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5月, 2020の投稿を表示しています

ホブスンの婿選び

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英語で、「Hobson's Choice」(ホブソンの選択)という言葉があります。どういうことかというと、一見、選択肢があるようでいながら、実はひとつしか選べるものが無く、それを取らないと、何も手に入らない、という状況を表現する時に使われます。 1954年のデイヴィッド・リーン監督のイギリス映画に、その名も「Hobson's Choice」(邦題は、ホブスンの婿選び)というものがあります。(ここで、また、英語のカタカナ表記の問題にいきあたります。私は、個人的には、ホブ ス ンでなく、ホブ ソ ンと書きたいところですが、日本での、この映画の題名は、上記の通り「ホブ ス ンの婿選び」。以下、ホブスン、ホブソンと入り混じれて書いていますが、いずれの場合にせよ、Hobsonの事ですので、悪しからず。) この「Hobson's Choice」という表現の由来は、映画より、もっと古い時代に遡ります。それは、ケンブリッジで厩を経営していたトマス・ホブソン(1544-1631)。馬の数は、40頭はいたというのですが、客には馬を選ばせずに、常に、その客が来た時に、戸口に一番近い馬を貸したという話。というのも、自由に客に選択させてしまうと、常に良い馬が選択されて、その馬のみが、酷使されてしまうため。この事から、選択肢が沢山ありそうでいながら、実はたったひとつしかなく、それを取らなければ、他に何も手に入らない状態の事を、いつのころからか、「ホブソンの選択」と表現するに至ったというのです。という事は、当時、このトマス・ホブソンの商売方法は、語り継がれ、あちこちへ、ひろまっていたのでしょう。トマス・ホブソンなる人物は、特に他に何をしたわけでもなく、有名人物でもないのに、風評というものの力はすごいです。 さて、それでは、私は大変気に入っている映画「ホブスンの婿探し」に話を移します。舞台は19世紀後半の、イングランド北部、ランカシャー州の町サルフォード。産業革命で、織物業などが栄えた町で、映画内、古びた商店がならぶ、石畳の、町の目抜き通りの風景には古き良きイングランド的、レトロ感漂うものの、町の郊外の背景には、工場の煙突などが伺えます。 ざっとしたあらすじは、 チャールズ・ロートン演じる、呑み助のホブソン氏は、町の目抜き通りで靴屋を経営。もっとも、

池の金魚の悲劇

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良い気候となってきました。昨日は、午前中、前庭の草むしりをしてひと汗かいた後、裏木戸から家へ戻る時、庭で日向ぼっこをしながら本を読んでいたお隣の女性を見かけ、あいさつ。 この隣家の庭には、約1メートルくらいの高さで、長方形をした小型の、イギリスの風呂おけを浅くしたような池があります。彼女は、この池のすぐわきの椅子に座っており、「私たちの金魚が・・・」と、長らく美容院に行っていないため爆発してきている髪の毛を手で押さえながらいわく、「1匹だけ残して、全部、かもめに食べられちゃったの!」 この言葉に、一瞬、映画「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(A Fish Called Wanda)の一場面で、ケビン・クライン扮する性悪のオットーが、マイケル・ペイリン扮するケンが大切に育てていた熱帯魚をつまんで、ちゅるちゅるっと飲み込む映像が頭をよぎりました。お隣さんが留守の時、私も頼まれて朝晩餌をまいたことがある、赤い小さい金魚たちが、カモメの口の中へ消えていったのか。あーあ。 「お宅の反対側のお隣も池あるでしょ?大丈夫かしら?この前、カモメが、塀にとまって、あの家の庭のぞき込んでるの見たわ。」と彼女は続けて言いました。うちの反対側の隣人は、かなり大きな深い池を持っていますが、飼っているのは、でかい鯉。食べがいはあるかもしれませんが、金魚のように一飲みでちゅるっとはできないですね。それに、池の上には、金網をかぶせてあったはずだし。 そう、最近、やたらカモメが多く空を徘徊しているのには気が付いていました。それも、いつもより低空を飛んでいる感じで。新型コロナ感染に伴う、イギリスのロックダウンのため、海岸線の町やリゾートの人出がなくなり、今まで、そういった場所での、食べかけで捨てられていた、 フィッシュ・アンド・チップス などの、人間のおこぼれを頂戴していたカモメたちが、食べるものが減少して、内陸までやって来ているのではないかという話です。おそらく、同じ理由から、冬季は、カモメは比較的多いのですが、この季節でこれだけ見るのは、やはりロックダウンの影響でしょう。街のタウンセンターなどでも、くずかごなどに人間の食べかすが無くなっているので、郊外の庭の池までのぞき込んでいるのか。カモメは何でも食べますからね。そういえば、例年、あまり見ないカラスも庭に到来する数が増えている気がし

