに思いをはせ、支配者としてやって来たローマ人は、当時のイギリスに対し、マーローの時代の西洋諸国がアフリカに抱くのと同じような印象を持っただろうと考察

ガーデナーのためのラテン語

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What's in a name? That which we call a rose, By any other name would smell as sweet; 名前が何だというの?私達が薔薇と呼ぶ花は、 たとえ他の名で呼ばれても、同じように甘い香りを放つでしょうに。 (シェイクスピア「ロミオとジュリエット」第2幕、第2場) シェイクスピアのような詩人にとっては、薔薇は薔薇と呼ばれなくても、目に美しく心振るわせるものでしょうが、植物学者にとっては、ジュリエット(またはシェイクスピア)が見た薔薇は、実際にどの種の何という薔薇だったか、探求しなければ気がすまない。 花や植物の名は、同じものでも、国によって地方によって、その俗名(common name)が違う事が多々あります。混乱を無くすため、それぞれの植物を、分類し、全世界共通の名を用いるのに使われているのが、ラテン語で記述される学名です。 この世界共通の呼び名の体制を整えたのが、スウェーデン人の自然学者で、分類学の父、カール・フォン・リンネ(またはカール・リンナエウス Carl Linnaeus、1707-1778)。上の絵は、ラップランドの衣装に身を包んだリンナエウス。この絵は、私の持っている植物辞典にも載っています。 彼は、其々の植物を、ラテン語の単語を2つ使う事による、二名法(binominal name)で分類。最初の単語は、植物の属(genera、 単数形はgenus)を示し、2番目の単語はその種(species)を表す。属名は、大文字で始まる名詞、種の名は、小文字で始まる形容詞を用いるのがルールです。 それまでは、植物は、その性質を描写するフレーズ等を使って呼ばれており、妙に長かったりしたのと、また、地域により違いが多く、ややこしかったのが、リンナエウス氏のおかげで、すっきり整理。 少しずつでも、この植物のラテン語学名を覚えたいものだ、と思って、去年買ったのが、この本、「ガーデナーのためのラテン語」(Gardener's Latin)。綺麗な表紙に心引かれたという単純な理由もあります。 この本は、植物の種の名前に良く使用されるラテン語の形容詞が、男性単数の形で、アルファベット順に載っており、知らない種の名前に行き当たった時、これをひくと

シューティング・パーティー

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シューティング・パーティー(The Shooting Party)という1985年の映画が、先月、テレビでかかっていたので見ました。題名は聞いた事があったのですが、さほど知られていないもので、日本での知名度もおそらく0に近いかもしれません。したがって邦題もわかりません。直訳は、「狩猟の一行」。 第一次世界大戦前、1913年のイギリス、ハートフォードシャー州の秋。ジェームズ・メイソン扮するその土地の貴族、ランドルフ・ネトルビーが、自分の館にゲストを招いて恒例の雉狩りを行う。映画は、館での生活ぶりと、この狩猟の一行を追うだけで、取り立ててはっきりしたストーリーラインは無く、忍び寄る貴族社会とその生活ぶりの崩壊、ひいては、やがてくる大戦が暗示されている感じです。 薄い雲に覆われ、太陽がはっきり見えない空と、絶えず薄霧がかかっているような、もやっと白っぽい風景に、イギリスの秋冬の雰囲気が良く出ています。 ゲストの一人は、何羽打ち落とせるかで、他のゲストにライバル意識を燃やし、ムキになった挙句の果て、映画の最後で、空に向けて銃を撃つルールを破り、前方へ銃先を向け、土地の労働者を過って殺してしまう。すでに、変わりつつある貴族社会の没落を予感し、憂いていたネトルビー氏は、彼にむかい一言、「君の撃ち方は、紳士的ではなかった。」 また、ジョン・ギールグッドが、動物愛護運動家として、自費でビラを作り道で出くわす人間に配り、「狩猟反対、動物の権利を守れ」の様なプラカードを掲げ、狩猟の一行の前に登場する姿が愉快でした。この頃のビラは、今のブログの様なものでしょうか。自分の言いたい事を書き上げて、印刷屋へ持って行き、刷って、配る。この動物愛護運動家を相手に、ネトルビー氏は、「この雉達はもともと、我々人間がいなければ、ここに存在しないわけだが、人間は、命を与えながら、それを取る、という神の様な振る舞いをしているわけだな・・・。」と思慮深く答える。 ゲストで招かれた者たちは、遊びである狩猟の場から離れ、やがて戦地へ赴き、ソム、パッションデール、ガリポリ等の、第一次大戦の激戦地で命を落とす事となり。そして、戦後は、徐々に始まっていた社会体制の変化に拍車がかかり。 原題:The Shooting Party 監督:Alan Bridges 言語:英語 1985年

私のキンドル!