犬のナイジェル

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禅の表情の犬のナイジェル 先週の初め、朝のラジオで、BBCの人気園芸番組「ガーデナーズ・ワールド」のプレゼンター、モンティ・ドン氏の愛犬、ゴールデン・レトリバーのナイジェルが死んでしまったというニュースが入りました。12歳。急に病気になり、静かに息をひきとったと。視聴者から、多くのお悔やみのメッセージが寄せられているようです。 「ガーデナーズ・ワールド」の放送は、ヘレフォード州にある、モンティ・ドンの自宅の広大な庭からの放映がメインになっており、いつのころからか、ナイジェルは、番組の大切な要素の一つになっていた感じです。 最初は、特に犬を一緒に撮影するという企画は無かったそうですが、とにかく、ナイジェルは、庭園内を手押し車を押して移動するモンティを追って、尻尾を振りながら、雨の日も晴れの日もついて回る。モンティが、種をまいたり、新しい苗を植えたりしている間は、そばで、のてっと横になって日向ぼっこをしている姿、よだれと土で薄ら汚れたテニスボールを、何度も何度も植木鉢の中に、くわえては落とす姿の愛らしさから、その人気と知名度が上昇。制作側は、偶然映ってしまっていたという状態から、ナイジェル人気のために、必ず映さなければ、という状態に。 2年前に、我が家のキッチンの拡張工事をしてくれた大工さんの名前がナイジェルでしたが、「ああ、モンティ・ドンの犬の名前と同じか」なんて思ったのを覚えています。こうした、ごく普通の人の名前を、犬の名前に付ける人がわりといますが、友人が、ある日、道を歩いていて、後ろから「デイブ!デイブ!」と呼ぶ声がする、周りには自分以外に人がいないし、「デイブ君」と勘違いされて、呼ばれているのか、と、とりえあえず、振り向いてみると、そばを走っていた犬の「デイブ」を呼んでいたのだとわかって、こけたようです。 「動物と子供と一緒にテレビに出るな、食われるから」と、よく言われますが、まさにその通りで、「ガーデナーズ・ワールド」を見ていて、ナイジェルが画面に登場しないと、「あれ?」って感じでした。一昨日の金曜日に、初めて、ナイジェルが死んでしまってからの放映があり、やっぱり、なんか物足りなく、うすらさびしいのですね、これが。番組の最後に公式に、ナイジェルは死にました、のアナウンスがあり、ちらっと、在りし日の姿を映しているのを見て、思わず、じわ