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アマゾンのキンドルを買いました。ハリポタをフッ飛ばしての、アマゾンでの売り上げ堂々ナンバーワン商品。 新しい物に、すぐ飛びつくタイプでもなく、テクノロジー大好き人間でもないのですが、以前、インターネットでキンドル3の評をビデオで見た際、「本が好きなら、キンドルが好きになるだろう」と言っているのを聞いて、気になっていた代物。 以前は、本はやっぱり、手でぺらぺらめくってじゃないと・・・という古い考えもあったのですが、外へ持ち出し、お日様の中でも読め、文字の大きさも変えられる。読んでいるうちに、表面が紙でないというのを忘れる読みやすさだ、という話にも大いに説得され。 著作権の切れている古い名作の多くは、アマゾンから無料でキンドルへダウンロードして、すぐ読み始める事ができるのも魅力なら、241グラムの軽量で、3500冊以上をを内部に収納可能というのもいい。本を買うのもいいのですが、貴族の館の様に、家の中に図書室があるわけでもなく、まして手狭な我家で、これ以上あまり本の数を増やさず済むというのは、嬉しいのです。という事で、さっそく、無料の本を10冊ダウンロードしました。 昨夜から読み始めた、記念すべき、マイ・キンドルでの最初の一冊目は、Joseph Conrad (ジョゼフ・コンラッド)の「Heart of Darkness 」(闇の奥)。映画「地獄の黙示録」の基ともなり、良く耳にし、引用、取り沙汰される本なので、ストーリーは知っているけど、「これはやっぱり読んでおこうかね。」と、去年、近所の図書館で探したのですが見つからず、そのままになっていたのです。それが、アマゾンのキンドルストアーで注文ボタンを押し、あっという間に、手元に。 読み心地も、期待を裏切らず快適です。辞書も入っており、調べたい単語の前にカースルを動かすだけで、スクリーンの下か上に意味が出てきて便利。全ての機能をまだマスターしていないのですが、気に入った部分にアンダーラインをひいたり、メモをしたりもできるよう。また、大勢の他人がアンダーラインを引いた部分も表示されるので、どの部分が良く引用されるくだりか、などもわかります。 しばらくは、無料の本を読み続け、そのうち、有料の物も、ぼちぼちとオーダーするかもしれません。私にとっては、小さな生活革命となりそうなキンドル、これから大いにお世話

東方の三賢者

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本日、5日は、十二夜(クリスマスから12日目)なので、クリスマスの飾りやカードを片付ける事とします。クリスマスの飾りは、この後も出して置くと縁起が悪いという話なので、大体、毎年この日を目安に。 クリスマスシーズン(降誕節)の終わりを告げる十二夜も、かつてはこの国で祝われており、飲んだり食べたり、歌ったり踊ったり。シェークスピアの劇「十二夜」は、十二夜の祝いのためにかかれたものと言う話ですが、今は、ただ普通の日の感覚です。 明日6日は、Epiphany。日本語では、公現節、主顕節などと訳されるようですが、キリストがその神性を表した日。また、東方の三賢者が、星を追って、ベツレヘムの幼子イエスを訪れた日とされます。この三人は、英語では、 Three kings(三人の王) Three magi(発音はメイジャイ、magusの複数形、魔法使いの意もありますが、三賢者としておきます) Three wise men(三賢者) などと、呼ばれています。ちなみに、オー・ヘンリーの短編小説、「賢者の贈り物」の原題は、「The Gift of the Magi」で、この東方の三賢者にちなんだもの。聖書内では、この3人は、マタイによる福音書の2:1-13に言及されるのみ。 空に新星を見た3人は、尊い人物が生まれたと気づき、星を目当てに東方から、ユダヤの地へやって来る。当時ユダヤの地を統治していたヘロデ王が、救世主の誕生の噂を聞きつけ、自分の地位が心配になり、「その御子を見つけ、どこにいるか、知らせて欲しい。私も一目見たいから。」と3人に頼む。三賢者は、やがて、イエスを見つけ、それぞれ、3つの贈り物をする。 以下、マタイによる福音書、2:11-12より 11 And when they were come into the house, they saw the young child with Mary his mother, and fell down, and worshipped him: and when they had opened their treasures, they presented unto him gifts; gold, and frankincense and myrrh. そして、彼らがその屋に入ると、母メアリー

冬の夜のオックステールシチュー

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冬の夜は、ほくほく温まるオックステールシチュー。牛の尾と野菜を、肉が柔らかくなるまで、約2~3時間煮るので、時間がかかりますが、材料をお鍋に入れた後は、ほとんど放っておいて良い料理というのは、ずぼらな私には性に合うのです。 レシピは、色々あるのでしょうが、うちの古い料理の本に載っている簡単な方法で作っています。 材料(4~6人) 脂または油 オックステール 1(関節で切ってあるもの) 小麦粉 29g 塩 コショウ 少々 玉ねぎ 1個 ニンジン 1本 カブ 1個 セロリ 1本 ハーブ類 固形ブイヨン(ビーフ)2個 湯 1パイント(約568ml) 準備 オックステールを塩コショウして小麦にまぶす。 野菜類を切る。 ブイヨンをお湯に溶かす。 1.脂・油を鍋で熱し、小麦をまぶした肉の表面がきつね色になるまで焼く。 2.肉を鍋から取り出し、野菜を2,3分いためる。 3.鍋に、肉をもどし、ブイヨンを溶かしたお湯と、ハーブを加え、よくかき混ぜ、約2~3時間、やわらかくなるまで煮る。肉が、簡単に骨からはがれるようになるまで煮る事。 *特に脂身の多いオックステールを使う時は、食べる前夜に作っておくと良い。その際には、再び火を通す前に、表面の脂分をすくって取り除くこと。煮立たせたあと、15分ほど弱火にかける。 最後に、シェリーなどをたらす人もいるようです。 この写真の見かけは、今ひとつで、不味そうだと思われてしまうかもしれませんが、リッチな味で美味です。せっかくの1頭の牛、尻尾まで無駄なく「いただきます」、という感覚もいい。私は、ブイヨンが、2個は少し多めの気がして、1個半。野菜も、多めに入れることもあり。レシピはあくまで、目安です。 付け合せには、ゆでたポテトがいい、と本にはありましたが、うちは大体、パンと一緒。 狂牛病が流行った頃などは、尻尾も販売がとめられていましたが、今では、再び、専門の肉屋だけでなく、スーパーでも入手できるようになりました。ここのところ、週に1回は作っている、この季節のお気に入り料理です。

アーコールのウィンザーチェア

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体力をつけるためと称して、年明け早々、病後初めてテニスをしようと、だんなは、自転車で、テニスクラブに出かけて行きました。2,3時間後、居間で雑誌を読んでいたところ、前の通りを、片手に椅子を抱えるようにしながら、よろよろ自転車で通りかかる人物が目に入り、「どこの変人だ、新年早々、椅子をかかえて自転車こぐなんて。」と思い、良く見たら・・・うちの変人でした。 「道端に捨ててあって、もったいないと思い拾ってきた。」のだそうです。椅子の座る部分の後ろには、「Ercol, Made in England」のシールがついていました。アーコール社のウィンザーチェアの一種(ローバック)。目の玉が飛び出すほどの高級品ではないものの、ハードウッドを使ったしっかりした家具。壊れているわけでもなく、形も良いのに、まるでゴミの様に、その辺に捨てる人もいるものです。 布で拭いて、泥を落とし、早速座ってみると、私の机にぴったりのサイズ。今まで、PCなどをするときに、背もたれの無い木製回転スツールを使っていたので、これに切り替えました。スツールには、植木鉢でものせる事にして。 座り心地も良く、すでに私のお気に入りの椅子の地位を獲得。まさに、捨てる神あれば、拾う神あり。 多少、くたびれた感じなので、そのうち、お天気の良い日を見計らって、庭で、ワックスをかけて、ぴかぴかに磨き上げる事にします。 だんなが満面の笑みを浮かべて曰く、 「Now, don't tell me I never get you a present.」 (これで、僕が、何にもプレゼントあげないなんて、言わないでね) うーーーむ・・・・。 子供の頃に両親と共にロンドンへやって来たイタリア人移民の子、ルシアン・アーコラーニ(Lucian Ercolani)。家具デザイナーとなった彼は、1920年、バッキンガムシャー州ハイ・ウィッカム(High Wycombe)にて家具メーカーのアーコール社を創業。氏は、堅い木材を、大量に効率よく、蒸気を用いて曲げる技術を開発し、ウィンザーボウと呼ばれる弓形に曲げた背もたれや腕かけを持つ、ウィンザーチャアを、比較的手ごろな価格で、大量製造を行います。 アーコール社のサイト 。 イタリアから移住し、イギリスで活躍した人物というと、他にも、ラジオのグリエル