コロナ時代の死と葬式

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うちの旦那が所属する、隣村のテニスクラブの知り合いが、先日、癌で亡くなりました。新型コロナ騒ぎが始まる前から、病院に出たり入ったりしており、経過はかんばしくはないと思われていた上、コロナの感染が蔓延したため、予定されていた治療が延期となり、ずっと自宅療養をしていた人です。 イギリスのロックダウンが始まる直前の、テニスクラブのクラブ・デー(メンバーが気ままに集まってプレーする日)に、彼はクラブ・ハウスに現れて、プレーは一切せずに、メンバーと話をしたり、みんながプレーするのを、ベンチに座って眺めてから、帰って行ったという事で、うちの旦那が彼に会ったのもそれが最後です。「あれは、もう治らないし、現状ではしばらく治療も始まらないと諦めて、別れのつもりで、やって来たんだと思う。」と、旦那は、その時から言っていましたが。 現在、葬式も、出席できる人員に制限などもかかり、ささやかなものとなっています。彼の奥さんから、葬式の日の連絡が回ってきて、「参列は家族だけとなりますが、もしよかったら、10時半に、テニスコートの近くの通りを、棺を乗せた車が通るので、道端にテニスラケットを持って、ソーシャルディスタンシングのため、間隔を取って並んで、見送ってやって下さい。」そこで、だんなは、テニスラケットを持って出かけ、他のクラブメンバー30人くらいと、3メートルづつほどの間隔を取り、道の両側に立って、棺が通る時に、ラケットを振って来たようです。棺を待っている間、他の車を運転していたドライバーが止まって、「何やってるの?」と聞かれたと言っていました。 もともと、葬式というのは、生きている人間のためのもの。こういう、あっさりとした見送り方もいいのではないかという気がします。棺を乗せた車は、そのまま樹木葬の場所へと向かったそうです。最近は、樹木葬を選ぶ人は増えてきている模様で、旦那も、私も、樹木葬でいいねと言っています。 彼も、ある意味では、コロナ騒動の間接被害者の一人とも言えます。この他に、旦那の故郷の友達のお母さんも、先日、おそらくコロナ感染で自宅で亡くなってしまいました。彼女は、旦那が育った通りに住む、当時最後の住人だったとかで、旦那は、「これで故郷との絆もかなり細くなった気がする。」 彼女の場合は、3月中旬からすでに咳が止まらず、コロナの疑いがある場合は連絡する事

エレファント・マン

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1980年のデイヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」(The Elephant Man)は、19世紀後半のイギリスに実在し、その奇妙な外観から、エレファント・マンと呼ばれた、ジョーゼフ・メリック(Joseph Merrick、1862-1890)の人生の最後の4年間に基づいた映画。白黒の映像と、煙巻き上がるビクトリア朝ロンドンの薄暗い雰囲気の中、公開時はなんとなく怖いイメージを持った映画でした。 調度、時期を同じくして、物語の主な舞台となるロンドン・ホスピタルが存在する、東ロンドン、ホワイトチャペル周辺では、切り裂きジャックの殺人事件が起きていた頃。メリックの死後、彼の骸骨を保存する処理にあたった外科医は、切り裂きジャックの被害者の遺体の鑑定をした人物であったそうです。 ざっとしたあらすじは、 東ロンドンのホワイトチャペルにある、ロンドン・ホスピタルに外科医として働くフレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、ある日、近くで開かれていた見世物小屋で、エレファント・マンとしてその奇怪な姿を見世物としていたジョン・メリック(ジョン・ハート)の存在を知り、興行主に持ち掛け、病院で、メリックと面会。彼の症状に興味を持ったトリーブスは、病院長に相談し、ロンドン・ホスピタルで、メリックの面倒を見るに至る。 最初は、頑なに言葉少なであったメリックだが、徐々に、トリーブスに心を開くに至り、トリーブスも、メリックが読み書きもでき、知能も高い人間であるとわかる。新聞で彼の存在が書かれると、上流社会の人間の間でも、彼に興味を示し、訪れ、贈り物などをする人物も増えてゆく。中でも、女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)とは、心を通わせる。永住できる住処も病院側から与えられ、しばしの、快適な生活の中、紙を使って巧妙な建物の模型作りにも夢中になる。 やがて、見世物小屋の興行主が、夜間にメリックの部屋を訪れ、再び金ずるにするため拉致し、大陸ヨーロッパで興行を続ける。症状が悪化していくメリックは、興行主に檻に入れられていたところを、やはり同じ場所で見世物として働いていた他の人物たちの助けを借り、逃走、汽船に乗り、イギリスへ帰り、再び、無事、ロンドン・ホスピタルに保護される。 普通の人間のように横になって寝ると、窒息死するため、常に枕をつみあげてうず

ポンペイ

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積読じゃなくて完読! 対コロナウィルス作戦として、イギリスの ロックダウン が始まった頃に、退屈せぬよう、また、異世界へワープできるような本を、幾冊か注文してありました。 そのうち、英作家ロバート・ハリスの作品で、共和政ローマの終焉期と、その時代に生きた政治家キケロ(Cicero)を主人公とした、「キケロ3部作(Imperium、Lustrum、Dictator)」と、やはり同作家による、79年のヴェスヴィオス火山の大噴火を背景に描いた物語「ポンペイ」(Pompeii、邦題は「ポンペイの4日間」)を読み終わり、その影響で、現在、古代ローマ時代がマイ・ブームとなっています。積読で終わらず、完読できる面白い本と巡りあえてよかった。最近、とみに、「これはだめだ、自分に合わない」と思った本を、無理やり読み終える根性が無くなってきているので。 残念ながら、「キケロ3部作」の方は、日本語訳が出ていないようなので、ここで、詳しく書きませんが、長年、キケロに仕え、秘書として働き、右腕のように頼りにされていた彼の奴隷、 マルクス・トゥリウス・ティロ が、後年、キケロの伝記とその時代を綴ったという形式を取っています。ティロは、キケロの発言やスピーチなどを、すばやく記録するため、独自の速記法を発明し、&(アンド)、etc.(エトセトラ)などの現在も使われている記号や省略文字は、彼が考案したものだとあります。彼は、後に、キケロにより、奴隷の身分から解放されて自由人となり、キケロが殺害された後は、田舎でのんびりと100歳くらいまで生きたという話。実際、彼は、キケロの伝記を残したようですが、後世にそれは失われており、作者は、それがまだ残っていたら、こういう感じではなかったのか、という事を頭において書いた様です。 共和制ローマなどと言うと、皇帝が支配する帝国の時代よりも、良い世界ではなかったのか、と思うと、これを読む限りにおいては、そういうわけでもなく、政治家間での激しい権力争い、暴力沙汰がはびこる恐ろしい世界でもあり。普通に生きている分には、一般庶民にとって、無料のパンをもらいサーカスを楽しむ帝政ローマも、悪くなかったのかもしれません。教科書で学んだローマよりも、人の生活臭がするローマを想像しながら読めるのが、こういう歴小説のいいところです。シーザーの暗殺シーンなども、そ

VE デー(ヨーロッパ戦勝記念日)

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トラファルガー広場のライオンの周りに集まるVEデーの群衆 明日、5月8日は、VEデー(Victory in Europe Day、ヨーロッパ戦勝記念日)です。今年は、75周年であるので、本来なら、あちこちで色々な催しが行われるはずのところが、新型コロナウィルスの ロックダウン の影響で、予定変更、こじんまりと、おとなしいものとなりそうです。 1945年4月30日、ベルリンの戦いの最中、アドルフ・ヒトラーが自殺。ヒトラーの後を継いだカール・デーニッツは、臨時政府、フランスブルク政府を設立。当政府が、5月7日に、ナチス・ドイツの無条件降状に調印。連合軍による、 ノルマンディー上陸 から、実に11か月後の事です。翌日5月8日、イギリス首相のウィンストン・チャーチルによる正式なアナウンスを聞こうと、またお祭り騒ぎに参加しようと、多数の人々がロンドンへやってくる。 午後3時に、チャーチルが ダウニング街10番地 から、ラジオのアナウンスを行います。同アナウンスで、前日7日の午前2時41分にドイツが無条件降伏をした事、この日(8日)、更に、ベルリンで、これが批准される予定である事、このため、ヨーロッパでの戦争は公式に、夜中の12時1分に終了する事が、ラジオ及び、ロンドン中心地に備え付けられたスピーカーから流れ出て、国民はおおはしゃぎ。そして、ヨーロッパ戦勝記念日として、8日と9日の2日間、羽を伸ばしてお祭りをしよう、ただし・・・とチャーチルが続けるに、まだ、多大の苦労と努力が要求される事を忘れずに、日本はまだ降伏していないから、と。最後は、 Advance Britania! Long live the cause of freedom! God save the King! ブリタニアよ、進め!自由の権利よ永遠なれ!神よ、王を守り給え! でスピーチをしめくくっています。 チャーチルは、国会のハウス・オブ・コモンズ(庶民院)で、再び、同じ内容のスピーチを行い、その後、議員たちは、ハウス・オブ・コモンズの教会とされる、 聖マーガレット教会 へ、勝利の感謝を捧げるために向かいます。 右から、ジョージ6世、チャーチル、クウィーン・マザー、エリザベス王女(現女王) 午後5時には、バッキンガム宮殿のバルコニーで、王夫妻と二人の王女(エリザベス